家族や友達には話しにくいけど、でも誰かに聞いてほしいこと

家族や友達には話しにくいけど、でも誰かに話したいこと

日々いろんなことを考え、悩むけれど、家族や友達には話しにくい。でも誰かに話したい。そんな話をつらつら綴ります。アラサー、子無し主婦、海外在住、駐在妻。

病気を克服したNちゃんの話

こんにちは。
待宵スークです。



8月に帰国した際、小学校1年生からの友達に久しぶりに会いました。

昨年の秋以来かな。

昔から変わらない垂れ目がチャームポイントのNちゃん。
ちなみに私はつり目です(聞いてない)。



Nちゃんおすすめの美味しい天ぷら屋さんで食事して、その後カフェに行って。

3時間くらいでしたが、とても楽しく過ごしました。





Nちゃんと私は、小学校時代は6年間同じクラス。
小3~中3まではバスケ部でも一緒。

交換日記とかしてたわ...
めちゃ懐かしい(笑)


私は小中学生時代は成績優秀だったので、Nちゃんの中ではきっと今でも私は「頭の良い子」。


だけど、Nちゃんは学年でトップクラスに足が速くて。
50m走のタイムは私より1秒くらい速かったんじゃなかろうか。

小6?の運動会の色別対抗リレーで走る順番がNちゃんと同じになってしまい、遥か後方から背後まで追い付かれたのがとても印象深い思い出。



中学校では3年で同じクラスになり、高校生になっても遊ぼうねと約束したけれど、少しずつ疎遠に。

私はバスケ部、Nちゃんは帰宅部だったので、時間が合わなくなって。



成人式で久しぶりに再会して楽しく話したけれど、その後は続かず。
大学時代はこの1回しか会っていないかも。




就職と同時に私は地元を離れました。


仕事に忙殺されて実家にすらあまり帰らず、親には心配をかけてしまったなぁと思います。
学生時代の友達ともたまにしか会っていませんでした。



しかし、社会人4年目の夏頃、Nちゃんが久しぶりに連絡をくれました。
良かったら久しぶりに会いたいな、と。


私はとても嬉しかったので、新幹線で日帰り帰省。


Nちゃんは都内で働いていて、キラキラした顔で仕事の話を聞かせてくれました。

とても忙しくて、私との待ち合わせの前も事務所に寄ってきたそう。


でも、仕事の資格のために勉強している話、尊敬している先輩の話、同僚や後輩と家で飲み会をした話など、とにかく楽しくて充実している様子。


彼氏さんのことも少し教えてくれて。


東京で働いてるだけでも私にとってはめちゃくちゃ羨ましいのに、ザ・リア充!!という感じでした。




その年度で私は仕事を辞め、地元に戻ります。



そして今の夫と出会い、デートをしていた日のこと。

Nちゃんと久しぶりに再会した夏から1年数ヵ月後です。



たまたまその日はNちゃんの誕生日で、私はLINEを送っていました。

「お誕生日おめでとう!元気にしてる(*^^*)??」

こんな感じの。



当時はまだ彼氏だった夫と2人で、東京ドームシティを楽しむ私。
まだ3回目くらいのデートだったんですよね。
ラブラブの頃です(笑)


しかし、デート中にNちゃんから届いた返信を見て、私は言葉を失いました。






「実は今、白血病で入院してるんだ」





白血病って...や、やばいやつじゃん。
ドラマの登場人物が白血病だったら、ほぼ間違いなく助からない。



嘘でしょ??
去年の夏はあんなに元気で楽しそうだったのに、どうして...?

私たち、まだ27歳だよ?





都内の病院に入院してるとのことで、私は良かったらお見舞いに行きたいと言いました。

しかし、検査の数値が良いときでないと面会はできない、と。

当然のことながら、LINEの文面はとても暗くて。

本人だってどんな病気か分かっているわけだから、仕方ない。




その後も数ヵ月に1度LINEを送って、お見舞いを申し出ました。

しかし、検査の結果が良くないからごめんねと断られたり、来週検査があるからと言われたまま返事が来なかったり。



もしかしたら、自分の体調や未来のことで精一杯なのに、気を遣われているのが苦痛だったのかもしれません。


実際、当時私は何て声をかけるのが正解なのか分かりませんでしたから。


病気のことをよく知りもしないで「大丈夫だよ!」「頑張って!」なんて言えない。


風邪だったら「早く治るといいね」と軽々しく言ってしまうけど、命に関わる病気だし。


いっそのこと、病気なんか一切関係ないかのような内容を送れば良かったのかもしれないけど、相手がどう受け取るかは分からない。



結局、お見舞いには1度も行けませんでした。






最近は調子が良いから会えるよ、という返事をもらえたのは、病気だと聞いてから2年後のこと。



あの夏と変わらない、垂れ目がチャームポイントのNちゃん。
でもちょっと痩せてたかな。



それまで治療の詳細は全く聞いていなかったけれど、骨髄移植が叶ったのだと、そのとき教えてくれました。


弟とは型が合わなかったんだけど、ドナー登録者の中に合う人がたくさんいてラッキーだったよ、と笑顔で話すNちゃん。


しかし、「あれだけ辛い治療を乗り越えて生還したんだから、不注意とかちょっとしたことで死んでたまるか!と思って生きてる」とも言っていました。


何がどんなふうに辛かったのか私には想像もできないけれど、その「死んでたまるか」がとても印象的だったなぁ。



それから、「どうして私が、と思ったりした?」なんてことも私はつい聞いてしまったんですが。

Nちゃんの答えはこうでした。


「最初はそう思ったけど、でも『じゃあ誰なら良かったの?』って。家族や友達でももちろん嫌だし、知らない誰かならいいわけじゃない。たまたま自分だっただけ」




「病気は辛かったけど、病気になって実家に戻ったおかげで、家族とたくさん過ごすことができた」とも。

確かに、社会人4年目の夏に会ったときは仕事の話ばかりだったなぁ。
それはそれでいいことだけど、特に若いうちは家族との時間を疎かにしがちだもんね。






その後、小学校時代の友達も交えて2回ほど会い、そして今年の8月に至ります。



帰国する前は「Nちゃん、いつもお土産の要望が多すぎんねんコラ(゚Д゚#)」と思ったけど、合うとやっぱり楽しいし、嬉しい。


治療中に抜けてしまった髪の毛も、今ではすっかり元通りになったらしい。
時短だけど仕事にも復帰できたんだって。




しかし、治ったとはいえ、まだまだ通院は続くそうです。
例えば、骨髄移植をしたために免疫力が3歳児レベルに戻ってしまったから、予防接種が必要だとか。




他にも、病気を打ち明けられなくて、うまく行きそうだった男性と別れざるを得なかったこと。

妊娠できない体になってしまったので、結婚は無理かもしれないこと。

以前のようにフルタイムで働けなくなってしまったので、将来の見通しを立てられずにいること。


「もし病気にならなかったらーーー」


かつて思い描いていた未来は叶わない。
彼女の心と体に残された傷は浅くない。


それでも前向きに生きようとするNちゃんは、強くて素敵な女性だと思う。



生きててくれて良かった。
本当に。これに尽きる。


今この世界にあなたが存在していることの喜びを、噛み締めずにはいられない。


生きていれば、いくらでも助け合える。
支え合える。励まし合える。



彼女の抱える苦悩を、私が完璧に理解することは難しいかもしれません。

ふとした一言で傷付けやしないかと、慎重に言葉を選んでいるのも確か。


だけど、ずっと一緒に歳を取っていける、これ以上に尊いことはないですよね。





Nちゃんと同じ病気で苦しんでいる人が、今日も世界中にたくさんいます。
もしかしたら私だってなるかもしれない。



どうか全ての人々に、光溢れる明日を。



なんか、怪しい宗教のキャッチコピーみたいだな...





どうか全ての人々が、治りますようにーーーー!!!
元気になりますようにーーーーー!!!

治れーーーー!!!

治れーーーーーーーーーー!!!





おしまい!