家族や友達には話しにくいけど、でも誰かに聞いてほしいこと

家族や友達には話しにくいけど、でも誰かに話したいこと

日々いろんなことを考え、悩むけれど、家族や友達には話しにくい。でも誰かに話したい。そんな話をつらつら綴ります。アラサー、子無し主婦、海外在住、駐在妻。

この2ヵ月のこと

こんばんは。

お久しぶりです。

 

待宵スークです。

 

 

先に申し上げておきますと、この記事は「辛いね」とか「大丈夫?」とか言われたい下心満載みたいな記事です。

 

いや、何て言ってもらいたいのか、何を期待しているのか、自分でもはっきりとは分からないけれど。

 

 

一方で、そんなことをわざわざ自分から白状するのは、読んでくださった方に慰めの言葉を強要するような記事を投稿するのは申し訳ないなとも思うから。

 

「あーこれ読んじゃったら何か言ってあげないといけないやつ?」みたいなのって、うざいじゃないですか。笑(←うざくない?私の心が冷たいだけ?すいません)

 

 

公開するからにはたくさんの人に読んでもらえた方が嬉しいし、反応もほしい。

でも、気を遣ってコメントさせるのは何か悪いから、せいぜい読んだ印としてのスター1つくらいでも十分ですごめんなさい、みたいな気持ちもすごくある。

 

 

 

分かったよ、もうグダグダうるさいから早く書けよ、って声が聞こえてきそう。笑

 

 

 

暗いし、重いし、無駄に長いです。

 

Twitterで日頃よく絡んでいるし、一応読んでおいてあげた方がいいのかな、とか気を遣ってくださる方がもしいらっしゃったら、大丈夫です。本当に。

 

読んでもらいたい気持ちと、こんなのを晒して大変申し訳ないと思う気持ちが混在していて、公開しようかどうしようか、私自身ものすごく迷っているところ。

 

でも、公開するならどうしても今日がいいんです。

(結局、ちょっと過ぎちゃった。笑)

 

 

途中で嫌になったら遠慮なく離脱してください。

先に「起承転結」的なの書いておきますので。

 

え、転と結も書いちゃうの?笑

うん。書いちゃう。もったいぶるほどのものでもない。

 

 

起:親友が亡くなって2ヵ月が経ちました

承:親友の人生はとても過酷なものでした

転:私は親友の悲しみを救えなかったのかと悩みました

結:親友が私に勧めた歌に少し救われました

 

 

はい、こんな感じです。

 

 

それから、いつものことといえばそうなんですが(笑)、途中から文体が変わっていきます。

今は「ですます調」ですが、なぜか突然「である調」に。

そういうふうにしか文が出てこなくなっちゃったら、それにまかせて書くことにしてるので、すみませんがお許しください。

 

 

 

ではでは、よろしくお願いします~~~。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

なぜこの記事を書きたいと思ったか。

 

なぜ今日投稿したいと思ったか。

(過ぎちゃったけど)

 

 

 

 

親友の誕生日なんです。

 

 

 

6月14日は、3月末に亡くなった私の親友の誕生日。

 

 

私は現在ブログを休止していますが、それは私が親友からのLINEに気付いていながら未読スルーしてブログを書いていたときに、親友が死んだから。

 

今はライター(といっていいのか分からないけど)の仕事は少しだけ受けていますが、それは後述の「親友と私の夢」に関連する分野だからです。

 

以前のようなフツーの雑記ブログを書く感覚は、すでに忘れてきてしまっているかも。

 

 

 

 

 

親友の名前は「T」と言いました。

 

 

 

 

Tの死を知った4月2日から、丸2ヵ月以上。

 

 

冒頭に「辛いね」と言ってもらいたいなんて書きましたが、ぶっちゃけ今はもう辛くないし、悲しみもあまり感じません。

寂しさは少しあるかな。

 

 

Tの死を受けて、私の中で何かしら変わったものがあるのかもしれないとは思うけど、別にもう苦しくない。

 

Tのことを毎日考えてはいるけど、涙を流すことはほとんどない。

 

考えている時間そのものもずいぶん減ってきました。

 

 

 

私のメンタルが強すぎなのか。

心が冷たいからなのか。

実はまだあまり実感が湧いていないのか。

 

 

 

まぁよく分からないけど、まだたった2ヵ月なのに、こんなもん?

 

 

でも、そういうことではなくて、抱く感情の種類?が変わってきたような気もしている。

 

 

 

Tが亡くなってからの2週間くらいは、毎日のように泣いていた。

病死なのか、事故死なのか、自殺なのか、それをどうにかして知りたくて、警察とのやり取りが長引いたせいもあった。

 

 

結局Tの死因は分からずじまいで、もやもやした気持ちを残しつつも、3週間くらい経った頃からだんだん泣かなくなった。

早くも悲しみが薄れてきた気がした。

 

 

そうなると、今度はそんな自分に少し戸惑いを感じ始めた。

「もっと苦しまなくては」と思うようになった。

 

 

もっと苦しまなくては。

私はTの親友だもの。

親友が死んだんだもの。

 

 

私はTの唯一無二ともいえる親友。

私が苦しまなかったら、他に誰が苦しむの?

私がTのことを忘れて呑気に暮らしたりなんかしてはいけない。

 

 

Tはずっと苦しみながら傷付きながら生きてきて、私が救えなかったせいで自殺したのかもしれないのに。

私だって同じように苦しまなくては。傷付かなくては。

 

 

 

そんな思いから、Tの死によってたぶん心に負ったはずであろう傷を、自分の目で見えるように体に刻み込もうと思うようになった。

 

といっても、刃物でがっつり流血するようなやり方は恐くて出来ないビビりなのでご心配なく。

 

万一そんなことしたら、さすがに夫にバレるしな。

海外なので、うっかりやり過ぎちゃったときにサッと病院にも行けないし。

 

 

だけど、ちょこっと傷付けたくらい、すぐ治っちゃうんだね。多少の痕は残るけど。

私は生きてるんだもんね。

 

Tの痛みはこんな軽いものじゃない、と思って何度傷を付けても、やっぱり治ってしまう。

 

 

これっていわゆる自傷でしょ?

何のためにこんなことしてるんだっけ。

 

 

Tを失った悲しみを、Tの心の痛みを、忘れないようにするため。

 

いや、少し違う。

 

忘れてない、私はちゃんと苦しんでる、って自分自身に示すため。

 

馬鹿としか言いようがない。

 

 

 

 

Tの存在が私にとって非常に大きなものだったことだけは確かだ。

 

だからこそなのか、凪いだ海のように心の落ち着きを取り戻して、何もなかったかのように生活している自分がちょっと信じられなくて。

 

どんな感情を抱いているべきなのか分からないのだ。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

Tの人生は過酷だった。

 

 

あまり詳しくは言えないけど(私も全てを知っているわけではないし)、たった一人の家族である母親によって、人生の全てを狂わされた。

 

 

幼少期から貧困に苦しみ、いじめに遭い、それでも子どもを守ろうとしない母親。

愛情に飢え、そして他人を信じることができないまま、Tは大人になった。

 

20代の頃に実家を出て地元を離れ、一人暮らしを始めるも、相変わらず余裕のない生活だったらしい。

 

 

Tが関東に来て5~6年ほど経った頃、私と出会った。

 

 

 

当時、Tは42歳、私は27歳。

 

一回り以上離れている。

 

 

 

実は性別も違う。

 

 

 

知り合ったきっかけや親しくなった経緯は残念ながらここでは書けないけれども、互いに「親友」と認め合えるほどの仲になるとは、微塵も思っていなかった。

 

 

 

念のため言っておくけど、いや、重要なことだから言わせていただくけど、恋愛関係だったことは一度もない。

 

もちろん寝たことなんかないし、抱きしめたことも、手を握ったことすらない。

 

警察に通報したとき、Tの生年月日や電話番号、職場は知っていたけど、住所は最寄駅までし分からなくて困ってしまった。

互いの自宅に行ったことなんかなかったから。

 

 

 

親友が異性であることを今までTwitterやブログで隠していたのは、妙な推測をされるのを避けたかったからである。

 

いや、「妙」ではなく、異性ならば何かしらはあったのではないかと考える方が普通かもしれない。

「男女の友情は成立するか」なんていう議論があちこちで見られるくらいだから。

 

 

それから、夫よりもTと出会った方が先で、私の親しい友人の1人として夫もTのことは一応知っている。

 

ただ、Tが亡くなったときは、夫から見れば妻が別の男のことでメソメソと泣いていたわけで、さすがに不快感を露わにした。

私は「何でこの悲しみに寄り添ってくれないの」と正直幻滅しかけたが、今冷静に考えるとちょっと申し訳なかったかなと思う。

 

 

 

また、Tの方は恋愛感情を抱いていたんじゃないのかという人もいるかもしれないけど、それはない。

 

彼の想い人を私は知っていた。

これまた悲恋なんだよなぁ...

もう何年も会っていないそうだけど、Tにとっては恐らく命よりも大切な人。

 

親しかったにも関わらず想いを伝えなかったことを後悔しているなら、今からでも会いに行けば、と背中を押そうとしたことがあったのだけど、Tのあまりにも悲しい愛を語られてしまって、私の方が諦めざるを得なくなった。

 

 

 

 

年齢も違う、性別も違う、生きてきた人生も全く違う。

そんな私たちだったけれども、相手の感覚や考え方を尊重し、時には意見をぶつけ合い、愚痴も喜びも打ち明けられる親友になった。

 

 

もちろん、何もかも、一切隠すことなく全てをさらけ出していたわけではない。

そのこともお互いに分かっていた。

 

しかしながら、Tの全てを知ることは出来なくても、私はTのことを信じた。

私が私である限り、彼が私を嫌いになることはない。

彼は私のことを必要としてくれている。

 

そしてTも私のことを信じていると言った。

スークを信じられなくなったら終わりだ、と笑った。

 

 

 

先述の通り、彼は基本的に人を信じない。

母親によって傷付けられた心、失われた時間は、もはや取り返しようもなかった。

 

ごく普通の家庭に生まれ育った私にはとても理解しえない悲しみと孤独が、彼の言動の端々に滲んでいた。

 

 

悲しみが多い人ほど優しいんだ、なんてよく聞くけど、Tを見ているとそれは本当かもしれないと思う。

 

助けを必要としている人がいると、頼まれていなくても手を貸さずにはいられない。

ちょっとおせっかいなくらい優しい。

 

その優しさを利用するだけ利用されて、最終的に裏切られるということが多かった。

他人を信じられない、だけど本当は信じたい。信じられる人に出会いたい。

 

約束を破られては傷付いて、そして根無し草のように各地を転々として。

そうやって生きてきたのだ。

 

 

 

そんな彼が、私のことを信じていると言った。

苦しみばかりの人生だった彼に、親友ができた。

私が彼の親友になれたのだ。

それは私にとって、ものすごく嬉しいことだった。

(仲が深まるきっかけは、実はあまり良い出来事ではなかったのだけど)

 

 

 

私たちは、互いにあだ名で呼び合った。

他の誰も呼ばないあだ名だった。

 

彼のあだ名は正直カッコ悪い…というか40代の男性に可愛らしすぎて、「似合わない名前で呼ばれてんじゃねーよって周りに思われそう(笑)」と言っていたけど、そんなあだ名も私たちの絆の証の1つだった。

 

 

 

 

 

私はTによく無茶なお願いをした。

Tは嫌な顔一つせずに精いっぱい答えてくれた。

 

私もTから困ったことを何度も頼まれた。

私はちょっとくらい嫌な顔をしたかもしれないけど、全力で応じた。

 

 

 

共通点を見つける方が難しいような2人。

 

家が近いとか、クラスや部活が同じとか、会社の同僚とか、そういった2人を結び付けるような要素もほぼゼロ。

 

それでも親友になれた。

 

だから、この先どれだけ環境や状況が変わろうとも、関係が終わることはない。

きっと生涯の友だ。

 

そう思っていた。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

私はずっとTを幸せにしたいと思っていた。

 

 

私にはTの他にも友達はいるし、夫や家族のことももちろん大切で、みんな幸せになってほしいと願っている。

 

 

だけど、Tだけは、私が幸せにするんだ。

私が幸せにしなくちゃ。

Tを幸せにできるのは私だ。

 

 

義務感に近い思いがあった。

友情もあったけど、同情もあった。

 

 

T以外の友達や夫は、みんな家族も友達もいる。

 

 

だけど、Tはそうではない。

家族もいない、友達もいない。

若くもない、お金もない。

 

 

彼はヘビースモーカーで、酒も毎晩飲んでいた。

生活が苦しいなら、タバコや酒を減らして食費に回せばいいのに、と私は何度も言った。

すると彼は「酔っている間だけ自分のひどい人生を忘れられるってなったら、やめられなくなりますよ」と答えた。

 

 

 

 

私とTには、2人で叶えようとしていた夢があった。

 

それはもちろん私自身の心からの願望だったのだけど、Tのためでもあった。

 

 

Tには恐らく「自分のことを一番に愛してくれる」と思える人がいなかった。

 

母親には都合の良いペットのように扱われていたらしいし、恋人や妻もいなかったからだ。

 

直近の約3年間、Tにとって最も親密に交流した人間は私だと思うけど、私は結婚して夫がいる。

 

 

自分のことを一番に愛してくれる人がいない ――― これってとても寂しいことなんじゃないかって。

 

 

もちろん私は一番も二番も関係なく、Tも夫も両方とても大切だ。

 

だけどTから見たら、必要とされているとは感じても、やはり一番にはなり得ないと思うだろう。

 

 

だったら、一緒に夢を実現させて、Tと仕事上のパートナーになれれば。

 

私はTの家族ではないし、配偶者にもなれない。

親友というのも、それだけではどこか心許ないかもしれない。

 

だけど、仕事上のパートナーなら、夫や他の友達には踏み込めない領域だ。

互いに最大の理解者だからこそ務まるものでもある。

 

 

夢を叶えることができたら、Tもきっと幸せを感じてくれる。

孤独と苦しみに満ちた人生だったけど、生きてきて良かった、そう思ってくれるに違いない。

 

 

まぁ、私がこんなふうに考えていることは、さすがにTには言えなかったけど。

傲慢だろうか、とも思っていたし。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

実は今年2月下旬頃(亡くなる約1か月前)から、Tはとても辛い目にあっていた。

 

私も詳細まで全て知っているわけではなく、Tが私にさえ言いたがらない内容もあったけど、状況が変わるたびにTから報告を受けていた。

 

 

私がLINEを未読のままにしていた3月25日、何かあったのかな。

 

でも今までだって、未読にしていてもさらにLINEを送ってくることなんか珍しくなかったんだ。

良いことでも悪いことでも、すぐ聞いてほしい何かがあったらよく「追いLINE」をしてきていたし、それは私も同じだった。

 

 

Tは自殺したり突然行方をくらましたりはしないって言ってたもん。

 

 

だけど、普段は自殺なんか考えてなくても、私のことを信じていたとしても、突然とてつもない寂しさや孤独感に襲われて、死を選んでしまうこともあるのかもしれない。

Tだったら正直そんなこともあり得るな、と思ってしまう。

 

 

あの日、私がLINEを返していたら。

 

 

何も特別なことなど言わなくても、他愛ない会話の続きを送っていたら。

 

きっとTは踏みとどまったのではないか。

自分には親友がいるって、一緒に叶える夢があるって、思えたのではないか。

 

 

私ならTを救えたはずだった。

だって私はTの親友だもの。

 

もし私に救えなかったのなら、他の誰にも救えなかったはずだ。

 

この3年ほどの間、Tと最も親密に交流した人間は私だったんだもの。

 

自宅で亡くなってから1週間、海外に住んでいる私がTの勤務先と警察に通報するまで、誰にも発見されなかったくらいだから。

 

 

 

いや、自殺だとは限らないんだけどさ。

むしろすごく不健康な生活をしていたから、可能性として一番高いのは急病かなと思ってる。

急性ナントカみたいなやつ。

 

 

 

でも、死因が何であれ、結局私はTを幸せにすることは出来なかった。

 

私はTに何かしてあげられただろうか。

Tの人生をわずかでも明るくすることができただろうか。

 

 

私はTに力を貸してもらわなければ乗り切れなかった局面がいくつもあった。

私もTを助けてきたつもりだけど、どれだけ心の支えになれていたのかな。

 

 

一緒にいる時間は、楽しいと感じてくれていたかもしれない。

Tにとって私が最も親しい友人だったことだけは、間違いないと思っている。

 

だけど、彼から見たら、私は温かい普通の家庭で育ち、四年制大学まで出て普通に就職し、20代後半で結婚して…って、所詮は分かりあえない存在だと思われていたのかな。

 

 

彼の悲しみを、物心ついたころからの寂しさを、心の奥深くに渦巻く闇を。

私には拭い去ることができなかったのだろうか。

 

 

己の無力を嘆くしかなかった。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

Tが亡くなってから、私はTとのLINEをよく読み返しては、寂しくなったり、何度読んでも面白いよなーと笑ったりしていた。

 

そして、もう読まれることのない新しいメッセージを何通も送った。

LINEのトーク画面の右側にだけ、未読の吹き出しがどんどん積み重なっていった。

 

 

 

 

Tの死から1ヵ月以上が過ぎた、5月上旬。

 

 

私が海外に引っ越す直前のLINEの会話を読んでいた。

つまり約2年前のやり取り。

 

 

Tとは1~2回だったと思うけど一緒にカラオケをしたことがあり、

「スークが引っ越す前に覚えて歌いたかったんだけど、間に合わなかったから聴いてみて」

というメッセージと、曲名がいくつか送られてきていた。

 

 

Tは歌が上手い。

 

初めてTの歌を聴くことになったときは、とてもTが歌うなんて想像できず、もし下手だったらどんなリアクションを取ればいいんだと内心ハラハラしてしまった。

 

しかし、聴いてみたらびっくり。めちゃ上手い。笑

下手だったらどうしようなんて身構えちゃってごめんと思った。

 

 

 

さて、挙げられていた曲名や歌手の大半は私も知っていたけど、その中に初めて見る名前があった。

 

 

「米津玄師」だ。

 

 

当時は2017年3月。

その頃からそれなりに売れていたらしいが、日本の音楽シーンに疎い私は全く知らなかった。

 

 

そして、私はそのとき、Tが「聴いてみて」と言った米津玄師の曲にあまり興味を持たず、聴かないままになっていた。

 

「歌詞の内容的に聴いてほしいのはこれだけど、『ゴーゴー幽霊船』とかもイイよ!」と言っていたけど、どれも聴かなかった。

 

『Lemon 』が大ヒットして、「米津玄師ってTが勧めてた歌手じゃん。へ~Tは流行を先取りしてたんだ、すご~い」と思ったが、それでも聴かなかった。

 

 

 

そしてTの死から1ヵ月あまり経ち、LINEを読み返していてそのメッセージを見つけ、ようやく聴いた。

 

 

先述の通り、この頃はもうあまり泣かなくなっていた。

 

 

 

しかし、聴いたら涙が止まらなくなった。

 

 

もちろん歌詞を書いたのはTではなく米津玄師であり、T本人の言葉ではない。

 

でも、これがTの気持ちだったのなら、私に伝えようとした想いだったのなら、なぜもっと早く聴かなかったのだろうと激しく後悔した。

 

 

 

始めから終わりまで想いが重なる歌詞ばかりで、本当は全部載せたいけど、さすがに長いので少し削ります。

 

すでにこの曲を知っている方からすれば、「ここがイイのに、カットされてる!」と思うかもしれないけど、何卒ご了承ください。

 

 

 

 

 

アイネクライネ

米津玄師(作詞・作曲 Kenshi Yonezu)

 

 

あたし あなたに会えて本当に嬉しいのに

当たり前のように それら全てが悲しいんだ

今 痛いくらい幸せな思い出が

いつか来るお別れを育てて歩く

 

 

あなたにあたしの思いが全部伝わってほしいのに

誰にも言えない秘密があって 嘘をついてしまうのだ

あなたが思えば思うより いくつもあたしは意気地ないのに

どうして どうして どうして

 

 

消えない悲しみも綻びも あなたといれば

それでよかったねと笑えるのがどんなに嬉しいか

目の前の全てがぼやけては溶けてゆくような

奇跡であふれて足りないや

あたしの名前を呼んでくれた

 

 

何度誓っても何度祈っても惨憺たる夢を見る

小さな歪みがいつかあなたを呑んでなくしてしまうような

あなたが思えば思うより 大げさにあたしは不甲斐ないのに

どうして どうして どうして

 

 

お願い いつまでも いつまでも

超えられない夜を超えようと手をつなぐ

この日々が続きますように

閉じた瞼さえ鮮やかに彩るために

そのために何ができるかな

あなたの名前を呼んでいいかな

 

 

産まれてきたその瞬間にあたし

「消えてしまいたい」って泣き喚いたんだ

それからずっと探していたんだ

いつか出会えるあなたのことを

 

 

 

 

 

 

 

ああ、もう。

何て言ったらいいんだろう。

 

 

さっきも言ったけど、これはTが書いた言葉ではない。

それに、私がTの抱える苦しみや孤独を丸ごと取り除くことができたわけではない、というのも紛れもない事実だ。

 

 

だけど、私という存在に対してここまで思ってくれていたなんて。

この歌を「遠くに引っ越していくスークに贈ろう」と思ってくれたなんて。

 

 

 

私はTに何もしてあげられなかったのか。

Tの心の支えになれなかったのか。

 

そんな後悔と罪悪感が少しだけ救われた気がした。

 

 

 

それと同時に、今のこの気持ちは、もうTには伝えられないということが堪らなく悲しくて。

 

もうただただ泣くしかなかった。

 

 

 

そして、また別の後悔が。

 

 

もっともっと、Tに私の気持ちを伝えれば良かった。

 

どれだけ大切に思っていたか。

どれだけ必要としていたか。

他の誰でもないTのおかげで、私がどれだけ楽しい時間を過ごせたか。

 

 

言葉だけではなくて、たった一度だけでもTを抱きしめれば良かった。

せめて手を握ってありがとうと言えば良かった。

 

 

Tが誰かに愛されたいと願い、温もりを求めていたことを、痛いほど知っていたのに。

 

 

そりゃあ彼氏(夫)がいるのに別の男性を抱きしめるなんて、普通はダメだけど。

分かってる。

でも何ていうか、そんなんじゃなくて。

 

男とか女とか、そんなんじゃなくて。

 

 

母親に愛されずとも、たくさんの人に裏切られようとも、恋人や妻を得られずとも。

 

私がTのことを愛してるし、絶対に裏切らないし、唯一無二のパートナーだって伝えたかった。

 

その最善の方法が抱きしめることなら、抱きしめれば良かった。

 

 

 

Tと一緒に過ごせる日々が、たった3年8ヵ月しかないと知っていたら...

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

Tは、亡くなってから未だに一度も夢に出てきてくれない。

生きていたときも、覚えている限り1回しか出てきたことがないけど。

 

 

でも、私も死んだらTに会えるのかなと思ったら、いつか必ず訪れる死が少し怖くなくなった。

 

 

 

でも、死んだら本当に会えるんだろうか。

 

生まれ変わったら会えるんだろうか。

 

 

 

たぶん会えないんだろうな。

 

 

 

長く生きられなかったTの分まで、私は全力で生きる。

Tと2人で叶えようとしていた夢を、これからも追いかける。

きっとTが天国から応援してくれている。

 

 

…って言ったら何だか美しくて良いのかもしれないし、私もそう思いたい気持ちはある。

 

 

だけど、私が何をしたって、何を叫んだって、Tにはもう何も届きはしない。

 

Tが生きている間にできなかったことは、今から補いようがない。

 

 

死ぬというのは、そういうこと。

 

 

死んだあの人のために、なんていうのは、生きている人間が悲しみや後悔を少しでも和らげたいがために言っているだけ。

 

 

 

残された者は、全部背負って生きるしかない。

何ヵ月、何年経てば軽くなるのか、一生ならないのか、今の私にはまだ分からない。

 

 

 

とりあえず、まだしばらくはLINEも送り続けると思うし、たまに自傷もすると思う。

先述の通り、自傷なんていってもかる~いやつですよ。

 

 

そして米津玄師の「アイネクライネ」をこの先も何十回、何百回と聴くだろう。

 

 

 

Tを忘れることはないなんていうのは当たり前だけど、いつまでも悲しみを忘れたくない。

もっと苦しみ続けたい。

もっと深く深く傷付いていたい。

 

 

 

 

Tが亡くなって2ヵ月間の想いと、Tの46回目の誕生日にあたって考えたことを形にしておきたくて、書きました。

 

 

だから何ということは特にないのだけど。

 

 

 

 

だらだらと長くまとまりのない文章を、最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

 

 

明日も明後日も、あなたとあなたの大切な人が元気に生きられますように。

 

 

 

***ブログ休止のお知らせ***

こんにちは。

待宵スークです。

 

 

 

せっかく半年間続けてきたこのブログですが、しばらくお休みさせていただくことにしました。

更新を楽しみにしてくださっていた方々には、大変申し訳ありません。

 

 

読者登録、スター、コメント、はてなブックマーク、Twitterでのリプライなどなど、自分の書いたブログに皆様から反応をいただけることで、私自身とても元気付けられていました。

 

もちろん、そういった足跡を残されない方々の存在も、アクセス数を見て感じております。

 

私のブログをお読みくださって、本当にありがとうございました。

 

 

期限は決めていないのですが、また戻ってくるつもりではおります。

そのときには、ぜひよろしくお願い致します。

 

 

 

 

さて、ブログを休止するに至った事情を以下に述べようと思うのですが、わりと暗い話になります。

感情移入しやすい方ですと、明るい気分を吹っ飛ばしてしまうかもしれませんので、ご注意ください。

 

 

いや、本当は昨日5600字くらい書いたのです。

かなり詳細に。

 

ですが、一晩経って読み返すと、重たすぎて公開しづらいな~と(苦笑)

そのため、少しライトに書き直しました。

 

それでも暗いことには変わりありませんが。

 

 

怖いもの見たさを煽って読ませようという作戦ではありませんので(笑)、暗い話が苦手な方は遠慮なくブラウザバックしてくださいね。

 

 

 

 

それでは、お話しさせていただきます。

 

 

 

 

簡単にまとめますと、

 

私がLINEを未読スルーしてせっせとブログを書いているときに、親友にsuicideされちゃったかもしれない

 

という話です。

 

ごめんなさい、suicideをどうしても漢字で書けなかった。

 

 

 

自宅で発見されたんですけど、なんと通報者は私。

1週間親友からの連絡が途絶えて、海外から日本の警察に安否確認をお願いしたの。

4月2日のことです。

 

事情聴取も受けました。電話で。

 

 

でも、通報者とはいえ、私は家族でも親族でもないので、発見時の状況や死因は教えてもらえず。

 

私が聞けたのは、

 

・事件性はなさそうだ

・発見時は死後1週間ほど経過していた

 

この2点のみ。

 

 

だから、親友の死がsuicideなのか、私の未読スルーが関係あるのか、実ははっきりとは分かりません。

ただの可能性の話。

 

本当は急病かもしれないし、転倒して頭部を強打したのかもしれない。

 

 

だけど、その可能性があると考えたら、心が折れました。

最近ブログのために時間を割きすぎてて良くないなーと思ってはいたけど、まさかこんなことになるなんて。

 

 

それに、suicideじゃないとしても、いずれにせよ私が未読スルーしてる時間なんだよなぁ。

親友が死んだのは私のせいではないとしても、私が救えたかもしれなかった。

 

 

ずーっと辛い人生を歩んできて、私ではとても埋められない孤独と寂しさを抱えていた親友。

ひとりぼっちで死なせてごめん。

 

でも、二人で叶えようとしてた夢があったのに。

何で私を置いて行っちゃったかなぁ・・・

 

 

 

 

ということで、気持ちの整理ができるまで、ブログを書くのは難しそうです。

書こうとしても、親友が亡くなったことばかり考えてしまって、文章も何も浮かばなくて。

 

この後悔と罪悪感が消える日が来るんだろうか。

 

まぁでも私はわりとメンタル強めなので、1ヵ月くらい経ったらケロリとして戻ってくるかもしれません(笑)

 

 

暗い話で本当にごめんなさい。

精神的にはまだ少し沈んでますが、体はびっくりするくらい元気なのでご心配には及びません!

 

しばしお休みをいただきますm(_ _)m

 

 

お読みくださってありがとうございました。

 

 

 

待宵スーク

Mr.Childrenの「くるみ」が刺さりすぎる

こんにちは(*^^*)

待宵スークです。

 

すっかり春らしい陽気になりましたね♪

もうさすがにマフラーはしないで出掛けようかなと思っている今日この頃。

 

 

さてさて。

 

私、特定の好きな歌手っていないんですよ。

大学2年生?くらいまではいたんですが、だんだん「この歌手の曲なら何でも好き!」っていうのがなくなってきて。

大学時代に入っていたサークルが音楽関係だったので、その頃に広く浅くいろいろ聴いたからですかね。

 

サークルが音楽関係だったと言いつつ、私はいわゆる「音楽好き」ではない。

良い音楽を求めて自分からあちこち漁っていく、ということはあまりしない。

たまたま聴く機会があった曲が気に入って、その後も聴き続ける、という感じかしら。

 

そういえば、話が少し逸れてしまいますが、漫画もそうかな。

毎日読んでるけど、まだ見ぬ良作を自ら探しに行くことはまずない。

最近漫画アプリで読んでるのは、「賭ケグルイ」「死役所」「復讐の未亡人」「北斗の拳」「お水の花道」とか(笑)

ジャンルめちゃくちゃww

紙で読んでるのはONE PIECEだけ。

 

小中学生時代は姉と一緒に「りぼん」を買って読んでたけど、今はティーンの恋愛モノとか見ても全然共感できなくなっちゃったし、何なら薄っぺらく感じてしまうので、少女漫画はほぼ読んでない。

 

 

話を戻しますが、音楽も漫画も自分の生活には必要だけど、積極的に出会いに行く「音楽好き」「漫画好き」ではない。

マイナーなものはほとんど知らない。

 

 

で、タイトルのMr.Children「くるみ」。

 

私はミスチルのファンではない。

好きか嫌いかで言えば断然好きだけど。

 

CDは1枚も持ってないし、ほとんどの曲はサビしか分からない。

似たように聞こえてしまう曲も正直多い。

 

先日、夫と日系の居酒屋さんに行ったとき、店内で日本の曲がかかっていた。

そのうち、ミスチルらしき前奏と声が流れてきて、

 

夫「この曲、ミスチルの何だっけ?」

私「innocent worldじゃない?」

夫「え、違うっしょ」

私「違うか。まぁサビまで行けば分かるよね」

夫婦「・・・・・・・・(サビになってもピンと来ず)」

桜井さん「innocent world~♪」

夫婦「innocent worldだったww」

 

ということがあったくらい、ミスチルには全く詳しくない。

 

でも、好きな曲が何曲かある。

アルバムは持ってないから、全部シングル。

 

そのうちの1曲が2004年リリースの「くるみ」。

 

いつから、どんなきっかけで聴き始めたかは全然覚えてないけど、塾講師時代にはよく聴いていた記憶がある。

そして今でもたまに聴く。

 

 

「くるみ」とはどういう意味か、というのは複数の説があるらしいけど、私が個人的に一番好きなのは、

くるみ→来未=「未来」の逆=過去

という説。

 

 

ねぇ くるみ

この街の景色は君の目にどう映るの?

今の僕はどう見えるの?

 

ねぇ くるみ

誰かの優しさも皮肉に聞こえてしまうんだ

そんな時はどうしたらいい?

 

良かった事だけ思い出して

やけに年老いた気持ちになる

 

ねぇ くるみ

時間が何もかも洗い連れ去ってくれれば

生きることは実に容易い

 

(くるみ 作詞:桜井和寿 / 作曲:桜井和寿)

 

 

一部抜粋ですが。

 

大学時代まではずっと実家暮らしだったけど、その後は地元を離れて計6回引っ越しをしている私。

8年?の間に、大まかに分けても住む地域が3回変わった。

今は海外だしさ(笑)

 

だから、自分が立っている街を眺めながら、過去の自分に「私はこれでいいのかな」と問いかけることがよくあった。

 

所詮はイージーでノーマルな人生を送ってきた私だけど、それでも心に深く刺さって抜けることのない想いや、振り払いたくても振り払えない過去の苦しみがある。

 

実は、高3のときに経験したある「輝かしい後悔」が未だに夢に出てくるんだ。

このブログをやめる時に書けたら書こうかなと思ってる。

 

誇れる自分になりたいけど、なれない。

良い思い出だろうが悪い思い出だろうが、自分を縛り付けるものは全部捨ててしまえばいいのに。

「あの頃に戻りたい」と切に願うあまり、自分がおかしくなってしまいそうな時期もあった。

「あの頃」から離れていってしまうことが恐ろしくて。

 

励ましてくれる人、支えようとしてくれる人がいたことはとても幸せなことで、嬉しかったけど、その優しさによってますます自分が小さく思えてくる。

いっそ誰も話しかけないで。

 

 

 

・・・書き始めたらだんだん暗くなってしまった。

この記事はそういうつもりじゃなかったのに!

「くるみ」いいよね!めちゃ共感!っていうつもりだったのにー!笑

 

 

まぁそんな感じで、他人から見たら取るに足らないようなことに心を揺さぶられて、人生そのものを悲観してしまうこともしばしばあるわけだけど。

 

 

どこかで掛け違えてきて

気が付けば一つ余ったボタン

同じようにして誰かが持て余したボタンホールに

出会うことで意味が出来たならいい

 

出会いの数だけ別れは増える

それでも希望に胸は震える

 

引き換えしちゃいけないよね

進もう 君のいない道の上へ

 

(くるみ 作詞:桜井和寿 / 作曲:桜井和寿)

 

 

それでも、まだ自分の未来には期待したいと思っているし、実際期待している。

苦しいこともたくさんあったし、この記事をここまで書くだけでも何度か涙ぐんでしまったけど、今までの人生はとても恵まれていて幸せだったと思う。

 

今後のこと、特に日本に帰ってからのことは正直不透明で、夫に私の希望を十分に伝えられているともいえない。

いろいろなことを天秤にかけて、取捨選択していかなくてはいけなくなるのだろう。

 

でも、未来にわくわくしている自分もちゃんといる。

大丈夫、頑張ろう。

 

「くるみ」を聴くと、いつもそんなふうに思えるのです。

 

 

 

もうブログ半年やってるのに、書き始める前に決めていた場所にちゃんと着地できないの、全然変わらんな。笑

 

いつも駄文を晒してすみません!

お読みくださってありがとうございました!!

ブログを始めて半年になりました

 

春らしい暖かさになってきましたね~。

 

こんにちは。待宵スークです。

 

気付けばこのブログも開設から半年!

あっという間でした。

 

上手く書けない、まとまらない、文が出てこない、ということはしょっちゅうありますが、「書きたくない」という日は半年間一度もなかった気がします。

 

今年31歳になりますが、ここに来て新しい趣味を見つけるとは(笑)

 

いや、「新しい趣味」というか、初めての趣味といってもいいかもしれない。

 

今までずーーーっと、趣味らしい趣味ってなかったんですよね。

時間やお金を割くことを惜しまずに没頭して、ある程度の向上心も持てるもの。

 

バスケは?って聞かれそうですが、学生時代は練習嫌いだったし(いや、頑張ってた方だったと思いますが、練習休みの日は嬉しかった笑)、バスケが趣味と言うのは自分的にあまりしっくり来なくて。

 

実家に帰ったりしない限り、ほぼ毎日ブログを書くか読むかはしてます。

遅筆なので、更新は遅いですが(笑)

 

始めた頃は続くかなぁと思っていましたが、生活が大きく変化しない限りはとりあえず続けられそうです。

 

とはいえ、やはり誰かに読んでもらえているという実感なしにはやってこられなかった。

いくら文章書くのが好きだといっても、これは確実。

 

いつもスターをつけてくださる方や、コメントをくださる方、Twitterで絡んでくださる方、ありがとうございます。

 

もちろん、そういった私の目に見える形でなくても読んでくださっている方がいらっしゃるなら、大変嬉しいです。

ありがとうございます。

 

しかし、最近は読みたいのに読めていないブログがたくさんたまってきてしまって。

私は皆様のはてなスターやコメント(Twitter含む)に救われているのに、自分は全然スターやコメントを送ることができていないのが心苦しいです。

皆様の面白い記事をたくさん読み逃してしまっている気もするし・・・

時間を見つけて出来る限り読んでいきたいと思います(泣)

 

 

さて、半年記念なのに、いつもと変わり映えしないご挨拶で申し訳ない。

 

でも実際、ブログに関して特に心境の変化ってないんですよね。笑

なくはないかもしれないけど・・・

基本的には、書くのが楽しい、読んでいただけているのが嬉しい。

あとは、ものすごく自信を無くしたり、まぁいっかって思ったりの繰り返し。

 

実は、最近は気持ちの波でいうと「谷」でして。

あ 水平より上に行くことはほぼないです。

自信をなくす(谷)、まぁいっか(水平)のどちらか。

 

昨日「あー明日は半年の挨拶書かなきゃ」と考えたときに、「谷」にいる気持ちを全部吐き出しちゃおうかな、と思ったんですよ。

 

いじいじ、もやもや、めそめそした気持ちをぜーーーんぶ。

「今ブログに前向きに取り組めている人、自分のブログに自信のある人は読まないでください!」って注意書きでもつけてさ(笑)

 

で、文章もだいたい考えてたんです。

 

でも、いざ書くぞってなると、あまりにもいじいじしすぎていて、惨めったらしいだけだなと思ったのでやめました(笑)

 

基本は楽しいんだからいいじゃん、ということで。

ブログで食っていこうとしているわけでもないし、せっかく見つけた趣味なんだからやりたいようにやろうぜ、とね。

 

 

バイトに行く準備をする時間が近付いてきたので、今回はこの辺で。

これはTwitterには投稿しません。

何となく。

「更新しました!」ってツイートでお知らせする気分ではなく(笑)

 

でも、こんなことを言いつつ、今日と明日は夫が飲み会で夕飯作らなくていいので「ブログ書きまくるぜーーー!!」って内心喜んでいるのです。

ごめんね夫よ。笑

 

半年間、続けてこられて良かった。

そしてまだまだ続けたいと思えて良かった。

 

最近、駐在妻らしいことをあまり書いてないですよね。笑

 

歯列矯正もちゃんとやってますよ?

ただ、最近は調整ばかりなので1つの記事にするほどのことがなくて(笑)

でも結構変化が現れてきたので今度書こうかな。

 

現在のバイトのことも書こうかどうしようか迷い中。

 

更新頻度は低いけど、相変わらず書きたいことはたくさんあったりします。

 

 

それでは、画面の前のあなた。

読んでくださってありがとうございます。

これからもよろしくお願い致します。

 

待宵スークでした♪

NO BASKETBALL, NO LIFE

NO BASKETBALL, NO LIFE

 

バスケットボールがなきゃ、生きていけない!

 

 

 

・・・なんてことは全くなく、なきゃないで生きていけます。

 

こんにちは。

待宵スークです。

 

 

ブログを立ち上げてからしばらくの間は身バレ防止のために学生時代の部活を隠していたような気がしますが(笑)、このブログは収益化しない、だから検索流入も狙わないことにしたのでノープロブレム。

 

 

小学校3年生の時にミニバスを始め、中学校、高校と約10年続けたバスケットボール。

私の人生で、ここまで長く続いたものは他にありません。

 

そして1年前、私が住んでいる国の在住日本人サークルに入り、11年ぶりくらいにバスケットボールのある生活になりました。

 

 

11年間はなーんにもしてませんでした。

テレビでバスケの試合を見るとかもあんまりないですし。

ね。全然「NO BASKETBALL, NO LIFE 」じゃない(笑)

「バスケがしたいです…」とか泣いたこともありません。

 

ただ、バスケから離れていた11年間も、夢にはバスケをやっている場面がしょっちゅう出てきました。

他にもよく見る夢はあるけど、バスケの夢が圧倒的に多いです。

それだけ脳にもバスケの記憶が浸み込んでるのかな。

 

 

 

学生時代に10年もバスケをやっていたなら、さぞかし上手なんだろうと思われるかもしれません。

そうならどんなに良かったか!

残念ながら、下手でございます(ごーーーん)。

 

もちろん、シュートも打てるし、ドリブルもできるし、パスもできます。

でも、スポーツの上手い下手ってそういうのじゃないですよね。

 

いやいや、それももちろんありますよ?

ドリブルめっちゃ速いとか、シュートが馬鹿みたいに入るとか。

 

今日は努力なのか才能なのかみたいな話をするつもりはないので深くつっこまないでいただきたいんですが、要はセンスがないんですよね。私は。

 

スポーツは一瞬の判断の連続。

 

ボールを持った瞬間に、

(いや、むしろボールを持つ前)

 

自分がシュートを打つのか

打つならどうやって打つのか

 

パスを出すのか

出すなら誰にどんなパスを出すのか

 

ドリブルするのか

するならどの方向にどんなドリブルをするのか

 

あれこれ考えるわけです。

そのときの頭の中は日本語じゃない。

感覚です。

 

ボールを持っていなくても、自分がパスをもらいに行くのか、他のプレーヤーを生かすように動くのか、などなど無限に選択肢がありますよね。

 

絶え間なく変化する状況の中で、瞬間的に考え、判断して、動く。

その判断の的確さがセンスだと思うのです。

私はそれが乏しいから、まあ無駄な動きの多いこと(笑)

 

(分かってるよ!センスだって先天的なものじゃなくて勉強すれば磨けるよ!自分が努力不足だったのは知ってるから、今は言わないで!笑)

 

高校時代はメンバーにも恵まれて、3年生で引退するまでガッツリやりました。

 

でも、自分はどれだけやっても「バスケが上手い人」になれることはないな、と思ったので、特に未練もなくバスケから離れ、大学では別のサークルに。

 

社会人になってからは、スポッチャでちょこっと遊んだ程度かな?

まさか29歳になって自分がまたバスケをしようと思うなんて、想像もしていませんでした。

 

 

ちなみに私が一番好きだったプレイは、相手のシュートに手を引っ掛けて阻止すること。

地味かよ!!!!

バスケをあまりご存じでない方には分かりにくくて申し訳ないです。

すごくなるとスラムダンクのゴリの「ハエたたき」になります(笑)

 

相手のシュートを止めたい一心で前に出過ぎるとファウル(反則)になりやすいんですが、成功したときは「ドヤァァァァァア!!!!」ですよ(笑)

シュートを阻止してドヤァ!!

サッカー日本代表ゴールキーパーの川島か?

もしくは元競泳選手の北島康介。

「気持ちいいー。超気持ちいい…」こんな気分です。快っ感!!!

 

 

さて。

全く「NO BASKETBALL, NO LIFE 」じゃない私ですが、やればやっぱり楽しい。

血が騒ぎます。

学生時代にどう頑張っても下手だったんだから今だってもちろん下手なのに、メラメラ燃えちゃう(笑)

 

そもそもスポーツに熱中するような人は漏れなく負けず嫌いなんですよね。

クールに振る舞っていても、失敗しちゃっても気にしない☆みたいに笑っていても、心は炎です。

今のサークルメンバーは男女とも全員バスケ経験者。

つまり全員負けず嫌い。笑

 

でも、それがいいんだよなぁ。

 

今私が入っているサークルは大半が社会人(数名大学生)。

仕事もあるし、家庭もある。

間違ってもバスケ第一の生活なんかしてないわけです。

無茶をして怪我をしたり、相手を怪我させてしまったりしては大変なので、後先考えない強引なプレイはしません。

 

それでもやっぱり、抑えきれない闘争心が剥き出しになる瞬間があって。

学生時代みたいに勢い任せでぶつかったりはしないけど、「負けたくねぇええ!!!」がプレイに出てしまうときがあるのです。

 

1対1で抜かれてシュート打たれる瞬間つい手を出してしまって、バスカン。

「ああーーー!!くっそーーー!!笑」周りも爆笑、みたいな。

 

※バスカン=バスケットカウント

 シュート時にファウルした上に、そのシュートが決まっちゃうやつ。

 きちんと説明すると長いけど、とりあえずディフェンス側はめちゃ悔しい。笑

 

勝っても負けても別にいい。

何か大切なものが懸かってるわけじゃないから。

でも、得るものも失うものないのに思わず熱くなってしまうことこそ、私たちが重た~い体を引きずってまで(笑)バスケをやってる理由だと思います。

 

 

 

負けず嫌いといえば。

先週、サークル初参加の女子大生が来ました。

日本の大学の春休みを利用して、1ヵ月の短期留学か何かで来ているらしいです。←あんまり喋ってないから分からない(笑)

 

その子は日本の大学でバスケをやっている現役プレーヤー。

「大学までバスケやってるなんて、間違いなく上手いに決まってる。私は体力もないし下手だし、絶対ついていけない~笑」と思っていたところ・・・

 

さすがというか何というか。

上手なのは言うまでもないけど、ゴリッゴリの負けず嫌いで思わず笑ってしまいました。

 

シュート練習のときに、好きなところから打っていいよと言われればスリーポイント打つし。

試合になれば男子にも1対1を仕掛けていくし。

 

やっぱりね、これくらいのガッツがなきゃ、大学までなんて続けられない。

笑ってしまったって書いたけど、カッコ良かったし、羨ましかった。

私もそれくらいバスケに自信持ってみたかった。

 

だけど、試合中に私に目で合図送るのやめて!!笑

「ほら」みたいな視線を向けられても、私はどう動いたらいいか分からないの!

センスゼロだから!ゼロセンスだから!!

事前にフォーメーションの打ち合わせとかしてたならいいけど、そうじゃないと上手い人と息を合わせて動くとか無理なの!!

試合中に上手い人の頭の中が分かれば苦労しないの!!泣

 

 

 

 

とか言いつつ、私たぶん、現役時代より今の方がバスケ上手い。

 

もちろん毎日練習してた18歳のときの体力とは比べものにならないし、筋力も落ちてるからスリーポイントシュートも力を込めないと届かない。

 

サークルは週1(毎週日曜)しかないし、借りてる体育館の都合とか人数が集まらないとかでできない週もあるから、体力や筋力はなかなかつかなくて、筋肉痛になることもしばしば。

 

だけど、学生時代よりも落ち着いてプレーができるようになってる。

 

学生時代は、試合になると「上手くやらなきゃ!上手くやらなきゃ!」で頭がいっぱいになって、余裕がなかった。

目の前しか見えていない感じ。

しょぼいプレーをして顧問の先生に怒られるのも怖かった。

失敗しちゃダメ、怒られたくない、と思えば思うほど、ますますプレーは固くなる。

 

でも、今は誰にも怒られない。

さっき書いた通り、私のプレーに懸かっているものも何もない。

試合中でもしんどくなってきたらちょっと歩いて休憩しちゃう(笑)

簡単なシュートを外したり、パスミスしたりしても「きゃ~!ごめんなさい~!笑」で許してもらえる。

 

みんなお互いにいい歳だから、高いレベルを求め合うことはない。

やる気さえあれば、他に何も咎められることはない。

 

ゆるいっちゃゆるいんだけど、お遊びよりは真剣で、きっと私にとってはちょうどいいんですよね。

 

「良いプレイができない」って苦しむのに疲れて大学からはバスケをやめてしまったけど、今は良いプレイができなくても別にOK。

もし良いプレイができたら万々歳!!

 

プレッシャーが全くない!

バスケをするのが恐くない!

 

そうしたらね。

相手の動きを見てフェイント入れたりとか。

これいけちゃう?いっちゃえ!っていうカットインができたりとか。

ディフェンスとの距離が空いたときに迷わずシュート打てたりとか。

 

冷静に頭を働かせながら試合ができる。

 

出来る人は小学生のミニバス時代から出来ていたと思います。

でも、私は高校生になっても出来なかったんです。

いつも「思い切りがない」「もっと勝負しろ」って言われていた。

 

だけど、大人になって改めてバスケを始めてみたら、高校時代にできなかったことが出来るようになった。

バスケの楽しさを再認識したというか、良いプレーってたまたま生まれるものじゃなくて自分でつくるものだったのね、なんて当たり前のことを今さら思ったりもしています。

 

バスケを再開して本当に良かった。

 

 

 

NO BASKETBALL でも生きていけるけど。

私の今後の人生で決して優先度は高くないけど。

日本に帰って働き始めたらたぶんもうやらないけど。

 

でもやっぱり好きだな。

学生時代は、苦しくて好きなのかどうかよく分からなくなってたけど、

 

「大好きです。今度は嘘じゃないっす」

 

 

(別にもともと嘘はついてないけど)

(無理矢理スラダン名台詞で終わらせようとしました)

 

 

お読みくださってありがとうございました。

思い出と戦っていた土曜日

 

こんにちは(^^)

 

今日は夫が早朝からゴルフだったので、3時起床、夫を送り出した4時から朝活を始めました。

 

朝活いいですねー。

私にとっては、毎日じゃないのが逆にいい。

夫が早朝ゴルフのときにしかできない特別感!

 

まぁ先週も早朝ゴルフだったし、来週もなんですけど(笑)

少しずつ暖かくなってきたので、これからの季節はゴルフ増えるだろうなー。

サラリーマンは大変ですね。

夫がスポーツとしてのゴルフそのものを好きなのがせめてもの救い(笑)

 

さて、すでに今日の作業がスタートしてから12時間以上経過しているのに、はてなブログが一向に更新されないのはなぜなんだと。

 

いや、誰にも聞かれてないですけど。

 

でも、Twitterで「朝活!ブログ書いてる!」と言うからには、1つくらい投稿するんじゃないのか?ってね、自分でも思うわけです。

 

 

えーとね、何をしてたかというと、思い出と戦っていました。

 

は?

 

だから思い出と・・・

 

は?

 

・・・(-_-)

 

WordPressでやってる塾講師ブログは特にそうなんですけど、過去のことを思い出すと、辛くなってしまうんですよね。どうしても。

 

それは必ずしも思い出の内容が辛いからではなく、過去と現在のときの隔たりが、といったらいいのかな・・・

 

表現力も語彙力も無いので上手く言えなくてすいません。

 

楽しい思い出であっても、いや、楽しい思い出であればあるほど、「あのとき一緒に過ごしたみんなは今どうしているだろうか」とか、「もう会うことはないだろう」とか、「どんなに望んでも、あのときには戻れない」とか、そういういろいろな思いが湧き上がってきて、居ても立ってもいられなくなってしまう。

 

誰かと思い出話するならいいんですが、一人だとダメ。

ちょっと大げさですが、胸が苦しくなって何かもう吐きそうになるんですよね(笑)

 

え、朝活ー!とか言いながら吐いてたの?

いやいや、もちろん実際には吐いてませんけど。

 

 

 

先週か先々週あたり、私が塾講師1年目だったときに担当した中3の子たちのことを記事に書いてたんです。

 

すごくいい子たちだったんですよ。すごーく。

私がいい先生だったんじゃなくて、むしろ私は1年目ってことを差し引いてもポンコツ中のポンコツ。

でも、その子たちと出会えたおかげで、私は塾講師のやりがいや楽しさを知ることができたと思っていて。

 

思い出してたら、もーーーー辛くて。

もはや断片的にしか覚えてないけど、楽しかったなぁ、あの子たちの成長を見続けたくて2年目も続ける決意をしたんだったなぁ、とか。

 

生徒と気持ちを通わせることができた、その実感をくれたのはあの子たちだったなぁ、とか。

 

そしてその記事を書いてて気付いたのが、あの子たちってもしかして、4月から新卒社会人じゃね?ということ。

 

何てこった!

新人塾講師として彼らの前に立った、あのときの私と同じ年齢になるの!?

 

私が担当していたときは中3だったけど、それから高校生になって、大学生になって、もう社会人かぁ。

 

私はというと、彼らが高校を卒業すると同時にその塾を辞めて、地元に戻ってまた塾で働いて、今は結婚して海外に住んでる。

 

そんな積もる話を、いつかお酒でも飲みながら語り合えたらなー。

 

とか考えちゃったらね。

もうあかん。

 

ええ、幸せな思い出ですよ。

あの子たちを担当できて本当に良かった。

 

他にも、その塾で働いていた頃のさまざまな苦悩、深夜のファミレスで徹夜で授業研究してたなーとか、1年目で辞めていった同期のこととか、あれこれ思い起こされて。

苦しんだことすら、今となっては愛おしい。

 

でもそういう楽しかった、辛かったとかじゃなくて、時が経つのが恐ろしい。

生きてるんだから、時が流れていくのは当たり前。

 

でもその流れを意識してしまうと、途端に一気に押し寄せてきて、逃れられなくなってしまうんですよね。

 

幸せだったことも、苦しかったことも、すべて過去。

 

何かまた暗くなってません?笑

あれです、もうそろそろ外が暗くなってくる時間だから、つられちゃったんです。

 

しかも、こんなグダグダな内容でもう1500字も書いているというのが・・・

 

この記事の論点はいったい何なんだ。

論点なんて無いっす。

思い出と戦っていた、という話。

 

何かさー私のブログ、最近おかしなことばっか書いてません?

大丈夫かいな(笑)

日頃Twitterでお世話になっている方々へ

Twitterが使えなくなってしまいました。

 

昨日の記事↓↓を読んでいただくと分かるのですが(説明が下手で分かりにくいかもしれませんが)、私のスマホが「抜け道」に一切繋がらなくなってしまったようです。

 

matsuyoisouk.hatenablog.com

  

「抜け道」に対する某国政府の締め付けは、年々厳しくなっております。

例えば生命保険といってもいろんな会社があるように、「抜け道」サービスにもいろいろあるんです。

その中の私が利用しているサービスがどうやら現在激しく攻撃されている模様。

 

詳しいことはよく分かりません。

同じ国に住んでいても、別のサービスを使っていて影響を受けていない人もいます。

 

また、同じサービスを使っているにも関わらず、最初に接続不能になったのは夫のPC、次に私のPC、そして今度は私のスマホ。

一斉にではなく、端末ごとに使えなくなるタイミングが異なるのはなぜ???

 

ググれカス!!

 

いや、だからググれないんですよ。

あれ~?「抜け道」に全然繋がらない…何で??

と思ったときには、もうググれません。

 

あれ~?「抜け道」に全然繋がらない…Twitterできないよ~!

と思ったときには、もう「Twitterできないよ~!」ってツイートできません。

 

あれ~?「抜け道」に全然繋がらない…LINE返せないよ~!

と思ったときには、もう「ごめん今返せないの(><)」って送れません。

電話番号を知ってる人だったらSMSで「ごめん某国事情で今LINEが…」って送れるんですけど、こういうときに限って滅多に連絡取らないLINEしか知らない友だちからメッセージが来るんですよね…

 

 

「抜け道」サービス側も、規制から逃れるべくアップデートを模索しているところだろうとは思うんですが(今までもずっと某国政府とサービス各社のいたちごっこ)、いつ復活するか分からないので待っていられません。

すでに息の根を止められたサービスもあるので、復活する保障もないですし。

さっさと新しいサービスに移行を…

 

ん?でも待てよ?

 

今ググれない。

新しいサービスのホームページに行けないじゃん。

 

もし利用中のサービスが本当にこのまま復活しなかったら…

詰み?

 

いやいや、夫のスマホはまだ辛うじてサービス使えてるから、夫にメールとかでリンクを送ってもらえば何とかなる。

 

でも万が一、週末にその話し合いをする前に夫のスマホもダメになったら…

いよいよ詰み??

 

まじかよやべーよ。

私が次に日本に帰るの数か月先なんですけど。

それまでTwitterもLINEもできないの?

 

もっというと、アナリティクスもサーチコンソールも…アドセンスの申請も…

(WordPressでやってるもう一つのブログの話です)

帰国したときにアドセンス申請して、それが通ったとしても、日本にいる間に合格通知もらわなきゃいけないしね。

 

アドセンス以外にも広告貼る方法あるよって?

でもさ、それをやろうにもググれないのよ。

 

これはヤバイ。ガチでヤヴァイ。

 

と思ったら、GoogleもYahoo検索も使えないけど、ドコモのdメニューの検索機能が規制されていないということを昨日発見しました。笑

今までdメニューで検索なんて一度も使ったことなかったけど、あって良かったdメニュー!!!!

まだ詰んでなかった!!!!

 

それから、昨日の夜、ドコモの海外パケットプラン?を試してみたんですよ。

これって規制回避できるのかなぁと。

ただし、あくまで旅行者向けなので、1時間200円、24時間980円みたいな感じ。

見事規制回避に成功し、1時間だけTwitterに浮上しました。

深夜でしたが、私のツイートを見つけて反応してくださった方が数名いらっしゃって嬉しかったです。

 

その後、なぜか一瞬だけ「抜け道」に繋がったのですが、5分くらいでやっぱり切れてしまって。

リプのやり取りが中途半端になってしまった方、ごめんなさい(;Д;)

 

 

ということで、現在こんな状況でございます。

 

Twitterのおかげではてな以外のブロガーさんとも繋がることができたのは良いのですが、こういうときは本当に困りますね。

はてな以外の方は、大抵Twitterの「ブログ更新しました」を見て読みに来てくださっていると思うので、この記事に気付いていただくことができないという。

はてなは記事を投稿するとSNSにシェアする画面になりますが、端末が「抜け道」に繋がっていないと、そこからツイートすることもできません。

 

私、生きてまーす!!!!!

生きてますよー!!!!!

Twitterに現れなくても、おれたちはここにいる!!

シャンドラの灯をともせェェ!!!

おれ「たち」って誰だよ。ONE PIECEですねー。

 

伝えて~♪届けて~♪私は元気でい~る~と~♪

っていう歌ありましたよね?笑

まさにそんな気持ちです。

曲名も歌手名も忘れましたが。

ググれカス!!

だからググれないの!!

dメニューで探せカス!!

面倒くさい!!!

 

週末に夫と二人で別の「抜け道」サービスへの移行を検討するので、早ければ土曜日にもTwitterに戻れると思うのですが。

それまでしばらくTwitterお休みします。

 

もともとスタート時はブログしかやってなかったとはいえ、最近はほぼ毎日Twitterもやってたので寂しいなー。

戻っても浦島太郎的な気分になりそう。

「私がいない間に何があったの?」って(笑)

 

とりあえず、日頃Twitterでお世話になっている皆さん、いつもありがとうございます。

不便さにイライラしてますが、私は変わらず元気です。

またお会いできる日を楽しみにしております。

 

大げさか(笑)

 

お読みくださってありがとうございました。

ブログを始めて5か月、最近の話

こんにちは(^^)

少し温かくなったかと思えばまた冷え込みが厳しくなり、皆さん体調を崩していませんか?

私はエブリデイマスクのおかげか、今年の冬は一度も風邪を引かずに乗り切れるかもしれません…!!

ちなみに、インフルエンザは生まれてこの方かかったことがない。

私の数少ない自慢の一つ(笑)

しかし、まだまだ油断大敵!

気を引き締めてまいりましょう。

 

 

さて、このブログも開設から5カ月を迎えました。

いつまで続けられるかしら…笑

でも、更新頻度はどんどん下がっていますが、今の私の生活の中で、確実に心の拠り所になっています。

言い換えると、このブログを読んで下さる皆様が拠り所ということ。

ありがとうございます!!

あなたを勝手に拠り所にさせていただいております!!笑

 

 

私の月ごとの報告はいつも特に内容が無い…というか節目と全く関係のない話になってしまうことが多いのですが、今回は私が現在住んでいる「某国」のネット規制のお話を。

 

 

某国は情報統制が厳しく、インターネットが自由に使えません。

在住外国人にとっては非常に不便なんです。

某国に限らず、インターネット規制されている国は結構あるらしいですけどね。

具体的に某国で使えないインターネットサービスを挙げると…

 

  • Twitter
  • LINE
  • Instagram
  • Facebook
  • You tube
  • Googleのサービス全般
  • Yahoo検索

 

などなど。

他にも、日本の新聞社などでも規制されているものがあったと思います。

 

「Googleのサービス全般」とまとめてしまいましたが、「ググる」、つまり検索機能はもちろん使えませんし、Gmail 、マップ、Blogger 、アナリティクス、サーチコンソール、アドセンスの申請もできないわけです。

 

Yahooの検索機能も使えないなんて、分からないことがあったときどうすんの?

それはね、我慢します。

 

これら全部、某国にいると使えないんですよ。

今後、さらに規制対象が増える可能性もあります。

 

控えめに言って、やばくね?

 

今月初めに数日間日本に帰りましたが、何より喜ばしかったのはいつでもどこでもLINEやTwitter、検索などが使えること。

そんなの当たり前のはずなのに、便利すぎて初めて洗濯機を使った高度経済成長期の主婦並みに感動しました。

 

とはいえ、某国にいても一切使えないわけではありません。

実は「抜け道」的な方法があるのです。

在住外国人たちはみんなその「抜け道」を利用して、これらのサービスにアクセスしています。

「抜け道」を使うことさえできれば、そこまでの不便は感じません。

 

しかし、「実は」と書きましたが、某国政府がその「抜け道」の存在を知らないなんてことはもちろんあり得ない。

最近はどうも「抜け道潰し」がかなり厳しいようなんですよね。

 

私はインターネットの技術的なことに詳しくないので説明はできませんが、最近はとにかく「抜け道」にすんなり繋がらない。

また、以前は地下鉄や職場などのWi-Fiでも「抜け道」にアクセスできたのですが、最近は一切ダメ。

つまり、LINEもTwitterも自宅のWi-Fi じゃないと使えない。

(自宅Wi-Fiでも特に夜はなかなか繋がらない。ルーターのせいもあるのかも)

 

「抜け道」に繋がらないときは、どうしようもありません。

再起動してみようとかそういう問題ではないので、個人レベルでできることは何もない。

 

一日中LINEやTwitterをやっていたいわけではないですし、仮に数日使えなくなったとしても死ぬわけではありません。

しかし、使いたいタイミングで使えないというのは本当に困るし、ストレスが溜まるんですよね…

はてなブログやWordPressが規制対象になっていなくて本当に良かった。

 

ああ、そうこうしているうちに…この記事を書き終わったらTwitterでいただいているリプを返そうと思っていたら、いつのまにか「抜け道」の接続が切れちゃってる(泣)

こういうことになるから先に返しておけば良かったのに…ごめんなさい(泣泣)

 

とにかく不便。

とにかく不便。

不便不便不便!!!

 

そんなわけで、相手が国家となると対抗できるはずもなく、ぶつけようのない苛立ちを抱えながら日々を過ごしております。

 

いやいやいや。苛立ちのあまり暗くまとめてしまいました(笑)

毎日楽しく生きています!

でも、やろうと思っていることがまだまだ全然できていないので、もっと時間や機会を大切に使っていきたいですね。

 

さて、もはや恒例の着地点がよく分からない月例報告となってしまいましたが、今回はこの辺で。

 

お読みくださって本当にありがとうございます。

これからもよろしくお願い致します。

久しぶりに日本に帰ったときの話

こんにちは(^^)

まだまだ寒い日が続きますが、風邪を引いたりしていませんか?

 

先日、5泊6日で久しぶりに日本に帰りました。

約4か月ぶりの祖国!!笑

今回は、その帰国レポート(?)です。

 

 

まずはじめに。

今回は、とにかくタイトスケジュールでした。

 

私の実家は関東、夫の実家は九州なのですが、今回は5泊6日の中で

 

某国(今住んでる国)→九州→関東→九州→某国

 

と移動することに。

(某国って。この時期に帰国するなんてどこの国かバレバレですが、まだ言わない。笑)

何でわざわざ九州と関東を行き来するのか?

理由は、国際線の航空券は往復で買わないとめちゃくちゃ高いから。

 

そのため、ざっくりいうとこんなスケジュールになりました。

 

5日(火)  某国→九州

6日(水)  九州→関東

7日(木)  イベント1

8日(金)  イベント2

9日(土)  関東→九州

10日(日)  九州→某国

 

移動ばっかり~!!!

タイムイズマネー・・・

マネーも大事だけど、これじゃ何をしに帰るのかよく分からんぞ・・・

という感じなのですが、「イベント1」「イベント2」とは何ぞや。

 

 

1日目 ― 2月5日(火)

某国自宅を出発し、まずは九州へ。

飛行機が定刻で飛んでくれたので、特に問題なし。

この日は夫の実家にお世話になりました。

到着後、すぐに荷物を置いて夫の学生時代からの行きつけというラーメン屋さんへ。

(機内食も食べたのに)

夫は無類のラーメン好き。

常にラーメンを食べるチャンスを狙っています。

 

 

2日目 ― 2月6日(水)

この日は帰国する際には外せないミッションがありました。

そう、それは買い出し。

某国の都市部は外国人が多く、日系スーパーなどもあります。

しかし、それでもやはり日本でないと手に入らないもの、現地の品質では不安なもの、現地で買うと高すぎるものなどは、帰国するたびに買い込んでいます。

某国に引っ越した当初に比べると、これは無くても困らないなーとか、これはもう現地調達でいいやとか、買うものはだいぶ絞られてきました。

 

今回、スーパーで買った食料品&日用品は1万円ちょっとくらい。

必ず買うのは、切り干し大根やひじきなどの乾物系、ハンドソープなど。

スーパー以外に、夫はゴルフ用品と服、私は化粧品などを買いました。

 

そうそう、私は今回スマホも新調。

まだ壊れているわけではなかったのですが、最近ちょっと動作が怪しくて不安だったので。

もう3年近く使ってましたし、某国でいきなり壊れたらTHE エンドですからね(笑)

 

夕方の飛行機で関東へ!

 

 

3日目 ― 2月7日(木)

さて、この日は「イベント1」当日。

私も夫も、非常~~~~に気が重かったです。

もう出来ることならやらずに済ませてしまいたい。

しかし、そういうわけにはいかない。

 

イベント1とは、私と夫の両親の顔合わせ

 

え?あなた方、すでに結婚してるでしょ?

はい、その通りです。結婚3年目でございます。

しかしながら、交際期間が短かったうえ、夫の海外転勤のタイミングで入籍することになったため、かなりドタバタ。

夫の赴任までにどうにかそれぞれの両親への挨拶は済ませたものの、関東と九州に住んでいる両親同士の顔合わせまではセッティングできなかったのです。

(両親同士、電話では何度か話しています)

 

夫のご両親から、電話やSkypeのたびに「大切に育てられたお嬢さんをお嫁にいただいたんだから、早くきちんとご挨拶をしたい」と言われていたのですが、夫の仕事が多忙で先の予定がなかなか決まらない+三者の住んでいる場所が関東・九州・海外。

何度も計画が流れてしまい、今回ようやく開催に漕ぎつけたのでした。

夫のご両親には、九州から遥々東京まで飛行機で来てもらうことに。

 

私の両親は、堅苦しいのが苦手、カジュアルで呑気。

一方で夫のご両親は、厳格というわけではないけれども、けじめはきちんとしなくちゃ、というタイプ。

特に結婚に関しては、やはり男性側の親の方が気にするものかもしれません。

 

夫のご両親はとても良い方々なのですが、顔合わせとなったらそりゃあもう緊張しますよね・・・

しかも、夫のご両親の希望を汲んで予約した日本料理屋。

こんなきちんとしたお店、私も私の両親も慣れてなさすぎてガチガチ。

当日の朝、母は不安過ぎて私の姉に「緊張するよ~(泣)」とLINEを送ったそうです(笑)

 

結論を先に申しますと、終始和やかに進行し、無事に終えることができました。

私の両親は気を遣うほど口数が増えるタイプ(?)なので、こういうときはとても助かりますね(笑)

 

私の母が「海外転勤の可能性がある人と結婚するかもしれない、と娘から聞いたとき、実は破局すればいいのにと思った」と話し出したときはヒヤヒヤしましたが(笑)。

親心としてはそうでしょうけど、はっきり言い過ぎ!

でも、「○○さん(夫)と会って、とてもイイ感じの人だったので安心した」ということでしたが、破局すればいいのにとまで思っていたことは私も知りませんでした。

(「イイ感じ」としか表現できない母の語彙力・・・笑)

意外と父の方が抵抗がなかったようです。

全くなかったわけではないでしょうけども、そもそも「半端な奴にうちの娘はやらんぞ!!」とか言うタイプではないですし。

 

あとは、夫の仕事の話や、海外生活の話、男性3名によるサラリーマン談義、といった感じで、約2時間半で終了。

 

6人全員、心の内は「やっと顔合わせできた・・・」という安堵でいっぱいだったと思います。

私もやっと肩の荷が下りました。

とりあえず、私も私の両親も粗相がなくて良かった・・・

 

 

4日目 ― 2月8日(金)

5泊6日の中で、唯一フリーダムともいえる4日目。

夫ともほぼ一日中別行動。

そしてイベント2です!!

1カ月ほど前に決定し、それ以来ずっと楽しみにしていたイベント2。

 

イベント2は夕方からなので、まずは美容院からスタート。

某国にも日本人向け美容院はあるのですが、何となく抵抗があるので、私は帰国したときに必ず美容院に行きます。

(つまり、年に2~3回しか美容院に行っていない笑)

 

午後はちょっと用事があって本籍地の市役所に行き、その後本屋さんへ。

せっかく時間に余裕のある生活をしているのだから、もっと読書をしよう!ということで、新しい本を2冊買いました。

たくさん買いたかったのですが、まだ読んでいない本が家にもあるのでとりあえず2冊。

それにしても、本屋さんって何時間いても飽きませんよねぇ。

本好きではない私でも、本屋さんは好きなのです。

 

さて、夕方からのイベント2とはいったい何なのか?

 

ででん!!!それは!!!

 

私が大ファンのブロガー、ミドリさんとお会いすること!!!

 

知り合ったのはTwitterですが、ブログを拝見してすっかり虜に。

Twitter上でもたくさんやり取りさせていただき、今回ついに直接会っていただけることになったのでした。

 

ブログを始めて4か月半、Twitterを始めて3か月半。

ネット上で知り合った人と直接会ったことがなかったですし、そのうえ相手が憧れのミドリさんともなると私は緊張しまくりでした。

前日は夜中に3回も目が覚めてしまいましたし、当日もドキドキしすぎて何も食べられず(笑)

何も喋れなかったらどうしよう!??

 

しかしながら、ミドリさんは気さくでとっても親しみやすい方でした!!!

器量良し、スタイルも良し、明るくて話しやすく、その上あんな素晴らしい文章が書けてしまうなんて・・・

Oh, no…私はいったいどんな顔で彼女に向かい合っていれば良いの??と思いましたが、ミドリさんはすごく聞き上手な方で、息苦しい思いなど微塵もすることなく、本当に楽しい時間を過ごさせていただきました❤

 

今回はお互い時間に余裕がなく、あまりゆっくりできなかったので、また次回があればいいなぁと・・・あればいいなぁと・・・思っております。

 

その後、幸せすぎた勢いでパンとお菓子を衝動買いしてホテルに帰りました。

 

 

5日目 ― 2月9日(土)

この日は飛行機で九州に移動する予定だったのですが、雪のためまさかの欠航に。

やむを得ず、新幹線で行くことになりました。

とはいっても、私は飛行機よりも新幹線の方が圧倒的に好きなのでむしろラッキー。

どうせこの日は移動する以外の大きな用事はなかったですし、多少時間が余分にかかっても全く問題なし。

飛行機は飛んでいる時間こそ短くても、乗る前後が非常に面倒ですよね。

エコノミーは席がすごく狭いし。

だったら、新幹線のようにゆっくり座っていられる時間が長い方がよっぽどいい!!

買った本も読めるし!

飛ぶの怖いし!!!笑

 

ということで、のんびり夫の実家に到着。

夕食はお寿司をいただきました。

某国ではあまり食べられないので、大変嬉しかったです。

 

 

6日目 ― 2月10日(日)

午前中は、2日目に爆買いした荷物をキャリーバッグに詰め込む作業。

キャリーバッグ2つとボストンバッグ1つ持って行ったのですが、飛行機の預け入れ荷物は1つ23kgまでなので、オーバーしないように適度に振り分けして調整。

 

午後の便で某国へ。

これも定刻通りに飛んでくれたので助かりました。

グッバイ日本!またね~~~~~・・・

 

 

終わりに

ということで、帰国6daysでした。

つらつらと書いてしまってすみません(笑)

しかも、長いわりに内容うっす・・・

 

日本に帰って思うのは、やはりネットが不自由なく使えるって素晴らしい!!!

某国ではTwitterやLINE、You tubeなどが使いたいときに使えるとは限らないので、本当に不便なんです。

 

そして、きれいなトイレやお風呂。

にこにこと感じの良い店員さん。

私はやっぱり日本が好きです・・・

 

今回の帰国で心残りなのは、ONE PIECEとカヤジャムを買えなかったこと。

次回は必ず!!!

 

 

これでもだいぶ端折ったのですが、ずいぶん文字数が多くなってしまいました・・・

お読みくださって、ありがとうございました。

ダークな気持ちで書いてしまったので、閲覧注意

私なんかが結婚して良かったのかなって最近よく考える。
夫が悪いとかじゃなくて、私自身が結婚というものに向いてなかったんじゃないかなって。

相手に合わせて生きていくことなんて結局私には出来ない。
いや、ここまではどうにかやってきてるんだけど、一人だったらもっと○○できるのになーとかばっかり考えてる。

夫のことは愛してるけど、その愛は無償なんかじゃない。
彼のために何でもしてあげたいなんて思わない。
むしろ、私はこれだけ夫のお世話してあげてるのに、夫が私のために何をしてくれているのか、っていつも見返りを求めてしまう。

私には夢がある。
I have a dream ですよ。
夢っていうほど大したことでもなければ、美しいものでもないけど。
まぁ仕事に関することです。
でも、前から懸念はしてたんだけど、やっぱり結婚しちゃったからそれは叶わないなって思う。
独り身ならできるんだけど。

夫の海外勤務はあと3年くらいの予定。
私だけ先に帰国することもできなくはないから、今帰国すれば3年だけでもやりたいことができる。
この国の言語をまだ使えるレベルまで身に付けられてないこと、だらしない夫の健康管理が心配ということ以外、海外に住み続けたい理由はない。

あれ?
だったら、私は何で夫と結婚したんだっけ。
一緒にいたいから海外についてきたんじゃなかったっけ。
夫がもし自己管理のきちんとできるタイプの人だったら、別居でも良かったってこと?
駐在妻友達が「子どもがほしいから、年齢のこと考えてついていくことにした」って言ってたけど、うちはそれもないし。

所詮私は二人離れずに暮らすことより、自分の夢や自由の方が大切なのかもしれない。
この2年で、やりたいことを我慢して、やりたくないことをやるっていう生活に疲れてしまったのかな。

夫が一生懸命働いてくれてるのはよく分かる。
でも夫は、結婚前は仕事+家事だったのが、今では仕事だけになったわけでしょ?

しかも、私と結婚しててもしてなくても、当たり前だけど仕事はするわけでしょ?
私のために働いてるわけなんかじゃないでしょ?
むしろ、夫の都合で私は仕事を辞めて、その結果、夫のお給料で暮らすことになってるわけで。

こんなこと書いたら、家族のためと思って必死に働いてる男性の怒りを買いそうですよね。
ごめんなさい。

 

分かってます。ついていくことを決めたのは私。


こんなごちゃごちゃした考えを全部取っ払って、仕事で疲れてる夫を無条件に労ってあげられない自分のことも本当に嫌いで。
それも結婚に向いてなかったのかなと思う理由の1つ。
結局私は自分のことだけが可愛いんだよね。


別に夫が仕事を辞めて、私が働くことになってもいいんですよ。
子ども生むつもりはないし、二人で生活できるくらいのお金は稼ぐよ。
夫は毎日仕事ヤダヤダ言ってるし。

それでも夫が辞めないのは、ヤダヤダ言いつつやっぱり頑張りたいと思ってるか、もしくは世間体でしょ。
「夫が仕事辞めて妻に養われるの~?」って思われるのが嫌だからでしょ。
未だに世間からそういうふうに見られるっていうのは、男性は気の毒だなと思いますけどね。
女性は働いてても無職でもそこまで言われないで済むからさ。

でも、ここまで書いておいて「離婚したいのか」と言われるとそれは違う。
自分のことが一番可愛いんだと言いつつ、一緒にいたい気持ちに嘘はないし、彼の生涯のパートナーになりたかったから結婚したんだと思う。

ただ、結婚と夢は両立できないのかなって。
どちらか捨てなきゃいけないの?

私が男だったら、両方手に入れられたかもしれないのに。

人生一度きり!やりたいことを全力でやろう☆
とかよく言うけどさ。
わりと難しいと思うよ。
大事なものを増やしすぎない方が、人生ラクなのかもね。

人生で一番はまった本の話

今回は、こぼりたつやさん(http://twitter.com/tatsuya_kobori)主催の3000文字チャレンジ企画に初参戦です!

テーマ「おすすめ」ということで、一切のひねりもネタも無しに、普通に私のおすすめをご紹介します(笑)

 

 

********************************

 

 

大変恥ずかしい話なのですが、私は日頃ほとんど読書をしません。

小説もビジネス書も自己啓発本も。

漫画やブログは読むんですが。

 

小さい頃からそんなに読書好きな子ではありませんでした。

嫌いというわけではないですけど。

しかし、小学生時代から漫画雑誌ばかり読むようになり、母親には「本を好きになってほしくて毎晩読み聞かせをしていたのに」とがっかりされてしまいました。

 

高校生までは学校の国語の授業で文章を読む機会がありますし、夏休みの読書感想文を書くためにも本を読まなければいけません。

でも、そういったこと以外で自分から積極的に本を読むということはあまりなかったと思います。

 

国語の成績は良かったですけどね。

大学受験のときも私を救ったのは国語。

「読書する子は読解力がある」って本当?

読書しなくても、読解力ある子はある。

(でも、文才はやはり読書してきた人に到底敵わないと思う今日この頃…)

 

そんな私が、たった一度だけ本にドはまりしたことがありました。

大学1年生の頃だったでしょうか。

後にも先にも、ここまで没頭して読んだ本はありません。

 

その本が面白くて面白くて、出来るだけ長く読んでいられるように毎朝わざわざ快速ではなく各駅停車に乗ってゆっくり大学に行っていました。

大学の授業中も、早く続きが読みたくて仕方がない。

帰りの電車でももちろん読みます。

 

一日中、目が覚めた瞬間からずっとその本のことを考えていたといっても過言ではありません。

その証拠に、当時朝のアラームとして使っていたアヴリル・ラヴィーンのアルバム曲を聴くと、その本を読みながら思い描いていた情景が今でも頭に浮かんでくるのです。

 

読書習慣のない私がそこまで心を奪われた本とは。

 

 

それがこちら。

 

「ローマ人の物語」(新潮社、塩野七生 著)

 

古代ローマについての本です。

わりとメジャーですかね?

ハードカバー(全15巻)と文庫版(全43巻)がありますが、私が読んでいたのは文庫版です(文庫版の写真は最後に掲載)。

 

大学時代、親の迎えを待つときに時間をつぶしていた駅前の本屋に、この本のシリーズがずらりと並べられていました。

 

高校時代の世界史の先生がとても博識で授業も面白く、そのおかげで世界史が好きでした。

といっても、世界史の成績が特別良かったわけではありませんでしたが。

 

覚えることがとにかくたくさんある。

王様の名前とか紛らわしいし。

ジェームズ1世、チャールズ1世、チャールズ2世、ジェームズ2世?

何その順番。勘弁してくれよ。

第○共和制とか、○月革命とかね。

領土拡大縮小しすぎだしさ。民族も移動しすぎ。

フェニキア人とシュメール人とか、全然響き違うんだけど何かかぶるんだよね。

 

ヨコのつながり?

無理無理。

タテすら枝分かれと統合を繰り返して真っ直ぐつながらないのに。

 

と、まぁこんな感じで、得意だったかといわれると決してそうではありませんでした。

 

しかし、世界史のロマンといいましょうか、スケールの大きさといいましょうか。

胸が震えるんですよね。

戦争や革命の繰り返しですから、世界史の教科書1冊の中でどれだけの命が失われているのか分かりませんけども。

 

さて、話が逸れましたが、とりあえず私は世界史が好きでした。

高校時代は古代ローマに大して興味はなかったのですが、本屋で見ているうちに「ローマ人の物語」シリーズを読んでみたくなり、1巻から買ってみることにしたのです。

 

文庫版の1~2巻は「ローマは一日にしてならず」。

紀元前753年のローマ建国からイタリア半島統一まで。

ちなみに、この頃日本はまだ縄文時代かな?ヨコのつながり(ドヤァ)

 

いやーこれは面白い。どんどん買おう。

最初はこのくらいのテンションでした。

 

ところが。

 

この後ですよ。

3~5巻の「ハンニバル戦記」。

これで私は完全にやられてしまいました。

 

ハンニバルというのは人物名ですが、ローマ人ではありません。

第二次ポエニ戦争(紀元前219年~紀元前201年)でローマと戦ったカルタゴ(アフリカの地中海沿岸にあった国)の将軍です。

第二次ポエニ戦争は別名「ハンニバル戦争」と呼ばれており、彼がローマにとってどれほどの強敵であったかを表していますね。

 

ポエニ戦争は第一次から三次まであり、1世紀以上に渡ります(紀元前264年~紀元前146年)。

ハンニバル戦争と呼ばれるのは第二次だけですが、このポエニ戦争編全体のタイトルが「ハンニバル戦記」になっているんですよね。

ポエニ戦争によってローマに訪れた危機の大きさは、ハンニバル抜きには語れないわけです。

最終的にはもちろんローマが勝ちますよ。

ここでローマが負けて滅亡したら、シリーズ終了してしまいますから。

 

ハンニバルが活躍するのは、文庫本4巻~5巻。

もうね、とにかくカッコいいんですよ。このハンニバルという男。

頭が良くて冷徹な孤高の名将。

誰もが不可能と思うようなことをやってのけますが、本人にとっては無謀な挑戦などではなく、すべて計算の上。

 

ハンニバル率いるカルタゴ軍は、冬のアルプス山脈を越えてイタリア半島に乗り込み、迎え撃つローマ軍を次々に撃破していきます。

天才ハンニバルの策に見事にはまり、なす術もなく討ち取られていくローマ軍。

大国であるローマに甚大な損害を与えても決して慢心することなく、前だけを見据えて進み続けるハンニバル。

カルタゴの命運を一身に背負っているからであり、己のプライドのためのようでもあり。

戦争史上に名高い「カンネーの会戦」のシーンは圧巻です。

 

そして、もう一人の重要な登場人物がローマの若き将軍スキピオ。

どんな状況でも孤高を崩さないハンニバルとは対照的に、明るいキャラクターとして描かれています。

彼もまた、ハンニバルに勝るとも劣らない知将。

「ザマの会戦」でハンニバルを破ります。

 

そう、負けるんですよね。希代の名将ハンニバルは。

史実なので、ネタバレではないということで書いてしまいますけれども。

ローマを絶望の淵まで追い詰めるも、打ち破ることはできなかったのです。

 

故郷から遠く離れた地で、補給も決して十分ではなく、一枚岩ではない大軍を維持しなければならない。

敗れれば、カルタゴは地中海の覇権をローマに奪われてしまう。

そんな重圧の中で、ハンニバルは誰とも馴れ合うことなく戦い続ける。

そして最後は才気溢れる若者の前に屈する。

 

いやー、切ない。

 

第二次ポエニ戦争終結後のハンニバルとスキピオ、それぞれの運命。

第三次ポエニ戦争でついに滅亡のときを迎えるカルタゴ。

ハンニバルを粘り強く追い続けたローマの将軍や、カルタゴ軍の兵士たちがハンニバルをどう見ていたのかなどのエピソードも必見です。

 

 

日本史でいうと私は新撰組が好きなんですが(笑)、少し通じるものがあるかなと思います。

カンネーの会戦が池田屋事件ですね。彼らが歴史の中で燦然と輝く瞬間。

主君のため、そして己の夢のために戦うも、最後は儚く散っていく。

ハンニバルの生き様は、日本人の心の琴線に触れるところがあるのではないかなと思います。

 

ちなみに私はONE PIECEファンでもあるのですが、「ハンニャバル」というキャラクターが登場したときは尾田栄一郎氏を殴りに行きたくなりました(笑)

 

 

さて、このシリーズについてもう少しだけ。

この「ローマ人の物語」の魅力は、何といってもドラマチックな文体です。

もちろん歴史上の出来事とその影響などを書くことをメインとした本で、決して歴史小説ではありません。

しかしながら、登場人物の人となりや各場面の展開が鮮やかに描かれ、まるで映画を見ているかのように心を揺さぶられます。

 

そう、「ローマの歴史」ではなく、ローマ人の物語。

古代ローマとは、そして私たちが生きている世界とは、遥か昔の人々が命を燃やして紡いできたものなんだなぁと、思いを馳せずにはいられません。

 

「ローマ人の物語」シリーズのサブタイトル一覧です。

途中から読んでも問題なく楽しめますので、面白そうだと思うタイトルがあればぜひ手に取ってみてください。

やはり最大の盛り上がりはユリウス・カエサル編ですかね。

 

(1)ローマは一日にしてならず

(2)ハンニバル戦記

(3)勝者の混迷

(4)ユリウス・カエサル ルビコン以前

(5)ユリウス・カエサル ルビコン以後

(6)パクス・ロマーナ

(7)悪名高き皇帝たち

(8)危機と克服

(9)賢帝の世紀

(10)すべての道はローマに通ず

(11)終わりの始まり

(12)迷走する帝国

(13)最後の努力

(14)キリストの勝利

(15)ローマ世界の終焉

 

 

古代ローマとか興味なくて本読むのはめんどいなっていう人は、とりあえず「カンナエの戦い」のwikiでも見てみてください。

ぞくぞくすること、間違いなし。

 

f:id:matsuyoisouk:20190202132621j:plain

 

それでは、今回はこの辺で。

お読みくださってありがとうございました。

愛してたって、秘密はある。

一昨年、「愛したって、秘密はある。」というドラマがありましたね。

私は1秒も見てないんですけど。笑

福士蒼汰演じる主人公が、実は中学3年生の時に父親を殺しており、そのことを打ち明けられないまま婚約して…という話だったそうです(適当ですいません)。

 

まあここまでやばい秘密ではないにしろ、恋人や夫婦だって秘密はたくさんあると思うんですよね。

 

私は夫と結婚して3年目ですが、実は先日付き合い始めた日からようやく丸3年経ったところ。

交際期間が短かったんです。

私も夫も30歳。

そのうちの最近3年間を知ってるのみ。

もちろん、このまま円満に二人で長生きすれば、いずれ一緒にいる年数の方が上回るわけですが。

それでも27歳以前のお互いのことは今後どうしたって見ることはできない。

 

私は塾講師時代に3年8か月付き合った人がいました。

最も辛かった時期を支えてくれた人で、2年半くらい同棲もしていたので、その人の方がまだ夫よりも私のことを分かっているかもしれないと思ったりもします。

(だからといって、その人と結婚すれば良かったとは一切思いませんが)

 

夫も私と知り合った頃は4~5年付き合っていた彼女と別れたばかりでした。

あまり詳しく聞いてないけど、浮気されてブチ切れて別れたんだとか。

 

お互いの過去なんて、話そうと思っても全部話せるわけもなく、知らないことばかり。

いや、もっというと、結婚していたって秘密はどんどん増えていくと思うんです。

 

夫はとにかく嘘やごまかしが多い。

都合が悪くなると、すぐ嘘をつきます。

私が嘘を指摘しても、「嘘じゃない」と言って認めず、バレバレなのにごまかし続ける。

 

初めは、「そんな下手な嘘をついたってすぐばれるのに、何でいつも嘘をつくんだろう。状況が悪化するだけでしょ」と思っていました。

しかし、よく考えてみたら私が見抜いていない嘘の方が多いのかもしれないですよね。

大半の嘘がばれていない(つまり成功している)から、繰り返し嘘をつくのかもしれない。

 

結婚して丸2年以上が過ぎ、私は夫を信用しなくなりました。

一度お金絡みの隠し事が発覚したこともあり、他にどんな秘密を持っているのだろうと思ってしまいます。

あ、だからってスマホ勝手に見たりはしませんよ?

夫も私もロックかけてますし(笑)

 

先日、夫が突然花束を持って帰宅しまして。

何の記念日でもイベントでもない日なのに「きちんとした贈り物をしたことがなかったから」と。

まあ嬉しかったんですけど、何かの罪滅ぼしじゃないかと内心では疑いましたよね(笑)

 

 

そんな夫のことばっかり言って、お前には何も嘘や秘密はないのか?

 

ありますよ。

あるある。めっちゃある。

 

まず、このブログとTwitterね。笑

ブログは夫が家にいない時にしか書かないし、私はもともとLINEをよくやっているので、画面を見られない限りTwitterもばれません。

ブログに時間費やしてないで、もっと家事とかちゃんとやれよ!と後ろめたく思いますし、WordPressにはお金もかかってるし。

でもやめられない。

 

ブログとTwitterは感付かれてないと思うけど、夫が私のことを何一つ疑っていないかというと、たぶんそんなことはないです。

夫はことあるごとに冗談:本気=8:2くらいで「浮気してるー」と言ってきます。

それは誓ってしておりませんが。

夫は家にいる時間が少ないので、その間に私が何をしているのか気になるんでしょうね。

 

でも、こっそり有料ブログサービスやってるのなんかはカワイイ方。

 

実は、私には重大な秘密が1つあるんです。

ここにも書けないくらいに相当やばい。

浮気じゃないですよ。

むしろ、ちょっとした浮気よりよっぽど重いかも。

関係者以外、知っている人は誰もいません。

どんなに親しい友達でも、こんなの打ち明けられたら青ざめるでしょうね…

それこそ、「家族や友達に話しにくい」どころではない。

 

しかも、夫に露見する可能性がゼロではないから怖い。

それ自体は法に触れるものではないけど、隠していたのがばれたら離婚が認められる事由になり得るかもしれない。

きゃー怖い怖い。

夫よ、ごめんね。

 

 

毎朝「行ってらっしゃい」と夫を見送り、バタンとドアが閉まった瞬間から、私たちは夫婦といえども全く異なる時間を過ごすことになる。

いや、同じ部屋にいても、相手のスマホの向こうにはどんな世界が広がっているのか分からない。

 

お互いに何かしら秘密や隠し事があると分かっていても、根掘り葉掘り聞かずに、「愛し合っている」ということだけを信じて、穏やかに過ごすよう努める。

もちろんぶつかり合うこともたまにはあるけど。

夫婦ってそういうものなのかなーなんて、最近思っております。

 

本当にごめんね。

秘密があったって、愛してる。

 

 

 

それでは、今回はこの辺で。

お読みくださって、ありがとうございました。

ブログ4か月の報告のはずが、全然違う話になってしまいました。

こんにちは(^^)

 

1月19日で、このブログを始めてから4か月になりました。

本当は当日に書きたかったのですが、土曜日で夫が家にいたので書けず。

予約投稿なんかもしておらず(笑)

 

先日「最近、考えがまとまらない病になったかもしれない」というしょーもない記事にも書いたのですが、最近書きたいことはあるのになかなか上手く表現できなくて。

 

というより、「家族や友達には話しにくいけど、でも誰かに話したいこと」を書くためのブログにすら、これはとても書けないなと思ってしまって。

いくら私の本名や顔を公表していないとはいえ、さすがにこんなん書いたら人格疑われそうだなーとか。

これはまだはっきりと文章にしてしまうのは怖いな、心の中に置いておいた方がいいなーとか。

 

1ヵ月間の更新がどんどん減ってますね(苦笑)

 

それでも、直近の「拝啓、K本部長様」は上手くかけた方かな。

上手くというのは決して文章そのものが上手だということではなく、感情を込められたという意味で。

 

あれを書いて以来、正社員で塾講師をやっていた当時のことばかり考えてしまって、ちょっとおかしくなりそう(笑)

 

あの会社で過ごした4年間は、私の人生の中で間違いなく最も濃厚で、最も苦しかった。

やりがいもとてつもなく大きかったけど、それだけでは支えきれないくらい、崖から落ちる寸前で。

結局落ちたんですけど。

 

あの時の挫折感は今でも拭い切れない。

身も心も限界まで削って、それでも目指していた場所には到達できなかったのだから。

当時同じ職場だった人たちから見れば、私が会社を辞める理由は自分自身の無能さに耐えられなくなったからだというのは明らかで。

こんなに惨めなことはない。

 

でも、今振り返ってみると、本当によく頑張ったと思う。

当時はこんなんじゃだめだ、努力が足りない、気持ちが足りない、って自分を追い詰めていくことしかできなかったけれど。

今はあの頃の自分を愛おしく思える。

出来ることなら、4年前の退職した日の私を抱きしめてあげたい。

 

 

…なんて、何やら湿っぽくなってしまいましたね!

実は、その会社に勤めていた4年間のうちの2~4年目を過ごした職場は、K本部長以外にも本当に良い方がたくさんいました。

とても恵まれていたと思います。

特に、塾講師としての「授業」を私に教えてくれた上司については、こちらもいつか記事に書けたらいいなと思っています。

 

そう、この2~4年目を過ごした職場は今となっては結構良い思い出になっているんですよね。

記憶って、時間が経つにつれて曖昧な部分がだんだん薄れていって、印象深いことだけが断片的に残るじゃないですか。

その「印象深いこと」は悪いことより良いことの方が多いんです。

(1年目を過ごした職場は悪いことの方が多い笑)

 

そして、生徒に関する記憶も。

上手くいかないクラスの授業は本当に辛くて、もう本当に逃げ出したい、校舎に向かう途中で事故に遭って救急車で運ばれてしまいたいくらいの気持ちでした。

でも、時間が経って思い出すのは一緒に笑い合ったこと。

もちろん、慕ってもらうことができなかった生徒のことも決して忘れてはいけないし、忘れられはしないのだけど。

 

あんなに苦しかったのに、塾の仕事から完全に離れてまだ2年も経ってないのに、やっぱりまた塾の仕事やりたいって思っちゃうんだよなぁ…

 

いや、もう自分が塾講師に向いていないのは痛いほど思い知ってるから、やめとけやめとけ!!って思うんだけどね…

自分が傷付くだけならまだしも、こんなポンコツが先生になるってことは生徒にも犠牲者が出るんだからね?

 

日本に帰るのは3年後くらいの予定だから、仕事のことはそのとき悩めばいいんだけど、私の場合は塾以外の仕事の経験がないからどうすんの?という問題もある。

 

塾しかできないならもう塾に再チャレンジでいいじゃんと思われるかもしれないんだけど、私は塾をやりながらまともに結婚生活を送れる自信がない。

塾の仕事をしていると、頭の中はそればっかりになってしまうので、毎日ごはんを作るなんて絶対にできない。

ストレスで夫に当たり散らしてしまうだろうし。

 

それに、塾の定時はだいたい13時~22時で、さらに時間外労働が多い業種だから、夫と生活時間が大幅にずれてしまう。

 

塾の仕事をやるのも、他の仕事をやるのも、どちらも悩ましい。

 

 

なんか、ブログが4か月を迎えたのと全く関係のないことを書いてますね。笑

本当は記事に書ききれなかったK本部長の素晴らしさを語りまくろうと思っていたのに(それも4カ月とは関係ない)笑

 

今日はこの後用事があるので、この辺で。

読んでくださって、本当にありがとうございます。

最近はいろいろと悩ましいことがあって、更新がますます遅くなるかもしれませんが、ほそぼそと続けていきたいと思います。

気が向いたときに覗いてやってください。

 

これからもよろしくお願い致します!

拝啓、K本部長様 ※長いです

拝啓、K本部長様

 

 

寒い日が続きますが、お元気でお過ごしでしょうか。

 

K本部長、お久しぶりです。

待宵です。

 

早いもので、私が塾の会社(R塾とします)を辞めてから約4年が経ちました。

私は退職した翌年に結婚して、今は海外に住んでいます。

 

K本部長は、現在はR塾の新しいプロジェクトに関わっていて単身赴任中だと聞きました。

順調に進んでいますか。

お体にはくれぐれも気を付けてください。

一人暮らしでもお酒や煙草はほどほどに。

 

息子さんは、今8歳くらいでしたっけ。

1回しか会ったことはないけれど、K本部長そっくりの人懐こい笑顔が印象的で、すごく可愛かったです。

息子さんや美人の奥様にたまにしか会えない生活は寂しいですね。

 

本当は直接お会いして伝えられたら一番良いのですが、今日はK本部長への感謝と思い出を綴りたいと思います。

 

 

2011年の春、私は新卒でR塾に入社。

子どもたちの夢を応援する先生になるんだ、と意気込んでいたけれど、新卒の年は正直散々でした。

授業も下手、それ以外の仕事もできない、社会人としての振る舞い方どころか、人としての態度もなっていない。

そんな自分を思い知った1年目。

 

2年目になった2012年、私はK本部長がトップを務める本部に異動になりました。

K本部長の印象は、とにかく底抜けに明るい。そして面白い。

それでいて実力者の余裕とオーラを感じさせる、そんな人でした。

当時は確か31歳くらいだったはず。

私は30歳になった今でも相変わらずポンコツなのに、信じられません。

 

太陽のようなK本部長のおかげなのか、職場は生き生きとした空気に満ちていました。

私が1年目にいた職場に比べると、みんなが楽しそうに仕事をしているようで、ちょっとしたカルチャーショックを受けたことを覚えています。

また、新参者の私から見ても、K本部長が若手からベテランまで本部員みんなに慕われているのがよく分かりました。

 

さて。

私も今年からこの本部の一員。

1年目のダメダメな私を知っている人は、この本部にはいない。

心機一転、頑張るんだ!

K本部長からも「期待しているよ」という言葉をいただいて、張り切って仕事に臨みました。

 

しかし、私のダメダメぶりはすぐに露呈。

毎日ミス、ミス、ミス。

授業も下手、下手、ド下手。

どうやったらこんなに問題ばかり起こせるんだろう、とK本部長は困惑したことでしょう。

とんでもない人材をもらってしまったと思ったことでしょう。

 

他の2年目社員はみんな有能で、ある程度仕事ができるようになってきているのに、どうしてここまでひどい差があるのだろう。

教育業界は離職率が高く、R塾も入社3年以内に6~7割が辞めていきます。

私みたいな出来の悪い社員は、放っておいてもそのうち耐えかねて辞めていくだろう。

一生懸命指導するだけ、時間と労力の無駄かもしれない。

そう思われても不思議ではありませんでした。

実際、そう思っていた先輩がいたことも知っています。

 

でも、K本部長は私のことを育てようとしてくれました。

 

その年のGWが明けたある日、退社時に校舎のトイレの照明を消し忘れた私に対して、厳しくも温かいメールをくれましたね。

校舎のトイレの照明を消し忘れる(校舎の防犯カメラで発覚)なんて、戻って消せばいいだけのこと。

だけど、そのミスの本質をグサリと突いた、私にとっては図星としか言いようのないメールでした。

 

2012/05/10  00:55

題:苦言、しかし成長しろ

 

あのな、待宵。

よく覚えとけ。

 

「今後は責任を持って仕事を完遂するように気を付けます」

 

この報告・反省には全く意味がない。多分待宵はまた同じようにミスするだろうね。

 

おそらく昨年度も、何度も待宵は人災ミスをして、そのたびに「二度としないように気を付けよう」と反省したのだろうね。

 

しかし、ミスが減らないし、叱られて信用もなくしちゃったんだろうね。

 

想像できるよ。

 

もしかしたら、

「あたしには能力がない」

こんな風に思ったこともあるかもしれない。

 

でもな、ミスがなくならないことに「能力」や「合う合わない」は絶対に関係ない。

 

言葉をかえて言うなら、今回みたいな言葉で報告をする状態でしかないから、ミスが減らないんだぞ。

 

おまえはミスを無くす方法を考えていない。

 

「気を付けよう」

で自動車事故がなくならないように、気を付けてもミスは減らない。

 

どうやればミスが減るか、その方法を考えて実行に移すからミスが減るんだぞ。

 

(中略)

 

「以後気を付ける」

という報告は、何もしないことと同義。気を付けてもスピードを出したまま運転していたら、結局事故る可能性高いでしょ?

 

早く「一級の社会人」になれるよう努力しろ。待宵はおそらく、一生「R塾の講師」でいるわけじゃない。

でも、「一級の社会人」になることは、絶対に大事。

その場をしのいで終わりにするな。

 

もっと育て。

一級の社会人に早くなれるよう貪欲になれ。

 

休日に生徒のバレエの発表会を見に行ってあげて、それを上司にアピールしてこない

 

「素敵な人物」

 

なんだから。

 

真剣に成長に貪欲になれ。期待する。

 

f:id:matsuyoisouk:20190115163048j:plain


塾なので、退社時刻は23時くらい。

それから照明の消し忘れが発覚し、私が校舎に戻って消灯し、その報告を送った返信がこのメールでした。

深夜1時近くに、いつ辞めていくかも分からないようなポンコツ社員のために、こんなに丁寧なメールをくださった。

しかも、私が自分の担当している生徒のバレエ発表会に行ったことを誰から聞いたのかちゃんと知っていて、お叱りの最後にわざわざ褒めてくださった。

 

ミスを繰り返す原因を指摘されて苦しい気持ちでしたが、私はこのときに「そうか、K本部長はこういう人なのだ」と知ったのです。

 

 

しかし、それでも私はなかなか変われませんでした。

無くならないミス、上手くいかない授業。

努力が足りないのだろうか。

何が間違っているのだろうか。

毎日消えてしまいたい気持ちで仕事をしていました。

このまま働いていても、周りに迷惑をかけ続けるだけ。

いつもフォローしてもらっていて、どんどん肩身が狭くなっていくばかり。

 

この頃の私は少し鬱気味になっていて、いつも何となく体調が悪く食欲もない、何もかも私のせいだ、私さえいなければ、という思考に陥って抜け出せなくなっていました。

 

7月、K本部長と若手社員が順番に1対1で面談した日のこと、覚えていらっしゃいますか。

あのとき、私はどん底にいました。

面談の順番が回ってくるのが怖かったです。

K本部長に「やっぱりお前には塾の仕事は向いていない」と言われるに違いない。

優しいK本部長だから、向いていないとはっきり言ってやるのも上司の務めと考えているだろう。

面談が始まるまでそう思っていたのです。

 

ところが、面談の部屋に入って席に着くと、向かい合わせに座っているK本部長は、いつもと同じ太陽のような笑顔でした。

これまで数々の失態を犯してきた私は、非常に緊張していたので、残念ながら面談のときのK本部長の言葉をほとんど覚えていません。

しかし、終始にこにこして、私の出来の悪さなど取るに足らないことのように喋ってくださいました。

 

面談中の会話は忘れてしまったのですが、私がその日の終業後にK本部長に送ったメールが残っています。

 

 

2012/07/06  23:30

題:待宵です。

 

本日の面談では、とても温かいお言葉をたくさん下さり、ありがとうございました。

 

最近2カ月くらいの間、完全に自信を喪失してしまっていて、周りの方から励まされても、朝礼でどんなにやる気が出るようなお話を聞いても、以前のように奮起できなくなっていました。

 

ですが、今日は授業が始まるまでずっと面談でのお話を思い返していて、久しぶりに、自分はまだやっていけそうだ、という気持ちで終わることができました。

 

まだまだ講師としても社員としても課題ばかりの私ですが、一日でも早くK本部長のお役に立てるように頑張ります。

本日は本当にありがとうございました。

今後もよろしくお願い致します。

 

返信は結構です。

 

 

 

2012/07/06  23:38

題:Re:待宵です。

 

結構ですと言われても、返信したいから返信しちゃう。

そんなふうに言ってもらえて、俺が何か嬉しいや。

 

待宵のこと、人として好きだよ。なんかぶきっちょでさ(笑)

 

たまに、頭の中で考えてネガティブ(どよーん)になってるのが、漫画のように吹き出しで浮かんでるもん。

 

成長できるといいな!いや、きっとできる!!

 

ともにがんばろー!

  

 

この面談がなかったら、きっと私はこの年の夏期講習が始まる前に辞めていたと思います。

苦労した就職活動の末に入った会社を、何かを得るどころか、自尊心が完全に崩壊した状態で。

 

 

面談後、少しずつ立ち直っていった私は、K本部長への尊敬の念を深めていきました。

K本部長は、厳しくて温かくて、何て器の大きい人なんだろう。

私が一番突いてほしくない、一番痛いところを知っている。

同時に、私が一番言われたい言葉も知っている。

私が真剣に仕事に取り組む限り、この人は私を見捨てない。

期待に応えたい。

 

そうそう。人間性はもちろんのこと、何より講師としてK本部長は私の憧れです。

授業が分かりやすい面白いなんかは当たり前で、すごいのは生徒や保護者から寄せられる信頼の厚さ。

私が一番印象に残っているのは、K本部長が中3の男子生徒の頭をくしゃくしゃっと撫でてあげ、その生徒が恥ずかしそうに、でも噛みしめるような笑みを浮かべたのを見たとき。

中3の男子生徒ですよ?

決して扱いやすい学年ではないし、頭を撫でられて喜ぶ歳でもないはずなのに、その嬉しさをこらえるような表情といったら。

生徒に厳しく向き合い、時には一緒に苦しみ、成功したら大喜びで褒めてやり…そうして築いてきた心の繋がりがあるのだと、その生徒の一瞬の表情が物語っていました。

 

 

さて、3年目になった私に転機が訪れます。

転機というか、きっかけは毎年恒例のことでしたが。

 

本部にたくさんの新入社員が入ってきたのです。

え、今年の新卒、うちにこんなに来るの?と、本部員みんな驚いて笑っていましたよね。

 

私にとって2年下の後輩たち。

まだ右も左も分からない、明るく元気だけが取り柄の新人。

 

彼らを見ていて、私は思ったのです。

私が新卒で入社したとき、「3年目社員」といったら、もう一通りのことはできるようになっているように見えた。

でも何年も上の先輩と違って、分からないことを質問しやすい、頼れる存在だった。

私も彼らから見てそんな「3年目社員」にならなくちゃ。

私だって、この仕事の右と左くらいならもう分かる。

そして、新卒が抱える悩みなら誰よりも分かる。

 

私は新卒の社員たちに何かあるごとに声をかけては、電球の交換などの小さな仕事を教えることから授業の相談まで、積極的に面倒を見るようにしました。

そうすることで、同期の中では相変わらず落ちこぼれでしたが、私自身は新卒時代からこんなに成長していたんだ、と感じることができたのです。

同期や先輩、上司の方々の私に対する視線が少しずつ変わっていくのが分かりました。

 

 

そんな矢先のことでした。

K本部長が体調を崩したのは。

 

K本部長が体調不良を訴えて病院に行ったというのです。

私たち若手社員は詳しい症状や診断名を教えてもらえませんでしたが、病院に行くのがもう少し遅かったら命が危なかったらしい、と聞きました。

K本部長が授業に立てない日が続き、本部員は心配で心配でたまりませんでした。

 

このときはまだ年度の初め。

しかし、非常に有能なK本部長は、新しい校舎の立ち上げ、夏以降の新しいプロジェクトの準備などで、とにかく多忙を極めていました。

まだ十分な体力があるはずの若さとはいえ、激務とそのストレスが病気の原因であることは、誰の目にも明らかでした。

 

K本部長にもしものことがあったらどうしよう。

いや、命が助かっても、塾の仕事を続けられなくなったら?

誰よりも生徒を愛し、誰よりも生徒から愛されている先生なのに。

 

しばらくして、K本部長は授業に復帰。

体調が万全でなくても、塾長でもあるK本部長は授業にだけは出なければ。

どうか、どうか無理しないで、と私たちは祈るしかありませんでした。

 

4月末、GWが近付いてきました。

GW中は塾の授業が休みになり、社員も連休になります。

その間に、K本部長もゆっくり休んでほしい、少しでも体調が戻りますように…

そう思っていたのですが、社員の連休初日は各校舎の保護者会が予定されていました。

つまり、私たち若手社員は休みですが、各校舎の塾長を務めている社員たちは出勤し、自分の校舎で保護者会を運営しなければならないのです(翌日からは休み)。

 

保護者会というのは、塾長が保護者に対して、入試情報や塾としての教育方針などを講演する会です。

広い教室でも当然マイクなどは無し、1時間ほど喋るので、かなり体力がいります。

講演終了後は、保護者からの挨拶や質問、相談に対応。

さらに、中1保護者向け、中2保護者向け、中3保護者向けといったように一日数回の講演をこなさなければなりません。

 

会が始まる前には、受付を設置したり、資料を並べたり、いろいろな準備もあります。

私は塾長ではなかったのでその日からもう休みでしたが、気が気ではありませんでした。

体に爆弾を抱えたような状態のK本部長が一人で準備し、一人で受付、講演、その後の対応をして、片付けと次の準備をして…

K本部長の体調が悪化したらどうしよう。倒れたらどうしよう。

 

出過ぎた行為かもしれない。「変な気を遣うな」「休みの日に出てくるな」と言われるかもしれない。

でも心配しながら何もせずにいるよりマシだ。

そう思い、私は朝からK本部長の校舎に行って手伝いをさせてもらうことにしました。

講演や保護者対応はK本部長にしかできないけれど、準備や片付けは私がやる。

そうすれば少しは楽になるはず。

私はK本部長より先に校舎に到着し、あちこち走り回って準備をしました。

 

その日の、体調不良など微塵も感じさせないK本部長の講演は本当に見事でした。

明るく、面白く、でも数百人の生徒を預かる塾長としての情熱が溢れていました。

K本部長も午前の最初の会が終わった後「今日は会心の出来だった」と満足げに笑っていましたね。

 

結局、保護者会の開催時間がずれている他の校舎の塾長社員が応援に駆けつけたため、私のお手伝いは午前中のみで終了、帰宅ということになりました。

 

その夜、K本部長からいただいたメールは、この先もずっと忘れることはないと思います。

 

2013/04/28 22:52

題:(K本部長)です

 

今日は本当にありがとうございましたm(_ _)m

 

この恩は、決して忘れません。何かあったら、いつでも(R塾退職後であっても)声をかけてください。

そんぐらい、助かったし、嬉しかった。

 

マジでありがとです

 

 

その後、GW中に精密検査を受けたK本部長から「何も異常はなかった。もう大丈夫だ」と本部員にメールが。

医者から「働きすぎないように」という最も難しいことをアドバイスされたそうですが、GW明けからまた元気なK本部長の顔を見ることができるようになって、私たちは心底ほっとしました。

 

 

この年にあった嬉しかった思い出を2つ、お話ししてもいいですか。

 

1つめは、K本部長が私の誕生日にお花をくださったこと。

本部員の誕生日にはいつも何かしらプレゼントを用意してくれるK本部長ですが、そのお花に添えられた言葉が本当に嬉しくて。

f:id:matsuyoisouk:20190115163339j:plain

K本部長は、どうして私がほしがっている言葉をここまで的確に分かっているのでしょう。

私みたいな落ちこぼれは本部の役に立っていない、戦力になれていない、そんな暗い気持ちを未だ抱えたままだった私の心を見透かしたようでした。

 

それから、この本部ならではの粋な企画、「本部員を互いに褒めよう」。

全員が自分以外の本部員一人一人に(上司も部下も)良いところや感謝していることを一言書いて渡すというもの。

この年に本部長が私に書いてくださった言葉がこれでした。

f:id:matsuyoisouk:20190115163506j:plain

やっと、やっと、K本部長に成長を感じてもらうことができた。

まだまだ足りないけれど、見限らないでいてくれたK本部長に応えることができた。

苦しいことがあってもK本部長が見ていてくださるなら頑張れる。

K本部長の言葉を噛みしめながら、そう思いました。

 

 

しかし、3年目になってますます己の力量について悩むときは増えていきました。

 

このまま努力と経験を重ねていけば、自分自身は間違いなく成長していく。

でも、R塾という組織の一員としてはどうか?

私にこれ以上の飛躍の可能性はあるか?

仕事のやりがいや喜びと、大きすぎる精神的な負担を天秤にかけ、毎日のように考えていました。

いや、心はもうほとんど折れかけていました。

 

そして3年目の冬、私は今年度限りでR塾を退職する意思を固めたのです。

 

年末年始の休みに入る前の12月下旬、私はK本部長に退職する旨を伝えました。

数日前に「お話があるので時間を取ってほしい」とメールしたときに、K本部長はもう全て悟っていたでしょう。

塾講師の仕事の沼の中でずっともがき続けていた私に、辞めるな、諦めるな、と引き止めるようなことは言いませんでしたね。

淡々と話をして、その場は終わりました。

 

 

私はR塾を退職したらアルバイトをしながら資格の勉強をするつもりでした。

年末年始の休みの間に、少しずつその準備を始めました。

 

しかし、もう退職すると伝えてしまったにもかかわらず、本当はこの仕事を諦めたくなかった思いが心をざわざわと揺らしました。

辛くて辛くて、早く解放されたい、一日でも早く辞めたいと願っていたのに。

資格を取りたいという気持ちも本当でした。

でも、その資格を取るには最低で2年必要。

2年目は忙しくなりそうだけど、1年目なら塾の仕事を続けながらでもできるのではないか…?

 

そう考え始めてしまうと、まだ辞めたくない、まだ学びたい、どんなに大変でも資格の勉強と仕事を両立してやる!という気持ちが湧きあがってきてしまいました。

 

結果、年末年始の前に「辞めます」と伝えたのに、休み明けにはK本部長に「やっぱり続けたいです」と決断を引っくり返す相談をすることになってしまいました。

 

ただし、それは簡単なことではありませんでした。

続けるといっても、あと1年だけ。

来年度末には辞めることが決まっている、つまりその先は会社に貢献しないと明言している者を雇い続けるのか。

給料を支払い続けることはもちろん、周りの社員はどう思うか。

そもそも優秀でも何でもない社員をあと1年限定で雇用するなんて、会社にとって何の利益にもならないでしょう。

K本部長には「上に相談する」と言われました。

 

1週間ほど経ったある日、私はK本部長に呼ばれました。

なんと、私をあと1年会社に置いていて良いか、社長にまで相談してくださったそうです。

 

この時も、私を救ってくださった面談と同じで、残念ながらどんな話をしたかあまり覚えていません。

 

でも、一言だけ。

 

「君という人間を買いましょう!」

 

嬉しかったです。

他の社員と比べて明らかに劣る私に、価値を見出してくださった。

今思い出しても涙が出てきます。

 

 

こうして、私はR塾で4年目を迎えました。

仕事は他の社員と基本的には変わりませんが、例えば塾長候補社員向けの研修などには呼ばれなくなりました。

私は自分自身の授業の質を高めることや、後輩教育、塾長のサポートなどに専念する日々を過ごしました。

 

4年目も相変わらずの苦しい1年でした。

失敗もたくさんしました。

最後の1年ですら、貢献より迷惑をかけたことの方が多かった気がします。

だけど、やっぱり辞めなくて良かったです。

もし辞めてしまっていたら出会えなかった生徒たち、見えなかった景色。

忘れられない1年になりました。

 

年度末、最後の授業が終わった後、貸与されていた備品をK本部長に返却し、書類にサインをして。

私はこらえきれずに大泣きしてしまい、K本部長にまともに挨拶することすらできませんでしたね。

お伝えしたいことは山ほどあったのに。

ただ「ありがとうございました」と頭を下げるだけで精一杯でした。

 

遅くなりましたが、今、伝えますね。

 

R塾で働いた4年間は、本当に苦しかったです。

この仕事に向いていると思ったことは一度もありません。

むしろ、入社して1ヵ月も経たないうちに向いていないと悟りました。

自尊心は粉々に砕け散って、涙が枯れるほど泣きました。

 

それでも4年間R塾の仕事を続けられたのは、こんな私を「先生」と呼んでくれた子どもたちと、劣等生の私を見捨てずに指導してくださったK本部長のおかげです。

 

K本部長に育てられた人たちはみんな優秀で、私は本部の恥でした。

本当はもっともっと貢献したかった。

もっともっとR塾で働きたかった。

もっともっとK本部長の役に立ちたかった。

期待に応えられなくてごめんなさい。

 

だけど、K本部長のもとに異動していなかったら、塾講師の仕事の楽しさを知る前に辞めていたと思います。

K本部長に出会えて本当に良かった。

私が心から尊敬する人、私にとってのカリスマはK本部長だけです。

 

ありがとうございました。

この御恩は一生忘れません。

 

まだまだ寒い毎日です。

どうかお身体を大切に。

 

お元気で。

 

 

敬具

 

最近、考えがまとまらない病になったかもしれない

こんにちは。

 

最近、あまりブログを更新できていなくて。

時間がないわけではないんですが…

 

いや、むしろ時間はある。

語学学校はほぼ週1、歯医者は月1。

バイトは残業ばっかりで夕食を作るのがだるいけど、バイトに行く前にある程度用意しておくこともできるし。

何やかんや言ったって、フルタイムで働いているわけでも、育児をしているわけでもないので、時間はたくさんあるんですよ。

なのに、書けないんですよね。まとまらなくて。

 

一応ずっと書きたいと思っていたことはあって、書こうとするんだけど。

途中で「う―――ん…」ってなっちゃって、最後まで到達できない。

 

これを書いているのは土曜の早朝。

普段ならぐーぐー寝ているのですが、今日は5時前に夫を会社のゴルフに送り出し、そのままブログを書いているのです。

午後は歯医者に行くのだけど、それまではたっぷり時間があるからブログいっぱい書くぞー!と思ったのですが…

まあ書けない(笑)

 

今書きたいなぁと思っているのは、めちゃざっくりいうと

・自分の今後の人生のこと

・結婚生活について思うこと

・自分の性格について

・高3のときの出来事

などなど、自分の内面に深く関わることばっかりなんですよね。

 

このブログのタイトルは「家族や友達に話しにくいけど、でも誰かに話したいこと」だけど、お互いに顔も本名も知らないとしても話すべきではないことかもしれない。

あるいは、話す相手が誰かということより、私自身がそれを言葉にしてしまって良いのか、はっきりとさせないままで頭の中に置いておいた方が良いのではないか、ということもある。

 

そんなことを考えてしまって、最近は書きたい気持ちも時間もあるのに書けないのです。

 

それでも、せっかく今日は時間があるのに、書けない書けないとウダウダ言っていて1つも更新できなかったらもったいない!もったいなすぎる!

ということで、仕方なく「記事が書けない」という記事を書いているというわけです(笑)

ここまで無意味な記事、今まであっただろうか。いや、ない。

 

何でしょうね。上手く書かなきゃと思い過ぎているのかもしれない。

そんな気張ったところで突然劇的に上手く書けるようになるわけでもないし、好きなように、楽な気持ちで書けばいいのに、と自分でも思っているんですけどね。

 

早いもので、ブログを始めてからもうすぐ丸4か月になるんですよね。

別に楽しく続けられればいいじゃんと思う一方で、4か月間何も進歩していない自分が残念で。

そんな気持ちもあって、スムーズに文が出てこないのかもしれません。

 

でもまあ、そんな時期があってもいいよね。

 

何の役にも立たない記事をここまで読んでくださったあなたは、天使もしくは菩薩ですね。

ありがとうございます。

もう少し肩の力を抜いて書いていこうと思います。

 

3時台に起きるとさすがに眠くなってくる…(-_-)

いや、でも寝ないぞ。