人生で一番はまった本の話
今回は、こぼりたつやさん(http://twitter.com/tatsuya_kobori)主催の3000文字チャレンジ企画に初参戦です!
テーマ「おすすめ」ということで、一切のひねりもネタも無しに、普通に私のおすすめをご紹介します(笑)
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大変恥ずかしい話なのですが、私は日頃ほとんど読書をしません。
小説もビジネス書も自己啓発本も。
漫画やブログは読むんですが。
小さい頃からそんなに読書好きな子ではありませんでした。
嫌いというわけではないですけど。
しかし、小学生時代から漫画雑誌ばかり読むようになり、母親には「本を好きになってほしくて毎晩読み聞かせをしていたのに」とがっかりされてしまいました。
高校生までは学校の国語の授業で文章を読む機会がありますし、夏休みの読書感想文を書くためにも本を読まなければいけません。
でも、そういったこと以外で自分から積極的に本を読むということはあまりなかったと思います。
国語の成績は良かったですけどね。
大学受験のときも私を救ったのは国語。
「読書する子は読解力がある」って本当?
読書しなくても、読解力ある子はある。
(でも、文才はやはり読書してきた人に到底敵わないと思う今日この頃…)
そんな私が、たった一度だけ本にドはまりしたことがありました。
大学1年生の頃だったでしょうか。
後にも先にも、ここまで没頭して読んだ本はありません。
その本が面白くて面白くて、出来るだけ長く読んでいられるように毎朝わざわざ快速ではなく各駅停車に乗ってゆっくり大学に行っていました。
大学の授業中も、早く続きが読みたくて仕方がない。
帰りの電車でももちろん読みます。
一日中、目が覚めた瞬間からずっとその本のことを考えていたといっても過言ではありません。
その証拠に、当時朝のアラームとして使っていたアヴリル・ラヴィーンのアルバム曲を聴くと、その本を読みながら思い描いていた情景が今でも頭に浮かんでくるのです。
読書習慣のない私がそこまで心を奪われた本とは。
それがこちら。
「ローマ人の物語」(新潮社、塩野七生 著)
古代ローマについての本です。
わりとメジャーですかね?
ハードカバー(全15巻)と文庫版(全43巻)がありますが、私が読んでいたのは文庫版です(文庫版の写真は最後に掲載)。
大学時代、親の迎えを待つときに時間をつぶしていた駅前の本屋に、この本のシリーズがずらりと並べられていました。
高校時代の世界史の先生がとても博識で授業も面白く、そのおかげで世界史が好きでした。
といっても、世界史の成績が特別良かったわけではありませんでしたが。
覚えることがとにかくたくさんある。
王様の名前とか紛らわしいし。
ジェームズ1世、チャールズ1世、チャールズ2世、ジェームズ2世?
何その順番。勘弁してくれよ。
第○共和制とか、○月革命とかね。
領土拡大縮小しすぎだしさ。民族も移動しすぎ。
フェニキア人とシュメール人とか、全然響き違うんだけど何かかぶるんだよね。
ヨコのつながり?
無理無理。
タテすら枝分かれと統合を繰り返して真っ直ぐつながらないのに。
と、まぁこんな感じで、得意だったかといわれると決してそうではありませんでした。
しかし、世界史のロマンといいましょうか、スケールの大きさといいましょうか。
胸が震えるんですよね。
戦争や革命の繰り返しですから、世界史の教科書1冊の中でどれだけの命が失われているのか分かりませんけども。
さて、話が逸れましたが、とりあえず私は世界史が好きでした。
高校時代は古代ローマに大して興味はなかったのですが、本屋で見ているうちに「ローマ人の物語」シリーズを読んでみたくなり、1巻から買ってみることにしたのです。
文庫版の1~2巻は「ローマは一日にしてならず」。
紀元前753年のローマ建国からイタリア半島統一まで。
ちなみに、この頃日本はまだ縄文時代かな?ヨコのつながり(ドヤァ)
いやーこれは面白い。どんどん買おう。
最初はこのくらいのテンションでした。
ところが。
この後ですよ。
3~5巻の「ハンニバル戦記」。
これで私は完全にやられてしまいました。
ハンニバルというのは人物名ですが、ローマ人ではありません。
第二次ポエニ戦争(紀元前219年~紀元前201年)でローマと戦ったカルタゴ(アフリカの地中海沿岸にあった国)の将軍です。
第二次ポエニ戦争は別名「ハンニバル戦争」と呼ばれており、彼がローマにとってどれほどの強敵であったかを表していますね。
ポエニ戦争は第一次から三次まであり、1世紀以上に渡ります(紀元前264年~紀元前146年)。
ハンニバル戦争と呼ばれるのは第二次だけですが、このポエニ戦争編全体のタイトルが「ハンニバル戦記」になっているんですよね。
ポエニ戦争によってローマに訪れた危機の大きさは、ハンニバル抜きには語れないわけです。
最終的にはもちろんローマが勝ちますよ。
ここでローマが負けて滅亡したら、シリーズ終了してしまいますから。
ハンニバルが活躍するのは、文庫本4巻~5巻。
もうね、とにかくカッコいいんですよ。このハンニバルという男。
頭が良くて冷徹な孤高の名将。
誰もが不可能と思うようなことをやってのけますが、本人にとっては無謀な挑戦などではなく、すべて計算の上。
ハンニバル率いるカルタゴ軍は、冬のアルプス山脈を越えてイタリア半島に乗り込み、迎え撃つローマ軍を次々に撃破していきます。
天才ハンニバルの策に見事にはまり、なす術もなく討ち取られていくローマ軍。
大国であるローマに甚大な損害を与えても決して慢心することなく、前だけを見据えて進み続けるハンニバル。
カルタゴの命運を一身に背負っているからであり、己のプライドのためのようでもあり。
戦争史上に名高い「カンネーの会戦」のシーンは圧巻です。
そして、もう一人の重要な登場人物がローマの若き将軍スキピオ。
どんな状況でも孤高を崩さないハンニバルとは対照的に、明るいキャラクターとして描かれています。
彼もまた、ハンニバルに勝るとも劣らない知将。
「ザマの会戦」でハンニバルを破ります。
そう、負けるんですよね。希代の名将ハンニバルは。
史実なので、ネタバレではないということで書いてしまいますけれども。
ローマを絶望の淵まで追い詰めるも、打ち破ることはできなかったのです。
故郷から遠く離れた地で、補給も決して十分ではなく、一枚岩ではない大軍を維持しなければならない。
敗れれば、カルタゴは地中海の覇権をローマに奪われてしまう。
そんな重圧の中で、ハンニバルは誰とも馴れ合うことなく戦い続ける。
そして最後は才気溢れる若者の前に屈する。
いやー、切ない。
第二次ポエニ戦争終結後のハンニバルとスキピオ、それぞれの運命。
第三次ポエニ戦争でついに滅亡のときを迎えるカルタゴ。
ハンニバルを粘り強く追い続けたローマの将軍や、カルタゴ軍の兵士たちがハンニバルをどう見ていたのかなどのエピソードも必見です。
日本史でいうと私は新撰組が好きなんですが(笑)、少し通じるものがあるかなと思います。
カンネーの会戦が池田屋事件ですね。彼らが歴史の中で燦然と輝く瞬間。
主君のため、そして己の夢のために戦うも、最後は儚く散っていく。
ハンニバルの生き様は、日本人の心の琴線に触れるところがあるのではないかなと思います。
ちなみに私はONE PIECEファンでもあるのですが、「ハンニャバル」というキャラクターが登場したときは尾田栄一郎氏を殴りに行きたくなりました(笑)
さて、このシリーズについてもう少しだけ。
この「ローマ人の物語」の魅力は、何といってもドラマチックな文体です。
もちろん歴史上の出来事とその影響などを書くことをメインとした本で、決して歴史小説ではありません。
しかしながら、登場人物の人となりや各場面の展開が鮮やかに描かれ、まるで映画を見ているかのように心を揺さぶられます。
そう、「ローマの歴史」ではなく、ローマ人の物語。
古代ローマとは、そして私たちが生きている世界とは、遥か昔の人々が命を燃やして紡いできたものなんだなぁと、思いを馳せずにはいられません。
「ローマ人の物語」シリーズのサブタイトル一覧です。
途中から読んでも問題なく楽しめますので、面白そうだと思うタイトルがあればぜひ手に取ってみてください。
やはり最大の盛り上がりはユリウス・カエサル編ですかね。
(1)ローマは一日にしてならず
(2)ハンニバル戦記
(3)勝者の混迷
(4)ユリウス・カエサル ルビコン以前
(5)ユリウス・カエサル ルビコン以後
(6)パクス・ロマーナ
(7)悪名高き皇帝たち
(8)危機と克服
(9)賢帝の世紀
(10)すべての道はローマに通ず
(11)終わりの始まり
(12)迷走する帝国
(13)最後の努力
(14)キリストの勝利
(15)ローマ世界の終焉
古代ローマとか興味なくて本読むのはめんどいなっていう人は、とりあえず「カンナエの戦い」のwikiでも見てみてください。
ぞくぞくすること、間違いなし。
それでは、今回はこの辺で。
お読みくださってありがとうございました。
愛してたって、秘密はある。
一昨年、「愛したって、秘密はある。」というドラマがありましたね。
私は1秒も見てないんですけど。笑
福士蒼汰演じる主人公が、実は中学3年生の時に父親を殺しており、そのことを打ち明けられないまま婚約して…という話だったそうです(適当ですいません)。
まあここまでやばい秘密ではないにしろ、恋人や夫婦だって秘密はたくさんあると思うんですよね。
私は夫と結婚して3年目ですが、実は先日付き合い始めた日からようやく丸3年経ったところ。
交際期間が短かったんです。
私も夫も30歳。
そのうちの最近3年間を知ってるのみ。
もちろん、このまま円満に二人で長生きすれば、いずれ一緒にいる年数の方が上回るわけですが。
それでも27歳以前のお互いのことは今後どうしたって見ることはできない。
私は塾講師時代に3年8か月付き合った人がいました。
最も辛かった時期を支えてくれた人で、2年半くらい同棲もしていたので、その人の方がまだ夫よりも私のことを分かっているかもしれないと思ったりもします。
(だからといって、その人と結婚すれば良かったとは一切思いませんが)
夫も私と知り合った頃は4~5年付き合っていた彼女と別れたばかりでした。
あまり詳しく聞いてないけど、浮気されてブチ切れて別れたんだとか。
お互いの過去なんて、話そうと思っても全部話せるわけもなく、知らないことばかり。
いや、もっというと、結婚していたって秘密はどんどん増えていくと思うんです。
夫はとにかく嘘やごまかしが多い。
都合が悪くなると、すぐ嘘をつきます。
私が嘘を指摘しても、「嘘じゃない」と言って認めず、バレバレなのにごまかし続ける。
初めは、「そんな下手な嘘をついたってすぐばれるのに、何でいつも嘘をつくんだろう。状況が悪化するだけでしょ」と思っていました。
しかし、よく考えてみたら私が見抜いていない嘘の方が多いのかもしれないですよね。
大半の嘘がばれていない(つまり成功している)から、繰り返し嘘をつくのかもしれない。
結婚して丸2年以上が過ぎ、私は夫を信用しなくなりました。
一度お金絡みの隠し事が発覚したこともあり、他にどんな秘密を持っているのだろうと思ってしまいます。
あ、だからってスマホ勝手に見たりはしませんよ?
夫も私もロックかけてますし(笑)
先日、夫が突然花束を持って帰宅しまして。
何の記念日でもイベントでもない日なのに「きちんとした贈り物をしたことがなかったから」と。
まあ嬉しかったんですけど、何かの罪滅ぼしじゃないかと内心では疑いましたよね(笑)
そんな夫のことばっかり言って、お前には何も嘘や秘密はないのか?
ありますよ。
あるある。めっちゃある。
まず、このブログとTwitterね。笑
ブログは夫が家にいない時にしか書かないし、私はもともとLINEをよくやっているので、画面を見られない限りTwitterもばれません。
ブログに時間費やしてないで、もっと家事とかちゃんとやれよ!と後ろめたく思いますし、WordPressにはお金もかかってるし。
でもやめられない。
ブログとTwitterは感付かれてないと思うけど、夫が私のことを何一つ疑っていないかというと、たぶんそんなことはないです。
夫はことあるごとに冗談:本気=8:2くらいで「浮気してるー」と言ってきます。
それは誓ってしておりませんが。
夫は家にいる時間が少ないので、その間に私が何をしているのか気になるんでしょうね。
でも、こっそり有料ブログサービスやってるのなんかはカワイイ方。
実は、私には重大な秘密が1つあるんです。
ここにも書けないくらいに相当やばい。
浮気じゃないですよ。
むしろ、ちょっとした浮気よりよっぽど重いかも。
関係者以外、知っている人は誰もいません。
どんなに親しい友達でも、こんなの打ち明けられたら青ざめるでしょうね…
それこそ、「家族や友達に話しにくい」どころではない。
しかも、夫に露見する可能性がゼロではないから怖い。
それ自体は法に触れるものではないけど、隠していたのがばれたら離婚が認められる事由になり得るかもしれない。
きゃー怖い怖い。
夫よ、ごめんね。
毎朝「行ってらっしゃい」と夫を見送り、バタンとドアが閉まった瞬間から、私たちは夫婦といえども全く異なる時間を過ごすことになる。
いや、同じ部屋にいても、相手のスマホの向こうにはどんな世界が広がっているのか分からない。
お互いに何かしら秘密や隠し事があると分かっていても、根掘り葉掘り聞かずに、「愛し合っている」ということだけを信じて、穏やかに過ごすよう努める。
もちろんぶつかり合うこともたまにはあるけど。
夫婦ってそういうものなのかなーなんて、最近思っております。
本当にごめんね。
秘密があったって、愛してる。
それでは、今回はこの辺で。
お読みくださって、ありがとうございました。
ブログ4か月の報告のはずが、全然違う話になってしまいました。
こんにちは(^^)
1月19日で、このブログを始めてから4か月になりました。
本当は当日に書きたかったのですが、土曜日で夫が家にいたので書けず。
予約投稿なんかもしておらず(笑)
先日「最近、考えがまとまらない病になったかもしれない」というしょーもない記事にも書いたのですが、最近書きたいことはあるのになかなか上手く表現できなくて。
というより、「家族や友達には話しにくいけど、でも誰かに話したいこと」を書くためのブログにすら、これはとても書けないなと思ってしまって。
いくら私の本名や顔を公表していないとはいえ、さすがにこんなん書いたら人格疑われそうだなーとか。
これはまだはっきりと文章にしてしまうのは怖いな、心の中に置いておいた方がいいなーとか。
1ヵ月間の更新がどんどん減ってますね(苦笑)
それでも、直近の「拝啓、K本部長様」は上手くかけた方かな。
上手くというのは決して文章そのものが上手だということではなく、感情を込められたという意味で。
あれを書いて以来、正社員で塾講師をやっていた当時のことばかり考えてしまって、ちょっとおかしくなりそう(笑)
あの会社で過ごした4年間は、私の人生の中で間違いなく最も濃厚で、最も苦しかった。
やりがいもとてつもなく大きかったけど、それだけでは支えきれないくらい、崖から落ちる寸前で。
結局落ちたんですけど。
あの時の挫折感は今でも拭い切れない。
身も心も限界まで削って、それでも目指していた場所には到達できなかったのだから。
当時同じ職場だった人たちから見れば、私が会社を辞める理由は自分自身の無能さに耐えられなくなったからだというのは明らかで。
こんなに惨めなことはない。
でも、今振り返ってみると、本当によく頑張ったと思う。
当時はこんなんじゃだめだ、努力が足りない、気持ちが足りない、って自分を追い詰めていくことしかできなかったけれど。
今はあの頃の自分を愛おしく思える。
出来ることなら、4年前の退職した日の私を抱きしめてあげたい。
…なんて、何やら湿っぽくなってしまいましたね!
実は、その会社に勤めていた4年間のうちの2~4年目を過ごした職場は、K本部長以外にも本当に良い方がたくさんいました。
とても恵まれていたと思います。
特に、塾講師としての「授業」を私に教えてくれた上司については、こちらもいつか記事に書けたらいいなと思っています。
そう、この2~4年目を過ごした職場は今となっては結構良い思い出になっているんですよね。
記憶って、時間が経つにつれて曖昧な部分がだんだん薄れていって、印象深いことだけが断片的に残るじゃないですか。
その「印象深いこと」は悪いことより良いことの方が多いんです。
(1年目を過ごした職場は悪いことの方が多い笑)
そして、生徒に関する記憶も。
上手くいかないクラスの授業は本当に辛くて、もう本当に逃げ出したい、校舎に向かう途中で事故に遭って救急車で運ばれてしまいたいくらいの気持ちでした。
でも、時間が経って思い出すのは一緒に笑い合ったこと。
もちろん、慕ってもらうことができなかった生徒のことも決して忘れてはいけないし、忘れられはしないのだけど。
あんなに苦しかったのに、塾の仕事から完全に離れてまだ2年も経ってないのに、やっぱりまた塾の仕事やりたいって思っちゃうんだよなぁ…
いや、もう自分が塾講師に向いていないのは痛いほど思い知ってるから、やめとけやめとけ!!って思うんだけどね…
自分が傷付くだけならまだしも、こんなポンコツが先生になるってことは生徒にも犠牲者が出るんだからね?
日本に帰るのは3年後くらいの予定だから、仕事のことはそのとき悩めばいいんだけど、私の場合は塾以外の仕事の経験がないからどうすんの?という問題もある。
塾しかできないならもう塾に再チャレンジでいいじゃんと思われるかもしれないんだけど、私は塾をやりながらまともに結婚生活を送れる自信がない。
塾の仕事をしていると、頭の中はそればっかりになってしまうので、毎日ごはんを作るなんて絶対にできない。
ストレスで夫に当たり散らしてしまうだろうし。
それに、塾の定時はだいたい13時~22時で、さらに時間外労働が多い業種だから、夫と生活時間が大幅にずれてしまう。
塾の仕事をやるのも、他の仕事をやるのも、どちらも悩ましい。
なんか、ブログが4か月を迎えたのと全く関係のないことを書いてますね。笑
本当は記事に書ききれなかったK本部長の素晴らしさを語りまくろうと思っていたのに(それも4カ月とは関係ない)笑
今日はこの後用事があるので、この辺で。
読んでくださって、本当にありがとうございます。
最近はいろいろと悩ましいことがあって、更新がますます遅くなるかもしれませんが、ほそぼそと続けていきたいと思います。
気が向いたときに覗いてやってください。
これからもよろしくお願い致します!
拝啓、K本部長様 ※長いです
拝啓、K本部長様
寒い日が続きますが、お元気でお過ごしでしょうか。
K本部長、お久しぶりです。
待宵です。
早いもので、私が塾の会社(R塾とします)を辞めてから約4年が経ちました。
私は退職した翌年に結婚して、今は海外に住んでいます。
K本部長は、現在はR塾の新しいプロジェクトに関わっていて単身赴任中だと聞きました。
順調に進んでいますか。
お体にはくれぐれも気を付けてください。
一人暮らしでもお酒や煙草はほどほどに。
息子さんは、今8歳くらいでしたっけ。
1回しか会ったことはないけれど、K本部長そっくりの人懐こい笑顔が印象的で、すごく可愛かったです。
息子さんや美人の奥様にたまにしか会えない生活は寂しいですね。
本当は直接お会いして伝えられたら一番良いのですが、今日はK本部長への感謝と思い出を綴りたいと思います。
2011年の春、私は新卒でR塾に入社。
子どもたちの夢を応援する先生になるんだ、と意気込んでいたけれど、新卒の年は正直散々でした。
授業も下手、それ以外の仕事もできない、社会人としての振る舞い方どころか、人としての態度もなっていない。
そんな自分を思い知った1年目。
2年目になった2012年、私はK本部長がトップを務める本部に異動になりました。
K本部長の印象は、とにかく底抜けに明るい。そして面白い。
それでいて実力者の余裕とオーラを感じさせる、そんな人でした。
当時は確か31歳くらいだったはず。
私は30歳になった今でも相変わらずポンコツなのに、信じられません。
太陽のようなK本部長のおかげなのか、職場は生き生きとした空気に満ちていました。
私が1年目にいた職場に比べると、みんなが楽しそうに仕事をしているようで、ちょっとしたカルチャーショックを受けたことを覚えています。
また、新参者の私から見ても、K本部長が若手からベテランまで本部員みんなに慕われているのがよく分かりました。
さて。
私も今年からこの本部の一員。
1年目のダメダメな私を知っている人は、この本部にはいない。
心機一転、頑張るんだ!
K本部長からも「期待しているよ」という言葉をいただいて、張り切って仕事に臨みました。
しかし、私のダメダメぶりはすぐに露呈。
毎日ミス、ミス、ミス。
授業も下手、下手、ド下手。
どうやったらこんなに問題ばかり起こせるんだろう、とK本部長は困惑したことでしょう。
とんでもない人材をもらってしまったと思ったことでしょう。
他の2年目社員はみんな有能で、ある程度仕事ができるようになってきているのに、どうしてここまでひどい差があるのだろう。
教育業界は離職率が高く、R塾も入社3年以内に6~7割が辞めていきます。
私みたいな出来の悪い社員は、放っておいてもそのうち耐えかねて辞めていくだろう。
一生懸命指導するだけ、時間と労力の無駄かもしれない。
そう思われても不思議ではありませんでした。
実際、そう思っていた先輩がいたことも知っています。
でも、K本部長は私のことを育てようとしてくれました。
その年のGWが明けたある日、退社時に校舎のトイレの照明を消し忘れた私に対して、厳しくも温かいメールをくれましたね。
校舎のトイレの照明を消し忘れる(校舎の防犯カメラで発覚)なんて、戻って消せばいいだけのこと。
だけど、そのミスの本質をグサリと突いた、私にとっては図星としか言いようのないメールでした。
2012/05/10 00:55
題:苦言、しかし成長しろ
あのな、待宵。
よく覚えとけ。
「今後は責任を持って仕事を完遂するように気を付けます」
この報告・反省には全く意味がない。多分待宵はまた同じようにミスするだろうね。
おそらく昨年度も、何度も待宵は人災ミスをして、そのたびに「二度としないように気を付けよう」と反省したのだろうね。
しかし、ミスが減らないし、叱られて信用もなくしちゃったんだろうね。
想像できるよ。
もしかしたら、
「あたしには能力がない」
こんな風に思ったこともあるかもしれない。
でもな、ミスがなくならないことに「能力」や「合う合わない」は絶対に関係ない。
言葉をかえて言うなら、今回みたいな言葉で報告をする状態でしかないから、ミスが減らないんだぞ。
おまえはミスを無くす方法を考えていない。
「気を付けよう」
で自動車事故がなくならないように、気を付けてもミスは減らない。
どうやればミスが減るか、その方法を考えて実行に移すからミスが減るんだぞ。
(中略)
「以後気を付ける」
という報告は、何もしないことと同義。気を付けてもスピードを出したまま運転していたら、結局事故る可能性高いでしょ?
早く「一級の社会人」になれるよう努力しろ。待宵はおそらく、一生「R塾の講師」でいるわけじゃない。
でも、「一級の社会人」になることは、絶対に大事。
その場をしのいで終わりにするな。
もっと育て。
一級の社会人に早くなれるよう貪欲になれ。
休日に生徒のバレエの発表会を見に行ってあげて、それを上司にアピールしてこない
「素敵な人物」
なんだから。
真剣に成長に貪欲になれ。期待する。
塾なので、退社時刻は23時くらい。
それから照明の消し忘れが発覚し、私が校舎に戻って消灯し、その報告を送った返信がこのメールでした。
深夜1時近くに、いつ辞めていくかも分からないようなポンコツ社員のために、こんなに丁寧なメールをくださった。
しかも、私が自分の担当している生徒のバレエ発表会に行ったことを誰から聞いたのかちゃんと知っていて、お叱りの最後にわざわざ褒めてくださった。
ミスを繰り返す原因を指摘されて苦しい気持ちでしたが、私はこのときに「そうか、K本部長はこういう人なのだ」と知ったのです。
しかし、それでも私はなかなか変われませんでした。
無くならないミス、上手くいかない授業。
努力が足りないのだろうか。
何が間違っているのだろうか。
毎日消えてしまいたい気持ちで仕事をしていました。
このまま働いていても、周りに迷惑をかけ続けるだけ。
いつもフォローしてもらっていて、どんどん肩身が狭くなっていくばかり。
この頃の私は少し鬱気味になっていて、いつも何となく体調が悪く食欲もない、何もかも私のせいだ、私さえいなければ、という思考に陥って抜け出せなくなっていました。
7月、K本部長と若手社員が順番に1対1で面談した日のこと、覚えていらっしゃいますか。
あのとき、私はどん底にいました。
面談の順番が回ってくるのが怖かったです。
K本部長に「やっぱりお前には塾の仕事は向いていない」と言われるに違いない。
優しいK本部長だから、向いていないとはっきり言ってやるのも上司の務めと考えているだろう。
面談が始まるまでそう思っていたのです。
ところが、面談の部屋に入って席に着くと、向かい合わせに座っているK本部長は、いつもと同じ太陽のような笑顔でした。
これまで数々の失態を犯してきた私は、非常に緊張していたので、残念ながら面談のときのK本部長の言葉をほとんど覚えていません。
しかし、終始にこにこして、私の出来の悪さなど取るに足らないことのように喋ってくださいました。
面談中の会話は忘れてしまったのですが、私がその日の終業後にK本部長に送ったメールが残っています。
2012/07/06 23:30
題:待宵です。
本日の面談では、とても温かいお言葉をたくさん下さり、ありがとうございました。
最近2カ月くらいの間、完全に自信を喪失してしまっていて、周りの方から励まされても、朝礼でどんなにやる気が出るようなお話を聞いても、以前のように奮起できなくなっていました。
ですが、今日は授業が始まるまでずっと面談でのお話を思い返していて、久しぶりに、自分はまだやっていけそうだ、という気持ちで終わることができました。
まだまだ講師としても社員としても課題ばかりの私ですが、一日でも早くK本部長のお役に立てるように頑張ります。
本日は本当にありがとうございました。
今後もよろしくお願い致します。
返信は結構です。
2012/07/06 23:38
題:Re:待宵です。
結構ですと言われても、返信したいから返信しちゃう。
そんなふうに言ってもらえて、俺が何か嬉しいや。
待宵のこと、人として好きだよ。なんかぶきっちょでさ(笑)
たまに、頭の中で考えてネガティブ(どよーん)になってるのが、漫画のように吹き出しで浮かんでるもん。
成長できるといいな!いや、きっとできる!!
ともにがんばろー!
この面談がなかったら、きっと私はこの年の夏期講習が始まる前に辞めていたと思います。
苦労した就職活動の末に入った会社を、何かを得るどころか、自尊心が完全に崩壊した状態で。
面談後、少しずつ立ち直っていった私は、K本部長への尊敬の念を深めていきました。
K本部長は、厳しくて温かくて、何て器の大きい人なんだろう。
私が一番突いてほしくない、一番痛いところを知っている。
同時に、私が一番言われたい言葉も知っている。
私が真剣に仕事に取り組む限り、この人は私を見捨てない。
期待に応えたい。
そうそう。人間性はもちろんのこと、何より講師としてK本部長は私の憧れです。
授業が分かりやすい面白いなんかは当たり前で、すごいのは生徒や保護者から寄せられる信頼の厚さ。
私が一番印象に残っているのは、K本部長が中3の男子生徒の頭をくしゃくしゃっと撫でてあげ、その生徒が恥ずかしそうに、でも噛みしめるような笑みを浮かべたのを見たとき。
中3の男子生徒ですよ?
決して扱いやすい学年ではないし、頭を撫でられて喜ぶ歳でもないはずなのに、その嬉しさをこらえるような表情といったら。
生徒に厳しく向き合い、時には一緒に苦しみ、成功したら大喜びで褒めてやり…そうして築いてきた心の繋がりがあるのだと、その生徒の一瞬の表情が物語っていました。
さて、3年目になった私に転機が訪れます。
転機というか、きっかけは毎年恒例のことでしたが。
本部にたくさんの新入社員が入ってきたのです。
え、今年の新卒、うちにこんなに来るの?と、本部員みんな驚いて笑っていましたよね。
私にとって2年下の後輩たち。
まだ右も左も分からない、明るく元気だけが取り柄の新人。
彼らを見ていて、私は思ったのです。
私が新卒で入社したとき、「3年目社員」といったら、もう一通りのことはできるようになっているように見えた。
でも何年も上の先輩と違って、分からないことを質問しやすい、頼れる存在だった。
私も彼らから見てそんな「3年目社員」にならなくちゃ。
私だって、この仕事の右と左くらいならもう分かる。
そして、新卒が抱える悩みなら誰よりも分かる。
私は新卒の社員たちに何かあるごとに声をかけては、電球の交換などの小さな仕事を教えることから授業の相談まで、積極的に面倒を見るようにしました。
そうすることで、同期の中では相変わらず落ちこぼれでしたが、私自身は新卒時代からこんなに成長していたんだ、と感じることができたのです。
同期や先輩、上司の方々の私に対する視線が少しずつ変わっていくのが分かりました。
そんな矢先のことでした。
K本部長が体調を崩したのは。
K本部長が体調不良を訴えて病院に行ったというのです。
私たち若手社員は詳しい症状や診断名を教えてもらえませんでしたが、病院に行くのがもう少し遅かったら命が危なかったらしい、と聞きました。
K本部長が授業に立てない日が続き、本部員は心配で心配でたまりませんでした。
このときはまだ年度の初め。
しかし、非常に有能なK本部長は、新しい校舎の立ち上げ、夏以降の新しいプロジェクトの準備などで、とにかく多忙を極めていました。
まだ十分な体力があるはずの若さとはいえ、激務とそのストレスが病気の原因であることは、誰の目にも明らかでした。
K本部長にもしものことがあったらどうしよう。
いや、命が助かっても、塾の仕事を続けられなくなったら?
誰よりも生徒を愛し、誰よりも生徒から愛されている先生なのに。
しばらくして、K本部長は授業に復帰。
体調が万全でなくても、塾長でもあるK本部長は授業にだけは出なければ。
どうか、どうか無理しないで、と私たちは祈るしかありませんでした。
4月末、GWが近付いてきました。
GW中は塾の授業が休みになり、社員も連休になります。
その間に、K本部長もゆっくり休んでほしい、少しでも体調が戻りますように…
そう思っていたのですが、社員の連休初日は各校舎の保護者会が予定されていました。
つまり、私たち若手社員は休みですが、各校舎の塾長を務めている社員たちは出勤し、自分の校舎で保護者会を運営しなければならないのです(翌日からは休み)。
保護者会というのは、塾長が保護者に対して、入試情報や塾としての教育方針などを講演する会です。
広い教室でも当然マイクなどは無し、1時間ほど喋るので、かなり体力がいります。
講演終了後は、保護者からの挨拶や質問、相談に対応。
さらに、中1保護者向け、中2保護者向け、中3保護者向けといったように一日数回の講演をこなさなければなりません。
会が始まる前には、受付を設置したり、資料を並べたり、いろいろな準備もあります。
私は塾長ではなかったのでその日からもう休みでしたが、気が気ではありませんでした。
体に爆弾を抱えたような状態のK本部長が一人で準備し、一人で受付、講演、その後の対応をして、片付けと次の準備をして…
K本部長の体調が悪化したらどうしよう。倒れたらどうしよう。
出過ぎた行為かもしれない。「変な気を遣うな」「休みの日に出てくるな」と言われるかもしれない。
でも心配しながら何もせずにいるよりマシだ。
そう思い、私は朝からK本部長の校舎に行って手伝いをさせてもらうことにしました。
講演や保護者対応はK本部長にしかできないけれど、準備や片付けは私がやる。
そうすれば少しは楽になるはず。
私はK本部長より先に校舎に到着し、あちこち走り回って準備をしました。
その日の、体調不良など微塵も感じさせないK本部長の講演は本当に見事でした。
明るく、面白く、でも数百人の生徒を預かる塾長としての情熱が溢れていました。
K本部長も午前の最初の会が終わった後「今日は会心の出来だった」と満足げに笑っていましたね。
結局、保護者会の開催時間がずれている他の校舎の塾長社員が応援に駆けつけたため、私のお手伝いは午前中のみで終了、帰宅ということになりました。
その夜、K本部長からいただいたメールは、この先もずっと忘れることはないと思います。
2013/04/28 22:52
題:(K本部長)です
今日は本当にありがとうございましたm(_ _)m
この恩は、決して忘れません。何かあったら、いつでも(R塾退職後であっても)声をかけてください。
そんぐらい、助かったし、嬉しかった。
マジでありがとです
その後、GW中に精密検査を受けたK本部長から「何も異常はなかった。もう大丈夫だ」と本部員にメールが。
医者から「働きすぎないように」という最も難しいことをアドバイスされたそうですが、GW明けからまた元気なK本部長の顔を見ることができるようになって、私たちは心底ほっとしました。
この年にあった嬉しかった思い出を2つ、お話ししてもいいですか。
1つめは、K本部長が私の誕生日にお花をくださったこと。
本部員の誕生日にはいつも何かしらプレゼントを用意してくれるK本部長ですが、そのお花に添えられた言葉が本当に嬉しくて。
K本部長は、どうして私がほしがっている言葉をここまで的確に分かっているのでしょう。
私みたいな落ちこぼれは本部の役に立っていない、戦力になれていない、そんな暗い気持ちを未だ抱えたままだった私の心を見透かしたようでした。
それから、この本部ならではの粋な企画、「本部員を互いに褒めよう」。
全員が自分以外の本部員一人一人に(上司も部下も)良いところや感謝していることを一言書いて渡すというもの。
この年に本部長が私に書いてくださった言葉がこれでした。
やっと、やっと、K本部長に成長を感じてもらうことができた。
まだまだ足りないけれど、見限らないでいてくれたK本部長に応えることができた。
苦しいことがあってもK本部長が見ていてくださるなら頑張れる。
K本部長の言葉を噛みしめながら、そう思いました。
しかし、3年目になってますます己の力量について悩むときは増えていきました。
このまま努力と経験を重ねていけば、自分自身は間違いなく成長していく。
でも、R塾という組織の一員としてはどうか?
私にこれ以上の飛躍の可能性はあるか?
仕事のやりがいや喜びと、大きすぎる精神的な負担を天秤にかけ、毎日のように考えていました。
いや、心はもうほとんど折れかけていました。
そして3年目の冬、私は今年度限りでR塾を退職する意思を固めたのです。
年末年始の休みに入る前の12月下旬、私はK本部長に退職する旨を伝えました。
数日前に「お話があるので時間を取ってほしい」とメールしたときに、K本部長はもう全て悟っていたでしょう。
塾講師の仕事の沼の中でずっともがき続けていた私に、辞めるな、諦めるな、と引き止めるようなことは言いませんでしたね。
淡々と話をして、その場は終わりました。
私はR塾を退職したらアルバイトをしながら資格の勉強をするつもりでした。
年末年始の休みの間に、少しずつその準備を始めました。
しかし、もう退職すると伝えてしまったにもかかわらず、本当はこの仕事を諦めたくなかった思いが心をざわざわと揺らしました。
辛くて辛くて、早く解放されたい、一日でも早く辞めたいと願っていたのに。
資格を取りたいという気持ちも本当でした。
でも、その資格を取るには最低で2年必要。
2年目は忙しくなりそうだけど、1年目なら塾の仕事を続けながらでもできるのではないか…?
そう考え始めてしまうと、まだ辞めたくない、まだ学びたい、どんなに大変でも資格の勉強と仕事を両立してやる!という気持ちが湧きあがってきてしまいました。
結果、年末年始の前に「辞めます」と伝えたのに、休み明けにはK本部長に「やっぱり続けたいです」と決断を引っくり返す相談をすることになってしまいました。
ただし、それは簡単なことではありませんでした。
続けるといっても、あと1年だけ。
来年度末には辞めることが決まっている、つまりその先は会社に貢献しないと明言している者を雇い続けるのか。
給料を支払い続けることはもちろん、周りの社員はどう思うか。
そもそも優秀でも何でもない社員をあと1年限定で雇用するなんて、会社にとって何の利益にもならないでしょう。
K本部長には「上に相談する」と言われました。
1週間ほど経ったある日、私はK本部長に呼ばれました。
なんと、私をあと1年会社に置いていて良いか、社長にまで相談してくださったそうです。
この時も、私を救ってくださった面談と同じで、残念ながらどんな話をしたかあまり覚えていません。
でも、一言だけ。
「君という人間を買いましょう!」
嬉しかったです。
他の社員と比べて明らかに劣る私に、価値を見出してくださった。
今思い出しても涙が出てきます。
こうして、私はR塾で4年目を迎えました。
仕事は他の社員と基本的には変わりませんが、例えば塾長候補社員向けの研修などには呼ばれなくなりました。
私は自分自身の授業の質を高めることや、後輩教育、塾長のサポートなどに専念する日々を過ごしました。
4年目も相変わらずの苦しい1年でした。
失敗もたくさんしました。
最後の1年ですら、貢献より迷惑をかけたことの方が多かった気がします。
だけど、やっぱり辞めなくて良かったです。
もし辞めてしまっていたら出会えなかった生徒たち、見えなかった景色。
忘れられない1年になりました。
年度末、最後の授業が終わった後、貸与されていた備品をK本部長に返却し、書類にサインをして。
私はこらえきれずに大泣きしてしまい、K本部長にまともに挨拶することすらできませんでしたね。
お伝えしたいことは山ほどあったのに。
ただ「ありがとうございました」と頭を下げるだけで精一杯でした。
遅くなりましたが、今、伝えますね。
R塾で働いた4年間は、本当に苦しかったです。
この仕事に向いていると思ったことは一度もありません。
むしろ、入社して1ヵ月も経たないうちに向いていないと悟りました。
自尊心は粉々に砕け散って、涙が枯れるほど泣きました。
それでも4年間R塾の仕事を続けられたのは、こんな私を「先生」と呼んでくれた子どもたちと、劣等生の私を見捨てずに指導してくださったK本部長のおかげです。
K本部長に育てられた人たちはみんな優秀で、私は本部の恥でした。
本当はもっともっと貢献したかった。
もっともっとR塾で働きたかった。
もっともっとK本部長の役に立ちたかった。
期待に応えられなくてごめんなさい。
だけど、K本部長のもとに異動していなかったら、塾講師の仕事の楽しさを知る前に辞めていたと思います。
K本部長に出会えて本当に良かった。
私が心から尊敬する人、私にとってのカリスマはK本部長だけです。
ありがとうございました。
この御恩は一生忘れません。
まだまだ寒い毎日です。
どうかお身体を大切に。
お元気で。
敬具
最近、考えがまとまらない病になったかもしれない
こんにちは。
最近、あまりブログを更新できていなくて。
時間がないわけではないんですが…
いや、むしろ時間はある。
語学学校はほぼ週1、歯医者は月1。
バイトは残業ばっかりで夕食を作るのがだるいけど、バイトに行く前にある程度用意しておくこともできるし。
何やかんや言ったって、フルタイムで働いているわけでも、育児をしているわけでもないので、時間はたくさんあるんですよ。
なのに、書けないんですよね。まとまらなくて。
一応ずっと書きたいと思っていたことはあって、書こうとするんだけど。
途中で「う―――ん…」ってなっちゃって、最後まで到達できない。
これを書いているのは土曜の早朝。
普段ならぐーぐー寝ているのですが、今日は5時前に夫を会社のゴルフに送り出し、そのままブログを書いているのです。
午後は歯医者に行くのだけど、それまではたっぷり時間があるからブログいっぱい書くぞー!と思ったのですが…
まあ書けない(笑)
今書きたいなぁと思っているのは、めちゃざっくりいうと
・自分の今後の人生のこと
・結婚生活について思うこと
・自分の性格について
・高3のときの出来事
などなど、自分の内面に深く関わることばっかりなんですよね。
このブログのタイトルは「家族や友達に話しにくいけど、でも誰かに話したいこと」だけど、お互いに顔も本名も知らないとしても話すべきではないことかもしれない。
あるいは、話す相手が誰かということより、私自身がそれを言葉にしてしまって良いのか、はっきりとさせないままで頭の中に置いておいた方が良いのではないか、ということもある。
そんなことを考えてしまって、最近は書きたい気持ちも時間もあるのに書けないのです。
それでも、せっかく今日は時間があるのに、書けない書けないとウダウダ言っていて1つも更新できなかったらもったいない!もったいなすぎる!
ということで、仕方なく「記事が書けない」という記事を書いているというわけです(笑)
ここまで無意味な記事、今まであっただろうか。いや、ない。
何でしょうね。上手く書かなきゃと思い過ぎているのかもしれない。
そんな気張ったところで突然劇的に上手く書けるようになるわけでもないし、好きなように、楽な気持ちで書けばいいのに、と自分でも思っているんですけどね。
早いもので、ブログを始めてからもうすぐ丸4か月になるんですよね。
別に楽しく続けられればいいじゃんと思う一方で、4か月間何も進歩していない自分が残念で。
そんな気持ちもあって、スムーズに文が出てこないのかもしれません。
でもまあ、そんな時期があってもいいよね。
何の役にも立たない記事をここまで読んでくださったあなたは、天使もしくは菩薩ですね。
ありがとうございます。
もう少し肩の力を抜いて書いていこうと思います。
3時台に起きるとさすがに眠くなってくる…(-_-)
いや、でも寝ないぞ。
早く日本に帰りたい
こんにちは(^^)
皆様、無事に2019年を迎えることができ、何よりでございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
さて。
新年一発目がこんな記事?って感じなのですが・・・
駐在妻って大変なんですよ。
いや、妻に限らず、海外生活って大変なんですよ。ホントに。
新年早々、突然何を言い出すやら。
今までも、駐在妻は働きたくても働けないっていう記事とか書いてきました。
でも、働きたくない人にとっては無職で生活できるなんてこの上なく素晴らしいですよね。
言葉の壁も当然あります。
私が住んでいるのは英語圏ではないですし。
でも、海外で働いていてもほとんど日本語しか使わない仕事もあります。
買い物に困らない程度分かればいいよという人も少なくありません。
駐在妻は働かなくてOK。
買い物だって大して喋ることなくできるし、ネットで済ませることも可能。
そのうえ、会社の補助で現地ではかなり高級な方のマンションに住めます。
素晴らしいじゃありませんか!
駐在妻、万歳!!
これぞ勝ち組!!
旦那さん、今日もお仕事頑張ってね♥
ええ、そりゃあもうとても素晴らしい生活です。
皆さん、どうかひがまないでくださいね。
私が現在住んでいるのは、50階建てくらいの高層マンションの39階。
マンションの敷地の入り口と建物の入り口に警備員がいます。
家賃は日本円で1ヵ月約30万円。全額会社負担(光熱費等は自分たちで払います)。
広いリビング、広いキッチン。
キングかクイーンか分かりませんが、とにかく2人で寝られるベッドが2つ。
トイレも2箇所あります。
私の実家は狭いし正直オンボロだったので、子どもの頃は友だちの家に遊びに行くたびに「私もこんな広くてきれいな家に住みたいなぁ…」と思っていました。
小学生のとき、男子に家を馬鹿にされて悲しかったっけな。
でも、日本にいたら家賃30万のマンションなんてとても住めないけど、夫が駐在だからこそ「広くてきれいな家に住みたい」という願いが叶った。
夫から部屋の写真が送られてきたとき、そして実際にその部屋に入ったときは、「これが・・・私の家・・・?」と感動を覚えました。
しかし。
現在は「日本だったら、こんな物件3万円でも住むもんか!!!!」と思っています。
それはなぜか?
絶え間なく起こる不具合と戦う日々だからです。
この国の「高級マンション」は完っ全に見かけ倒しで、クオリティは日本の激安アパート以下だということを思い知らされました。
引っ越してすぐ、洗礼を受けました。
洗面所の天井から水が漏れていたのです。
壁伝いにちょろちょろ~と。
よく見ると、壁や鏡に水が流れた跡がいくつかあります。
何これ・・・
さらにガス給湯器の故障。
お風呂(シャワールーム)も台所も一切お湯が出ない。
近くに銭湯などがなく、私と夫は5日間ほどシャワーを浴びられずに過ごしました(寒い季節でまだ良かった…。でも食器を水で洗うのは死ぬほど冷たかったです)。
その後も、家中が結託して不具合が途切れないようにしてんの?というくらい、次々にあちこちが故障していきます。
1つ修理すると、また別の故障。
この国(都市?)は家具家電付きの物件が一般的。
日本ならば、自分の家電を引っ越しのたびに持っていくので、それなりにきちんとした品質のものを買いますよね。
しかし、家具家電付きということは、大家にとってはそれらを揃えるのは経費。
そのため、安くて低品質なものばかりなのです。
年末年始にTwitterで嘆いていたのですが、実は現在エアコンが壊れています。
全部屋のエアコンが繋がっているので、ぜーんぶ同時に故障。
エアコンがあるのにわざわざ電気ストーブなどは買ったりはしていませんでしたから、一切暖房器具が無い状態で過ごしているのです。
南国ではありません。
12月に3~4日ほど雪が降りました。
それに、ベランダがないため洗濯物は全て部屋干しなので、乾かなくて本当に困る。
私がこの部屋に引っ越してきて1年10か月で、エアコンは6~7回ほど壊れています。
もはや回数は覚えていません。
冬の方がまだマシかも。
真夏は非常に蒸し暑い国なので、窓を開けても無意味。
夜は寝苦しいし、お風呂上りにさらに汗だくになるし、気を付けていても衣類にカビが生えるし。
エアコンの他に頻発するのが水回り系の不具合。
とにかく詰まる、溢れる。
手が届く限り掃除して、パイプユニッシュを使っても直らない。
結局どうしようもないので、ひどくなってきたら業者を呼んで直してもらいます。
これも1年10か月で何回呼んだかなぁ。5回は呼んだと思う。
先日まで、シャワールームの詰まりがひどくて。
髪や体を洗った泡やお湯が足元にどんどん溜まっていくんですよ。
気持ち悪いったらありゃしない。
途中で何度もシャワーを止めて、溜まったものが全部流れていくのを待たなくてはならないのです。
その間に体が冷え、全部流れたらシャワーで体を温め、しかしまた1~2分で足元に溜まっていく…
そして、シャワールームから出たらエアコンの壊れた極寒の部屋。
毎日最悪の気分でした。
それから、今は洗濯機の排水管も詰まっていて、洗濯機を回すたびに水が漏れてきます。
でも、以前は床が一面水浸しになるほどひどかったので、ちょっと水が漏れるくらいでは動じなくなりました。
昨年のある日、私が夕食を作っているときに、突然誰かにドアをドンドンドン!!と叩かれました。
驚いて私が出ると、怒り狂ったおばちゃんが。
現地語でよく分からないけど、どうやら彼女はこの部屋の下の階の住人で、天井から水漏れしている、この部屋のどこかで水を出しっぱなしにしているだろう!!とのこと。
もちろん出しっぱなしになんかしていません。
それに、天井からの水漏れくらいウチだってあるわ。
そんなのこのマンションでは当たり前。日常茶飯事でしょ?
ところが、おばちゃんは私の腕を掴み、「見に来い!」と私を下まで引っ張っていきました。
おばちゃんの部屋に連れてこられ、水漏れ箇所を見に行くと、天井からベッドの上に水がドボドボ落ちていました。
バケツを置いて受け止めるとかのレベルではありません。
さらにおばちゃんは私を1階まで連れて行き、マンションの警備員にこいつが犯人だと言わんばかりに私を突き出します。
生活の中で水を使うのは当たり前で、水漏れするのが水を使った本人のせいなわけないでしょ!?
マンションの造りが悪いに決まってるじゃない!!
そう言いたくても、言葉が分からないため、何も言えません。
現地語で怒りにまかせて責め立てられ、言い返すこともできず、私はその場で泣き出してしまいました。
結局、すぐに業者が来てくれることになり、私が泣き出したことでおばちゃんも怒りの矛先が間違っていたことに気付いて冷静さを取り戻したようでしたが、本当に散々な出来事でした。
このときは「何ておばちゃんだ!!」と思いましたが、ベッドに上の階の排水が滝のように降ってくるなんて耐えられませんよね。
私に当たるのは違うけど、その事態には同情しかありません。
こんな感じで、不具合は絶えることなく続いています。
うちの部屋で、1年10か月の間、まだ詰まったことがない排水溝は1つもありません。
全部1度は詰まりました。
あ、2つのトイレだけはスッポンで直せるレベルで済んでいます。
電気系も、エアコン以外には部屋中のコンセントが急に全て壊れるとか。
他にも、ガス報知器が誤作動&本当に必要なときに鳴らないとか、とにかくいろいろあります。
引っ越せばいいじゃんと思われるでしょう。
しかし、他の在住日本人に聞くと、どこもクオリティは同じ。
一切問題ないよという日本人には会ったことがありません。
よほど新しいところなら故障は無いようですが、結局は住んでみないと分からないので、時間や労力をかけてようやく慣れた場所から引っ越そうとは思えないのです。
海外で暮らすことになっても、ある程度の先進国ならば物件のクオリティがここまでひどいことはないかもしれません。
しかし、海外生活では予想もしなかった困難が降りかかるかもしれないということ。
その国の「普通」と日本の「普通」が違うばかりではなく、その国の「高級」が日本の「かなりやべーレベル」なのも十分あり得るということ。
せっかく海外に住むという素晴らしい機会を得たのだから、たくさん学んで帰国するぞ!と思っていますが、ひどい不具合に見舞われると今すぐ日本に帰りたくなります。
この国にはあと3年弱いる予定になっていますが、エアコンはあと何回壊れるのでしょう?
てか、早く修理に来て・・・(泣)
お読みくださってありがとうございました。
2018年の振り返り
こんにちは!
年内にあとどれだけブログを更新できるか分からないので、先に2018年の振り返りを書くことにしました。
誰にも聞かれてないけど、2018年にあった出来事まとめ。
自分のための備忘録です!
いろいろ抜けてるかもしれない。笑
1月
2月 現地の日本人のスポーツサークルに入る、近所のバーに通い始める
3月 私のバイトを巡って夫と揉めまくる
4月
5月 webライターの仕事を始める
6月
7月 歯列矯正の無料相談に行く、現在のバイトを始める
8月 歯列矯正を始める(抜歯)、シンガポールでカヤトーストと出会う
9月 はてなブログを始める
10月 twitterを始める
11月 WordPressを始める
12月
海外に住み始めてもうすぐ丸2年になりますが、今年は新しいことをたくさん始められたなーと思います(^^)
早く日本に帰ってバリバリ働きたい!うおおおおおお!!!ってなることもよくありますが、新しく始めた活動の大半はパート主婦だからこそやれていること。
夫に感謝しなければいけませんね。
(私キャパ小さいので…フルタイム勤務や育児しながらブログを続けている方は本当にすごいです!!)
新しいことを始めるのはやっぱり楽しい!
知らなかった世界に出会うって、いいですよね。
今年私にとって大きかったのことの1つは、何といっても営業アシスタントのバイト(現在やっているバイト)。
- とにかく外で働きたかった!
- 海外で働きたかった!
- 都会で働きたかった!
- 営業職の方々の仕事が少しだけ分かった!
- 「営業アシスタント」っていう響きがカッコいい!(そんなことないですか?笑)
- 未経験の業界に踏み込めた!
残業で遅くなって、それから夕食を作るのは正直めちゃくちゃ面倒くさいんですが、それ以外は良いことばかりですね。
生活スタイルも大きく変わりましたし、仕事に就けたおかげで歯列矯正も始められました。
もちろん仕事で凹んだり苛立ったりすることもたくさんあります。
でも、何もかも滞りなく進んでいく仕事なんてありえないですからね。
そして2つはブログ&Twitterです。
SNSなんて絶対やらんわと思っていたのに(笑)
学んだこともたくさんありますが、何より「楽しい」ということが自分にとって嬉しいですね。
ブログを書きたいあまり、これまた生活スタイル変わってしまいましたし(笑)
そしてそして、
スポーツサークル + バーに通う + バイト + ブログ + Twitter =
知り合いがめちゃくちゃ増えた!!!
どこまでを「知り合い」とお呼びして良いのか分かりませんが、今まで互いに存在すら知らなかった人と接点を持てたことは確か。
たくさんの方々が私に関わってくださったおかげで、とても幸せな1年になりました。
ポジティブな気持ちで年を越せそうで良かったです。
今ちょっと時間がなくて、簡単なご挨拶になってしまって大変申し訳ありません。
私のブログを読んでくださってありがとうございます!!
2019年もよろしくお願い致します!!
待宵スークでした(*^^*)
30歳からの歯列矯正(8)バンド付き部品の装着&月1調整
こんにちは(^^)
忘れられてしまいそうですが、歯列矯正も順調に(?)進んでおります!
今回は、上の2回目・下の1回目の調整についてです。
上のブラケットの調整(2回目)
ブラケットを調整する前に、まずは外れてしまった部品を直してもらいます。
前歯は痛いけど、奥歯なら結構固いものを噛んでも平気だな♪
食べやすさと手軽さからチョコばっか食べてたけど、それじゃ栄養偏るから、今日はアーモンドチョコにしよう!
という馬鹿な考えで、奥歯でアーモンドを思い切り噛んでしまい、どうやらそのときに上の左奥の部品が外れてしまったようなのです。
ほんと馬鹿。
矯正中に固いもの思い切り噛んじゃうのも馬鹿だし、そもそもチョコだけじゃ栄養偏るからアーモンドチョコっていう発想が馬鹿。
食べたかっただけですごめんなさい。
とはいえ、私がお世話になっている矯正歯科プロフェッショナルのN先生は「最初はよく取れちゃったりするんですよね~」と言ってサクッと直してくれました。
ワイヤーを一旦抜いて、部品に接着剤を付け直して固定、終了。
それから再びワイヤーを通して締めます。
これがもう…分かっているけど痛い。
前回もたぶん書きましたが、歯が引っこ抜けそうな感覚なんですよね。
下のブラケットの調整(1回目)
前回、下のブラケットを装着した翌日の食事中に右奥の部品が外れてしまった話を書きました。
その後、取れてしまった部品と余分なワイヤーを切り落として応急処置してもらったのですが、今回はそれを直してもらいます。
下の右奥の部品が取れてしまったのは、固いもの噛んだとかではなく、その歯に詰め物があるせい。
詰め物の材質には接着剤がくっつきにくいそうです。
そのため、何度付け直しても結局取れてしまう。
そこで今回は「バンド付きのを使います」とのこと。
見てみると、少し幅の広い指輪のような感じでした。
ブラケットの部品に輪が付いていて、それを歯にはめるわけです。
「ん~ちょっと大きいな」
「これは小さいか…」
と言いながら、私の歯に合うサイズを探すN先生。
当たり前といえば当たり前ですが、歯の大きさって人によって結構違うんですねぇ。
生えている場所にもよりますもんね。
ぴったりサイズのバンド付き部品を歯にはめて、N先生「ちょっと響きますよ」
謎の道具をバンドに当て、ゴンゴンゴン!
痛い!!!!!
響くことより痛い!!!!
どんな道具だったか上手く説明できないのですが、バネの力を使って(?)バンドをしっかり押し込んでいくのです。
(「ゴン!」という効果音も適切ではないけど、他に浮かばない笑)
歯茎に食い込んでる!!
絶対食い込んでる!!!
血ィ出てるって!!!
と思いましたが、出ていませんでした。
痛かった…(涙)
鏡で見てみると、歯にバンドをはめて、その隙間をセメントのようなもので埋めている感じでした。
バンドの幅が結構広いので、自分の歯より少し高くなっていて噛み合わせると少し違和感がありますね…
その後、3番の歯(糸切り歯)と奥歯の部品に極小のフックを付けます。
そして3番と奥歯を半透明のゴムで繋ぎ、3番が奥側に引っ張られるようにします。
4番は抜歯したので、すでにありません(こう書くと何か悲しいww)。
最も目立つ1番・2番が斜めになったり重なったりしているので、これがきれいに並ぶようにするには、まずは3番にもっと下がってもらわないといけないのです。
(この写真は私ではないです。念のため)
加えて、ワイヤーが少し太いものになりました。
太くなると矯正力(?)がアップするのかしら。
N先生は基本あまり説明をしないので、実はよく分かっていません(笑)
現在の状態
毎回のことですが、調整してすぐは歯応えのあるものを食べるのがツライです。
と言いつつ、それにもだいぶ慣れてきて、結構固いものも無理矢理食べてしまったりします(アーモンドチョコは食べてません)。
1カ月早くブラケットを装着した上の歯は、少し前から変化が表れ始めました。
2番と3番の間に隙間ができてきたのです。
矯正前は1番と3番が前に出ていて2番が少し引っ込んでいる状態。
そのため、見た目はガタガタ感が結構目立っていました。
それがだんだんと、1~3番が滑らかなライン上に並ぶようになってきてる…!!
写真を見比べてみると、いつの間にかだいぶ動いていて感動します。
勇気を出して・・・
歯並びの写真を載せてみましょうか・・・
上の歯2ヵ月・下の歯1か月の変化はこちら~!!
口元アップ写真、見たくない方はスクロールストップ!!
上の写真が2018年10月(矯正開始前)、下の写真が2018年12月です。
角度や明るさが違うのでちょっと比較しにくいのですが、上の歯2・3番の変化はお分かりいただけるかなと…!!
噛むとき痛いし、食べ物が部品やワイヤーに引っかかりまくるし、好きなものを思い切り食べられないのは正直つらいです。
食事後、歯磨きしないと人前で口を開けられないし。
これが2年続くのかぁ・・・と考えるとずいぶん長く感じられますが、変化が見えるとやっぱり励みになりますね!
これからも頑張ってまいりましょう~♪
それでは、今回はこの辺で。
お読みくださって、ありがとうございました。
ブログを始めて3か月になりました
こんにちは。待宵スークです。
早いもので、このブログを開設してから3か月経ちました。
特に報告することなどはないのですが、せっかくなので最近思うことをつらつらと。
とりあえず、3か月続いて良かった!!笑
何十%だか忘れましたが、とりあえず大半は3か月以内で辞めてしまうと聞いていたので、わりと熱しやすく冷めやすい私は心配していました。
何やかんや続いた!
ただ、11月19日にもう一つのブログ「元塾講師は語りたい」を始めたので、こちらの「家族や友達には~」の更新頻度はかなり下がってしまいました。
書きたいことは相変わらずあるのですが…
この1カ月は、2ヵ月目の報告とこの3か月目の報告を除くと6記事しか書いていません(汗)
1ヵ月目は確か23記事だったのに。
ですが、更新は少なかったけど先日50記事に到達しました。
この記事が51記事目。
記念すべき50記事目は、痛々しい「思い出小説」でした…笑
思い出小説は、もともと3記事に分けるつもりはなかったのです。
でも、どうせ書くなら思い切り書いてしまえ!!と思って書いているうちに、1万字を超えてしまい、「これ、1つの記事にしたら絶対みんな最後まで読まずに離脱するよね?3つに分けておけば、ラストが気になる人は3つ目だけでも読んでくれるかもしれない…」ということで3つになりました。
そして、結果的に50番目を踏むことに。
これを書いたおかげで、私もいつでも当時のドキドキした気持ちに戻れるようになりました(笑)
吐き気がするほど痛々しいけど、何気に力作だからリンク貼っちゃう(笑)
今までは一応タイトルのキーワードとか考えてはいたのですが、収益化は元塾講師ブログに任せることにしました。
(といっても、まだサッパリですけどね!!)
これからは、キーワードだの文字数だの気にせずに、良い意味で勢い重視、そのときの「書きたい!」という気持ち重視で書いていこうかなと思っています。
「思い出小説」のように、その記事いったい誰得?と言われそうだけど、でも書きたい!!誰かに話したい!!という話もまだまだあるのです(笑)
最近よく思うのは、一日PCに向かって記事を書いていられるくらい、私って発信したいことたくさんあったのね、ということです。
海外生活始まってすぐにブログを始めていれば良かったなーなんて今更なことを考えたりしています。
あと、いろんなブログを読んでいると本当に文才豊かな方がいらっしゃって…
羨ましい!!!!
私も文才が欲しい!!!!
と心の中で叫びながら、日々記事を書いております。
最後に、いつも(たまにでも、この記事が初めましてでも)読んでくださって本当にありがとうございます。
最近、ブログのことを深く考えれば考えるほど
私は何をしているんだろう?
こんなに時間を費やして
もっと他にやるべきことがあるのに
といった具合に落ち込んでしまうことがよくあります。
書くのは楽しいんですけどね。
「もっと他にやるべきことがある」が大きいんでしょうね。
ブログに時間をかけたいあまり、削ってしまっていることがいろいろありますからねー。
でも、読者登録してくださっている方の数やTwitterのフォロワーさんの数を見ていると
「本っ当にゼロから始まって、この数になったのか」
と、しみじみ思います。
もちろん大切なのは数ではなく、お一人お一人ですけどね。
「学生時代に少しブログをやっていたことがあって…」とかもなく、ブログもTwitterもずぶの素人。
未だにリアルの知り合いには一切カミングアウトしておらず、全てこの3か月間で新しく繋がることができた方々。
本当にありがとうございます。
とりとめのない話ばかりになってしまってすみません(汗)
要約すると、楽しいからこれからも続けます!今この画面の前にいるあなた、ありがとうございます!!ということです。
それでは、今回はこの辺で。
今後ともよろしくお願い致します。
【思い出小説】(3/3)11年越しの願いが叶う
それから先も、私は懲りずに片想いを続けた。
部活のときも、校内でも、いつも青井先輩の姿を追っていた。
今パッと浮かぶ一番の思い出は、部活の春合宿だ。
合宿は毎年夏と春の2回。
男バス・女バスともに学校の敷地内にある施設に寝泊まりし、3日間みっちり練習をする。
その合宿のとき、普段はコンタクトレンズの青井先輩がお風呂上がりに眼鏡でいるところを目撃してしまったのである。
それはもう、恥ずかしくて直視できないほどかっこよかった。
(実際にはガン見だったけど)
かっこよすぎでしょ、反則だよ、みんなが青井先輩のかっこよさに気付いちゃうって…
ああ、思い出すだけでにやにやしてしまう。
男バスには他にもかっこいい先輩はいたけど、学校のクラスにもかっこいい男子はいたけど、相変わらず私は青井先輩以外、目に入らなかった。
3年生の6月に青井先輩たちは部活を引退。
会う機会が大幅に減ってしまったけど、青井先輩が移動教室で連絡通路を通るときはもちろんチェックしていた。
冬になると、3年生は大学入試だ。
2月は学校にほとんど来ない。
青井先輩、勉強頑張ってるかなぁ。
会いたいなぁ…
私立大学の入試が一通り終わると、合格者名が学校の廊下に張り出される。
青井先輩の名前を探した。
慶応大学
東京理科大学
まじかよ。青井先輩、半端ないって。
そして3月、青井先輩たちの卒業式を迎えた。
卒業式にはもちろん私たち2年生も参加したが、その映像はほとんど覚えていない。
式が終わり、クラスが解散し、バスケ部の先輩たちはわらわらと体育館に来ていた。
私たちも体育館に集まり、女子の先輩と一緒に写真を撮ったりした。
また、2年生の女子の中には、男バスの先輩に第2ボタンをもらいに行く人もいた。
ガチなやつじゃなくて、卒業式のお決まり的なノリだけど。
(男子の制服は学ランだった)
青井先輩も体育館に来るかな。
もし来たら…青井先輩に第2ボタンくださいって言おうかな。
そう思っていたが、青井先輩は昇降口でクラスの輪の中にいて、結局体育館には来なかった。
そのとき、女バスの誰かがふと言った。
「青井先輩、彼女いるらしいよ」
その場にいた他の女子たちは「えっ!?」と声を上げたが、私は「へえ」と言っただけだった。
別に驚くことはない。
青井先輩に彼女がいたって何も不思議じゃないくらいかっこいいことは、私は1年半前から知ってる。
そして悲しむことでもない。
私は青井先輩の彼女になりたいなんて思ったことはないし、遠くから彼の幸せを願っているだけで十分だったのだから。
青井先輩が卒業してからは、一切会うことはなかった。
何度かバスケ部のメンバーで集まることはあったが、男バスと女バスだし、学年が違うのでさすがに機会がない。
私も高校を卒業し、大学生になり、社会人になった。
別の人に恋もした。
大学1年のときには初めての彼氏もできた。
時は流れて、11年後。
高校の女バスの同期のグループLINEに連絡が入った。
「男バスの田辺からのお知らせだよ!」
田辺というのは、私たちの代の男バスの主将。
彼が結婚式を挙げることになり、女バスも都合が良ければぜひ二次会に招待したい、とのことだった。
私は女バスのメンバー数名とともに参加することにした。
田辺と私は、バスケ部だけでなく3年生のときに同じクラスだったのだ。
その後、二次会参加者のグループLINEがつくられ、私もそこに入った。
参加者一覧を開いて、私は目を見張った。
いや、嘘だ。実は少し期待していた。
青井先輩の名前が載っていたのである。
私たち女バスにも声をかけているのだから、男バスの1つ上の先輩も招待しているかもしれない。
まさにその期待通りだった。
11年ぶりに会える。
青井先輩に会える。
そのとき私には彼氏がいたし、青井先輩だって彼女がいたり結婚したりしているかもしれない。
そんなことはどうでも良い。
もしフリーだとしても、さすがに今更どうこうしたいという気は全くなかった。
でも、10年以上前に恋い焦がれた人に会える。
お互い社会人なんだし、普通に挨拶するくらいはできるかもしれない。
実は、私のLINEのパスコードは青井先輩の誕生日になっていた。
大して深い意味はないけど、私にとって絶対に忘れない数字だからだ。
それに、何と言っても青井先輩は美形なのである。
大人の男になってますます…ますます…!?
田辺をお祝いする気持ちより(おい)大人になった青井先輩に会えるのが楽しみで仕方なくて、ドキドキしながら当日を迎えた。
それまで結婚式に参加する機会があまりなかった私は、勝手がよく分からず、女バスの友だちにくっついて歩いていた。
二次会の会場はホテルの中の広い宴会場だった。
バッグはどこに置いたらいいのかな、なんて話しながら会場内に目を走らせると…
いた。
男バスがまとまって喋っている。
あそこにきっと青井先輩もいるんだ。
女バスの中の1人が挨拶に行こうと言い出した。
ついに、青井先輩と11年ぶりの再会の瞬間。
好きで好きでたまらなかった青井先輩と会える。
私は思わず手で前髪を整える。
私、あの頃よりは少し綺麗になったかなぁ。
私のこと覚えててくれてるかなぁ…
青井先輩 ――――――――・・・
しかし、青井先輩はそこにはいなかった。
あれ?青井先輩は…??
正確に言うと、私の記憶の中の青井先輩はいなかった。
私は目を疑った。
信じたくない光景が眼前に広がっている。
色白で少し小柄(身長172㎝)。
派手さがない感じも、髪形も変わっていない。
でも11年前のあの頃より少しだけ…
太っていたのである。
あれ…?
青井先輩ってこんな顔だったかな…
あの頃、毎日1秒でも長く見ていたいと思ったほどかっこよかった。
男バスにこんなかっこいい人がいたなんて、と一瞬で私を虜にしてしまったほどに。
色白で少し小柄。美形で、美形で、しかも美形で、その上美形で…
ええぇぇぇえええええ!!!?
こんなんあり!!!!???
そうか…目が大きくてパッチリしてるとか、鼻筋が通ってるとか、濃い美形は各パーツが主張するから多少太っても、美形は美形なのかもしれない。
青井先輩は薄い美形だから、パーツの配置が命。
だから顔が太って少しバランスが変動すると美形でなくなるということか。
なるほど、納得。
とか原因分析しとる場合かぁぁぁぁあ!!!
さっきまでの私の胸の高鳴りを、いや、11年間の想いを返してぇぇぇええ!!!
男バスの先輩たち曰く「青ちゃんは幸せ太りだね!」
結婚して娘が1人いるそうだ。
そうか、青井先輩はもうパパなんだ。
私はずっとずっと青井先輩の幸せを願っていたのだから、これでいいんだ。
私の願いは叶った。
ちょっとくらい太って美形の面影が無くなったって…
青井先輩が幸せならいいんだ。
その後、私や青井先輩を含むバスケ部メンバーは三次会まで参加し、居酒屋に移動。
私は青春時代の思い出がすでにだいぶダメージを受けていたけど、それでもまだ青井先輩と少しでもいいから会話してみたいという思いがあった。
女バスの友だちの隣に座るような流れで、私は青井先輩とななめ向かい合わせの席をゲット。
しかし、告白以外に話しかけたことがない相手に、どう切り出していいのか全く分からない。
そうこうしているうちに、青井先輩と男バスの先輩が酔っ払って男同士濃厚キスするところを至近距離で見る羽目になってしまった。
高校時代はこんなおふざけするタイプじゃなかったのにな…青井先輩もお酒飲んだらこうなるんだね。
と思いつつ、酔っ払ってキスしちゃうとか見ていて気持ちの良いものではないけど、特に驚くほどのことでもない。
私もアラサー。
みんな大人になったのだ。
時の流れは残酷ね。
結局、青井先輩とは会話することなく会は終了。
取り皿を手渡すくらいはした…かもしれない。
帰り道、思い出は美しいまましまっておくべきだな…としみじみ感じた。
だけど、友だちですら会う機会がどんどん減って疎遠になってしまうのに、友だちですらない好きだった人と再会できたのは奇跡的なことかもしれない。
青井先輩、あんなにかっこよかったのになぁ…と落胆しつつ、「奥さん可愛いのかな」と一瞬思ったことは内緒である。
**********************
終わりに
なっが!!!さっむ!!!きっも!!!なっっっが!!!!!
よくぞここまでお読みくださいました。
何でいきなりこんな痛々しい私の青春時代を長々書いたのかというと、Twitterである方のツイートを見たことがきっかけでした。
(勝手にお名前出していいのか分からなかったので一応伏せます…)
会いたい人のために車ぶっ飛ばしてる時間って、ロマンチックでいいですよね。
至福。
心のブレーキ、どっか行っちゃいましたね。
車は至って、安全運転です。
これを読んだとき、友だちの自転車の後ろに乗って好きな人を追いかけた、バレンタインの夜のことを思い出したのです。
その後、Twitter上で何度かリプのやり取りをさせていただいているうちに記事に書きたくなって、3日かけてこんなもんを仕上げてしまいました…
Twitterでは文字数の関係で大幅に端折りましたが、実際に自転車をこいだのは私ではなく友だちの亜実でした。すいません。笑
それと、Twitterで青井先輩に振られたかのように書いたくせに、実は「付き合って下さい」は言ってないっていう。
でも、私にとってはホワイトデーの出来事が振られたも同然だったのです。
高校時代の青井先輩は本当にかっこよくて、私の人生30年間で出会った一般人男性の中では一番かっこいいです。
顔だけなら夫よりも。笑
途中で少し触れましたが、私は身近で接点の多い人をいつも好きになっていました。
友だちになってから好きになることが多いというか。
遠くから見ている恋は、青井先輩が最初で最後でした。
実際、どんな性格の人なのか、どんな声で喋るのかさえほとんど知らない人をよくずっと好きでいたなぁと、今でも少し不思議です。
私の中の青井先輩の思い出をこうしてまとまった(?)文章にできて、何だか感慨深いです。
もうさすがに青井先輩に会う機会はないかなと思いますが、幸せな家庭を築いて元気に暮らしていることを祈っています。
あと、やっぱりちょっとダイエットもしてほしいと思います。
それでは、今回はこの辺で。
お読みくださって、ありがとうございました。
【思い出小説】(2/3)バレンタインデーとホワイトデー
2月14日、バレンタインデー当日。
その日はクラスの女子たちとも、女バスのみんなとも予定通りチョコを交換したはずだけど、全く覚えていない。
ただひたすら、今日の帰りにチョコを渡すんだということばかりがずっと気になって、落ち着かなかったのだろう。
いつも通りに部活が終わった。
青井先輩が帰るところを逃さないように、いつもより急いで着替えて、男バスの人たちの様子をうかがう。
応援してくれている友だち2人も緊張した面持ちだ。
青井先輩が女バスの部室の前を通ったら、少し離れて追いかけて、正門を出て青井先輩が一人になったところで渡す、という計画である。
ところが。
その日に限って、青井先輩は自転車通学の男バスの友だちと一緒だったのである。
青井先輩は正門を左に出る私鉄利用者だが、実は自転車通学者も大半が正門を左に出るのだ。
先輩が一人になってくれないと、チョコを渡すことができない。
想定外の事態にどうしようとオロオロしつつ、とりあえず計画通りに友だちと一緒に青井先輩の後ろを正門まで追って歩いた。
青井先輩の友だちは、自転車を押しながら一緒に歩いている。
正門を出たら、青井先輩とバイバイして自転車に乗って行くかもしれない。
そんな淡い希望を抱いたが、残念ながら正門を出ても青井先輩とその友だちはそのまま並んで歩いて帰っていった。
私も、私の友だち2人も、どうすることもできなかった。
諦めきれないけれど、青井先輩が男バスの友だちといるところに突撃する勇気はない。
想いを伝えたくて、バレンタインに告白するんだと決意して、せっかくチョコを用意したのに…
私と友だちが正門で立ち尽くしている横を、女バスのメンバー、男バスのメンバー、そして他の部活の人たちが通り過ぎていく。
そこに女バスの友だちが1人歩いてきた。
彼女の名前は亜実。
私たちのただならぬ雰囲気に気付き、「どうしたの?」と声をかけてきた。
亜実も、青井先輩のことこそ話していなかったが、入部当初から仲が良い友だちだった。
落胆を隠しきれなかった私は、亜実にその場で簡潔に状況を打ち明けた。
私は青井先輩が好きだということ。
バレンタインチョコを渡すつもりだったこと。
しかし、今日に限って青井先輩が友だちと一緒に帰っていったので、渡せなかったこと。
きっと私も友だち2人も、とても悲しい顔をしていたのだと思う。
そこに、もう一人女バスの友だちがやってきた。
彼女は自転車通学だ。
すると、亜実が彼女に言った。
「ちょっと自転車貸してくれない?」
突然のことに、自転車通学の彼女は驚いている。
そして亜実は今度は私に向かって言った。
「追いかけよう。まだ追いつくかも。スーク(私)、後ろに乗って」
「え?亜実の後ろに?」
私は戸惑いながらも、言われるままに自転車の後ろに乗った。
亜実は私を乗せて自転車をこぎ出した。
私鉄の駅に着いたら、青井先輩は友だちと別れて一人になる。
そこに追いつけばチョコを渡せる。
正門から私鉄の駅までは歩いて10分もかからない。
間に合うだろうか。
亜実が懸命に自転車を走らせてくれる。
2月の冷たい風を切って飛ばしていく。
間に合ってほしい。
さっきはもう無理かと思ったけど、亜実が青井先輩のところに私を送り届けようとしてくれている。
せっかく決意したのだからチョコを渡したい。
でも、間に合ってしまったら告白…ドキドキする。
追いついてほしいような、ほしくないような、そんな気持ちで亜実の肩につかまっていた。
私鉄の駅に着いた。
すでに青井先輩の姿はない。
私と亜実は、階段を駆け上って駅の中へ。
いない。
もうここまで来てしまったのだからと切符を買って、ホームまで走った。
(確か当時はまだICカードに対応していなかった)
ホームに青井先輩はいなかった。
もう電車に乗って行ってしまったのだ。
追いかけられるのはここまで。
諦めるしかない。
でも、亜実が全力で自転車をこいでくれたおかげで、悔いはなかった。
私は亜実に心からお礼を言い、一緒に学校まで戻った。
途中、「スークが青井先輩を好きだったとは知らなかったなぁ~」なんて改めて言われるととても恥ずかしい。
正門で友だちが待っていてくれた。
自転車を貸してくれた友達にもお礼を言って、彼女にも事情を打ち明けた。
亜実が私のために一生懸命頑張ってくれて、応援してくれる友達も増えた。
バレンタインはたった1日しかないので終わってしまったが、翌日、2月15日に渡そうと私は気を取り直した。
渡すタイミングの計画は基本的に同じだ。
ただし、昨日と同様、青井先輩が自転車通学の友だちと一緒だった場合は私鉄の駅まで追いかける。
部活が終わった。
急いで着替えて荷物をまとめ、また男バスが帰っていくところを緊張しながら見守る。
青井先輩の姿が見えた。
青井先輩はJR利用者の友だちと一緒に歩いてきた。
つまり、正門を出たら青井先輩は1人になる。
当初の計画で想定していた状況だった。
20mほど離れて、私と友だちは青井先輩の後ろを歩いて追いかけていく。
青井先輩が正門にさしかかる。
お互いに手を振って、青井先輩は左へ、先輩の友だちは右へ。
舞台は整った。
心臓の鼓動が一気に速くなる。
ついにきたね、と私と友だちは思わず顔を見合わせる。
正門で友だちが「スーク、頑張って」と手を握ってくれた。
私は1人、青井先輩を追いかけていった。
気付かれないように早歩きで少しずつ距離を詰めていく。
用意してある告白の言葉を頭の中で何度も繰り返す。
あと4~5mくらいの距離まで来たところだっただろうか。
青井先輩が気配に気付いたようで、後ろを振り返りそうになった。
無言で背後に迫っていたらコワイから、先輩が振り向く前に私から声をかけなきゃ!
「青井先輩」
青井先輩が振り返り、少し驚いたような顔で私を見た。
さあ、いよいよだ。言わなきゃ。
「あの、女バスの1年の待宵スークです」
私は女バスの中で目立たないし、青井先輩と会話もしたことがないから、私のことなんか知らないかもしれない。
だから、最初にちゃんと名前を言おう、と決めていた。
このあたりで、青井先輩は「あ、おれ告白される」と気付いたようだった。
照れて一瞬ななめ下を向き、にやけてしまうのをごまかそうと手を口元に添えた仕草が、今でも忘れられない。
この時間はもう外が暗いので見えなかったが、青井先輩もきっと顔が真っ赤だっただろう。
最初に名乗ったということは間違いないのだが、その後に何を言ったかほとんど覚えていないのが悔やまれる。
でも、大切なことはきちんと言えた。
「青井先輩のことが好きです」
そしてチョコを差し出した。
「これ、1日遅くなってしまったんですけど、バレンタインのチョコです…」
青井先輩は「ありがとう」と小さく言って受け取ってくれた。
私は「あの、このこと誰にも言わないでください」と付け加えた。
青井先輩の仲の良い男バスの友だちに話されたくなかったからだ。
「ああ…うん」
青井先輩はまた小さく答えた。
「ありがとうございました……えっと、…それじゃ」
私はぺこりと頭を下げた。
青井先輩は再び私鉄の駅の方に体を向けながら、
「うん、じゃあね」
と私に向かって左手を上げてくれた。
私も帰らないと。
くるりと向きを変えた。
言えた!
渡せた!!!!
好きですって言えたぁぁぁぁぁぁぁあああ!!!!
興奮冷めやらぬまま、私は来た道を戻ってJRの駅に向かって歩いた。
先に帰ってもらっていた友だちや亜実に「渡したよ!」とメールを送った。
みんな「頑張ったね」「すごいね」と私の健闘を称えてくれた。
告白はしたけれど、文字通り想いを「告げた」だけであって、恋が成就したわけではない。
それでも、私は幸せな気持ちで胸がいっぱいだった。
さて、その後。
告白したからといって青井先輩との関係が何か変わるわけでもなく、バレンタインの前と同じ日々がまた続いていた。
しかし、私は告白のときに1つ大事なことを言い忘れたと気付く。
それは「ホワイトデーは何もいらない」ということ。
もともと本当にただ想いを伝えたかっただけだし、お返しなんていらない。
いや、本音を言えばほしかった。
しかし、何をあげたらいいのかと青井先輩を悩ませるのは嫌だし、私にとって困るのは青井先輩に何か渡されるのを他の人に見られることだった。
ホワイトデーの日は1人で行動するようにしたらいいんじゃない?と思われるかもしれないが、青井先輩には見つけてもらって、他の人には見つからないように行動するなんてできるわけがない。
3月14日は学年末テストで部活はなく、15日がテスト最終日。
午前中で学校が終わって、午後から部活の練習だった。
クラスが解散してから、女バスのみんなと部室でお昼ごはんを食べた。
練習の始まる時間が近付いてくると、準備ができた人から体育館に入っていく。
青井先輩、ホワイトデー用意してしまっただろうか。
私は何もいりませんから。
みんなに知られたくない。
部活が終わって青井先輩が帰っていくのを見届けるまでは落ち着かない。
そんなことを考えながら私も体育館に行き軽く自主練習をしていた。
あと30分ほどで練習が始まる。
そのときだった。
体育館に入ってきた青井先輩が、私の方へ小走りでやってきたのだ。
そしてコンビニの袋を私に差し出した。
「これ、お返し」くらいは言われたかもしれないが、覚えていない。
私が袋を受け取ると、青井先輩は足早に去って行った。
一瞬の出来事だったので、幸い周りの人はあまり気に留めなかったようだった。
私自身もよく分からないまま、とりあえずもらったものを部室に置きに行った。
袋の中身はチョコプリンだった。
練習が始まる前に高校の最寄りのセブンイレブンで買ったものらしい。
私は嬉しいとは思わなかった。
何だか複雑な気持ちだった。
青井先輩はきっと悩んだだろう。
もらったからにはお返しをしなきゃ。
だけど、いつどこでどうやって、何を渡せばいいのか…
悩ませてしまったことに対する申し訳なさや、お返しはいらないと伝えることができていれば、という後悔もあった。
でもそのときの私は、「誰にも言わないで」とお願いしたにも関わらず、みんながいる体育館でひょいと渡されたことに何となく少し傷付いていた。
せっかく青井先輩がお返しを用意してくれたことに文句を言いたいわけではない。
コンビニのプリンではなくて、きちんとしたものがほしかったというわけでもない。
希望のシチュエーションがあったのに、なんてことはもちろんなかった。
今でもよく分からないが、やっとのことでバレンタインのチョコを渡したのに対して、あまりにもあっけなく終わってしまったことがショックだったのかもしれない。
付き合って下さいと言ったわけでもなく、振られたわけでもない。
でも好きだという想いが報われることはないと悟った。
これで、一区切りついた気がした。
続く
【思い出小説】(1/3)16歳の本気の恋
!!!!警告!!!!
今回は私、待宵スークのリアル青春物語です。
甘酸っぱく、痛々しく、読んでいる方が恥ずかしくなるような描写が多数含まれております。
途中、寒気・吐き気などを感じる恐れがあります。
如何なる問題が発生しても当方では責任を負いかねますので、ご了承ください。
しかも、長すぎてもはや小説です。
覚悟を決めてからお読みくださいませ。
***************************
高校に入学してから約半年。
私は女子高生のキラキラしたイメージとはほど遠い、地味で冴えない毎日を過ごしていた。
今どきらしいオシャレなんかよく分からず、もちろん化粧もしていない。
制服を可愛く着こなすことも、センスの良いアクセサリーをさり気なく身に付けることもできず…そんなことで悩んでる暇があったら、壊滅的な数学と英語の成績を何とかしなければ。
4月は友だちづくりに失敗してしまい、毎朝不安でお腹が痛くなっていたけど、今ではどうにか一緒にお弁当を食べたり、教室移動のとき一緒に行ったりしてくれる友だちはできた。
部活は、このブログでは初めて言うけどバスケ部だった。
高校では入るか入らないか迷ったが、同期にも先輩・後輩にも恵まれ、やはり入って良かったと思っている。
そのバスケ部で、私は忘れられない人と出逢った。
大袈裟な(笑)。
自分で書いていて恥ずかしい。
高校1年の、確か10月の半ば頃だったと記憶している。
正直きっかけはあまり覚えていないのだけど、私は男子バスケ部にかっこいい先輩がいることに気付いた。
遠目だからかっこよく見えるのかな?
本人にばれないように気を付けつつ、よーく見てみる。
よーく…
いや、間違いなくかっこいい。
それが1年上、つまり当時2年生の「青井先輩」だった。
青井先輩は、色白で少し小柄(身長172㎝)。
美形だった。
それも、派手な主張の強い顔ではなくて薄いけど整っている美形。
色白で美形って、少女漫画のヒーローかよ。
そんなにかっこいいのに、なぜ半年も気付かなかったのか?
小さい頃から母親に「あんたは面食いだね」と言われていた私が。
バスケ部の男女は、いつもコートを半分ずつ使って、同じ空間で練習していたのに。
それは、彼が地味だったからである。
青井先輩が普段クラスでどんなキャラなのかは分からないけど、少なくともバスケ部の中では目立たない存在だった。
男子バスケ部の中でも、ふざけて笑いを取ったり、女子バスケ部によく絡んできたりする人は印象に残ってすぐ覚えられる。
でも、青井先輩はそういうことはまずしない。
そしてもう1つ。
ぶっちゃけ、青井先輩はそこまでバスケが上手い方ではなかった。
レギュラーではなかったので、試合に出る機会も少ない。
だから私も含め女子たちの注目を集められる場面が少なかったのだ。
要するに青井先輩は、バスケ部の中では地味で活躍の機会があまりない、隠れイケメンだったのである。
ずいぶんひどい言い様だなと思われるかもしれないが、隠れていようが何だろうがイケメンはイケメン。
見つけてしまった私は毎日彼を目で追うようになった。
中学時代、今どき女子たちはみんな好きな先輩がいた。
昼休みにその先輩がグラウンドでサッカーをしているのをベランダから眺めては、キャーキャー騒いでいた。
私にはそれが全く理解できず、「『(同級生ではなく)先輩が好き』っていうのをステータスか何かだと思っているんだろう」と、彼女たちを白い目で見ていた。
卒業式の日、「明日から先輩がいなくなっちゃう」と号泣している女子を見てドン引きしたのを覚えている。
しかし、今や私も中学時代に馬鹿にしていた女子たちと同じような状態になってしまった。
部活のときは、もちろん可能な限り青井先輩を見ていた(練習は真面目にやっていたけど)。
青井先輩がシュートを決めると嬉しかったし、青井先輩がミスをするとなぜか私まで居たたまれない気持ちになった。
それだけでは足りなくて、青井先輩のクラスの時間割をこっそりチェックして、移動教室で1年生の階の連絡通路を通るのを隠れて見ていた。
もはやちょっとしたストーカーである。
バスケの大会のときに提出する選手登録一覧表を部室から探し出して、誕生日も確認した。
先ほど身長172㎝と書いたが、それもこの表を見て得た情報である。
毎日毎日、青井先輩を見ていた。
校内を歩いているときも、いつも青井先輩を探していた。
青井先輩のことを地味だと書いたけど、冒頭で述べた通り、私も彼に勝るとも劣らない地味女子。
その上、青井先輩が美形なのに対して、私は別に顔も特別可愛いわけではない。
オシャレでもないし。
明るくもないし。
バスケも上手くないし。
足も太いし。
男子バスケ部の、しかも1つ上の先輩に話しかけることなんてとてもできなかった。
校内でばったり会ったとき挨拶するのが精一杯だ。
いつも青井先輩を目で追っていると、当然のことながらいろんなシーンを目撃した。
男バスの友だちが落としたタオルを拾ってあげたり。
バスケ部の女子マネージャーが重い荷物を運んでいるのを持ってあげたり。
友だちとふざけて大笑いしていたり。
一人でシュート練習をしていたり。
私は、話したこともなく、ただ遠くから見ていただけなのに、いつの間にか本気で青井先輩を好きになってしまった。
はじめは単にかっこいいなと思って眺めていたのが、だんだん胸がきゅっとするような切なさを覚えるようになった。
しかし、青井先輩と付き合いたいとか、そういう気持ちにはならなかった。
私はまだ男子とまともに付き合ったことなんてなかったし、それまでは身近で関わりの多い男子しか好きになったことがなかった。
だから、話したこともない先輩と付き合うなんて想像できなくても無理はない。
仮に付き合いたいと思ったとしても、私にはアピールできるところなんて何一つなかった。
ただ、青井先輩に今日いいことがありますように。悲しいことが起こりませんように。
心の中でそんなことを密かに願うだけで、幸せな気分になれるのだった。
青井先輩を好きでいられることが嬉しい。ずっと好きでいたい。
今思えば、私も「同級生ではなく先輩に恋している」ということに少なからず酔っていたのかもしれない。
でも、今までの恋とは違うと思った。
当時16歳の私にとっては本気の恋だった。
ああもう。本当恥ずかしいな(笑)
でも、いよいよここからだ。
季節はめぐり、2月。
相変わらず、青井先輩に話しかけることもなく、ただ青井先輩を探して遠くから見つめるだけの日々が続いていた。
しかし、青井先輩との距離は変わらなくても、想いは募る一方だった。
私は青井先輩にバレンタインチョコを渡すと決意する。
でも交際を申し込むのではない。
ただ、青井先輩に好きだと伝えたい。
そう思ったのだ。
同じ女バスで仲が良かった友だち2人には私の気持ちをすでに打ち明けていたので、バレンタインのことも応援してくれた。
どうやって渡そうか、という計画も一緒に立ててくれた。
青井先輩に気持ちを伝えたいけど、付き合ってくれと言うわけでもないし、誰にも知られたくない。
誰にも見られることなくチョコを渡したい。
そこで、バレンタインの日の部活の練習が終わって、先輩が帰っていくときに渡すことにした。
文で説明すると分かりにくくて申し訳ないのだが…
学校の正門を右に出ると、JRの駅。
正門を左に出ると、私鉄の駅。
(自転車通学者もいる)
私はJR(右)、青井先輩は私鉄(左)だった。
私鉄利用者はかなり少なかったので、学校の門を出たら、その先は青井先輩は一人である可能性が高い。
そこを狙って渡そうと決めた。
本命チョコを渡すなんて、恥ずかしいので親にももちろん内緒である。
しかし、バレンタインにはクラスの友だちや女バスみんなでチョコを交換することになっていたので、怪しまれることなく自宅で手作りすることができた。
問題はラッピングだ。
女子用はみんなで交換なので1人分は少ないし、ラッピングも凝ったものは使わない。
でも、青井先輩へのチョコはそういうわけにいかないので、青井先輩用にきれいな箱を買っておいた。
あとは、家族に見られずにどうやってその箱にチョコを入れるか。
手作りのお菓子なので、何日も前から用意してタイミングを見計らうわけにもいかない。
作るとしたら前日か、早くても前々日。
家族に隠れてラッピングするチャンスは極めて少ない。
2月13日。
私は母と姉と一緒にトリュフを作った。
母のパート仲間の方に教えてもらったレシピで、簡単なのにとても美味しい。
そして、その夜。
家族が寝静まるのを待って、私は女子用にラッピングしてあるトリュフを子ども部屋に持ってきた。
子ども部屋は姉と一緒なので、物音を立てて起こしてしまわないように細心の注意が必要だ。
女子用のラッピングをいくつかほどき、形が良いものを選んで青井先輩用の箱に詰め替える。
トリュフにまぶしたココアパウダーが飛び散らないように、そーっと。
普段何気なく食べているチョコレートだが、日頃食べ物を持ち込むことのない子ども部屋では、香りが非常に気になる。
真冬なので寒いけれど、部屋にチョコの香りが残らないように窓を少し開けた。
トリュフを傷付けないよう慎重に、でもできるだけ手早く。
誰も起きてきませんように…
どのくらい時間がかかったのかは分からない。
それでも何とか無事に青井先輩用のラッピングを完成させることができた。
いよいよ明日。
そう思うと胸が高鳴った。
続く
自信にあふれている人が怖い
こんにちは(^^)
久しぶりの更新になってしまいました。
前に書いた「ブログやTwitterをやっていて抱く違和感」と同じような、凡人のぼやきです(笑)
matsuyoisouk.hatenablog.com
私は口調の強い人や、自信にあふれている人が苦手です。
というか、怖いです。
たとえ同年代の女性だとしても、何か怖い。
「これってAかな?それともB?」って聞いたとき、
「それは、たぶんAかな?と私は思うんだけど…違ったらごめん」
ここまで控えめでなくてもいいのですが、
「え?そんなのAに決まってるじゃん。Bなわけないでしょ」
みたいに言われると、勢いに負けてしまって「はい、そうですその通りです、そんなことも分からなくてすみません」という気持ちになるのです。
私からしてみると「この人はどうしてこんな自信満々に他人に物が言えるんだろう」と不思議にさえ思えます。
大人になって、自分のお店を持っている人とか起業した人と話す機会が何度かあったのですが、そういう方々って自分の努力でここまでやってきたという自負が強いんですよね。
実際そうなのでしょうし、その自負があるのは当たり前だと思うのですが、私の話に対して
「そんなんじゃダメだよ全然」
とか言われると、何だか萎縮してしまう。
私は私なりに頑張って、私なりの考えがあって今この場所にいるのに、全否定されて何だか悲しい。
一方で、私は自分に自信はないのにプライドが高いところがあるので、
「自分がすごい経験をしてるからって、何で他人を簡単に否定するの?私がしてきた経験の全てをあなたは知ってるっていうの?」と反発したい気持ちも湧いてきてしまいます。
Twitterの世界にも、起業したりネットビジネスやったりしてじゃんじゃん収益を上げていて、尖った発言をする方々も少なくありません。
「できない理由ばっか探してる奴は、結局ぬるま湯に浸かっていたいだけの雑魚」
「やってみようかなレベルで成功できるわけないから、逃げ道用意してるようなバカは来るな」
みたいなね…
(誰かの実際の発言を引用しているわけではありません。雰囲気だけ再現しました)
いや、間違ってないと思いますよ。
努力して自分で道を切り開いてきた人から見たら、そんなふうに言いたくなるんでしょう。
でも(特定の相手に対してではないにしろ)知りもしない人のことをざっくり一括りにして「雑魚」「バカ」「暇人」「他人が敷いたレールで満足してる奴」とか何とか…よく言えるなぁ…
何ていうか「人の悪口言っちゃダメなんだよ!」とかじゃなくて、「自分の方が格上」感、「大半の社会人はレベルが低い」感というか…
仮に私みたいなのがこういう人と話したりしたら、きっと即格下認定。
すごい馬鹿にされそうだし見下されそうで怖い。
馬鹿にされたくない、見下されたくないと思うこと自体、プライドが高いせいだとは思いますが。
確かに、私だって他人に対して「うだうだ迷ってないでやればいいのに」と思うこともあります。
でもその人が迷っている理由の全てを私は知っているわけではないし。
臆病よりは勇敢な方が世間で称えられるかもしれないけど、臆病な人の心の内はきっと勇敢な人には分からない。
臆病な性格になったのが過去の経験のせいだとして、他人が「そんなの乗り越えろ!俺だって昔は●〒▲×☆Д…」とか言ってもね。
冒頭の「AかBか」の例えでも、「Aで大丈夫だと思うけど、前回は○○だったし、☆☆って言ってる人もいたし、△△かもしれないから、念のため確認してみよう」って考えた末の質問かもしれない。
でもわざわざ○○☆☆△△の部分を言わずに質問したら「Aに決まってるじゃん。(そんなのも分からないなんてバカなの?)」くらいの勢いで返答される。
「い…いや、私もAだと思ってたし、何も考えてないわけではなくてですねぇ…」って思うけど、気圧されて言えない(笑)
…なんて言いつつ、私も家のことになると夫に
「何でここに置かないの?だからすぐ失くすんじゃん!」
「こっちに決まってるじゃん、いつも言ってるのに何で分からないの?」
とかひどい口調で言ってるわ。笑
家のことに関しては、夫より圧倒的にできる自信があるからなー。
でも夫は仕事できるマンなので、もし同じ職場で働いていたら「こいつ馬鹿だ」と思われるかもしれない、とも思っています。
人は自信が無ければ従う。自信があれば戦う。そういうもんです。
ってこの前バーで話した社長さんが言ってました。
私もそうです。
むしろもっと極端で「自信が無ければ萎縮する。自信があれば傲慢になる」かな。
書きながら反省しました。
あれか。プライドが高いとかじゃなくて…
私自身が他人を格上・対等・格下か判断して、格下だと思ったら無意識に見下してるのかもしれない。
だから自分も他人に見下されると思ってるのかもしれない。
私って超絶嫌な奴だな…
他人の嫌なところは、自分を映す鏡って本当ですね。悔い改めます。
まとまりがなくてすいません。←いつもですけど…
まとまりがないどころか、書き始めと終わりで言うことが変わっとる(笑)
お読みくださり、ありがとうございました。汗
異国の地でエステ体験の仕事をすることになった話
こんにちは(^^)
今回は、エステの体験リポートの読者モデルをすることになったお話です。
エステの話に入るまでが長いので、飛ばして構いません(笑)
経緯
エステなんて、正社員で働いていた頃に数か月通っていたことがあるだけ。
お金と時間があればまた通いたいなーと思ってはいますが、私は現在パート主婦なのでちょっと厳しい…
そんなある日、バイト先の社員さんから、フェイシャルエステの体験リポートの読者モデルをやってもらえないかというお話がありました。
某有名ホテルのエステを無料で受けられるし、800字程度のリポートを書くのと小さい顔写真が載るだけ、偽名でOK(笑)。
ということで、バイトが休みの日に行ってくることになりました。
すぐ道に迷う私のリスクマネジメント
エステ体験は14時半から。
12時半まで語学学校の授業がありましたが、スマホの経路探索によると学校からホテルまでの所要時間は約50分だったので、十分余裕があります。
しかし。
今回のエステ体験は私一人で行かなくてはなりません。
私はわりと方向音痴で、地図を読むのも苦手。
初めての場所に行くのに迷ってしまった経験が数えきれないほどあります。
「駅から近いから、すぐ分かると思うよ」と言われるような場所でも、駅から右に出るべきところを左に出てしまい、一歩目から間違える始末。
そんな自分を今ではもうよく理解しているので、初めてのところに一人で行くときにはかなり慎重です。
場所は最寄駅から徒歩15分ほどの距離。しかも大通りから少し外れています。
駅のすぐ近くにスタバがありましたが、そこで時間を潰したりしてはいけません。
まずは目的に到着すること。
時間は着いてから潰せば良いのです。
うっかり間違った方向にずんずん進んでしまわないように、常に疑いながら、通りの名前や大きい建物を何度も確認しつつ歩いていきます。
幸い、大幅に脱線することなく無事に到着(少しは脱線したんかい笑)。
しかし、まだ安心してはいけません。
私は到着してからでも迷います。
大きい建物は、本館と別館があったりしますよね。
目的の店が見つからなくて探し回っていたら実は別館にありました、とかよくあるパターン。
ホテルのロビーに入ってすぐの館内案内を見ると…やはり予想通り。←何キャラ?
「WEST TOWER」
西館と東館があるということですね。
この西館の案内板にはエステが載っていません。
あれ?ないぞ?と慌てることなかれ。
EAST TOWERの案内板を探して見てみると…ほらね。あったよ!
東館の地下1階に「SPA」の文字。
まだ14時前。
施術の前に顔写真を撮るはずなので、お手洗いで化粧を直して、地下に降りる階段かエレベーターを探して…
無事に、14時15分にエステ前に到着!!
遅くなって焦るのに比べたら、早く着きすぎてしまうくらいで良いのです。
いよいよエステスタート!
受付で体験に来たことを伝えると、ソファーで待つように言われました。
ぶっちゃけこの国の接客は日本に比べるとかなり雑なのですが、さすがホテルのエステは違う!
私はあまり現地の言語を聞き取れないので、身振りを交えてゆっくり丁寧に話してくれました。
しばらくして、いよいよ施術室に通されることに。
個室ですが、かなり広くてシャワールームとトイレもありました。
間接照明と川のせせらぎのような音が落ち着いた空間を演出しています。
最初にエステティシャンの女性から、用意されているバスローブのようなものに着替えるように言われました。
エステティシャンさんは現地の人で日本語は話せません。
何やら説明されましたが、よく分らなかったので「OK、OK」と言って適当にスルー(笑)
たぶん顔だけではなくて首回りも施術するのだろうから、とりあえずニットを脱いで、ヒートテックの上からバスローブを着ました。
施術台の上に仰向けになって、ついに!エステスタート!!!
と思ったら。
下着を全部脱げと。
まじか。
まぁ個室だし別にいいけど…
と思ったら。
ブラも外せと。
ええ!?貧乳だから外したくないんだけど…
まぁ仕方ない。
と思ったら。
体にタオルをかけるからバスローブ脱げと。
ええええ!!?
フェイシャルエステなのに施術中パンツ一丁なの!!!?
だったらバスローブじゃなくて上だけ脱げば良くない!!!?
でもエステティシャンさんは日本語が分からないので言えない…
言われたとおりにするしかないので、タオルの下パンツ一丁で施術スタート(笑)
エステの内容&困った事態発生
まずはクレンジングでメイクを落とします。
指先で優しくクルクル~。
良い香りだし、人の手で触れられるのって気持ちいい。
アイメイクも丁寧に落として、その後温かいタオルでゆっくり拭き取ります。
たっぷりローションでひたひたと保湿。
さて、ここで困ったことが起こります。
というか予想はしていたのですが…
エステティシャンさんと私は言葉が通じないので、どんな施術をしているのか分からない。笑
私が言葉をあまり理解していないのはエステティシャンさんも分かっているので、
「オリーブオイルベースのクレンジングで、毛穴の汚れを落としていきますね~」とか
「このクリームとマッサージで血行を良くして潤いを与えるんですよ~」とか
そういう説明が一切聞けないのです。
私、体験リポート書かなきゃいけないのに大丈夫なのか?
目も閉じているし、今顔に塗られているのがクリームなのかジェルなのかも分からない。
でも、とりあえず分からないなりにどんな感じだったのかを書いていくと
1 クレンジング
2 ローションで保湿
3 首や肩をマッサージ
4 クリームを塗って、頬を下から持ち上げるように
マッサージ。
たぶんリフトアップ的な。
首回りというか、肩のあたりまでクリームを
塗っていきます。
気持ち良くてたぶん10分くらい寝てました(笑)
と、このへんまで来たところでカメラマンが入ってくる。
顔のアップとかはないけど、施術中の様子を何枚か撮っていきました。
そういえば施術前に私の顔写真撮ってもらってない。
ということは、明日職場で撮るのか…普段化粧薄いから今日撮ってほしかったのに~笑
5 別のクリームを塗ってパック。5分くらい放置される。
6 パックをしている間に、手と腕全体にクリームを
塗ってマッサージ。
顔だけじゃなくて腕もあるのね!
7 頭皮もマッサージ
8 パックのクリームを優しく拭き取って、手の
ひらで顔になじませる
エステ終了!
フィニッシュ!!
トータル約1時間半。
化粧品はどれも良い香りだったし、人の手の温度って癒されますね。
とても贅沢な時間でした。
顔を指で触ってみると、
肌がもっちりふっくら!!
毛穴も目立たなくなってる!!
アイラインが落ちてなかったのが気になったけど、まつ毛の隙間ばっちり埋めてたから、まぁ仕方ない(笑)
着替えて、ささっと化粧して帰ろうっと♪
と思ったら。
受付まで戻ったところで、先ほどのカメラマンさんが待っており「顔写真を撮ります」と。
今かよ!!!
最初に撮ってよ!!!
化粧薄いし、前髪若干濡れてるしー!!!
クレンジングで落とし切れてなかったアイラインが役に立ちました。笑
終わりに
こんな時間をかけて施術してもらうエステは初めてだったので、貴重な経験でしたし、良い気分転換になりました。
こうしてブログのネタにもなる(笑)
しかしながら、体験リポートを書くとなると、寝っ転がっているだけのエステとはいえ言葉が分からないのは非常に困りますね。
依頼を受けた時点では、日本人向けエステサロンなのかなと思ってたんです(汗)
今回の記事は、施術内容などを忘れないようにリポートのための備忘録として書きましたが…
顔に何を塗っているのか、どんな効果があるのかもよく分らないのに800字分も書けるのか心配です(笑)
そして、まさかの施術後に撮影した顔写真。
前髪ぺったんこのような気がするよー
まぁでも本格エステを無料で受けられたので、楽しかったし満足でした!
それでは、今回はこの辺で。
お読みくださって、ありがとうございました。
30歳からの歯列矯正(7)下のブラケットの装着&月1調整
こんにちは(^^)
久しぶりに歯列矯正体験記です。
今回は下の歯にブラケットを装着したお話。
1か月前に上の歯に装着したので、それの調整もしてもらいました。
下のブラケットの装着
ブラケットの装着は、前回と同じN先生。
上のブラケットを装着するときに特に痛いことなどはなかったので、リラックスして治療室へ。
ブラケットに慣れるまでは口の内側に当たるのが痛いかもしれないと言われていましたが、それも問題ありませんでした。
ただ、ブラケットを付けて歯に圧力がかかるとものすごくムズ痛くなります。
特に前歯。
奥歯を支えにして前歯を引っ張るような感じなので、最初の2週間くらいは本当に痛い。
前歯で何かを噛み切ることができなくなります(麺類を噛み切ったり、パンにかぶりついたり、おせんべいを食べたり)。
食べること自体が苦痛になるほど…
ようやく慣れてきたところなのに、また痛くなるのか…という憂鬱はありましたが、付けてしまえばあとは(平均)2年間耐えるだけ!!
ということで、下のブラケットの装着。
前歯がかなり混み合っている(重なって斜めになっている)ので、ワイヤーを通す部品を付けられない歯が1本ありました。
これは歯が少し移動してきたら付けるとのこと。
また、奥歯に虫歯の治療で詰め物をしたところがあるので、もしかしたら部品が取れやすいかもしれないと言われました。
付け方の流れは、こちらの記事をご覧くださいませ。
下のブラケットの装着は、特に新しい発見はなくスムーズに終了。
ただ、この国で働いているS先生(私の担当医)と違って、日本がメインのN先生は現地の言葉をほとんど話せません。
そのため、N先生と助手さんとの意思疎通が上手くいかず、私は口を開けた状態で数分待たされました(笑)
ブラケットを付けるときに邪魔にならないように、口を開けて唇を押し広げた状態で固定する器具をはめたまま…
これ、歯医者さんは見慣れてるから何とも思わないでしょうけど、絶対面白い顔だよ…
真顔で口開けて歯がむき出しになってるんだもん。
早くして~(泣)と思いつつ、日本と海外を行き来しながら矯正歯科専門医として働くN先生も、歯医者さん&語学力の武器を持つS先生も、両方すごいなぁと再認識。
上のブラケットの調整
下の歯のブラケットを付け終わったら、今度は1ヵ月前に付けた上のブラケットの調整です。
ブラケットを装着した後は1ヵ月ごとに必ず調整が必要になります。
要は、少しずつ歯が動いていくのでワイヤーを締め上げて(?)圧力をかけ直すということですね。
これがまさかのかなり痛い。
麻酔をするほどではないにしても、歯を引っこ抜こうとしてるのかと思うくらい痛い。
装着するときもワイヤーを締めるので痛いのですが、月1の締め直しもこんなに痛いとは…
これは…数時間後上下ともにかなりのムズ痛さが来ると予想される…
装着&調整後
…と思ったら、1ヵ月前に上のブラケットを付けたときほどではありませんでした。
もちろん痛くて食事には少なからず支障をきたしますが、上のブラケットを付けたときは何もしていなくても気になるほどでした。
いつのまにかずいぶん慣れていたようです。
とはいえ、上下の歯を強く噛み合わせると痛いので、薄くて歯応えのあるものなどは非常に食べるのが辛い…
また、上よりも下のブラケットの方が食べるときにワイヤーが邪魔になります。
細いものがめちゃくちゃ絡まりやすい。
食べにくいもの(薄い・細い・粒々・固い)
切り干し大根、もやし、麺類、わかめ、米飯、パン、固い野菜や果物など
食べやすいもの(あまり噛まなくてよい)
豆腐、ヨーグルト、クリームチーズ、柔らかい煮込んだ野菜など
食べやすいものを見ると、「何だか健康に良さそうじゃん」と思われるかもしれません。
しかし、家で食べるならまだいいのですが、外食は結構つらいです。
また、バイトに行く前にコンビニで昼食を買おうと思っても、パンもご飯も麺類も食べにくいので選べるものがない。
最近は、もともと好きなのと作業しながら食べられる手軽さもあって、昼食はチョコばかりです。
ちなみに朝は丸ごと豆腐一丁味噌汁。
夕食は夫もいますし、痛いのを我慢して食べます。
また、上のブラケットを付けたときは口の内側に当たって痛いということはなかったのですが…
下は1カ所、口の内側に部品が引っかかるような感じで痛くなりました。
でも、マメができて、破れて、治って、前より皮膚が固くなって…というのと同じように慣れていくものなのかなと思い、とりあえず今は我慢。
下のブラケット装着が外れた!!
下のブラケットを付けるとき、N先生が
「虫歯の治療で詰め物をしたところがあるので、もしかしたら部品が取れやすいかもしれない」
と言っていたのですが、だから何かあるのかとは特に考えていませんでした。
ところが、装着の翌日、夕食を食べていたら何やら口の中に違和感が。
ん?…んん???
これはまさか…
部品が1つ外れたーっ!!!
一番奥の、まさに詰め物がある歯の部品が取れてしまったのです。
こんなに簡単に外れてしまうものだとは…
奥歯を支えに前歯を引っ張っているから、奥歯のブラケットが外れてしまったら付けている意味がなくなってしまうのでは?
というか、それよりものすごく食事しにくくなったから早く治してもらいたい!!!
上手く説明できないのですが、中間ではなく一番奥の部品が取れたので、ワイヤーの先に付いている部品が口の中でコロコロ動いてしまうような状態。
ときどき食べ物と一緒にガリッと部品を噛んでしまうのです。
食べている途中で突然ガリッ!と歯に当たって、え!?何!?異物混入!?みたいな気持ち悪さ…
装着したのが金曜、外れたのが土曜。
そして月曜にまた歯医者さんに行くことになってしまいました。
外れたブラケットの処理&矯正以外の治療
外れた部品は、手前でワイヤーを切って一旦取ってしまうことに。
また次回付け直すことになりました。
しかし、詰め物を取るわけにもいかないし、付け直すといってもどうするのだろう。
普通に食事しただけで取れてしまったくらいだから、何度付け直してもまた取れてしまいそう…
でもとりあえず、口の中で不安定な状態になっていた部品を切り落とすことができてすっきり快適!
一番奥の歯だけで支えているわけではなかったみたいです。
その後、ついでに虫歯の治療と古くなっていた銀の詰め物を治してもらうことに。
矯正器具を付けた後でも、器具に当たらないところであれば治療可能です。
大人になると歯の定期検診などなかなか行かなくなってしまう人も多いと思いますので、通っているうちに悪いところは全部治してしまいましょう♪
ところが。
取れた部品を切り落とし、虫歯の治療も終わって一安心…と思ったら
切ったワイヤーの先端が頬の内側にめっちゃ刺さる。
歯医者さんでは先端が当たっている感じはほとんどなくて大丈夫だったのですが、食事をしてみて気付きました。
食事中ってこんなに口が動いてたんですね…痛くて食べられない。
食べ物が固かろうが柔らかかろうが、口を動かさずに食べることはできません。
柔らかい方があまり噛まなくて済む分マシですが…
泣けてくる(涙)
ワイヤーが刺さるって、こんなん慣れるものなのか?
口の内側って粘膜になっててやわやわじゃないですか。
次に歯医者に行くまで、ずっと痛いままなのはさすがに辛い。
と思っていたら、
何か慣れてきた気がする。笑
慣れてきたのかワイヤーが曲がったのか分かりませんが、そこまで痛くなくなってきました(笑)
痛くないわけではないけど、頻繁に歯医者さんに行くのは面倒だし、これくらいならまあ1ヵ月耐えられる。
でもなー…実はあの後、上の一番奥もブラケット外れちゃったんだよなー。笑
上だからそこまで食事に影響ないけど…どうしましょ。
歯列矯正体験記、まだまだ続きます~。
それでは今回はこの辺で。
お読みくださり、ありがとうございました。