家族や友達には話しにくいけど、でも誰かに聞いてほしいこと

家族や友達には話しにくいけど、でも誰かに話したいこと

日々いろんなことを考え、悩むけれど、家族や友達には話しにくい。でも誰かに話したい。そんな話をつらつら綴ります。アラサー、子無し主婦、海外在住、駐在妻。

この2ヵ月のこと

こんばんは。

お久しぶりです。

 

待宵スークです。

 

 

先に申し上げておきますと、この記事は「辛いね」とか「大丈夫?」とか言われたい下心満載みたいな記事です。

 

いや、何て言ってもらいたいのか、何を期待しているのか、自分でもはっきりとは分からないけれど。

 

 

一方で、そんなことをわざわざ自分から白状するのは、読んでくださった方に慰めの言葉を強要するような記事を投稿するのは申し訳ないなとも思うから。

 

「あーこれ読んじゃったら何か言ってあげないといけないやつ?」みたいなのって、うざいじゃないですか。笑(←うざくない?私の心が冷たいだけ?すいません)

 

 

公開するからにはたくさんの人に読んでもらえた方が嬉しいし、反応もほしい。

でも、気を遣ってコメントさせるのは何か悪いから、せいぜい読んだ印としてのスター1つくらいでも十分ですごめんなさい、みたいな気持ちもすごくある。

 

 

 

分かったよ、もうグダグダうるさいから早く書けよ、って声が聞こえてきそう。笑

 

 

 

暗いし、重いし、無駄に長いです。

 

Twitterで日頃よく絡んでいるし、一応読んでおいてあげた方がいいのかな、とか気を遣ってくださる方がもしいらっしゃったら、大丈夫です。本当に。

 

読んでもらいたい気持ちと、こんなのを晒して大変申し訳ないと思う気持ちが混在していて、公開しようかどうしようか、私自身ものすごく迷っているところ。

 

でも、公開するならどうしても今日がいいんです。

(結局、ちょっと過ぎちゃった。笑)

 

 

途中で嫌になったら遠慮なく離脱してください。

先に「起承転結」的なの書いておきますので。

 

え、転と結も書いちゃうの?笑

うん。書いちゃう。もったいぶるほどのものでもない。

 

 

起:親友が亡くなって2ヵ月が経ちました

承:親友の人生はとても過酷なものでした

転:私は親友の悲しみを救えなかったのかと悩みました

結:親友が私に勧めた歌に少し救われました

 

 

はい、こんな感じです。

 

 

それから、いつものことといえばそうなんですが(笑)、途中から文体が変わっていきます。

今は「ですます調」ですが、なぜか突然「である調」に。

そういうふうにしか文が出てこなくなっちゃったら、それにまかせて書くことにしてるので、すみませんがお許しください。

 

 

 

ではでは、よろしくお願いします~~~。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

なぜこの記事を書きたいと思ったか。

 

なぜ今日投稿したいと思ったか。

(過ぎちゃったけど)

 

 

 

 

親友の誕生日なんです。

 

 

 

6月14日は、3月末に亡くなった私の親友の誕生日。

 

 

私は現在ブログを休止していますが、それは私が親友からのLINEに気付いていながら未読スルーしてブログを書いていたときに、親友が死んだから。

 

今はライター(といっていいのか分からないけど)の仕事は少しだけ受けていますが、それは後述の「親友と私の夢」に関連する分野だからです。

 

以前のようなフツーの雑記ブログを書く感覚は、すでに忘れてきてしまっているかも。

 

 

 

 

 

親友の名前は「T」と言いました。

 

 

 

 

Tの死を知った4月2日から、丸2ヵ月以上。

 

 

冒頭に「辛いね」と言ってもらいたいなんて書きましたが、ぶっちゃけ今はもう辛くないし、悲しみもあまり感じません。

寂しさは少しあるかな。

 

 

Tの死を受けて、私の中で何かしら変わったものがあるのかもしれないとは思うけど、別にもう苦しくない。

 

Tのことを毎日考えてはいるけど、涙を流すことはほとんどない。

 

考えている時間そのものもずいぶん減ってきました。

 

 

 

私のメンタルが強すぎなのか。

心が冷たいからなのか。

実はまだあまり実感が湧いていないのか。

 

 

 

まぁよく分からないけど、まだたった2ヵ月なのに、こんなもん?

 

 

でも、そういうことではなくて、抱く感情の種類?が変わってきたような気もしている。

 

 

 

Tが亡くなってからの2週間くらいは、毎日のように泣いていた。

病死なのか、事故死なのか、自殺なのか、それをどうにかして知りたくて、警察とのやり取りが長引いたせいもあった。

 

 

結局Tの死因は分からずじまいで、もやもやした気持ちを残しつつも、3週間くらい経った頃からだんだん泣かなくなった。

早くも悲しみが薄れてきた気がした。

 

 

そうなると、今度はそんな自分に少し戸惑いを感じ始めた。

「もっと苦しまなくては」と思うようになった。

 

 

もっと苦しまなくては。

私はTの親友だもの。

親友が死んだんだもの。

 

 

私はTの唯一無二ともいえる親友。

私が苦しまなかったら、他に誰が苦しむの?

私がTのことを忘れて呑気に暮らしたりなんかしてはいけない。

 

 

Tはずっと苦しみながら傷付きながら生きてきて、私が救えなかったせいで自殺したのかもしれないのに。

私だって同じように苦しまなくては。傷付かなくては。

 

 

 

そんな思いから、Tの死によってたぶん心に負ったはずであろう傷を、自分の目で見えるように体に刻み込もうと思うようになった。

 

といっても、刃物でがっつり流血するようなやり方は恐くて出来ないビビりなのでご心配なく。

 

万一そんなことしたら、さすがに夫にバレるしな。

海外なので、うっかりやり過ぎちゃったときにサッと病院にも行けないし。

 

 

だけど、ちょこっと傷付けたくらい、すぐ治っちゃうんだね。多少の痕は残るけど。

私は生きてるんだもんね。

 

Tの痛みはこんな軽いものじゃない、と思って何度傷を付けても、やっぱり治ってしまう。

 

 

これっていわゆる自傷でしょ?

何のためにこんなことしてるんだっけ。

 

 

Tを失った悲しみを、Tの心の痛みを、忘れないようにするため。

 

いや、少し違う。

 

忘れてない、私はちゃんと苦しんでる、って自分自身に示すため。

 

馬鹿としか言いようがない。

 

 

 

 

Tの存在が私にとって非常に大きなものだったことだけは確かだ。

 

だからこそなのか、凪いだ海のように心の落ち着きを取り戻して、何もなかったかのように生活している自分がちょっと信じられなくて。

 

どんな感情を抱いているべきなのか分からないのだ。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

Tの人生は過酷だった。

 

 

あまり詳しくは言えないけど(私も全てを知っているわけではないし)、たった一人の家族である母親によって、人生の全てを狂わされた。

 

 

幼少期から貧困に苦しみ、いじめに遭い、それでも子どもを守ろうとしない母親。

愛情に飢え、そして他人を信じることができないまま、Tは大人になった。

 

20代の頃に実家を出て地元を離れ、一人暮らしを始めるも、相変わらず余裕のない生活だったらしい。

 

 

Tが関東に来て5~6年ほど経った頃、私と出会った。

 

 

 

当時、Tは42歳、私は27歳。

 

一回り以上離れている。

 

 

 

実は性別も違う。

 

 

 

知り合ったきっかけや親しくなった経緯は残念ながらここでは書けないけれども、互いに「親友」と認め合えるほどの仲になるとは、微塵も思っていなかった。

 

 

 

念のため言っておくけど、いや、重要なことだから言わせていただくけど、恋愛関係だったことは一度もない。

 

もちろん寝たことなんかないし、抱きしめたことも、手を握ったことすらない。

 

警察に通報したとき、Tの生年月日や電話番号、職場は知っていたけど、住所は最寄駅までし分からなくて困ってしまった。

互いの自宅に行ったことなんかなかったから。

 

 

 

親友が異性であることを今までTwitterやブログで隠していたのは、妙な推測をされるのを避けたかったからである。

 

いや、「妙」ではなく、異性ならば何かしらはあったのではないかと考える方が普通かもしれない。

「男女の友情は成立するか」なんていう議論があちこちで見られるくらいだから。

 

 

それから、夫よりもTと出会った方が先で、私の親しい友人の1人として夫もTのことは一応知っている。

 

ただ、Tが亡くなったときは、夫から見れば妻が別の男のことでメソメソと泣いていたわけで、さすがに不快感を露わにした。

私は「何でこの悲しみに寄り添ってくれないの」と正直幻滅しかけたが、今冷静に考えるとちょっと申し訳なかったかなと思う。

 

 

 

また、Tの方は恋愛感情を抱いていたんじゃないのかという人もいるかもしれないけど、それはない。

 

彼の想い人を私は知っていた。

これまた悲恋なんだよなぁ...

もう何年も会っていないそうだけど、Tにとっては恐らく命よりも大切な人。

 

親しかったにも関わらず想いを伝えなかったことを後悔しているなら、今からでも会いに行けば、と背中を押そうとしたことがあったのだけど、Tのあまりにも悲しい愛を語られてしまって、私の方が諦めざるを得なくなった。

 

 

 

 

年齢も違う、性別も違う、生きてきた人生も全く違う。

そんな私たちだったけれども、相手の感覚や考え方を尊重し、時には意見をぶつけ合い、愚痴も喜びも打ち明けられる親友になった。

 

 

もちろん、何もかも、一切隠すことなく全てをさらけ出していたわけではない。

そのこともお互いに分かっていた。

 

しかしながら、Tの全てを知ることは出来なくても、私はTのことを信じた。

私が私である限り、彼が私を嫌いになることはない。

彼は私のことを必要としてくれている。

 

そしてTも私のことを信じていると言った。

スークを信じられなくなったら終わりだ、と笑った。

 

 

 

先述の通り、彼は基本的に人を信じない。

母親によって傷付けられた心、失われた時間は、もはや取り返しようもなかった。

 

ごく普通の家庭に生まれ育った私にはとても理解しえない悲しみと孤独が、彼の言動の端々に滲んでいた。

 

 

悲しみが多い人ほど優しいんだ、なんてよく聞くけど、Tを見ているとそれは本当かもしれないと思う。

 

助けを必要としている人がいると、頼まれていなくても手を貸さずにはいられない。

ちょっとおせっかいなくらい優しい。

 

その優しさを利用するだけ利用されて、最終的に裏切られるということが多かった。

他人を信じられない、だけど本当は信じたい。信じられる人に出会いたい。

 

約束を破られては傷付いて、そして根無し草のように各地を転々として。

そうやって生きてきたのだ。

 

 

 

そんな彼が、私のことを信じていると言った。

苦しみばかりの人生だった彼に、親友ができた。

私が彼の親友になれたのだ。

それは私にとって、ものすごく嬉しいことだった。

(仲が深まるきっかけは、実はあまり良い出来事ではなかったのだけど)

 

 

 

私たちは、互いにあだ名で呼び合った。

他の誰も呼ばないあだ名だった。

 

彼のあだ名は正直カッコ悪い…というか40代の男性にしては可愛らしすぎて、「似合わない名前で呼ばれてんじゃねーよって周りに思われそう(笑)」と言っていたけど、そんなあだ名も私たちの絆の証の1つだった。

 

 

 

 

 

私はTによく無茶なお願いをした。

Tは嫌な顔一つせずに精いっぱい答えてくれた。

 

私もTから困ったことを何度も頼まれた。

私はちょっとくらい嫌な顔をしたかもしれないけど、全力で応じた。

 

 

 

共通点を見つける方が難しいような2人。

 

家が近いとか、クラスや部活が同じとか、会社の同僚とか、そういった2人を結び付けるような要素もほぼゼロ。

 

それでも親友になれた。

 

だから、この先どれだけ環境や状況が変わろうとも、関係が終わることはない。

きっと生涯の友だ。

 

そう思っていた。

 

 

 

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私はずっとTを幸せにしたいと思っていた。

 

 

私にはTの他にも友達はいるし、夫や家族のことももちろん大切で、みんな幸せになってほしいと願っている。

 

 

だけど、Tだけは、私が幸せにするんだ。

私が幸せにしなくちゃ。

Tを幸せにできるのは私だ。

 

 

義務感に近い思いがあった。

友情もあったけど、同情もあった。

 

 

T以外の友達や夫は、みんな家族も友達もいる。

 

 

だけど、Tはそうではない。

家族もいない、友達もいない。

若くもない、お金もない。

 

 

彼はヘビースモーカーで、酒も毎晩飲んでいた。

生活が苦しいなら、タバコや酒を減らして食費に回せばいいのに、と私は何度も言った。

すると彼は「酔っている間だけ自分のひどい人生を忘れられるってなったら、やめられなくなりますよ」と答えた。

 

 

 

 

私とTには、2人で叶えようとしていた夢があった。

 

それはもちろん私自身の心からの願望だったのだけど、Tのためでもあった。

 

 

Tには恐らく「自分のことを一番に愛してくれる」と思える人がいなかった。

 

母親には都合の良いペットのように扱われていたらしいし、恋人や妻もいなかったからだ。

 

直近の約3年間、Tにとって最も親密に交流した人間は私だと思うけど、私は結婚していて夫がいる。

 

 

自分のことを一番に愛してくれる人がいない ――― これってとても寂しいことなんじゃないかって。

 

 

もちろん私は一番も二番も関係なく、Tも夫も両方とても大切だ。

 

だけどTから見たら、必要とされているとは感じても、やはり一番にはなり得ないと思うだろう。

 

 

だったら、一緒に夢を実現させて、Tと仕事上のパートナーになれれば。

 

私はTの家族ではないし、配偶者にもなれない。

親友というのも、それだけではどこか心許ないかもしれない。

 

だけど、仕事上のパートナーなら、夫や他の友達には踏み込めない領域だ。

互いに最大の理解者だからこそ務まるものでもある。

 

 

夢を叶えることができたら、Tもきっと幸せを感じてくれる。

孤独と苦しみに満ちた人生だったけど、生きてきて良かった、そう思ってくれるに違いない。

 

 

まぁ、私がこんなふうに考えていることは、さすがにTには言えなかったけど。

傲慢だろうか、とも思っていたし。

 

 

 

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実は今年2月下旬頃(亡くなる約1か月前)から、Tはとても辛い目にあっていた。

 

私も詳細まで全て知っているわけではなく、Tが私にさえ言いたがらない内容もあったけど、状況が変わるたびにTから報告を受けていた。

 

 

私がLINEを未読のままにしていた3月25日、何かあったのかな。

 

でも今までだって、未読にしていてもさらにLINEを送ってくることなんか珍しくなかったんだ。

良いことでも悪いことでも、すぐ聞いてほしい何かがあったらよく「追いLINE」をしてきていたし、それは私も同じだった。

 

 

Tは自殺したり突然行方をくらましたりはしないって言ってたもん。

 

 

だけど、普段は自殺なんか考えてなくても、私のことを信じていたとしても、突然とてつもない寂しさや孤独感に襲われて、死を選んでしまうこともあるのかもしれない。

Tだったら正直そんなこともあり得るな、と思ってしまう。

 

 

あの日、私がLINEを返していたら。

 

 

何も特別なことなど言わなくても、他愛ない会話の続きを送っていたら。

 

きっとTは踏みとどまったのではないか。

自分には親友がいるって、一緒に叶える夢があるって、思えたのではないか。

 

 

私ならTを救えたはずだった。

だって私はTの親友だもの。

 

もし私に救えなかったのなら、他の誰にも救えなかったはずだ。

 

この3年ほどの間、Tと最も親密に交流した人間は私だったんだもの。

 

自宅で亡くなってから1週間、海外に住んでいる私がTの勤務先と警察に通報するまで、誰にも発見されなかったくらいだから。

 

 

 

いや、自殺だとは限らないんだけどさ。

すごく不健康な生活をしていたから、むしろ可能性として一番高いのは急病かなと思ってる。

急性ナントカみたいなやつ。

 

 

 

でも、死因が何であれ、結局私はTを幸せにすることは出来なかった。

 

私はTに何かしてあげられただろうか。

Tの人生をわずかでも明るくすることができただろうか。

 

 

私はTに力を貸してもらわなければ乗り切れなかった局面がいくつもあった。

私もTを助けてきたつもりだけど、どれだけ心の支えになれていたのかな。

 

 

一緒にいる時間は、楽しいと感じてくれていたかもしれない。

Tにとって私が最も親しい友人だったことだけは、間違いないと思っている。

 

だけど、彼から見たら、私は温かい普通の家庭で育ち、四年制大学まで出て普通に就職し、20代後半で結婚して…って、所詮は分かりあえない存在だと思われていたのかな。

 

 

彼の悲しみを、物心ついたころからの寂しさを、心の奥深くに渦巻く闇を。

私には拭い去ることができなかったのだろうか。

 

 

己の無力を嘆くしかなかった。

 

 

 

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Tが亡くなってから、私はTとのLINEをよく読み返しては、寂しくなったり、何度読んでも面白いよなーと笑ったりしていた。

 

そして、もう読まれることのない新しいメッセージを何通も送った。

LINEのトーク画面の右側にだけ、未読の吹き出しがどんどん積み重なっていった。

 

 

 

 

Tの死から1ヵ月以上が過ぎた、5月上旬。

 

 

私が海外に引っ越す直前のLINEの会話を読んでいた。

つまり約2年前のやり取り。

 

 

Tとは1~2回だったと思うけど一緒にカラオケをしたことがあり、

「スークが引っ越す前に覚えて歌いたかったんだけど、間に合わなかったから聴いてみて」

というメッセージと、曲名がいくつか送られてきていた。

 

 

Tは歌が上手い。

 

初めてTの歌を聴くことになったときは、とてもTが歌うなんて想像できず、もし下手だったらどんなリアクションを取ればいいんだと内心ハラハラしてしまった。

 

しかし、聴いてみたらびっくり。めちゃ上手い。笑

下手だったらどうしようなんて身構えちゃってごめんと思った。

 

 

 

さて、挙げられていた曲名や歌手の大半は私も知っていたけど、その中に初めて見る名前があった。

 

 

「米津玄師」だ。

 

 

当時は2017年3月。

その頃からそれなりに売れていたらしいが、日本の音楽シーンに疎い私は全く知らなかった。

 

 

そして、私はそのとき、Tが「聴いてみて」と言った米津玄師の曲にあまり興味を持たず、聴かないままになっていた。

 

「歌詞の内容的に聴いてほしいのはこれだけど、『ゴーゴー幽霊船』とかもイイよ!」と言っていたけど、どれも聴かなかった。

 

『Lemon 』が大ヒットして、「米津玄師ってTが勧めてた歌手じゃん。へ~Tは流行を先取りしてたんだ、すご~い」と思ったが、それでも聴かなかった。

 

 

 

そしてTの死から1ヵ月あまり経ち、LINEを読み返していてそのメッセージを見つけ、ようやく聴いた。

 

 

先述の通り、この頃はもうあまり泣かなくなっていた。

 

 

 

しかし、聴いたら涙が止まらなくなった。

 

 

もちろん歌詞を書いたのはTではなく米津玄師であり、T本人の言葉ではない。

 

でも、これがTの気持ちだったのなら、私に伝えようとした想いだったのなら、なぜもっと早く聴かなかったのだろうと激しく後悔した。

 


・・・・・・



始めから終わりまで想いが重なる歌詞ばかりで、本当は全部載せたいけど、さすがに長いので少し削ります。

 

すでにこの曲を知っている方からすれば、「ここがイイのに、カットされてる!」と思うかもしれませんが、何卒ご了承ください。

 

 

 

 

 

アイネクライネ

米津玄師(作詞・作曲 Kenshi Yonezu)

 

 

あたし あなたに会えて本当に嬉しいのに

当たり前のように それら全てが悲しいんだ

今 痛いくらい幸せな思い出が

いつか来るお別れを育てて歩く

 

 

あなたにあたしの思いが全部伝わってほしいのに

誰にも言えない秘密があって 嘘をついてしまうのだ

あなたが思えば思うより いくつもあたしは意気地ないのに

どうして どうして どうして

 

 

消えない悲しみも綻びも あなたといれば

それでよかったねと笑えるのがどんなに嬉しいか

目の前の全てがぼやけては溶けてゆくような

奇跡であふれて足りないや

あたしの名前を呼んでくれた

 

 

何度誓っても何度祈っても惨憺たる夢を見る

小さな歪みがいつかあなたを呑んでなくしてしまうような

あなたが思えば思うより 大げさにあたしは不甲斐ないのに

どうして どうして どうして

 

 

お願い いつまでも いつまでも

超えられない夜を超えようと手をつなぐ

この日々が続きますように

閉じた瞼さえ鮮やかに彩るために

そのために何ができるかな

あなたの名前を呼んでいいかな

 

 

産まれてきたその瞬間にあたし

「消えてしまいたい」って泣き喚いたんだ

それからずっと探していたんだ

いつか出会えるあなたのことを

 

 

 

 

 

 

 

ああ、もう。

何て言ったらいいんだろう。

 

 

さっきも言ったけど、これはTが書いた言葉ではない。

それに、私がTの抱える苦しみや孤独を丸ごと取り除くことができたわけではない、というのも紛れもない事実だ。

 

 

だけど、私という存在に対してここまで思ってくれていたなんて。

この歌を「遠くに引っ越していくスークに贈ろう」と思ってくれたなんて。

 

 

 

私はTに何もしてあげられなかったのか。

Tの心の支えになれなかったのか。

 

そんな後悔と罪悪感が少しだけ救われた気がした。

 

 

 

それと同時に、今のこの気持ちは、もうTには伝えられないということが堪らなく悲しくて。

 

もうただただ泣くしかなかった。

 

 

 

そして、また別の後悔が。

 

 

もっともっと、Tに私の気持ちを伝えれば良かった。

 

どれだけ大切に思っていたか。

どれだけ必要としていたか。

他の誰でもないTのおかげで、私がどれだけ楽しい時間を過ごせたか。

 

 

言葉だけではなくて、たった一度だけでもTを抱きしめれば良かった。

せめて手を握ってありがとうと言えば良かった。

 

 

Tが誰かに愛されたいと願い、温もりを求めていたことを、痛いほど知っていたのに。

 

 

そりゃあ彼氏(夫)がいるのに別の男性を抱きしめるなんて、普通はダメだけど。

分かってる。

でも何ていうか、そんなんじゃなくて。

 

男とか女とか、そんなんじゃなくて。

 

 

母親に愛されずとも、たくさんの人に裏切られようとも、恋人や妻を得られずとも。

 

私がTのことを愛してるし、絶対に裏切らないし、唯一無二のパートナーだって伝えたかった。

 

その最善の方法が抱きしめることなら、抱きしめれば良かった。

 

 

 

Tと一緒に過ごせる日々が、たった3年8ヵ月しかないと知っていたら...

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

Tは、亡くなってから未だに一度も夢に出てきてくれない。

生きていたときも、覚えている限り1回しか出てきたことがないけど。

 

 

でも、私も死んだらTに会えるのかなと思ったら、いつか必ず訪れる死が少し怖くなくなった。

 

 

 

でも、死んだら本当に会えるんだろうか。

 

生まれ変わったら会えるんだろうか。

 

 

 

たぶん会えないんだろうな。

 

 

 

長く生きられなかったTの分まで、私は全力で生きる。

Tと2人で叶えようとしていた夢を、これからも追いかける。

きっとTが天国から応援してくれている。

 

 

…って言ったら何だか美しくて良いのかもしれないし、私もそう思いたい気持ちはある。

 

 

だけど、私が何をしたって、何を叫んだって、Tにはもう何も届きはしない。

 

Tが生きている間にできなかったことは、今から補いようがない。

 

 

死ぬというのは、そういうこと。

 

 

死んだあの人のために、なんていうのは、生きている人間が悲しみや後悔を少しでも和らげたいがために言っているだけ。

 

 

 

残された者は、全部背負って生きるしかない。

何ヵ月、何年経てば軽くなるのか、一生ならないのか、今の私にはまだ分からない。

 

 

 

とりあえず、まだしばらくはLINEも送り続けると思うし、たまに自傷もすると思う。

先述の通り、自傷なんていってもかる~いやつですよ。

 

 

そして米津玄師の「アイネクライネ」をこの先も何十回、何百回と聴くだろう。

 

 

 

Tを忘れることはないなんていうのは当たり前だけど、いつまでも悲しみを忘れたくない。

もっと苦しみ続けたい。

もっと深く深く傷付いていたい。

 

 

 

 



Tが亡くなって2ヵ月間の想いと、Tの46回目の誕生日にあたって考えたことを形にしておきたくて、書きました。

 

 

だから何ということは特にないのだけど。

 

 

 

 

だらだらと長くまとまりのない文章を、最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

 

 

明日も明後日も、あなたとあなたの大切な人が元気に生きられますように。