家族や友達には話しにくいけど、でも誰かに聞いてほしいこと

家族や友達には話しにくいけど、でも誰かに話したいこと

日々いろんなことを考え、悩むけれど、家族や友達には話しにくい。でも誰かに話したい。そんな話をつらつら綴ります。アラサー、子無し主婦、海外在住、駐在妻。

学校の勉強は将来の役に立たないとよく言うけど

こんにちは。待宵スークです。
私のブログを開いてくださって、ありがとうございます。

 

 

今回は、学校の勉強について以前から思っていたことを書こうかなと思います。

こういうテーマで書いたことがないので、話を広げすぎてワケ分からんことにならないように気を付けます(汗)

 

※この記事で言う「学校の勉強」とは、小学校~高校普通科で習う国語・数学・理科・社会・英語を指します。

専門学校や大学の専門性の高い学部などで学ぶものは除きます。

 

 

学校の勉強は将来の役に立たない

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「学校の勉強は将来の役に立たない」と言う人がよくいます。

 

子どもは「方程式なんてできるようになる必要があるのか」「一生日本で暮らすから英語なんて話せなくていい」とよく文句を言いますよね。

 

(今の日本の英語教育の良し悪しは別として)「英語はやっとけ。自分にはそのつもりがなくても外国で暮らすことになるかもしれんぞ」と私は思いますが(笑)

 

小学校で学ぶことは生活していく上で最低限必要な内容が多いのでいいとして(小学校高学年の算数は結構難しいですが)…

 

特に中学生以降の数学、理科(物理、生物、化学、地学)、日本史、世界史など、苦しんだ方は多いのではないでしょうか。

内容が高度で覚えることも多く、学ぶ意味も見出せず…

 

私もそうです。思い出したくもない高校時代の数学追試地獄…

数学を学ぶことで論理的思考力を…とかいうレベルを超えてますやん絶対!!

むしろ難しすぎて思考停止してました。

苦しまなかった人が本当に羨ましい!!

 

そして実際、大人になってみて「あんな勉強、やっぱり使わなかったじゃん」と思っている方も少なくないと思います。

化学のモルとか数学のインテグラルとか…文系だった私は「あーそんなのあったわ(笑)」っていうくらいにしか覚えていません。

 

 

難しい勉強は何のためにするのか

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学校の先生やお子さんをお持ちの方は、子どもから「何でこんなこと勉強しなきゃいけないの?」と聞かれることがあると思います。

 

「筋道を立てて考えることを学ぶためだよ」とか「自分で問題を解決する練習だよ」とか、答え方はいろいろあると思いますが、

 

なぜ数学でなければいけないのか?

なぜ化学でなければいけないのか?

(すいません、私がこの2つ特に苦手だったので笑)

なぜ全員が同じものを学ばなければいけないのか?

頭を鍛えるのが目的なら、他のものでも何でもいいのではないか?

 

これらの問いに答えるのはなかなか難しいのではないでしょうか。

 

「学校の勉強は子ども一人一人の豊かな人生のため」だとすると、「希望した仕事に就けるように」「将来の選択肢を狭めないために」といった答え方になるかなと思います。

 

確かに、現在でも日本では学歴が就職に大きく影響するので、その回答は間違っていません。

 

けれども、それでは「なぜ将来使わない数学や化学を学ばされているか」の根本的な答えにはなりませんね。

 

 

なぜ全国民が教育を受けるのか

子どもに聞かれてこう答えるべきかは別として、私は

学校教育とは 国家の発展に貢献できる人材を

発掘するのが目的だから

だと思います。

 

ここでいう国家の発展に貢献できる人材とは、主に学術分野で活躍できる人、分かりやすい例を挙げるとノーベル賞を取れるような人のことです。

先日、本庶佑さんがノーベル医学生理学賞を受賞しましたね。

賞を取れるかどうかが重要なのではありません。

そういった研究に携われるのは、優れた知能、探究心、向上心、不屈の精神などを併せ持った一部の人間だけ。

その素質のある国民を発見するためには、全国民にさまざまな分野を学ばせてみるのが一番いい方法なのです。

 

例えば、がんの研究者を100人育てたいとします。

その際に最初から子ども100人だけに教育を施しても、全員が研究者としてふさわしい人材に成長するか分かりません。

できるだけたくさんの子どもに勉強させて、その中から優秀な人材を選んでいった方が確実なはずです。

 

ということで、国家の人材発掘から大半の人は脱落し、学術的な研究には直接関係のない仕事に就きます。

だから多くの人にとって「学校の勉強は将来の役に立たない(使う機会がない)」となるわけです。

 

とはいえ、学術的な研究に携わることだけが国家への貢献だといっているわけではありません。

本庶さんも、昔を知る友人に確か「彼は研究者としては素晴らしいけどサラリーマンには向いていないだろう」みたいなことを言われていましたよね。

「世界は誰かの仕事でできている」

この某缶コーヒーのCMのフレーズ、私はとても好きです。

私ですか?専業主婦ですけど…子どもつくらない宣言までしてるし、国家への貢献度は低いでしょうね…

 

終わりに

今回は、テレビやネットでよく「子どものための教育を!」と叫ばれているけど、国民の中から優秀な人材を探し出す必要があるという観点が結構忘れられているのでは?と思い、書いてみました。

特に「子どもの個性を伸ばせ!教科書に沿った勉強なんかより、興味関心のあることに打ち込ませるべき!」みたいなのはちょっと違うんじゃないかなーと。

 

このことに関連して、さまざまな問題がありますが…

 

・将来直接的には使わない勉強に時間とお金を割き、その成果で大学が決まり、さらにその大学のレベルによって就職事情に大きな差が出ることの是非

・優秀な人材を育成するため、日本も飛び級制度を取り入れた方が良い

・「脱落」した人も、その勉強を続ける意味があるのか

・続けるべきでないとするなら、大人になるまでに何を学ぶべきなのか

 

などなど。

しかし、これらについては私は今のところ答えを持っていませんので、触れないことにします。

 

うーーーん…

うまくまとまったのかしら(汗)

こういう文はやはり難しいですね…

 

 

それでは、今回はこの辺で。

お読みくださって、ありがとうございました。