家族や友達には話しにくいけど、でも誰かに聞いてほしいこと

家族や友達には話しにくいけど、でも誰かに話したいこと

日々いろんなことを考え、悩むけれど、家族や友達には話しにくい。でも誰かに話したい。そんな話をつらつら綴ります。アラサー、子無し主婦、海外在住、駐在妻。

拝啓、K本部長様 ※長いです

拝啓、K本部長様

 

 

寒い日が続きますが、お元気でお過ごしでしょうか。

 

K本部長、お久しぶりです。

待宵です。

 

早いもので、私が塾の会社(R塾とします)を辞めてから約4年が経ちました。

私は退職した翌年に結婚して、今は海外に住んでいます。

 

K本部長は、現在はR塾の新しいプロジェクトに関わっていて単身赴任中だと聞きました。

順調に進んでいますか。

お体にはくれぐれも気を付けてください。

一人暮らしでもお酒や煙草はほどほどに。

 

息子さんは、今8歳くらいでしたっけ。

1回しか会ったことはないけれど、K本部長そっくりの人懐こい笑顔が印象的で、すごく可愛かったです。

息子さんや美人の奥様にたまにしか会えない生活は寂しいですね。

 

本当は直接お会いして伝えられたら一番良いのですが、今日はK本部長への感謝と思い出を綴りたいと思います。

 

 

2011年の春、私は新卒でR塾に入社。

子どもたちの夢を応援する先生になるんだ、と意気込んでいたけれど、新卒の年は正直散々でした。

授業も下手、それ以外の仕事もできない、社会人としての振る舞い方どころか、人としての態度もなっていない。

そんな自分を思い知った1年目。

 

2年目になった2012年、私はK本部長がトップを務める本部に異動になりました。

K本部長の印象は、とにかく底抜けに明るい。そして面白い。

それでいて実力者の余裕とオーラを感じさせる、そんな人でした。

当時は確か31歳くらいだったはず。

私は30歳になった今でも相変わらずポンコツなのに、信じられません。

 

太陽のようなK本部長のおかげなのか、職場は生き生きとした空気に満ちていました。

私が1年目にいた職場に比べると、みんなが楽しそうに仕事をしているようで、ちょっとしたカルチャーショックを受けたことを覚えています。

また、新参者の私から見ても、K本部長が若手からベテランまで本部員みんなに慕われているのがよく分かりました。

 

さて。

私も今年からこの本部の一員。

1年目のダメダメな私を知っている人は、この本部にはいない。

心機一転、頑張るんだ!

K本部長からも「期待しているよ」という言葉をいただいて、張り切って仕事に臨みました。

 

しかし、私のダメダメぶりはすぐに露呈。

毎日ミス、ミス、ミス。

授業も下手、下手、ド下手。

どうやったらこんなに問題ばかり起こせるんだろう、とK本部長は困惑したことでしょう。

とんでもない人材をもらってしまったと思ったことでしょう。

 

他の2年目社員はみんな有能で、ある程度仕事ができるようになってきているのに、どうしてここまでひどい差があるのだろう。

教育業界は離職率が高く、R塾も入社3年以内に6~7割が辞めていきます。

私みたいな出来の悪い社員は、放っておいてもそのうち耐えかねて辞めていくだろう。

一生懸命指導するだけ、時間と労力の無駄かもしれない。

そう思われても不思議ではありませんでした。

実際、そう思っていた先輩がいたことも知っています。

 

でも、K本部長は私のことを育てようとしてくれました。

 

その年のGWが明けたある日、退社時に校舎のトイレの照明を消し忘れた私に対して、厳しくも温かいメールをくれましたね。

校舎のトイレの照明を消し忘れる(校舎の防犯カメラで発覚)なんて、戻って消せばいいだけのこと。

だけど、そのミスの本質をグサリと突いた、私にとっては図星としか言いようのないメールでした。

 

2012/05/10  00:55

題:苦言、しかし成長しろ

 

あのな、待宵。

よく覚えとけ。

 

「今後は責任を持って仕事を完遂するように気を付けます」

 

この報告・反省には全く意味がない。多分待宵はまた同じようにミスするだろうね。

 

おそらく昨年度も、何度も待宵は人災ミスをして、そのたびに「二度としないように気を付けよう」と反省したのだろうね。

 

しかし、ミスが減らないし、叱られて信用もなくしちゃったんだろうね。

 

想像できるよ。

 

もしかしたら、

「あたしには能力がない」

こんな風に思ったこともあるかもしれない。

 

でもな、ミスがなくならないことに「能力」や「合う合わない」は絶対に関係ない。

 

言葉をかえて言うなら、今回みたいな言葉で報告をする状態でしかないから、ミスが減らないんだぞ。

 

おまえはミスを無くす方法を考えていない。

 

「気を付けよう」

で自動車事故がなくならないように、気を付けてもミスは減らない。

 

どうやればミスが減るか、その方法を考えて実行に移すからミスが減るんだぞ。

 

(中略)

 

「以後気を付ける」

という報告は、何もしないことと同義。気を付けてもスピードを出したまま運転していたら、結局事故る可能性高いでしょ?

 

早く「一級の社会人」になれるよう努力しろ。待宵はおそらく、一生「R塾の講師」でいるわけじゃない。

でも、「一級の社会人」になることは、絶対に大事。

その場をしのいで終わりにするな。

 

もっと育て。

一級の社会人に早くなれるよう貪欲になれ。

 

休日に生徒のバレエの発表会を見に行ってあげて、それを上司にアピールしてこない

 

「素敵な人物」

 

なんだから。

 

真剣に成長に貪欲になれ。期待する。

 

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塾なので、退社時刻は23時くらい。

それから照明の消し忘れが発覚し、私が校舎に戻って消灯し、その報告を送った返信がこのメールでした。

深夜1時近くに、いつ辞めていくかも分からないようなポンコツ社員のために、こんなに丁寧なメールをくださった。

しかも、私が自分の担当している生徒のバレエ発表会に行ったことを誰から聞いたのかちゃんと知っていて、お叱りの最後にわざわざ褒めてくださった。

 

ミスを繰り返す原因を指摘されて苦しい気持ちでしたが、私はこのときに「そうか、K本部長はこういう人なのだ」と知ったのです。

 

 

しかし、それでも私はなかなか変われませんでした。

無くならないミス、上手くいかない授業。

努力が足りないのだろうか。

何が間違っているのだろうか。

毎日消えてしまいたい気持ちで仕事をしていました。

このまま働いていても、周りに迷惑をかけ続けるだけ。

いつもフォローしてもらっていて、どんどん肩身が狭くなっていくばかり。

 

この頃の私は少し鬱気味になっていて、いつも何となく体調が悪く食欲もない、何もかも私のせいだ、私さえいなければ、という思考に陥って抜け出せなくなっていました。

 

7月、K本部長と若手社員が順番に1対1で面談した日のこと、覚えていらっしゃいますか。

あのとき、私はどん底にいました。

面談の順番が回ってくるのが怖かったです。

K本部長に「やっぱりお前には塾の仕事は向いていない」と言われるに違いない。

優しいK本部長だから、向いていないとはっきり言ってやるのも上司の務めと考えているだろう。

面談が始まるまでそう思っていたのです。

 

ところが、面談の部屋に入って席に着くと、向かい合わせに座っているK本部長は、いつもと同じ太陽のような笑顔でした。

これまで数々の失態を犯してきた私は、非常に緊張していたので、残念ながら面談のときのK本部長の言葉をほとんど覚えていません。

しかし、終始にこにこして、私の出来の悪さなど取るに足らないことのように喋ってくださいました。

 

面談中の会話は忘れてしまったのですが、私がその日の終業後にK本部長に送ったメールが残っています。

 

 

2012/07/06  23:30

題:待宵です。

 

本日の面談では、とても温かいお言葉をたくさん下さり、ありがとうございました。

 

最近2カ月くらいの間、完全に自信を喪失してしまっていて、周りの方から励まされても、朝礼でどんなにやる気が出るようなお話を聞いても、以前のように奮起できなくなっていました。

 

ですが、今日は授業が始まるまでずっと面談でのお話を思い返していて、久しぶりに、自分はまだやっていけそうだ、という気持ちで終わることができました。

 

まだまだ講師としても社員としても課題ばかりの私ですが、一日でも早くK本部長のお役に立てるように頑張ります。

本日は本当にありがとうございました。

今後もよろしくお願い致します。

 

返信は結構です。

 

 

 

2012/07/06  23:38

題:Re:待宵です。

 

結構ですと言われても、返信したいから返信しちゃう。

そんなふうに言ってもらえて、俺が何か嬉しいや。

 

待宵のこと、人として好きだよ。なんかぶきっちょでさ(笑)

 

たまに、頭の中で考えてネガティブ(どよーん)になってるのが、漫画のように吹き出しで浮かんでるもん。

 

成長できるといいな!いや、きっとできる!!

 

ともにがんばろー!

  

 

この面談がなかったら、きっと私はこの年の夏期講習が始まる前に辞めていたと思います。

苦労した就職活動の末に入った会社を、何かを得るどころか、自尊心が完全に崩壊した状態で。

 

 

面談後、少しずつ立ち直っていった私は、K本部長への尊敬の念を深めていきました。

K本部長は、厳しくて温かくて、何て器の大きい人なんだろう。

私が一番突いてほしくない、一番痛いところを知っている。

同時に、私が一番言われたい言葉も知っている。

私が真剣に仕事に取り組む限り、この人は私を見捨てない。

期待に応えたい。

 

そうそう。人間性はもちろんのこと、何より講師としてK本部長は私の憧れです。

授業が分かりやすい面白いなんかは当たり前で、すごいのは生徒や保護者から寄せられる信頼の厚さ。

私が一番印象に残っているのは、K本部長が中3の男子生徒の頭をくしゃくしゃっと撫でてあげ、その生徒が恥ずかしそうに、でも噛みしめるような笑みを浮かべたのを見たとき。

中3の男子生徒ですよ?

決して扱いやすい学年ではないし、頭を撫でられて喜ぶ歳でもないはずなのに、その嬉しさをこらえるような表情といったら。

生徒に厳しく向き合い、時には一緒に苦しみ、成功したら大喜びで褒めてやり…そうして築いてきた心の繋がりがあるのだと、その生徒の一瞬の表情が物語っていました。

 

 

さて、3年目になった私に転機が訪れます。

転機というか、きっかけは毎年恒例のことでしたが。

 

本部にたくさんの新入社員が入ってきたのです。

え、今年の新卒、うちにこんなに来るの?と、本部員みんな驚いて笑っていましたよね。

 

私にとって2年下の後輩たち。

まだ右も左も分からない、明るく元気だけが取り柄の新人。

 

彼らを見ていて、私は思ったのです。

私が新卒で入社したとき、「3年目社員」といったら、もう一通りのことはできるようになっているように見えた。

でも何年も上の先輩と違って、分からないことを質問しやすい、頼れる存在だった。

私も彼らから見てそんな「3年目社員」にならなくちゃ。

私だって、この仕事の右と左くらいならもう分かる。

そして、新卒が抱える悩みなら誰よりも分かる。

 

私は新卒の社員たちに何かあるごとに声をかけては、電球の交換などの小さな仕事を教えることから授業の相談まで、積極的に面倒を見るようにしました。

そうすることで、同期の中では相変わらず落ちこぼれでしたが、私自身は新卒時代からこんなに成長していたんだ、と感じることができたのです。

同期や先輩、上司の方々の私に対する視線が少しずつ変わっていくのが分かりました。

 

 

そんな矢先のことでした。

K本部長が体調を崩したのは。

 

K本部長が体調不良を訴えて病院に行ったというのです。

私たち若手社員は詳しい症状や診断名を教えてもらえませんでしたが、病院に行くのがもう少し遅かったら命が危なかったらしい、と聞きました。

K本部長が授業に立てない日が続き、本部員は心配で心配でたまりませんでした。

 

このときはまだ年度の初め。

しかし、非常に有能なK本部長は、新しい校舎の立ち上げ、夏以降の新しいプロジェクトの準備などで、とにかく多忙を極めていました。

まだ十分な体力があるはずの若さとはいえ、激務とそのストレスが病気の原因であることは、誰の目にも明らかでした。

 

K本部長にもしものことがあったらどうしよう。

いや、命が助かっても、塾の仕事を続けられなくなったら?

誰よりも生徒を愛し、誰よりも生徒から愛されている先生なのに。

 

しばらくして、K本部長は授業に復帰。

体調が万全でなくても、塾長でもあるK本部長は授業にだけは出なければ。

どうか、どうか無理しないで、と私たちは祈るしかありませんでした。

 

4月末、GWが近付いてきました。

GW中は塾の授業が休みになり、社員も連休になります。

その間に、K本部長もゆっくり休んでほしい、少しでも体調が戻りますように…

そう思っていたのですが、社員の連休初日は各校舎の保護者会が予定されていました。

つまり、私たち若手社員は休みですが、各校舎の塾長を務めている社員たちは出勤し、自分の校舎で保護者会を運営しなければならないのです(翌日からは休み)。

 

保護者会というのは、塾長が保護者に対して、入試情報や塾としての教育方針などを講演する会です。

広い教室でも当然マイクなどは無し、1時間ほど喋るので、かなり体力がいります。

講演終了後は、保護者からの挨拶や質問、相談に対応。

さらに、中1保護者向け、中2保護者向け、中3保護者向けといったように一日数回の講演をこなさなければなりません。

 

会が始まる前には、受付を設置したり、資料を並べたり、いろいろな準備もあります。

私は塾長ではなかったのでその日からもう休みでしたが、気が気ではありませんでした。

体に爆弾を抱えたような状態のK本部長が一人で準備し、一人で受付、講演、その後の対応をして、片付けと次の準備をして…

K本部長の体調が悪化したらどうしよう。倒れたらどうしよう。

 

出過ぎた行為かもしれない。「変な気を遣うな」「休みの日に出てくるな」と言われるかもしれない。

でも心配しながら何もせずにいるよりマシだ。

そう思い、私は朝からK本部長の校舎に行って手伝いをさせてもらうことにしました。

講演や保護者対応はK本部長にしかできないけれど、準備や片付けは私がやる。

そうすれば少しは楽になるはず。

私はK本部長より先に校舎に到着し、あちこち走り回って準備をしました。

 

その日の、体調不良など微塵も感じさせないK本部長の講演は本当に見事でした。

明るく、面白く、でも数百人の生徒を預かる塾長としての情熱が溢れていました。

K本部長も午前の最初の会が終わった後「今日は会心の出来だった」と満足げに笑っていましたね。

 

結局、保護者会の開催時間がずれている他の校舎の塾長社員が応援に駆けつけたため、私のお手伝いは午前中のみで終了、帰宅ということになりました。

 

その夜、K本部長からいただいたメールは、この先もずっと忘れることはないと思います。

 

2013/04/28 22:52

題:(K本部長)です

 

今日は本当にありがとうございましたm(_ _)m

 

この恩は、決して忘れません。何かあったら、いつでも(R塾退職後であっても)声をかけてください。

そんぐらい、助かったし、嬉しかった。

 

マジでありがとです

 

 

その後、GW中に精密検査を受けたK本部長から「何も異常はなかった。もう大丈夫だ」と本部員にメールが。

医者から「働きすぎないように」という最も難しいことをアドバイスされたそうですが、GW明けからまた元気なK本部長の顔を見ることができるようになって、私たちは心底ほっとしました。

 

 

この年にあった嬉しかった思い出を2つ、お話ししてもいいですか。

 

1つめは、K本部長が私の誕生日にお花をくださったこと。

本部員の誕生日にはいつも何かしらプレゼントを用意してくれるK本部長ですが、そのお花に添えられた言葉が本当に嬉しくて。

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K本部長は、どうして私がほしがっている言葉をここまで的確に分かっているのでしょう。

私みたいな落ちこぼれは本部の役に立っていない、戦力になれていない、そんな暗い気持ちを未だ抱えたままだった私の心を見透かしたようでした。

 

それから、この本部ならではの粋な企画、「本部員を互いに褒めよう」。

全員が自分以外の本部員一人一人に(上司も部下も)良いところや感謝していることを一言書いて渡すというもの。

この年に本部長が私に書いてくださった言葉がこれでした。

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やっと、やっと、K本部長に成長を感じてもらうことができた。

まだまだ足りないけれど、見限らないでいてくれたK本部長に応えることができた。

苦しいことがあってもK本部長が見ていてくださるなら頑張れる。

K本部長の言葉を噛みしめながら、そう思いました。

 

 

しかし、3年目になってますます己の力量について悩むときは増えていきました。

 

このまま努力と経験を重ねていけば、自分自身は間違いなく成長していく。

でも、R塾という組織の一員としてはどうか?

私にこれ以上の飛躍の可能性はあるか?

仕事のやりがいや喜びと、大きすぎる精神的な負担を天秤にかけ、毎日のように考えていました。

いや、心はもうほとんど折れかけていました。

 

そして3年目の冬、私は今年度限りでR塾を退職する意思を固めたのです。

 

年末年始の休みに入る前の12月下旬、私はK本部長に退職する旨を伝えました。

数日前に「お話があるので時間を取ってほしい」とメールしたときに、K本部長はもう全て悟っていたでしょう。

塾講師の仕事の沼の中でずっともがき続けていた私に、辞めるな、諦めるな、と引き止めるようなことは言いませんでしたね。

淡々と話をして、その場は終わりました。

 

 

私はR塾を退職したらアルバイトをしながら資格の勉強をするつもりでした。

年末年始の休みの間に、少しずつその準備を始めました。

 

しかし、もう退職すると伝えてしまったにもかかわらず、本当はこの仕事を諦めたくなかった思いが心をざわざわと揺らしました。

辛くて辛くて、早く解放されたい、一日でも早く辞めたいと願っていたのに。

資格を取りたいという気持ちも本当でした。

でも、その資格を取るには最低で2年必要。

2年目は忙しくなりそうだけど、1年目なら塾の仕事を続けながらでもできるのではないか…?

 

そう考え始めてしまうと、まだ辞めたくない、まだ学びたい、どんなに大変でも資格の勉強と仕事を両立してやる!という気持ちが湧きあがってきてしまいました。

 

結果、年末年始の前に「辞めます」と伝えたのに、休み明けにはK本部長に「やっぱり続けたいです」と決断を引っくり返す相談をすることになってしまいました。

 

ただし、それは簡単なことではありませんでした。

続けるといっても、あと1年だけ。

来年度末には辞めることが決まっている、つまりその先は会社に貢献しないと明言している者を雇い続けるのか。

給料を支払い続けることはもちろん、周りの社員はどう思うか。

そもそも優秀でも何でもない社員をあと1年限定で雇用するなんて、会社にとって何の利益にもならないでしょう。

K本部長には「上に相談する」と言われました。

 

1週間ほど経ったある日、私はK本部長に呼ばれました。

なんと、私をあと1年会社に置いていて良いか、社長にまで相談してくださったそうです。

 

この時も、私を救ってくださった面談と同じで、残念ながらどんな話をしたかあまり覚えていません。

 

でも、一言だけ。

 

「君という人間を買いましょう!」

 

嬉しかったです。

他の社員と比べて明らかに劣る私に、価値を見出してくださった。

今思い出しても涙が出てきます。

 

 

こうして、私はR塾で4年目を迎えました。

仕事は他の社員と基本的には変わりませんが、例えば塾長候補社員向けの研修などには呼ばれなくなりました。

私は自分自身の授業の質を高めることや、後輩教育、塾長のサポートなどに専念する日々を過ごしました。

 

4年目も相変わらずの苦しい1年でした。

失敗もたくさんしました。

最後の1年ですら、貢献より迷惑をかけたことの方が多かった気がします。

だけど、やっぱり辞めなくて良かったです。

もし辞めてしまっていたら出会えなかった生徒たち、見えなかった景色。

忘れられない1年になりました。

 

年度末、最後の授業が終わった後、貸与されていた備品をK本部長に返却し、書類にサインをして。

私はこらえきれずに大泣きしてしまい、K本部長にまともに挨拶することすらできませんでしたね。

お伝えしたいことは山ほどあったのに。

ただ「ありがとうございました」と頭を下げるだけで精一杯でした。

 

遅くなりましたが、今、伝えますね。

 

R塾で働いた4年間は、本当に苦しかったです。

この仕事に向いていると思ったことは一度もありません。

むしろ、入社して1ヵ月も経たないうちに向いていないと悟りました。

自尊心は粉々に砕け散って、涙が枯れるほど泣きました。

 

それでも4年間R塾の仕事を続けられたのは、こんな私を「先生」と呼んでくれた子どもたちと、劣等生の私を見捨てずに指導してくださったK本部長のおかげです。

 

K本部長に育てられた人たちはみんな優秀で、私は本部の恥でした。

本当はもっともっと貢献したかった。

もっともっとR塾で働きたかった。

もっともっとK本部長の役に立ちたかった。

期待に応えられなくてごめんなさい。

 

だけど、K本部長のもとに異動していなかったら、塾講師の仕事の楽しさを知る前に辞めていたと思います。

K本部長に出会えて本当に良かった。

私が心から尊敬する人、私にとってのカリスマはK本部長だけです。

 

ありがとうございました。

この御恩は一生忘れません。

 

まだまだ寒い毎日です。

どうかお身体を大切に。

 

お元気で。

 

 

敬具