家族や友達には話しにくいけど、でも誰かに聞いてほしいこと

家族や友達には話しにくいけど、でも誰かに話したいこと

日々いろんなことを考え、悩むけれど、家族や友達には話しにくい。でも誰かに話したい。そんな話をつらつら綴ります。アラサー、子無し主婦、海外在住、駐在妻。

劣等感が服着て歩いてる

こんにちは。待宵スークです。

私のブログを開いてくださって、ありがとうございます。

 

 

 

よく、高価な服や宝石などを全身に身に着けている人を「歩く○億円」と言ったりしますよね。

とても物知りな人を「歩く百科事典」とか。

 

 

会社に勤めていた当時の私は、頭のてっぺんからつま先まで劣等感の塊で、まさに「歩く劣等感」でした。

 

 

 打ちのめされた新卒時代

 

私が新卒で入った会社は、とても厳しいところでした。

そもそも離職率の高い業界でしたが、その会社は3年目までの離職率が6割を超えており、2週間の新人研修~半年以内で辞めていく人がたくさんいました。

※何の業界かを書いてしまうと、分かる人が読んだら分かってしまいそうなので控えます。まだそのあたりのさじ加減が掴めていないのでお許しください。ざっくりいうとサービス業です。

 

 

1年目に配属された支社は、古い体育会系の雰囲気といいましょうか・・・例えるならば「水なんか飲むな馬鹿野郎!それは甘えだ!苦痛に耐えれば耐えるほど強くなる!」といった感じでした。

その上、私ともう一人の新卒の女性以外は全員男性(配属された新卒は全部で4人、男2人・女2人)で、とにかく口も悪い。

あ  新卒の女性は3人でした。でも、(本当かどうかわかりませんが)ストレスで体調を崩し、新人研修が終わった2日後くらいに辞めました。

 

 

新卒時代は、毎日のように上司に叱られ、怒鳴られました。

とにかくもっともっと勉強と実践演習をしなくてはと、寝る間を惜しんで仕事に取り組みました。

入社してから夏頃までの間、ベッドで眠った日は確か片手ほどで、退勤後も24時間営業のファミレスで勉強することがよくありました。

それでも全く成果が出せず、お客様から頻繁にクレームを受けたり、自分のせいでお客様を失ったり・・・

 

 

一番辛かったのは、成果が出ないことに関して、もう一人の新卒の女性と比べて努力不足だと言われ続けたことでした。

「これくらいのこと、あいつ(もう一人の新卒女性)ならやってるぞ」

「あいつは寝ずに努力してる。あいつの方がよっぽど苦労してるぞ!お前はサボってる!」

確かに、彼女はとても真面目でストイックな人だったので、私よりも努力していたのかもしれません。

しかし、すでに限界まで睡眠時間を削り、休日も息抜きなどする気分にさえなれない状態だった私は、どうすればいいのか分かりませんでした。

 

 

そんな新卒時代にも、わずかではありましたが、お客様から喜んでもらえたことがありました。

もう辞めたい、と毎日思いながらも、ほんの少しの成功体験を糧に2年目を迎えます。

 

 

活躍する同期社員との格差

 

2年目からは別の支社に異動になりました。

その支社は同期が多く、職場の普段の雰囲気も1年目の支社より穏やかだったので、働きやすそうだな、心機一転頑張るぞと初めは思っていました。

しかしながら、異動してすぐに私の心は再び暗転してしまいます。

 

 

1年目は成果が出せないばかりかマイナスが多く、叱られてばかりで、できるようになったと自信を持って言えるものはほとんどありませんでした。

ところが新しい職場の同期たちは、すでに自分のポジションをしっかり持っていて、とても生き生きしているように見えたのです。

支社のトップの上司にも「うちの支社の2年目社員たちはみんな有能で、すでに立派な戦力になっている。君にも期待しているよ」と言われました。

一緒に仕事をしていても、みんな自信と確信を持って動いている。同期なのに私だけレベルが低い・・・

 

 

さらに、異動して初めの1~2か月は自分でもどうしてこんなことをと思うほど、簡単なミスを繰り返してしまいました。

ほんの少し確認すれば防ぐことができたようなミスばかりで、私の評価は下がっていく一方。

私に関係のないところで発生した問題が、探っていったら私のミスが原因だったということも頻繁に起こりました。

その頃自分の中で「待宵あるところにミスあり、ミスあるところに待宵あり」という悲しい格言をつくってしまったほどです。

 

 

幸いだったのは、1年目にいた支社とは違い、私が努力している・・・というか、もがき苦しんでいるのを上司たちが分かってくれたことでした。

決して有能ではなく、大きな成果をドンと出すことはできないけれど、待宵にしかできないこともあるからそれを任せよう、というスタンスで私を育ててくれたのです。

そのおかげでだんだん自分の戦い方が分かるようになり、少しずつ成果が出始めました。

こうして書いてみるとエライ情けない話ですが、当時の上司たちには今でもとても感謝しています。

 

 

後輩さえも私の前を行く、上を行く

 

苦悩しながら迎えた3年目。

3年目ともなると、後輩指導をするべき立場になり、有能であれば責任のあるポジションを与えられるようになる時期でもあります。

 

どんどん先を行く同期たちと、早くも結果を出してくる後輩たち・・・

 

ある同期が言いました。

「待宵さん、休みの日も勉強してるの?私絶対に休みの日は仕事のことしたくな~い!」

彼女は支社のトップの上司から秘書のように頼られていました。4年目には、会社全体の中でも大きなプロジェクトを任されることになりました。

 

ある後輩は8時半現場入りの日、8時半にやってきました。準備は途中まで私一人でやっていましたが、彼は眉一つ動かさずに「8時半入りですよね」と言いました。

彼はすでに私が達成したことのない数字を出していました。一方私は、彼よりもはるかに低い成績なのに上司から「やったな、成長したな」と褒められる有様でした。

 

私は置いていかれまいとますます必死になりました。

夜遅く帰宅して、お風呂に入って着替えてそのまま深夜に出社することもよくありました。

そのことの是非は別にして、どうにかして自分も必要とされるようにならなければ、居場所を守らなくては。

そのためには、他の人よりもたくさんのことをやるか、他の人がやっていないことをやらなければ、と いつも焦燥感に駆られていました。

 

どうして私は成果が出せないのだろう。

努力が足りない?やり方が間違っている?

他の人はもっと努力しているの?

私はもうこれ以上削れるものはないのに・・・

いやいや、まだ漫然と過ごしてしまっている時間もある。

私の努力が足りないんだ。

 

同期や後輩が結果を出しているのを見るたび、惨めな思いが強まっていきます。

私って本当にダメだな・・・みんなできているのに・・・

先輩や上司に褒められても、私がモチベーションを落とさないように気遣って言ってくれてるんだろう、とだんだん素直に受け止められなくなっていきました。

心の中は劣等感でいっぱいになっていました。

ああ、私って劣等感が服着て歩いてるみたいだーーーーー

4年目の後半に入る頃、そんなふうに思ったのでした。

 

 

劣等感が達成感を上回った

 

その仕事は、とてもやりがいがあり、達成感もあり、やっていて良かったと心から思う瞬間も何度もありました。

しかしながら、後輩の手本になるどころか負けている始末で、胸を締め付ける劣等感に耐えるのも限界でした。

結局、4年目を終えると同時に退職することになりました。

(その後、海外に行くまでは別の会社に勤めました)

 

 

今でも、私にとってこれよりも感動できる仕事はないだろうと思っています。

だけど・・・もう一度挑戦する勇気はないかな。

他に何のスキルもないのに、帰国後の就職どうしよう。

それはまた今度考えることにします。

 

 

それでは、今回はこの辺で。

お読みくださり、ありがとうございました。