家族や友達には話しにくいけど、でも誰かに聞いてほしいこと

家族や友達には話しにくいけど、でも誰かに話したいこと

日々いろんなことを考え、悩むけれど、家族や友達には話しにくい。でも誰かに話したい。そんな話をつらつら綴ります。アラサー、子無し主婦、海外在住、駐在妻。

【暗いです】もうTにはいつでも会える

暗いやつです!笑

亡くなった親友Tが~~っていう話。

読みたくない方はどうぞ遠慮なくブラウザバック!

 

 

 

 

 

 

 

はい。大丈夫かしら。

 

 

 

改めまして、こんばんは。

待宵スークです。

 

 

暗い記事は気持ちをどばばーーーって吐き出したいので、走り書きみたいになります。

ご了承ください。てへぺろ。

 

 

 

書こうかどうしようか迷ったんですけどね。

 

3月25日が(推定ですが)命日、私が通報してTの死を知った日が4月2日。

早いもので、もう半年。

 

いつも月末~月初は「ああ、もう〇ヵ月経ったのか」と考えてしまって、気が滅入りがちになります。

 

 

で、昨日がブログを再開してから初めての月命日だったわけなんですが、月命日だからって記事を書いてしまうと、毎月書かなきゃいけないような気分になっちゃうかなぁと思ったんですよ。

 

だから、あえて書くのはやめようか、と。

 

 

 

 

でもやっぱり何か書きたくて。

 

このブログは私の日々の生活や気持ちを記録していくためのものでもあるので、書きたいと思ったら逆らわずに書くことにします。

 

 

 

 

 

親友Tについて、最近考えていること。

 

 

 

前は、死んでしまったら私が何をしても何を叫んでも届くことはない、って書きましたよね。

確か、Tのことを長々と書いた記事に。

 

 

でも、今は幽霊的なやつがいつもそばにいることにしてます。

 

 

いつもそばに、とはいっても、生活の全てを見られているのは嫌なので(生前も見せてないし笑)、家の中には入ってこない設定。

 

 

バイトに行くときに家のドアを開けて、「おはよー」って感じです。

駅まで歩いてる途中も話しかけてます。

隣にいるつもりで。

「だいぶ秋らしくなりましたねー」とか。

 

Tの返事も何となくで脳内再生します。

「俺もう死んでるんで、暑いとか寒いとかないんすよ(笑)」みたいな。

Tっぽく、かつ幽霊っぽく。

 

こういうの、自分でも気持ち悪いことしてるなーって思うんですけどね。

なんか、頭大丈夫?おかしくなっちゃった?って。

 

気持ち悪いですよね。実際。うん。

 

 

 

バイトの帰り道もやってます。

いつもスーパーに寄って夕食の買い物をするんですけど、

「重い~。T持ってください」

「え~俺か弱いから無理です~」

みたいな。

 

気持ち悪いなー。うふふふ。

 

 

 

 

でもねー。

やってみると、これがわりと救われるんですよねー。

 

 

 

死んでしまったから、Tにはもう二度と会えない。

会えるとしても、せいぜい夢の中。

 

 

だけど、幽霊がそばにいるってことにすれば毎日会える。

いつでも会える。

生きてたときより会える。

もう一生お別れしないで済む。

 

 

幽霊設定でいこう、と思った最初の頃は、家に帰ってきてドアを閉めてしまうのが何だか悲しかったんです。

Tは家の中に入れない設定だから、閉め出すみたいで嫌だな、ごめんね、って。

 

でも、ある日「もういつでも会いたいときに会えるんだから、毎日別れを惜しむ必要ないじゃん」って気付いて。

 

 

「気付いて。」じゃねーよ頭マジで大丈夫?って思われてます?笑

自分でも今書きながらヤベー奴みたいだなと思ってます。

 

 

そんな感じで、気持ち悪い毎日を過ごしています。

 

 

 

 

とはいえ、外出中ずーーーっと脳内会話してるわけではありません。

 

 

ドアを開けて「おはよー」だとさっき書きましたが、忘れてることもあります。

 

歩いてるうちに存在(?)を忘れることもあります。

 

 

だって、実際にはいないじゃないですか。

 

さっきと言ってること違うじゃねえかって感じなんですけど、仮に幽霊が本当にいるとしても、会話は全て私の頭の中で生成されてるわけです。

幽霊のTからの働きかけは何もないのです。

 

だから、私が何か他のことを考え始めると会話も終了。

 

 

家を出たときから考え事をしていて、おはよーも言わず、ずーーーっと忘れてる日もあります。

 

で、歩きながらふと思い出して。

 

そうすると、「Tはずっといたのかな、忘れててごめん。寂しかったかなぁ…」とか思ってしまって。

 

 

でも、これも馬鹿みたいな話ですよね。

 

寂しい思いをさせられてるのはこっちなのに、何で死んだ人間が寂しいかどうかなんて心配してやらなきゃいけないんだ。

私の方がよっぽど寂しいわ。

 

 

そもそも、生きてたとき幸せだっただろうかとか、それだってもはや考えたって仕方ない。

生きてるんだったら全力でTを幸せにする方法を考えるけど。

もう死んでるので、今となっては正直どうでもいい。

 

 

街を歩いていると、カップルや夫婦、親子連れ、友達同士、楽しげに歩く人々がたくさん目に入ります。

 

みんな当たり前のように幸せそうなのに、なぜTには手に入らなかったのだろう。

 

っていう、これも考えたって仕方のないこと。

私が悲しくなるだけ。

 

 

 

 

 

あーーーそうそう。

 

時間が経つにつれてすごく思うようになったのが、Tを失ったのは私の夢にとって本当に大打撃ということ。

 

Tと一緒に叶えたい夢があったという話も例の長い記事に書きましたよね。

 

その夢は私一人でもやろうと思えば出来ないことはないし、諦めてはいないんですが。

 

 

でもやっぱり、実現までの過程を辿ってみても、実現したところを想像してみても、Tなしでは考えられない。

Tほど分かってくれる人はいないし、Tほど信頼できる人もいない。

(夢に関しての話です。浮気じゃないよ!笑)

 

はあ。どうしようかな。

投げ出したい。

 

 

幽霊に毎日話しかけてるとか言いながら、「Tが天国から応援してる!」「夢を実現させたらTも喜んでくれる!」とか考えるのはやっぱり何か違うんだよなー。

 

Tに話しかけてるのは私自身のためだもん。

Tを喜ばせるため、寂しい思いをさせないためじゃない。

 

幽霊がいるとか実際にはいないとか言ったけど、死んだ人間にはもう何も届かないという考えは何だかんだ一貫してるんですよね。

 

 

 

 

 

ということで、こんな感じの毎日を過ごしております。

頭おかしいようなことも書きましたが、霊能者にTの言葉を聞いてもらおうか…とかは考えてませんので、ご安心ください。笑

 

 

しっちゃめっちゃかな気がしますが、これで投稿しちゃうもんねー。

 

 

読んでくださってありがとうございました。

 

読んでくれてありがとう。

 

 

ずっと話したかったけど、話せなかったこと

こんにちは。

待宵スークです。

 

 

今日は、今まで皆さんに話したかったけど、ずっと話せなかったことを書こうと思います。

 

Twitterでは少しだけ言ったことあるかなぁ。

でも、普段感じていることの半分にも満たないくらいしか明かしていません。

 

 

私のせいで皆さんに嫌な思いをさせるのは悲しかったから。

ときどき本当に我慢できない!って思うこともあるけど、吐き出さないと苦しいっていうほどでもないので、心に秘めて耐えてきました。

 

 

もし読んでいる途中で不快な気分になったら、離脱していただいて構いません。

あ、今回は暗いやつではないですけどね(笑)

 

 

・・・って、話しにくいことを書くとき、いつも前置きが長くてごめんなさい(^_^;)

 

 

 

ではでは。

 

 

 

 

今までずっと言いたかったけど、さらけ出すのを敢えて避けてきたこと。

 

 

それは、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が住んでいる某国の人々への文句です。

 

もう2年半住んでるし、そろそろ言っちゃってもいいでしょう。

 

 

今までブログで書いたことがあるのは、住んでいるマンションの不具合のことくらいですかね。

でも、実際にはそれだけではなく他にもいろいろと・・・

 

 

 

そりゃあね、文化や習慣が異なりますから。

何を良しとして、何を迷惑だと思うか、感覚がまるで違うわけです。

 

旅行だったら「カルチャーショック!刺激的で面白い!」で済むかもしれませんが、暮らしているとそうはいきません。

普段の生活の中でイラッとすることがたくさんあります。

 

「え、2年半も住んでたら慣れるでしょ?そんないつまで経ってもイラッとするもん?」って思いました?

 

旦那さんが靴下を脱ぎっぱなしにするの、慣れますか?

部下がいつもファイルの置き場所を間違えるの、慣れますか?

 

ほんの小さなことで、全く気にならない場合もあれば、ずっと気になる場合もありますよね?

そういうことです。

 

2年半住んでいても、気になることは気になるのです。

 

 

 

というわけで、今日は某国人の悪口をたくさん書きます。

あ、「某国」というのは日本のすぐ近くの広―――い国のことです。

その国の大きい都市に住んでます。

 

 

 

ただし、皆様に誤解しないでいただきたいことを1つだけ。

 

 

私は某国が嫌いなわけではありません。

大好きかというと・・・まぁぶっちゃけ大好きではないけど、好きです。

 

それに、イラッとすることがたくさんあっても、やはり2年半住んでいれば愛着は湧きます。

某国のことを大して知りもしない人が某国を悪く言うのは、それこそめちゃくちゃイラッとするんですよ(笑)

 

今まで悪口を出来るだけ言わないようにしていた一番の理由は、私のせいで某国のイメージを悪くしたくなかったから。

記事の最後にまとめて書こうと思いますが、多くの日本人が想像しているよりも某国人は良い人です。

 

 

それから、上述の「もう2年半住んでるし、そろそろ言っちゃってもいいでしょう」ということについて。

 

もし私が某国に住み始めてすぐ悪口を言いまくってたら、読んでくださった方から「そんなに合わない国に住むことになってかわいそう」とか「まあまあ、これから好きになっていくかもしれないし!」とか思われそうじゃないですか。

 

でももう2年半も心折れることなく生活することができたので、悪口も笑い話として聞いていただいて全然OKなのです。

私の「大好きじゃないけど、それなりには好きである」という気持ちも、もうあまり大きくは変化しないと思いますし。

 

 

あ、あと本編の前にもう1つだけ。

この記事はあくまでも日本人(というか私)と某国人についての話です。

私は他の国には住んだことがないので、某国のこと以外は分かりません。

ですから、「日本人は○○だけど某国人は△△で~」と書いたことに対して、「ヨーロッパもそんな感じで、某国だけではないですよ(^_^;)」とかツッコミを入れないでください。

知らんがなとしか言いようがありませんので。

 

 

 

ここまでですでに1400文字あるわ。

大丈夫ですかね?

大量の悪口がメモしてあるんですけど、全部書いたら何文字になることやら。

 

 

 

それでは、某国に対する全力悪口の始まり始まり~~。

 

「邪魔だ」「うるせえ」「きたねえ」「危ねえ」「とにかくやめろ」の5つに分けてお届けします。

 

 

 

 

(1)邪魔だ

 

◎通り道に立つな

 

まず、何といってもこれ!!

日常生活で一番イライラするやつ。

 

歩道の真ん中、駅の階段の途中、建物の出入口、エスカレーターの乗るところ・降りるところなどなど・・・

 

なぜそこで止まる!!?

なぜそこで立ち話をしている!!?

 

Why ○hinese people!!?

 

階段をのぼってる途中で突然ピタリと止まるか普通!!?

スマホを見るなら一歩端っこへ寄れ!!

邪魔だよ邪魔!!

 

せめて人が通るって分かったら避けろよ!!

出入口の真ん前でお喋りしてる人たちがいて、私がそこに向かって歩いて近付いていってるのに、避けないからね!まじで!!

こっちが仕方なくぶつかりながら通っても、「あっすいません」とか一切ないからね!!

 

絶対に動いてはいけない24時でもやってんのか?

それともアーロン一味との戦いで地面に自ら足を突っ込んだルフィみたいになってんのか?

邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔ァアアアア!!!

 

 

 

◎広がってちんたら歩くな

 

これは日本でもあるっちゃありますけどね。

でも、某国はもっと多い!!

広がりすぎ!!

しかも中学・高校生とかじゃなくて、大人!!

 

4~5人で歩道の横幅いっぱいに歩いてるとかならまだ分かるけど、2人なのにその微妙な空間は何?

普通にお喋りしてるから、仲悪いわけじゃないでしょ?

 

スペース空けてる2人組が前から歩いてきたりすると、私は2人の間を通過してすれ違わなきゃいけないんだけど。

え?変じゃね?

2人一緒に左右どっちかに寄れよ。

 

あと、十数メートル前方の横断歩道が青信号なのに、ゆったり広がってちんたら歩かれると本当にイライラする。

私がいつも急ぎすぎなのもあるけど、それを差し引いても遅い。

 

前!前!!青信号!!

スクランブルなの!!これを逃すと次の青まで待ち時間長いの!!

寄れ!狭まれ!!道を開けろーーーー!!!

 

 

 

◎降りる人を優先しろ

 

これは、ほんと早くマナー向上してほしいやつ。

ちゃんと守ってる人もいますけどね。

 

電車やエレベーターで、普通は降りる人がスムーズに出られるようにドアの脇に並んで待つじゃないですか。

 

だけど某国人はとにかくドアが開いた瞬間に乗ろうとする。

そのためにど真ん中に並ぶ。

 

イメージできますかね?

 

私が次の駅で降りようと思って、ドアの前に立ってスタンバイする。

電車がホームに到着、ゆっくりと停止する。

そのとき、ドア越しにオバチャンと正面から向かい合う。

 

ドアが開いたらどうなるか。

241%ぶつかります。

オバチャンの勢いで車内に押し戻されそうになりますわ。

 

なに241%って。

 

待宵(まつよい)の「(ま)241」です。

 

 

 

以上、邪魔だシリーズでした。

 

 

 

(2)うるせえ

 

◎遠いところで喋るな

 

続きまして、うるせえシリーズ。

まぁこれは今日挙げる文句の中では慣れたものの方ですけどね。

 

某国人=うるさい、声が大きいというイメージを持ってる人が多いと思いますが、実際うるさいです。

 

普通に喋っていても声が大きいんですが、離れた場所にいる人同士で喋ろうとするんですよね。

 

例えば、2人で一緒に電車に乗り、少し離れた場所にある空席にそれぞれ座ったとき。

日本人だったら、席が遠かったら喋らないじゃないですか。

 

でも某国人は喋ります。

 

いくら慣れてたって、うるさいかうるさくないかで言えばすっげえうるせえ。

でも、突然バカでかい声を出したりしない限り、他の乗客は特に気にしていません。      

 

スーパーで少し離れたところで品出しをしている店員同士とかも、よく大声で喋ってます。

そんなに声張って、よく枯れないね?

塾講師時代、しょっちゅう声がガラガラになって困ってた私にとっては羨ましいわ。

 

 

 

◎電車で音を流すときは気を付けろ

 

電車内で、イヤホン無しで動画を見たりゲームをしたりするのも当たり前。

走行音で聞こえにくくなるのでイヤホンを使う人ももちろんいますが、使わないからといって誰かに咎められることはありません。

 

でも、先日・・・

 

電車で近くに乗っていた男性が音を出して動画を見てたんですよ。

別に珍しいことじゃないので、最初はそこまで気にしてなかったんですが、

「くっ…はぁ、はぁ…アアッ……」

みたいな男女の激しい喘ぎ声がめっちゃ聞こえてきて。

 

えーーーーーーーーまじ?

電車内でそういうの見るのはちょっとさすがに・・・

しかもイヤホン無しで・・・

嘘でしょ?と思って、つい画面を覗いちゃったんです(覗いたのかよ)。

 

 

 

  

そしたら、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歴史モノ映画の拷問シーンでした。

 

ああ、だよね・・・いくらなんでもね・・・

 

 

 

 

ちなみにですが、車内での電話も普通にします。

私もします。

某国人の誰も気にしていないのに、日本人としての感覚で私一人だけ気にしてるの馬鹿みたいなんで。

疲れるだけです。

 

 

 

以上、うるせえシリーズでした。

 

 

 

(3)きたねえ

 

◎つば吐くな

 

次はきたねえシリーズ。

 

これはね~~~~~。

うるせえシリーズと違って慣れないですわ。

 

特に、つば吐き。

 

びっくりするくらい吐きますよ。

子どもや比較的若い女性は吐きませんが、年配の女性や、男性は若い人でも吐きます。

 

しかも、歩きながら、バイクに乗りながら、人と喋りながらでも。

信じられない。

せめて道の端っことかでこそっと吐け。

 

あとねー。

特におっさんは、吐く前の「カアアアッ」がひどい。

気持ち悪い。

何が出てくんの!?ってくらい力が入ってる。

むしろアニメのドラゴンボールで腹パン喰らったベジータの「グハアアアアッッ」に近い。

(え、そんなシーンない?)

 

ほんとどこでもつば吐くので、自分のすぐ横で「カアアアッ」をやられるとヒイッ!ってなります。

 

まじやめて。すぐやめて。

今すぐ ホラすぐ~♪ですよ。

 

 

 

◎ポイ捨てするな

 

これもねー。

まだまだ日本より多い。

いや、単に量が「多い」わけじゃなくて、罪悪感なく当たり前にポイ捨てする人が多い。

 

特にタバコ。

火が点いたままポイッと投げて、踏みつけて消すこともなくそのまま立ち去ります。

怖えし!!

危ねえわ!!

 

ティッシュとか小さいゴミもポイポイ捨てます。

街のあちこちにゴミ箱置いてあるのに。

 

カップルで喋りながら歩いててポイ捨てする人もいるので、ほんと驚きですよ。

私だったら平気でポイ捨てする彼氏とか絶対やだ。

 

 

 

◎なぜ便座の上が濡れる?

 

きたねえシリーズの最後はこれ。

 

まじでWhy C○inese people!!?

 

女子トイレの!!

 

便座の!!

 

上が!!!

 

なぜ濡れるんだああああ!!?

 

たまに遭遇する程度なら分かるけど、めちゃ頻繁に濡れてる!!

 

なんで!!?

 

てか、濡れたら拭けよ!!!

 

濡れたら拭けよ!!!(2回目)

 

 

 

(4)危ねえ

 

危ねえシリーズはとりあえず1つだけなんですが、これはまじで危ない。やばい。えぐい。

 

デリバリーの配達員たちのバイク。

 

これ本っっ当に、一般市民にとっては某国某市で最も危険な存在かもしれない。

車道とか歩道とか、赤信号とか青信号とか、そんな交通ルールは彼らに一切関係ないですから。

 

人や車の間を縫って縦横無尽にビュンビュン走り回る。

歩道に小さい子がいても、そのすぐ近くを飛ばしていきます。

いやいや、子どもなんてどんな動きするか分かんないよ?

自分が人を殺せる機械に乗ってること認識してる?

 

某国某市はデリバリーの利用がものすごーーく盛んです。

スマホでポチッと簡単注文。

支払いも注文時に電子マネーで済ませるので、配達員と現金の受け渡しなんて面倒なことはしません。

 

職場や家で食べる食事はもちろん、コーヒー1杯を配達させることもある。

市内の1日のデリバリー注文件数ってどのくらいになるんだろ。

お昼時だけでなく、とにかく一日中配達員のバイクが街を走ってます。

 

彼ら配達員たちの給与には、配達した数が反映されるシステム。

だからみんな大急ぎで必死に運ぶわけです。

信号とか待ってられない。

衝突しなければ良い。

 

しかもスマホで配達先の住所や地図を確認しながらの運転。

さらにはノーヘルも多い。

 

某国某市では、半年で76人もの配達員が交通事故で死亡・負傷しました(2017年1月~6月)。

 

やばい。えぐい。

 

文句っていうより某国某市の社会問題の話になってますけど(笑)

でも笑えないですね。

青信号の横断歩道に突っ込んできますから。

 

殺す気か!!

比喩じゃなくてまじで!!

 

 

 

(5)とにかくやめろ

 

最後はとにかくやめろシリーズ。

 

◎距離が近すぎ

 

日本人と某国人は、他人に踏み込まれても許せる範囲が全然違う。

パーソナルスペースっていうんでしたっけ?

 

某国人、まじで近すぎ!!!

まじで近すぎ近杉くん!!!

 

これ結構ほんとに嫌なんですよ・・・

 

信号待ちとか、電車の中とか、何でそんな私の近くに立つ!!?

友達かよ!!

もっとスペースあるじゃん!!

 

あとエスカレーターで同じ段に乗らないで!!

前の段も後ろの段も空いてるのに、何でわざわざ隣に立つ!!?

 

以前、真夏で半袖のときに某国人が隣に立ってきて、しかも腕がピタッと当たってたことがあって。

いやーーーーーーー無理無理無理無理。

思わず一段下りちゃいましたよ・・・

 

ごめんなさいね。あなたのことが嫌なわけじゃなくて、必要も無いのに他人の素肌と触れ合うのが嫌なの。

 

某国人は、女友達同士や母娘で腕を組んで歩くのもわりと普通なんですよねー。

私も某国人の女友達や語学学校の先生に腕を組まれたり掴まれたりすることがよくあります。

もうそういうのは文化の違いとしか言いようがないな。

 

 

 

◎カップルたちイチャイチャすんな

 

日本では、公共の場でイチャイチャするカップルは「うわ~イタイわ~。恥ずかしくないのかな~」っていう目で見られますよね。

 

某国は違います。

 

カップルはどこでもイチャイチャし放題。

手をつなぐ、頭を撫でる、ハグ、キス。

 

すげえな!!

ここまで周りの目を全く気にしないの、逆にすげえな!!

公衆の面前でキスとか、まじ卍!!

 

「え?恥じらい?何それ?今ここで必要ある?」

 

うーーーーーーーーーんどうでしょう。

 

日本人の私には理解できないけどね!

でも某国では私こそ外国人だからね!

うん、必要ない!恥じらい必要ないわ!

 

 

 

◎某国語で押し切ろうとするな

 

最後。

まぁこれは私の語学力のなさを棚にあげて言うんですけど。

 

某国人って、日本人に比べるとすごい軽々しく知らない人に話しかけるんですよ。

道を教えてとか、小銭に両替してとか。

 

しかもさ、例えば駅で乗り換え方法が分からないなら、駅員さんに聞けばいいじゃないですか。

でも、「あっ分からない」って思った瞬間に近くにいる人に聞く。

 

私日本では道を聞かれるタイプじゃなかったんですけど、某国にいるとしょっちゅう聞かれます。

話しかけやすいオーラが出てるかとか、某国人は気にしませんから。

 

でね、さっきの例えで、私が某国人に乗り換え方法を尋ねられたとしますね。

そのときに、私が全部を正確に聞き取れてなかったり、言葉がパッと出てこなかったりして困っている、と。

 

そしたら尋ねた側も「あ、このお姉ちゃん某国人ちゃうわ」ってすぐ分かるじゃないですか。

顔が似てるから某国人かと思って話しかけちゃったのは仕方ないですけど、外国人だったらもしかして駅のこと詳しくないかも、とか思うじゃないですか。普通。

 

なのに、あきらめないで聞いてくるー!!!

比較的簡単な言葉で言ってくれれば理解はできますけど、めっちゃ早口であれこれ聞いてくるー!!!

「すいません、聞き取れないです」って言ってるのに、某国語でたたみかけてくるー!!!

 

だから!!!

分からねえって言ってんだろうが!!!

何度言われたって分からねえもんは分からねえ!!!

 

あなたの説明の仕方が悪いんじゃないの!!!

言語が!!!

分からないの!!!

ごめんね!!!

 

 

てか、もう他の人に聞けよ!!!

周りに某国人たくさんいるじゃん!!!

一度話しかけたら答えを聞けるまで絶対に引いてはいけない24時なの!!?

私に何回も説明するの面倒でしょ!!?

暇なの!!?

 

それとも私に某国語の練習をするチャンスを与えてくれてるの!!?

ありがとう!!!

でも気持ちだけで結構!!!

 

 

 

以上、とにかくやめろシリーズでした。

 

 

 

****************

 

 

 

ということで、某国人の悪口をたくさん書いてみました。

ここまでで約6500文字ですね。

悪口だけをこんなに書いたのは人生で初めてです。

これでも一応抜粋してるんですけど。

 

 

これだけ悪く言っておいてアレなんですけど、先に少し触れた通り、某国人は良い人です。

某国人といっても14億人いるので、その中の数十人しか知らない私が言っても説得力に欠けますが。

 

 

日本人って、某国人に比べるとお互いよそよそしいんですよね。

他人と余計な関わりを持たずに暮らしていこうとする。

できるだけ迷惑をかけないようにしなければいけないと思っている。

 

 

でも某国人は、友達になるとグイグイきます。

そのグイグイパワーに戸惑ってしまうこともありますが、困っていたら積極的に手を貸してくれるので本当に助かるんですよ。

 

某国で慣れない手続きをしなければいけないとき、「一緒についていこうか?」とか「分からなくなったら電話していいよ!」とか言ってくれる。

 

夫がタクシーに忘れ物をしてしまったとき、私の友達が代わりに電話してくれたことも。

 

 

というか、友達でなくても手助けしてくれる。

 

 

これは前にTwitterで書いたことのある話ですが、私が小雨の中を足早に歩いてたら、知らないお姉さんが「傘持ってないの?私の傘に入る?」って声をかけてくれたり。

 

女性が重い荷物を持っていたら手伝ってあげたり、お年寄りや妊婦さん、子ども連れに席を譲るのも当たり前。

 

日本人みたいにいちいち「どうしよう、声かけて大丈夫かな・・・余計なお世話と思われたらどうしよう・・・」とか一切ないです。

 

親切をしてもらう側も「あっいえいえ、大丈夫です!」なんて断ったりしません。

 

「どうぞ」「ありがとう」で終わりです。

実にさっぱりしている。

 

 

 

あとは、散々悪く書きましたが、見方を変えれば単なる私の「気にしすぎ」。

某国では誰も迷惑だなんて思わないような小さいことにガタガタ言ってるだけなのです。

イライラするどころか、むしろ日本より気楽で暮らしやすいと感じる人も多いはず。

 

 

あ、それと。

私はまだ某国在住2年半ですが、4~5年くらい住んでる知人曰く、某国某市はものすごいスピードでマナーが向上してるらしいです。

地方都市は分かりませんが。

でも某市はほんの数年前とは見違えるようだ、と。

 

日本人は何かにつけて某国人の民度の低さを馬鹿にしますが、もうそんなこと言ってる場合じゃないですよ。

日本人のマナーはどうですか。

5年前と比べて向上してるでしょうか。

 

経済力、国際社会での存在感、技術力、学力・・・そして民度。

日本、やばい。えぐい。

 

 

 

 

さてさて。

 

仮に私が言葉の壁を乗り越えたとしても、某国人と分かりあえるかどうかは正直ビミョー。

感覚の違いを受け入れるだけの器が私にはないかもしれない。

 

だけど、某国で暮らすことができて良かったと思っています。

日本のメディアは某国の良いところをあんまり伝えてくれないのでね。

あの政府がどうこうは置いといて、人々は明るく優しいです。

(キレると勢いが凄まじいけど・・・笑)

 

 

 

では、今回は某国人に対する文句をぶちまけつつ、でも好きよ、というツンデレでお送りしました。

お読みくださってありがとうございました。

 

 

最近のバスケの話

こんにちは。

待宵スークです。

 

 

以前、このブログで一度だけバスケットボールの話を書きました。

「NO BASKETBALL , NO LIFE 」

 

内容を簡単にまとめると、

 

私は小3~高3までバスケをやっていたけど、ずっと下手だった。

海外に来てから在住日本人のバスケサークルに入り、約10年ぶりにバスケをするようになった。

今も相変わらず下手だし、体力もないけど、学生時代のようなプレッシャーがないのでバスケが楽しい。

やっぱり好きだぜバスケ!!

 

っていう話です。

 

 

 

しかしですねぇ。

 

 

最近ちょっとピンチが訪れています。

先週は練習に行きたくなさ過ぎて、家を出る前から頭が痛くなりました。

 

 

 

実は10月・11月とバスケの大会に出ることになりまして。

10月は私が住んでいる某国国内の各都市のチームが参加する大会、11月はアジア各地のチームが参加する大会。

 

 

私が今のサークルに入ってから1年半以上経ちますが、女子の大会出場は初めてです。

(私の加入前には何度も出場しています。結構長く存続してるサークルなので)

 

大会は毎年決まった時期に開催されていたんですが、私が加入した頃は女子はいつも2~3人くらいしか練習に来ておらず。

人数が足りなくて、今まではエントリーしていませんでした。

 

 

それが、最近数カ月でメンバーが増加。

新しくサークルに入ってきたり、出産でずっと練習を休んでいた人が戻ってきたり。

 

大会にエントリーできる人数に達したので、せっかくだからみんなで出ようぜ!ということになったのです。

 

 

 

大会への参加を決めたときは、私はわりと軽~く考えていました。

綿あめか、ヘリウムガスを入れた風船かってくらいに軽~~く。

 

大人になってからバスケの大会に出るなんて貴重な経験だし。

今年のアジア大会は行ったことのないタイで開催だし。

  

日本に帰ってまたフルタイムで働くようになったら私はきっとバスケはやめてしまうだろうから、今だけのチャーンス!参加しなきゃもったいない!と思いまして。

 

 

 

そうしたらですね・・・

 

 

 

 

 

9月に入ってから、大会に向けてサークルでの練習が本格的になっちまったのです。

 

 

 

「大会に向けて練習が本格的になっちまった」って。

何言ってんの。

当たり前やん。

ダメなの?

 

 

 

 

ダメじゃない!

でも怖いんです!!!

 

 

 

私はバスケが下手なのです。

何度も言っていますが、本当に。

小3から高3まで、チームの中で上手い方だったことが一度もないのです。

 

別に強いチームにいたわけじゃないですよ。

公立の学校で、県大会に出られるか出られないかくらいのレベル。

 

それでも中学生以降はずっとベンチウォーマー。

実は公式試合のコートにはほとんど立ったことがない。

 

 

練習中は、コーチや先輩に怒られるのがすごく怖くて。

いつもしょぼいプレーしかできないから、毎日気が重かった。

(それでよく10年も続けたねって感じですが)

 

 

 

単なる努力不足では?と言われればそれまでなんですけども。

でもぶっちゃけ、特に高校時代はよく頑張ってた方だと思います。

 

練習が終わって大半の人が帰ってしまっても、1人でコツコツ筋トレしたり、どうすれば背の高いディフェンスをかわしてシュートを打てるか研究したり。

 

 

高校時代の同じポジション(センター)のメンバーはこんな感じでした。

 

174cm(3年) ←腕長い、体力おばけ

174cm(2年) ←運動神経良すぎ、勝ち気

168cm(3年) ←ガタイのいいパワー系

162cm(2年) ←ポジション的には小柄だけどセンスの塊

164cm(私・3年) ←風邪引かない

 

つまり私は5番手。

当時この5人の中では私が一番練習してたもん。

まぁ高校に入る以前の積み重ねもあるので、何ともいえないけど。

結局ずっとベンチウォーマーでした。

 

 

 

大人になってからのバスケが楽しいのは、メンバーの誰もバスケに人生賭けてないから。

まぁ人生は言い過ぎですけど、学生時代みたいに泣いてでも喰らいついてやるとかはないですね。

 

「良いプレーをしなきゃ!みんなに迷惑をかけないようにしなきゃ!」っていうプレッシャーを感じないで済むので、のびのびできる。

私自身、学生時代よりも精神的に余裕を持てるようになって、動きが固くなくなったんじゃない?と思っていました。

 

 

サークル全体としても、「真剣に、楽しく、ゆるく」というスタンス。

今日集まったメンバーで今日のバスケを楽しもう☆って感じだったのに・・・

 

 

 

9月に入ってからは試合を想定した練習がメインになり、緊張感のある雰囲気に一変。

 

本格的にバスケをやると、私ってやっぱり下手。ド下手。

努力して上手くなれた人には言い訳に聞こえるかもしれないけど、分かってもらえなくてもいい。

まじでセンスないんです。

 

 

絵が下手なあなた。

どんだけ努力しても、自分は鳥山明にはなれないと思うでしょ。

それは大げさでも、クラスで一番絵が上手かった子にすら勝てないと思うでしょ。

 

 

歌が下手なあなた。

どんだけ努力しても、自分はマライア・キャリーにはなれないと思うでしょ。

それは大げさでも、田舎ののど自慢に出てくるような人にすら勝てないと思うでしょ。

 

 

それと同じです。

スポーツはなぜか努力が全て、才能の有無なんて関係ないみたいに言われがちだけど、絶対そんなことない!

才能は必要!!

(才能さえあれば努力は不要とは言ってない)

 

めちゃ努力して成功した経験と、めちゃ努力して底辺のままだった経験の両方があるので、これは確信してます。

 

 

 

はい。

ちょっと話が逸れましたが、とにかくまたバスケが怖くなってしまった。

練習に行くのが嫌になってしまった。

 

大会が終われば元通りになるのかもしれないけど・・・

また今度大会があっても、私は出場しないで大会前は練習休もうかな、とすでに考えているくらい。

 

夫には「せっかくなんだから、そんな難しく考えないで楽しめばいいじゃん」と言われるんですが、チームの足を引っ張ってしまうような状況で楽しめるわけないだろぉ~~~(泣)

 

 

 

はあ~~~~~~~~

嫌だなぁ・・・

 

試合中、チームメイトに「あーそうじゃなくて・・・」みたいな顔をされるのが辛い。

他の人は上手く立ち回れているのに、私だけできてないのが辛い。

 

 

運動神経は中の上なので、ドリブルとかシュートとかの技術面?だけを見れば特別下手なわけではない。

チームスポーツよりも個人スポーツの方が向いてたのかなーとか今さら思う31歳。

いや、実は初めて思ったわけじゃないんだけど。

何だかんだ好きだから、結局ずっとバスケで来てしまったのよ。

 

 

でも、私バスケは好きなんだけど、プレーヤーとして上に行くことはもう心底諦めちゃってるんですよね。

高校で入部した頃はまだ希望を持っていましたけど。

でも、無くなったから大学では続けなかったんです。

 

 

 

今週末ももちろん練習。

しかもちょっと長め。

 

はあ~~~~~~~~~

行きたくない。

 

私は、チームとしての勝利とか追いかけずに、ただバスケをしたかっただけなんだ・・・

もちろん試合をするなら勝ちたいし、勝ったら嬉しいんですけどね。

でも実はド下手であることを忘れていたかったんだ・・・

 

 

 

バスケが怖い、上手なチームメイトが怖い、練習に行きたくない・・・

こんな学生時代みたいな気持ちは、もう二度と感じたくなかったのになぁ。

 

 

 

弱音です。

単なる弱音。

 

 

練習行きたくないけど、大会に出ることはもう決めちゃったし、休んだらフォーメーションとか分からなくなっちゃうから行きますよ。ちゃんと。

 

頑張るぞ~~~~~~~~。

えいえいお~~~~~~う。

 

 

 

ではでは。

バスケ下手すぎブルーの待宵でした。

 

 

ブログを休止している間、何をしていたか

こんにちは。

本日2度目の待宵です。

 

 

 

昨年9月19日に初めての記事を投稿したこのブログ。

 

気付けば「再開のお知らせ」が70本目だったんですね。

丸5カ月は休止してるので、単純計算では7か月で70本。

 

ふーん。意外と書いてるな(笑)

 

まぁ実際には、初期はハイペースで書いてて、徐々に週1くらいになっていったんですけどね。

 

 

 

最初は「ブログでお金稼げるのか~。文章を書くのは好きだし、面白そうだからやってみよ~」くらいの気持ちでした。

 

しかし、いつの間にかどっぷりハマってしまいまして。

 

寝ても覚めても考えるのはブログのこと。

外を歩いているときも、頭の中には次に書こうとしている記事の文が流れている。

 

書きたいことがたくさん出てきて、11月には塾講師ブログも立ち上げました。

 

 

そんなこんなで、空いている時間の大半をブログに使うようになっていきます。

 

 

今まで趣味らしい趣味がなく、このブログの「自己紹介」にもそう書いていますが、もう趣味はブログですといえるくらいになっちゃったなぁ。

 

 

 

 

ところが。

 

 

 

その結果、家事がどんどん雑に。

 

いや、最低限はやってるんですよ・・・

食事はちゃんと作ってますし、洗濯物をため込んだりもしてないです。

 

だけど、ほんと最低限しかやらなくなってしまった。

 

 

それから語学の勉強も。

バイトに出掛ける前や休みの日にちょこちょこやっていたのに、ほとんど全てブログの執筆に置き換わりました。

 

 

 

いやーーーーーこれはアカンですよねぇ。

自分でもこれじゃダメだと分かっていながら、ブログ書きたいブログ書きたい!という気持ちに結局勝てなかった。

 

 

 

 

そんな状態だったので、ブログを休止すると決めたときはこう思いました。

 

ブログのために疎かになっていたことをきちんとやろう。

家事、勉強はもちろん、友達へのLINEの返信さえも後回しにしていた。

だからこんなことになったんだ。

何が大切かを考え、きちんと生活を立て直そう。

 

 

 

 

この5か月間は、新婚の頃のように家事を頑張りました。

毎日せっせと掃除をして、少し手間のかかる料理にも挑戦して。

 

語学の勉強も、忘れかけていた単語や文法を一から復習。

勉強習慣を構築して、毎日必ずテキストを開く、リスニングCDを聴く。

 

バイトに行くときは少し早く家を出て一駅分歩いたり、家で筋トレやストレッチをしたり。

買ったまま読んでいない本もたくさんあったので、それを少しずつ読み進めたり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・っていうのが理想だったのですが。

 

 

 

 

そんなキレイな生活にはまっっっったくなりませんでした。

 

 

思いませんでしたか?

上に挙げたようなことを、育児しながら・フルで働きながら・毎日ブログ書きながらでも、やってる人はいるよ、って。

 

 

そうなんですよ。

本当にやろうとすれば、ブログをやりながらでもできたはずなのです。

 

ブログに時間をかけてしまうから家事ができないのではない。

いくら時間があったって家事が嫌いなのは同じ。

 

確かにブログを始めたことで「家事はこのくらいで大丈夫だろう」という基準がどんどん甘くなっていったのは事実。

 

でも、ブログを書かなくなったからといって、「これで大丈夫」の感覚が元に戻りはしなかったのです。チーーーーーン。

だってさ~。手を抜くようになっても大きな問題が起こらなければ、もうそれでOKってことになるじゃないですか~。

 

 

 

語学の勉強も、ブログ云々の前にそもそもモチベーションが低下気味で。

筋トレやストレッチも今まで続いたことがないので、ブログで時間があるとかないとかは関係ない。

 

 

結局、ブログがあった方がよほど有意義だったんじゃないかと思うような毎日になってしまったのでした。

 

 

 

 

やっぱりねぇ。

基本だらしない人間なんですよねぇ。

物事をコツコツ続けるとか苦手だし。

 

プレッシャーや危機感がある、またはものすごく楽しくない限り、自主的に続けられません。

ダーメにーんげーん。

 

 

 

 

そうそう。 

今回はてなブログを再開するのに合わせて、Word Pressの塾講師ブログも久しぶりに動かそうかなぁと考えてるんですよね。

 

実は、もう閉鎖してしまおうかと思ってたんです。

 

はてなは自分の日々の思いを綴る場として残したいけど、Word Pressはサーバー代とかドメイン代がかかるのにアドセンスは不合格のまま放置になっていたのでね。

せっかく書いた記事を封印してしまうのは寂しいのではてなに引っ越して、サイトはもう閉じてしまおうと。

 

 

 

ところがですよ。

 

 

 

久しぶりに塾講師ブログのサーチコンソールとアナリティクスを見たら、

 

 

ぬおおおお!!書いてた頃よりめちゃ順位上がってる!!!

検索流入増えてるーーー!!!

 

 

全く更新してなかったので、順位ずるずる下がっちゃうもんなのかと思ってたんですよ。

全然そんなことなかった。

 

 

そしたら、もう1回アドセンスに挑戦してみようかな…上手くすりゃ収益化できるんじゃね?という欲が出てきて(笑)

 

まぁでも実際、改めて読み返してみたらなかなか良い記事じゃないかと思うんですよ。笑

だからとりあえず塾講師ブログももうしばらく試行錯誤してみることにしました。

 

 

 

 

というわけで、だらしなくて自分に甘々な私はこれからもブログばかりに時間を割き、家事や勉強を疎かにし続けるでしょう。

 

勉強は最近少~しモチベーション戻ってきたのでちょっとはやりますけど。

家事は嫌い。お金がたくさんあるなら外注したい。

 

 

 

 

ではでは、ブログを休止しても生活はちっとも整わなかったというお話でした。

 

おしまい!

 

 

***ブログ再開のお知らせ***

お久しぶりです。

待宵スークですm(_ _)m

 

 

ブログを再開します。

ひゃっほーう!

 

 

普通のことを書くのが本当に久々すぎて、どうやって書いていくんだったか忘れてしまいましたわ(汗)

 

 

 

 

親友Tが亡くなってからもうすぐ半年。

はやーい。

 

その一件以来、メンタルぽっきりでブログを休止していたわけなんですが。

 

でも、少し前からぶっちゃけもう普通に書けるよなーと思うようになってきたんですよね。

毎日のほほんと過ごしてるし。

相変わらずよく食べてよく寝てるし。

 

寂しさや罪悪感が消えたわけではなくて、たまに泣いたりもしますけどね。

 

 

でも、Tが何で死んだか自分の中では答えにたどり着いたというか。

もちろん真実は分からないんだけど、可能性的には圧倒的にこれでしょ的なのが思い当たったんですよね(その件についての記事は消しちゃったけど)。

それによって自分が背負うものの重さも決まった感じがして。

 

あとは、ブログを書いてても書いてなくても重さは別に変らないよなぁと。

書くのを辞めたとしても軽くなってくれるもんではない。

 

 

 

と言いつつ、いざこうして書き始めてみると何かすごくモヤモヤするー(笑)

すんなりいけるだろうと思って書き始めたんですが、思ってたよりも何かこう・・・胸がざわざわしてしまう(笑)

 

 

私また普通にブログを書いてもいいのか?

本当にいいのか?

 

っていう思いがね。

意外と消えてなかったな。

 

 

でもでも、書きたいことも色々たまってきてるんですよね。

 

 

 

 

あ、そうそう。

どうしてこのタイミングで再開なのかというと、9月19日でこの「家族や友達には話しにくいけど、でも誰かに話したいこと」が開設から丸1年になるのです。

 

丸5か月以上休止していたので、「1年間」ブログをやったとはいえませんけどね。

 

でも「そっかーもう1年になるのかー」なんて考えていたら、やっぱりもっともっと書きたいなという気持ちが湧き上がってきました。

 

大したことは書いてない雑記ブログですが、完全に辞めてしまうのは自分にとって非常にもったいない。

 

再開するか否かをずっと迷っていたので、いつ再開するの?今でしょ!!ということで、今日になりました(笑)

 

 

どのくらいの頻度で更新するか分かりませんし、内容も今まで以上に無益なものになるかもしれません。

 

読んでいただけるのはめちゃくちゃ嬉しいですし、できるなら読者様を全力でハグして胴上げして叙々苑で焼き肉でもごちそうしたいですが、書いていることは基本的に自分本位なので。

 

たまに暗~い記事も書くと思います。

タイトルで分かるようにしますので、それ系は読みたくないなーという方は飛ばしてくださいな。

 

 

 

 

そんなこんなですが、こうしてブログを再開できるのは私にとってすごく嬉しいことです。

 

休止している間に励ましの言葉を下さった皆様、本当にありがとうございました。

 

そして、「あ 再開するのね~」と、この記事を開いてくださった皆様。

画面の前のあなた。

本当にありがとうございます。

 

 

改めまして、よろしくお願い致します。

 

 

 

この2ヵ月のこと

こんばんは。

お久しぶりです。

 

待宵スークです。

 

 

先に申し上げておきますと、この記事は「辛いね」とか「大丈夫?」とか言われたい下心満載みたいな記事です。

 

いや、何て言ってもらいたいのか、何を期待しているのか、自分でもはっきりとは分からないけれど。

 

 

一方で、そんなことをわざわざ自分から白状するのは、読んでくださった方に慰めの言葉を強要するような記事を投稿するのは申し訳ないなとも思うから。

 

「あーこれ読んじゃったら何か言ってあげないといけないやつ?」みたいなのって、うざいじゃないですか。笑(←うざくない?私の心が冷たいだけ?すいません)

 

 

公開するからにはたくさんの人に読んでもらえた方が嬉しいし、反応もほしい。

でも、気を遣ってコメントさせるのは何か悪いから、せいぜい読んだ印としてのスター1つくらいでも十分ですごめんなさい、みたいな気持ちもすごくある。

 

 

 

分かったよ、もうグダグダうるさいから早く書けよ、って声が聞こえてきそう。笑

 

 

 

暗いし、重いし、無駄に長いです。

 

Twitterで日頃よく絡んでいるし、一応読んでおいてあげた方がいいのかな、とか気を遣ってくださる方がもしいらっしゃったら、大丈夫です。本当に。

 

読んでもらいたい気持ちと、こんなのを晒して大変申し訳ないと思う気持ちが混在していて、公開しようかどうしようか、私自身ものすごく迷っているところ。

 

でも、公開するならどうしても今日がいいんです。

(結局、ちょっと過ぎちゃった。笑)

 

 

途中で嫌になったら遠慮なく離脱してください。

先に「起承転結」的なの書いておきますので。

 

え、転と結も書いちゃうの?笑

うん。書いちゃう。もったいぶるほどのものでもない。

 

 

起:親友が亡くなって2ヵ月が経ちました

承:親友の人生はとても過酷なものでした

転:私は親友の悲しみを救えなかったのかと悩みました

結:親友が私に勧めた歌に少し救われました

 

 

はい、こんな感じです。

 

 

それから、いつものことといえばそうなんですが(笑)、途中から文体が変わっていきます。

今は「ですます調」ですが、なぜか突然「である調」に。

そういうふうにしか文が出てこなくなっちゃったら、それにまかせて書くことにしてるので、すみませんがお許しください。

 

 

 

ではでは、よろしくお願いします~~~。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

なぜこの記事を書きたいと思ったか。

 

なぜ今日投稿したいと思ったか。

(過ぎちゃったけど)

 

 

 

 

親友の誕生日なんです。

 

 

 

6月14日は、3月末に亡くなった私の親友の誕生日。

 

 

私は現在ブログを休止していますが、それは私が親友からのLINEに気付いていながら未読スルーしてブログを書いていたときに、親友が死んだから。

 

今はライター(といっていいのか分からないけど)の仕事は少しだけ受けていますが、それは後述の「親友と私の夢」に関連する分野だからです。

 

以前のようなフツーの雑記ブログを書く感覚は、すでに忘れてきてしまっているかも。

 

 

 

 

 

親友の名前は「T」と言いました。

 

 

 

 

Tの死を知った4月2日から、丸2ヵ月以上。

 

 

冒頭に「辛いね」と言ってもらいたいなんて書きましたが、ぶっちゃけ今はもう辛くないし、悲しみもあまり感じません。

寂しさは少しあるかな。

 

 

Tの死を受けて、私の中で何かしら変わったものがあるのかもしれないとは思うけど、別にもう苦しくない。

 

Tのことを毎日考えてはいるけど、涙を流すことはほとんどない。

 

考えている時間そのものもずいぶん減ってきました。

 

 

 

私のメンタルが強すぎなのか。

心が冷たいからなのか。

実はまだあまり実感が湧いていないのか。

 

 

 

まぁよく分からないけど、まだたった2ヵ月なのに、こんなもん?

 

 

でも、そういうことではなくて、抱く感情の種類?が変わってきたような気もしている。

 

 

 

Tが亡くなってからの2週間くらいは、毎日のように泣いていた。

病死なのか、事故死なのか、自殺なのか、それをどうにかして知りたくて、警察とのやり取りが長引いたせいもあった。

 

 

結局Tの死因は分からずじまいで、もやもやした気持ちを残しつつも、3週間くらい経った頃からだんだん泣かなくなった。

早くも悲しみが薄れてきた気がした。

 

 

そうなると、今度はそんな自分に少し戸惑いを感じ始めた。

「もっと苦しまなくては」と思うようになった。

 

 

もっと苦しまなくては。

私はTの親友だもの。

親友が死んだんだもの。

 

 

私はTの唯一無二ともいえる親友。

私が苦しまなかったら、他に誰が苦しむの?

私がTのことを忘れて呑気に暮らしたりなんかしてはいけない。

 

 

Tはずっと苦しみながら傷付きながら生きてきて、私が救えなかったせいで自殺したのかもしれないのに。

私だって同じように苦しまなくては。傷付かなくては。

 

 

 

そんな思いから、Tの死によってたぶん心に負ったはずであろう傷を、自分の目で見えるように体に刻み込もうと思うようになった。

 

といっても、刃物でがっつり流血するようなやり方は恐くて出来ないビビりなのでご心配なく。

 

万一そんなことしたら、さすがに夫にバレるしな。

海外なので、うっかりやり過ぎちゃったときにサッと病院にも行けないし。

 

 

だけど、ちょこっと傷付けたくらい、すぐ治っちゃうんだね。多少の痕は残るけど。

私は生きてるんだもんね。

 

Tの痛みはこんな軽いものじゃない、と思って何度傷を付けても、やっぱり治ってしまう。

 

 

これっていわゆる自傷でしょ?

何のためにこんなことしてるんだっけ。

 

 

Tを失った悲しみを、Tの心の痛みを、忘れないようにするため。

 

いや、少し違う。

 

忘れてない、私はちゃんと苦しんでる、って自分自身に示すため。

 

馬鹿としか言いようがない。

 

 

 

 

Tの存在が私にとって非常に大きなものだったことだけは確かだ。

 

だからこそなのか、凪いだ海のように心の落ち着きを取り戻して、何もなかったかのように生活している自分がちょっと信じられなくて。

 

どんな感情を抱いているべきなのか分からないのだ。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

Tの人生は過酷だった。

 

 

あまり詳しくは言えないけど(私も全てを知っているわけではないし)、たった一人の家族である母親によって、人生の全てを狂わされた。

 

 

幼少期から貧困に苦しみ、いじめに遭い、それでも子どもを守ろうとしない母親。

愛情に飢え、そして他人を信じることができないまま、Tは大人になった。

 

20代の頃に実家を出て地元を離れ、一人暮らしを始めるも、相変わらず余裕のない生活だったらしい。

 

 

Tが関東に来て5~6年ほど経った頃、私と出会った。

 

 

 

当時、Tは42歳、私は27歳。

 

一回り以上離れている。

 

 

 

実は性別も違う。

 

 

 

知り合ったきっかけや親しくなった経緯は残念ながらここでは書けないけれども、互いに「親友」と認め合えるほどの仲になるとは、微塵も思っていなかった。

 

 

 

念のため言っておくけど、いや、重要なことだから言わせていただくけど、恋愛関係だったことは一度もない。

 

もちろん寝たことなんかないし、抱きしめたことも、手を握ったことすらない。

 

警察に通報したとき、Tの生年月日や電話番号、職場は知っていたけど、住所は最寄駅までし分からなくて困ってしまった。

互いの自宅に行ったことなんかなかったから。

 

 

 

親友が異性であることを今までTwitterやブログで隠していたのは、妙な推測をされるのを避けたかったからである。

 

いや、「妙」ではなく、異性ならば何かしらはあったのではないかと考える方が普通かもしれない。

「男女の友情は成立するか」なんていう議論があちこちで見られるくらいだから。

 

 

それから、夫よりもTと出会った方が先で、私の親しい友人の1人として夫もTのことは一応知っている。

 

ただ、Tが亡くなったときは、夫から見れば妻が別の男のことでメソメソと泣いていたわけで、さすがに不快感を露わにした。

私は「何でこの悲しみに寄り添ってくれないの」と正直幻滅しかけたが、今冷静に考えるとちょっと申し訳なかったかなと思う。

 

 

 

また、Tの方は恋愛感情を抱いていたんじゃないのかという人もいるかもしれないけど、それはない。

 

彼の想い人を私は知っていた。

これまた悲恋なんだよなぁ...

もう何年も会っていないそうだけど、Tにとっては恐らく命よりも大切な人。

 

親しかったにも関わらず想いを伝えなかったことを後悔しているなら、今からでも会いに行けば、と背中を押そうとしたことがあったのだけど、Tのあまりにも悲しい愛を語られてしまって、私の方が諦めざるを得なくなった。

 

 

 

 

年齢も違う、性別も違う、生きてきた人生も全く違う。

そんな私たちだったけれども、相手の感覚や考え方を尊重し、時には意見をぶつけ合い、愚痴も喜びも打ち明けられる親友になった。

 

 

もちろん、何もかも、一切隠すことなく全てをさらけ出していたわけではない。

そのこともお互いに分かっていた。

 

しかしながら、Tの全てを知ることは出来なくても、私はTのことを信じた。

私が私である限り、彼が私を嫌いになることはない。

彼は私のことを必要としてくれている。

 

そしてTも私のことを信じていると言った。

スークを信じられなくなったら終わりだ、と笑った。

 

 

 

先述の通り、彼は基本的に人を信じない。

母親によって傷付けられた心、失われた時間は、もはや取り返しようもなかった。

 

ごく普通の家庭に生まれ育った私にはとても理解しえない悲しみと孤独が、彼の言動の端々に滲んでいた。

 

 

悲しみが多い人ほど優しいんだ、なんてよく聞くけど、Tを見ているとそれは本当かもしれないと思う。

 

助けを必要としている人がいると、頼まれていなくても手を貸さずにはいられない。

ちょっとおせっかいなくらい優しい。

 

その優しさを利用するだけ利用されて、最終的に裏切られるということが多かった。

他人を信じられない、だけど本当は信じたい。信じられる人に出会いたい。

 

約束を破られては傷付いて、そして根無し草のように各地を転々として。

そうやって生きてきたのだ。

 

 

 

そんな彼が、私のことを信じていると言った。

苦しみばかりの人生だった彼に、親友ができた。

私が彼の親友になれたのだ。

それは私にとって、ものすごく嬉しいことだった。

(仲が深まるきっかけは、実はあまり良い出来事ではなかったのだけど)

 

 

 

私たちは、互いにあだ名で呼び合った。

他の誰も呼ばないあだ名だった。

 

彼のあだ名は正直カッコ悪い…というか40代の男性にしては可愛らしすぎて、「似合わない名前で呼ばれてんじゃねーよって周りに思われそう(笑)」と言っていたけど、そんなあだ名も私たちの絆の証の1つだった。

 

 

 

 

 

私はTによく無茶なお願いをした。

Tは嫌な顔一つせずに精いっぱい答えてくれた。

 

私もTから困ったことを何度も頼まれた。

私はちょっとくらい嫌な顔をしたかもしれないけど、全力で応じた。

 

 

 

共通点を見つける方が難しいような2人。

 

家が近いとか、クラスや部活が同じとか、会社の同僚とか、そういった2人を結び付けるような要素もほぼゼロ。

 

それでも親友になれた。

 

だから、この先どれだけ環境や状況が変わろうとも、関係が終わることはない。

きっと生涯の友だ。

 

そう思っていた。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

私はずっとTを幸せにしたいと思っていた。

 

 

私にはTの他にも友達はいるし、夫や家族のことももちろん大切で、みんな幸せになってほしいと願っている。

 

 

だけど、Tだけは、私が幸せにするんだ。

私が幸せにしなくちゃ。

Tを幸せにできるのは私だ。

 

 

義務感に近い思いがあった。

友情もあったけど、同情もあった。

 

 

T以外の友達や夫は、みんな家族も友達もいる。

 

 

だけど、Tはそうではない。

家族もいない、友達もいない。

若くもない、お金もない。

 

 

彼はヘビースモーカーで、酒も毎晩飲んでいた。

生活が苦しいなら、タバコや酒を減らして食費に回せばいいのに、と私は何度も言った。

すると彼は「酔っている間だけ自分のひどい人生を忘れられるってなったら、やめられなくなりますよ」と答えた。

 

 

 

 

私とTには、2人で叶えようとしていた夢があった。

 

それはもちろん私自身の心からの願望だったのだけど、Tのためでもあった。

 

 

Tには恐らく「自分のことを一番に愛してくれる」と思える人がいなかった。

 

母親には都合の良いペットのように扱われていたらしいし、恋人や妻もいなかったからだ。

 

直近の約3年間、Tにとって最も親密に交流した人間は私だと思うけど、私は結婚していて夫がいる。

 

 

自分のことを一番に愛してくれる人がいない ――― これってとても寂しいことなんじゃないかって。

 

 

もちろん私は一番も二番も関係なく、Tも夫も両方とても大切だ。

 

だけどTから見たら、必要とされているとは感じても、やはり一番にはなり得ないと思うだろう。

 

 

だったら、一緒に夢を実現させて、Tと仕事上のパートナーになれれば。

 

私はTの家族ではないし、配偶者にもなれない。

親友というのも、それだけではどこか心許ないかもしれない。

 

だけど、仕事上のパートナーなら、夫や他の友達には踏み込めない領域だ。

互いに最大の理解者だからこそ務まるものでもある。

 

 

夢を叶えることができたら、Tもきっと幸せを感じてくれる。

孤独と苦しみに満ちた人生だったけど、生きてきて良かった、そう思ってくれるに違いない。

 

 

まぁ、私がこんなふうに考えていることは、さすがにTには言えなかったけど。

傲慢だろうか、とも思っていたし。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

実は今年2月下旬頃(亡くなる約1か月前)から、Tはとても辛い目にあっていた。

 

私も詳細まで全て知っているわけではなく、Tが私にさえ言いたがらない内容もあったけど、状況が変わるたびにTから報告を受けていた。

 

 

私がLINEを未読のままにしていた3月25日、何かあったのかな。

 

でも今までだって、未読にしていてもさらにLINEを送ってくることなんか珍しくなかったんだ。

良いことでも悪いことでも、すぐ聞いてほしい何かがあったらよく「追いLINE」をしてきていたし、それは私も同じだった。

 

 

Tは自殺したり突然行方をくらましたりはしないって言ってたもん。

 

 

だけど、普段は自殺なんか考えてなくても、私のことを信じていたとしても、突然とてつもない寂しさや孤独感に襲われて、死を選んでしまうこともあるのかもしれない。

Tだったら正直そんなこともあり得るな、と思ってしまう。

 

 

あの日、私がLINEを返していたら。

 

 

何も特別なことなど言わなくても、他愛ない会話の続きを送っていたら。

 

きっとTは踏みとどまったのではないか。

自分には親友がいるって、一緒に叶える夢があるって、思えたのではないか。

 

 

私ならTを救えたはずだった。

だって私はTの親友だもの。

 

もし私に救えなかったのなら、他の誰にも救えなかったはずだ。

 

この3年ほどの間、Tと最も親密に交流した人間は私だったんだもの。

 

自宅で亡くなってから1週間、海外に住んでいる私がTの勤務先と警察に通報するまで、誰にも発見されなかったくらいだから。

 

 

 

いや、自殺だとは限らないんだけどさ。

すごく不健康な生活をしていたから、むしろ可能性として一番高いのは急病かなと思ってる。

急性ナントカみたいなやつ。

 

 

 

でも、死因が何であれ、結局私はTを幸せにすることは出来なかった。

 

私はTに何かしてあげられただろうか。

Tの人生をわずかでも明るくすることができただろうか。

 

 

私はTに力を貸してもらわなければ乗り切れなかった局面がいくつもあった。

私もTを助けてきたつもりだけど、どれだけ心の支えになれていたのかな。

 

 

一緒にいる時間は、楽しいと感じてくれていたかもしれない。

Tにとって私が最も親しい友人だったことだけは、間違いないと思っている。

 

だけど、彼から見たら、私は温かい普通の家庭で育ち、四年制大学まで出て普通に就職し、20代後半で結婚して…って、所詮は分かりあえない存在だと思われていたのかな。

 

 

彼の悲しみを、物心ついたころからの寂しさを、心の奥深くに渦巻く闇を。

私には拭い去ることができなかったのだろうか。

 

 

己の無力を嘆くしかなかった。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

Tが亡くなってから、私はTとのLINEをよく読み返しては、寂しくなったり、何度読んでも面白いよなーと笑ったりしていた。

 

そして、もう読まれることのない新しいメッセージを何通も送った。

LINEのトーク画面の右側にだけ、未読の吹き出しがどんどん積み重なっていった。

 

 

 

 

Tの死から1ヵ月以上が過ぎた、5月上旬。

 

 

私が海外に引っ越す直前のLINEの会話を読んでいた。

つまり約2年前のやり取り。

 

 

Tとは1~2回だったと思うけど一緒にカラオケをしたことがあり、

「スークが引っ越す前に覚えて歌いたかったんだけど、間に合わなかったから聴いてみて」

というメッセージと、曲名がいくつか送られてきていた。

 

 

Tは歌が上手い。

 

初めてTの歌を聴くことになったときは、とてもTが歌うなんて想像できず、もし下手だったらどんなリアクションを取ればいいんだと内心ハラハラしてしまった。

 

しかし、聴いてみたらびっくり。めちゃ上手い。笑

下手だったらどうしようなんて身構えちゃってごめんと思った。

 

 

 

さて、挙げられていた曲名や歌手の大半は私も知っていたけど、その中に初めて見る名前があった。

 

 

「米津玄師」だ。

 

 

当時は2017年3月。

その頃からそれなりに売れていたらしいが、日本の音楽シーンに疎い私は全く知らなかった。

 

 

そして、私はそのとき、Tが「聴いてみて」と言った米津玄師の曲にあまり興味を持たず、聴かないままになっていた。

 

「歌詞の内容的に聴いてほしいのはこれだけど、『ゴーゴー幽霊船』とかもイイよ!」と言っていたけど、どれも聴かなかった。

 

『Lemon 』が大ヒットして、「米津玄師ってTが勧めてた歌手じゃん。へ~Tは流行を先取りしてたんだ、すご~い」と思ったが、それでも聴かなかった。

 

 

 

そしてTの死から1ヵ月あまり経ち、LINEを読み返していてそのメッセージを見つけ、ようやく聴いた。

 

 

先述の通り、この頃はもうあまり泣かなくなっていた。

 

 

 

しかし、聴いたら涙が止まらなくなった。

 

 

もちろん歌詞を書いたのはTではなく米津玄師であり、T本人の言葉ではない。

 

でも、これがTの気持ちだったのなら、私に伝えようとした想いだったのなら、なぜもっと早く聴かなかったのだろうと激しく後悔した。

 


・・・・・・



始めから終わりまで想いが重なる歌詞ばかりで、本当は全部載せたいけど、さすがに長いので少し削ります。

 

すでにこの曲を知っている方からすれば、「ここがイイのに、カットされてる!」と思うかもしれませんが、何卒ご了承ください。

 

 

 

 

 

アイネクライネ

米津玄師(作詞・作曲 Kenshi Yonezu)

 

 

あたし あなたに会えて本当に嬉しいのに

当たり前のように それら全てが悲しいんだ

今 痛いくらい幸せな思い出が

いつか来るお別れを育てて歩く

 

 

あなたにあたしの思いが全部伝わってほしいのに

誰にも言えない秘密があって 嘘をついてしまうのだ

あなたが思えば思うより いくつもあたしは意気地ないのに

どうして どうして どうして

 

 

消えない悲しみも綻びも あなたといれば

それでよかったねと笑えるのがどんなに嬉しいか

目の前の全てがぼやけては溶けてゆくような

奇跡であふれて足りないや

あたしの名前を呼んでくれた

 

 

何度誓っても何度祈っても惨憺たる夢を見る

小さな歪みがいつかあなたを呑んでなくしてしまうような

あなたが思えば思うより 大げさにあたしは不甲斐ないのに

どうして どうして どうして

 

 

お願い いつまでも いつまでも

超えられない夜を超えようと手をつなぐ

この日々が続きますように

閉じた瞼さえ鮮やかに彩るために

そのために何ができるかな

あなたの名前を呼んでいいかな

 

 

産まれてきたその瞬間にあたし

「消えてしまいたい」って泣き喚いたんだ

それからずっと探していたんだ

いつか出会えるあなたのことを

 

 

 

 

 

 

 

ああ、もう。

何て言ったらいいんだろう。

 

 

さっきも言ったけど、これはTが書いた言葉ではない。

それに、私がTの抱える苦しみや孤独を丸ごと取り除くことができたわけではない、というのも紛れもない事実だ。

 

 

だけど、私という存在に対してここまで思ってくれていたなんて。

この歌を「遠くに引っ越していくスークに贈ろう」と思ってくれたなんて。

 

 

 

私はTに何もしてあげられなかったのか。

Tの心の支えになれなかったのか。

 

そんな後悔と罪悪感が少しだけ救われた気がした。

 

 

 

それと同時に、今のこの気持ちは、もうTには伝えられないということが堪らなく悲しくて。

 

もうただただ泣くしかなかった。

 

 

 

そして、また別の後悔が。

 

 

もっともっと、Tに私の気持ちを伝えれば良かった。

 

どれだけ大切に思っていたか。

どれだけ必要としていたか。

他の誰でもないTのおかげで、私がどれだけ楽しい時間を過ごせたか。

 

 

言葉だけではなくて、たった一度だけでもTを抱きしめれば良かった。

せめて手を握ってありがとうと言えば良かった。

 

 

Tが誰かに愛されたいと願い、温もりを求めていたことを、痛いほど知っていたのに。

 

 

そりゃあ彼氏(夫)がいるのに別の男性を抱きしめるなんて、普通はダメだけど。

分かってる。

でも何ていうか、そんなんじゃなくて。

 

男とか女とか、そんなんじゃなくて。

 

 

母親に愛されずとも、たくさんの人に裏切られようとも、恋人や妻を得られずとも。

 

私がTのことを愛してるし、絶対に裏切らないし、唯一無二のパートナーだって伝えたかった。

 

その最善の方法が抱きしめることなら、抱きしめれば良かった。

 

 

 

Tと一緒に過ごせる日々が、たった3年8ヵ月しかないと知っていたら...

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

Tは、亡くなってから未だに一度も夢に出てきてくれない。

生きていたときも、覚えている限り1回しか出てきたことがないけど。

 

 

でも、私も死んだらTに会えるのかなと思ったら、いつか必ず訪れる死が少し怖くなくなった。

 

 

 

でも、死んだら本当に会えるんだろうか。

 

生まれ変わったら会えるんだろうか。

 

 

 

たぶん会えないんだろうな。

 

 

 

長く生きられなかったTの分まで、私は全力で生きる。

Tと2人で叶えようとしていた夢を、これからも追いかける。

きっとTが天国から応援してくれている。

 

 

…って言ったら何だか美しくて良いのかもしれないし、私もそう思いたい気持ちはある。

 

 

だけど、私が何をしたって、何を叫んだって、Tにはもう何も届きはしない。

 

Tが生きている間にできなかったことは、今から補いようがない。

 

 

死ぬというのは、そういうこと。

 

 

死んだあの人のために、なんていうのは、生きている人間が悲しみや後悔を少しでも和らげたいがために言っているだけ。

 

 

 

残された者は、全部背負って生きるしかない。

何ヵ月、何年経てば軽くなるのか、一生ならないのか、今の私にはまだ分からない。

 

 

 

とりあえず、まだしばらくはLINEも送り続けると思うし、たまに自傷もすると思う。

先述の通り、自傷なんていってもかる~いやつですよ。

 

 

そして米津玄師の「アイネクライネ」をこの先も何十回、何百回と聴くだろう。

 

 

 

Tを忘れることはないなんていうのは当たり前だけど、いつまでも悲しみを忘れたくない。

もっと苦しみ続けたい。

もっと深く深く傷付いていたい。

 

 

 

 



Tが亡くなって2ヵ月間の想いと、Tの46回目の誕生日にあたって考えたことを形にしておきたくて、書きました。

 

 

だから何ということは特にないのだけど。

 

 

 

 

だらだらと長くまとまりのない文章を、最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

 

 

明日も明後日も、あなたとあなたの大切な人が元気に生きられますように。

 

 

 

***ブログ休止のお知らせ***

こんにちは。

待宵スークです。

 

 

 

せっかく半年間続けてきたこのブログですが、しばらくお休みさせていただくことにしました。

更新を楽しみにしてくださっていた方々には、大変申し訳ありません。

 

 

読者登録、スター、コメント、はてなブックマーク、Twitterでのリプライなどなど、自分の書いたブログに皆様から反応をいただけることで、私自身とても元気付けられていました。

 

もちろん、そういった足跡を残されない方々の存在も、アクセス数を見て感じております。

 

私のブログをお読みくださって、本当にありがとうございました。

 

 

期限は決めていないのですが、また戻ってくるつもりではおります。

そのときには、ぜひよろしくお願い致します。

 

 

 

 

さて、ブログを休止するに至った事情を以下に述べようと思うのですが、わりと暗い話になります。

感情移入しやすい方ですと、明るい気分を吹っ飛ばしてしまうかもしれませんので、ご注意ください。

 

 

いや、本当は昨日5600字くらい書いたのです。

かなり詳細に。

 

ですが、一晩経って読み返すと、重たすぎて公開しづらいな~と(苦笑)

そのため、少しライトに書き直しました。

 

それでも暗いことには変わりありませんが。

 

 

怖いもの見たさを煽って読ませようという作戦ではありませんので(笑)、暗い話が苦手な方は遠慮なくブラウザバックしてくださいね。

 

 

 

 

それでは、お話しさせていただきます。

 

 

 

 

簡単にまとめますと、

 

私がLINEを未読スルーしてせっせとブログを書いているときに、親友にsuicideされちゃったかもしれない

 

という話です。

 

ごめんなさい、suicideをどうしても漢字で書けなかった。

 

 

 

自宅で発見されたんですけど、なんと通報者は私。

1週間親友からの連絡が途絶えて、海外から日本の警察に安否確認をお願いしたの。

4月2日のことです。

 

事情聴取も受けました。電話で。

 

 

でも、通報者とはいえ、私は家族でも親族でもないので、発見時の状況や死因は教えてもらえず。

 

私が聞けたのは、

 

・事件性はなさそうだ

・発見時は死後1週間ほど経過していた

 

この2点のみ。

 

 

だから、親友の死がsuicideなのか、私の未読スルーが関係あるのか、実ははっきりとは分かりません。

ただの可能性の話。

 

本当は急病かもしれないし、転倒して頭部を強打したのかもしれない。

 

 

だけど、その可能性があると考えたら、心が折れました。

最近ブログのために時間を割きすぎてて良くないなーと思ってはいたけど、まさかこんなことになるなんて。

 

 

それに、suicideじゃないとしても、いずれにせよ私が未読スルーしてる時間なんだよなぁ。

親友が死んだのは私のせいではないとしても、私が救えたかもしれなかった。

 

 

ずーっと辛い人生を歩んできて、私ではとても埋められない孤独と寂しさを抱えていた親友。

ひとりぼっちで死なせてごめん。

 

でも、二人で叶えようとしてた夢があったのに。

何で私を置いて行っちゃったかなぁ・・・

 

 

 

 

ということで、気持ちの整理ができるまで、ブログを書くのは難しそうです。

書こうとしても、親友が亡くなったことばかり考えてしまって、文章も何も浮かばなくて。

 

この後悔と罪悪感が消える日が来るんだろうか。

 

まぁでも私はわりとメンタル強めなので、1ヵ月くらい経ったらケロリとして戻ってくるかもしれません(笑)

 

 

暗い話で本当にごめんなさい。

精神的にはまだ少し沈んでますが、体はびっくりするくらい元気なのでご心配には及びません!

 

しばしお休みをいただきますm(_ _)m

 

 

お読みくださってありがとうございました。

 

 

 

待宵スーク

Mr.Childrenの「くるみ」が刺さりすぎる

こんにちは(*^^*)

待宵スークです。

 

すっかり春らしい陽気になりましたね♪

もうさすがにマフラーはしないで出掛けようかなと思っている今日この頃。

 

 

さてさて。

 

私、特定の好きな歌手っていないんですよ。

大学2年生?くらいまではいたんですが、だんだん「この歌手の曲なら何でも好き!」っていうのがなくなってきて。

大学時代に入っていたサークルが音楽関係だったので、その頃に広く浅くいろいろ聴いたからですかね。

 

サークルが音楽関係だったと言いつつ、私はいわゆる「音楽好き」ではない。

良い音楽を求めて自分からあちこち漁っていく、ということはあまりしない。

たまたま聴く機会があった曲が気に入って、その後も聴き続ける、という感じかしら。

 

そういえば、話が少し逸れてしまいますが、漫画もそうかな。

毎日読んでるけど、まだ見ぬ良作を自ら探しに行くことはまずない。

最近漫画アプリで読んでるのは、「賭ケグルイ」「死役所」「復讐の未亡人」「北斗の拳」「お水の花道」とか(笑)

ジャンルめちゃくちゃww

紙で読んでるのはONE PIECEだけ。

 

小中学生時代は姉と一緒に「りぼん」を買って読んでたけど、今はティーンの恋愛モノとか見ても全然共感できなくなっちゃったし、何なら薄っぺらく感じてしまうので、少女漫画はほぼ読んでない。

 

 

話を戻しますが、音楽も漫画も自分の生活には必要だけど、積極的に出会いに行く「音楽好き」「漫画好き」ではない。

マイナーなものはほとんど知らない。

 

 

で、タイトルのMr.Children「くるみ」。

 

私はミスチルのファンではない。

好きか嫌いかで言えば断然好きだけど。

 

CDは1枚も持ってないし、ほとんどの曲はサビしか分からない。

似たように聞こえてしまう曲も正直多い。

 

先日、夫と日系の居酒屋さんに行ったとき、店内で日本の曲がかかっていた。

そのうち、ミスチルらしき前奏と声が流れてきて、

 

夫「この曲、ミスチルの何だっけ?」

私「innocent worldじゃない?」

夫「え、違うっしょ」

私「違うか。まぁサビまで行けば分かるよね」

夫婦「・・・・・・・・(サビになってもピンと来ず)」

桜井さん「innocent world~♪」

夫婦「innocent worldだったww」

 

ということがあったくらい、ミスチルには全く詳しくない。

 

でも、好きな曲が何曲かある。

アルバムは持ってないから、全部シングル。

 

そのうちの1曲が2004年リリースの「くるみ」。

 

いつから、どんなきっかけで聴き始めたかは全然覚えてないけど、塾講師時代にはよく聴いていた記憶がある。

そして今でもたまに聴く。

 

 

「くるみ」とはどういう意味か、というのは複数の説があるらしいけど、私が個人的に一番好きなのは、

くるみ→来未=「未来」の逆=過去

という説。

 

 

ねぇ くるみ

この街の景色は君の目にどう映るの?

今の僕はどう見えるの?

 

ねぇ くるみ

誰かの優しさも皮肉に聞こえてしまうんだ

そんな時はどうしたらいい?

 

良かった事だけ思い出して

やけに年老いた気持ちになる

 

ねぇ くるみ

時間が何もかも洗い連れ去ってくれれば

生きることは実に容易い

 

(くるみ 作詞:桜井和寿 / 作曲:桜井和寿)

 

 

一部抜粋ですが。

 

大学時代まではずっと実家暮らしだったけど、その後は地元を離れて計6回引っ越しをしている私。

8年?の間に、大まかに分けても住む地域が3回変わった。

今は海外だしさ(笑)

 

だから、自分が立っている街を眺めながら、過去の自分に「私はこれでいいのかな」と問いかけることがよくあった。

 

所詮はイージーでノーマルな人生を送ってきた私だけど、それでも心に深く刺さって抜けることのない想いや、振り払いたくても振り払えない過去の苦しみがある。

 

実は、高3のときに経験したある「輝かしい後悔」が未だに夢に出てくるんだ。

このブログをやめる時に書けたら書こうかなと思ってる。

 

誇れる自分になりたいけど、なれない。

良い思い出だろうが悪い思い出だろうが、自分を縛り付けるものは全部捨ててしまえばいいのに。

「あの頃に戻りたい」と切に願うあまり、自分がおかしくなってしまいそうな時期もあった。

「あの頃」から離れていってしまうことが恐ろしくて。

 

励ましてくれる人、支えようとしてくれる人がいたことはとても幸せなことで、嬉しかったけど、その優しさによってますます自分が小さく思えてくる。

いっそ誰も話しかけないで。

 

 

 

・・・書き始めたらだんだん暗くなってしまった。

この記事はそういうつもりじゃなかったのに!

「くるみ」いいよね!めちゃ共感!っていうつもりだったのにー!笑

 

 

まぁそんな感じで、他人から見たら取るに足らないようなことに心を揺さぶられて、人生そのものを悲観してしまうこともしばしばあるわけだけど。

 

 

どこかで掛け違えてきて

気が付けば一つ余ったボタン

同じようにして誰かが持て余したボタンホールに

出会うことで意味が出来たならいい

 

出会いの数だけ別れは増える

それでも希望に胸は震える

 

引き換えしちゃいけないよね

進もう 君のいない道の上へ

 

(くるみ 作詞:桜井和寿 / 作曲:桜井和寿)

 

 

それでも、まだ自分の未来には期待したいと思っているし、実際期待している。

苦しいこともたくさんあったし、この記事をここまで書くだけでも何度か涙ぐんでしまったけど、今までの人生はとても恵まれていて幸せだったと思う。

 

今後のこと、特に日本に帰ってからのことは正直不透明で、夫に私の希望を十分に伝えられているともいえない。

いろいろなことを天秤にかけて、取捨選択していかなくてはいけなくなるのだろう。

 

でも、未来にわくわくしている自分もちゃんといる。

大丈夫、頑張ろう。

 

「くるみ」を聴くと、いつもそんなふうに思えるのです。

 

 

 

もうブログ半年やってるのに、書き始める前に決めていた場所にちゃんと着地できないの、全然変わらんな。笑

 

いつも駄文を晒してすみません!

お読みくださってありがとうございました!!

ブログを始めて半年になりました

 

春らしい暖かさになってきましたね~。

 

こんにちは。待宵スークです。

 

気付けばこのブログも開設から半年!

あっという間でした。

 

上手く書けない、まとまらない、文が出てこない、ということはしょっちゅうありますが、「書きたくない」という日は半年間一度もなかった気がします。

 

今年31歳になりますが、ここに来て新しい趣味を見つけるとは(笑)

 

いや、「新しい趣味」というか、初めての趣味といってもいいかもしれない。

 

今までずーーーっと、趣味らしい趣味ってなかったんですよね。

時間やお金を割くことを惜しまずに没頭して、ある程度の向上心も持てるもの。

 

バスケは?って聞かれそうですが、学生時代は練習嫌いだったし(いや、頑張ってた方だったと思いますが、練習休みの日は嬉しかった笑)、バスケが趣味と言うのは自分的にあまりしっくり来なくて。

 

実家に帰ったりしない限り、ほぼ毎日ブログを書くか読むかはしてます。

遅筆なので、更新は遅いですが(笑)

 

始めた頃は続くかなぁと思っていましたが、生活が大きく変化しない限りはとりあえず続けられそうです。

 

とはいえ、やはり誰かに読んでもらえているという実感なしにはやってこられなかった。

いくら文章書くのが好きだといっても、これは確実。

 

いつもスターをつけてくださる方や、コメントをくださる方、Twitterで絡んでくださる方、ありがとうございます。

 

もちろん、そういった私の目に見える形でなくても読んでくださっている方がいらっしゃるなら、大変嬉しいです。

ありがとうございます。

 

しかし、最近は読みたいのに読めていないブログがたくさんたまってきてしまって。

私は皆様のはてなスターやコメント(Twitter含む)に救われているのに、自分は全然スターやコメントを送ることができていないのが心苦しいです。

皆様の面白い記事をたくさん読み逃してしまっている気もするし・・・

時間を見つけて出来る限り読んでいきたいと思います(泣)

 

 

さて、半年記念なのに、いつもと変わり映えしないご挨拶で申し訳ない。

 

でも実際、ブログに関して特に心境の変化ってないんですよね。笑

なくはないかもしれないけど・・・

基本的には、書くのが楽しい、読んでいただけているのが嬉しい。

あとは、ものすごく自信を無くしたり、まぁいっかって思ったりの繰り返し。

 

実は、最近は気持ちの波でいうと「谷」でして。

あ 水平より上に行くことはほぼないです。

自信をなくす(谷)、まぁいっか(水平)のどちらか。

 

昨日「あー明日は半年の挨拶書かなきゃ」と考えたときに、「谷」にいる気持ちを全部吐き出しちゃおうかな、と思ったんですよ。

 

いじいじ、もやもや、めそめそした気持ちをぜーーーんぶ。

「今ブログに前向きに取り組めている人、自分のブログに自信のある人は読まないでください!」って注意書きでもつけてさ(笑)

 

で、文章もだいたい考えてたんです。

 

でも、いざ書くぞってなると、あまりにもいじいじしすぎていて、惨めったらしいだけだなと思ったのでやめました(笑)

 

基本は楽しいんだからいいじゃん、ということで。

ブログで食っていこうとしているわけでもないし、せっかく見つけた趣味なんだからやりたいようにやろうぜ、とね。

 

 

バイトに行く準備をする時間が近付いてきたので、今回はこの辺で。

これはTwitterには投稿しません。

何となく。

「更新しました!」ってツイートでお知らせする気分ではなく(笑)

 

でも、こんなことを言いつつ、今日と明日は夫が飲み会で夕飯作らなくていいので「ブログ書きまくるぜーーー!!」って内心喜んでいるのです。

ごめんね夫よ。笑

 

半年間、続けてこられて良かった。

そしてまだまだ続けたいと思えて良かった。

 

最近、駐在妻らしいことをあまり書いてないですよね。笑

 

歯列矯正もちゃんとやってますよ?

ただ、最近は調整ばかりなので1つの記事にするほどのことがなくて(笑)

でも結構変化が現れてきたので今度書こうかな。

 

現在のバイトのことも書こうかどうしようか迷い中。

 

更新頻度は低いけど、相変わらず書きたいことはたくさんあったりします。

 

 

それでは、画面の前のあなた。

読んでくださってありがとうございます。

これからもよろしくお願い致します。

 

待宵スークでした♪

NO BASKETBALL, NO LIFE

NO BASKETBALL, NO LIFE

 

バスケットボールがなきゃ、生きていけない!

 

 

 

・・・なんてことは全くなく、なきゃないで生きていけます。

 

こんにちは。

待宵スークです。

 

 

ブログを立ち上げてからしばらくの間は身バレ防止のために学生時代の部活を隠していたような気がしますが(笑)、このブログは収益化しない、だから検索流入も狙わないことにしたのでノープロブレム。

 

 

小学校3年生の時にミニバスを始め、中学校、高校と約10年続けたバスケットボール。

私の人生で、ここまで長く続いたものは他にありません。

 

そして1年前、私が住んでいる国の在住日本人サークルに入り、11年ぶりくらいにバスケットボールのある生活になりました。

 

 

11年間はなーんにもしてませんでした。

テレビでバスケの試合を見るとかもあんまりないですし。

ね。全然「NO BASKETBALL, NO LIFE 」じゃない(笑)

「バスケがしたいです…」とか泣いたこともありません。

 

ただ、バスケから離れていた11年間も、夢にはバスケをやっている場面がしょっちゅう出てきました。

他にもよく見る夢はあるけど、バスケの夢が圧倒的に多いです。

それだけ脳にもバスケの記憶が浸み込んでるのかな。

 

 

 

学生時代に10年もバスケをやっていたなら、さぞかし上手なんだろうと思われるかもしれません。

そうならどんなに良かったか!

残念ながら、下手でございます(ごーーーん)。

 

もちろん、シュートも打てるし、ドリブルもできるし、パスもできます。

でも、スポーツの上手い下手ってそういうのじゃないですよね。

 

いやいや、それももちろんありますよ?

ドリブルめっちゃ速いとか、シュートが馬鹿みたいに入るとか。

 

今日は努力なのか才能なのかみたいな話をするつもりはないので深くつっこまないでいただきたいんですが、要はセンスがないんですよね。私は。

 

スポーツは一瞬の判断の連続。

 

ボールを持った瞬間に、

(いや、むしろボールを持つ前)

 

自分がシュートを打つのか

打つならどうやって打つのか

 

パスを出すのか

出すなら誰にどんなパスを出すのか

 

ドリブルするのか

するならどの方向にどんなドリブルをするのか

 

あれこれ考えるわけです。

そのときの頭の中は日本語じゃない。

感覚です。

 

ボールを持っていなくても、自分がパスをもらいに行くのか、他のプレーヤーを生かすように動くのか、などなど無限に選択肢がありますよね。

 

絶え間なく変化する状況の中で、瞬間的に考え、判断して、動く。

その判断の的確さがセンスだと思うのです。

私はそれが乏しいから、まあ無駄な動きの多いこと(笑)

 

(分かってるよ!センスだって先天的なものじゃなくて勉強すれば磨けるよ!自分が努力不足だったのは知ってるから、今は言わないで!笑)

 

高校時代はメンバーにも恵まれて、3年生で引退するまでガッツリやりました。

 

でも、自分はどれだけやっても「バスケが上手い人」になれることはないな、と思ったので、特に未練もなくバスケから離れ、大学では別のサークルに。

 

社会人になってからは、スポッチャでちょこっと遊んだ程度かな?

まさか29歳になって自分がまたバスケをしようと思うなんて、想像もしていませんでした。

 

 

ちなみに私が一番好きだったプレイは、相手のシュートに手を引っ掛けて阻止すること。

地味かよ!!!!

バスケをあまりご存じでない方には分かりにくくて申し訳ないです。

すごくなるとスラムダンクのゴリの「ハエたたき」になります(笑)

 

相手のシュートを止めたい一心で前に出過ぎるとファウル(反則)になりやすいんですが、成功したときは「ドヤァァァァァア!!!!」ですよ(笑)

シュートを阻止してドヤァ!!

サッカー日本代表ゴールキーパーの川島か?

もしくは元競泳選手の北島康介。

「気持ちいいー。超気持ちいい…」こんな気分です。快っ感!!!

 

 

さて。

全く「NO BASKETBALL, NO LIFE 」じゃない私ですが、やればやっぱり楽しい。

血が騒ぎます。

学生時代にどう頑張っても下手だったんだから今だってもちろん下手なのに、メラメラ燃えちゃう(笑)

 

そもそもスポーツに熱中するような人は漏れなく負けず嫌いなんですよね。

クールに振る舞っていても、失敗しちゃっても気にしない☆みたいに笑っていても、心は炎です。

今のサークルメンバーは男女とも全員バスケ経験者。

つまり全員負けず嫌い。笑

 

でも、それがいいんだよなぁ。

 

今私が入っているサークルは大半が社会人(数名大学生)。

仕事もあるし、家庭もある。

間違ってもバスケ第一の生活なんかしてないわけです。

無茶をして怪我をしたり、相手を怪我させてしまったりしては大変なので、後先考えない強引なプレイはしません。

 

それでもやっぱり、抑えきれない闘争心が剥き出しになる瞬間があって。

学生時代みたいに勢い任せでぶつかったりはしないけど、「負けたくねぇええ!!!」がプレイに出てしまうときがあるのです。

 

1対1で抜かれてシュート打たれる瞬間つい手を出してしまって、バスカン。

「ああーーー!!くっそーーー!!笑」周りも爆笑、みたいな。

 

※バスカン=バスケットカウント

 シュート時にファウルした上に、そのシュートが決まっちゃうやつ。

 きちんと説明すると長いけど、とりあえずディフェンス側はめちゃ悔しい。笑

 

勝っても負けても別にいい。

何か大切なものが懸かってるわけじゃないから。

でも、得るものも失うものないのに思わず熱くなってしまうことこそ、私たちが重た~い体を引きずってまで(笑)バスケをやってる理由だと思います。

 

 

 

負けず嫌いといえば。

先週、サークル初参加の女子大生が来ました。

日本の大学の春休みを利用して、1ヵ月の短期留学か何かで来ているらしいです。←あんまり喋ってないから分からない(笑)

 

その子は日本の大学でバスケをやっている現役プレーヤー。

「大学までバスケやってるなんて、間違いなく上手いに決まってる。私は体力もないし下手だし、絶対ついていけない~笑」と思っていたところ・・・

 

さすがというか何というか。

上手なのは言うまでもないけど、ゴリッゴリの負けず嫌いで思わず笑ってしまいました。

 

シュート練習のときに、好きなところから打っていいよと言われればスリーポイント打つし。

試合になれば男子にも1対1を仕掛けていくし。

 

やっぱりね、これくらいのガッツがなきゃ、大学までなんて続けられない。

笑ってしまったって書いたけど、カッコ良かったし、羨ましかった。

私もそれくらいバスケに自信持ってみたかった。

 

だけど、試合中に私に目で合図送るのやめて!!笑

「ほら」みたいな視線を向けられても、私はどう動いたらいいか分からないの!

センスゼロだから!ゼロセンスだから!!

事前にフォーメーションの打ち合わせとかしてたならいいけど、そうじゃないと上手い人と息を合わせて動くとか無理なの!!

試合中に上手い人の頭の中が分かれば苦労しないの!!泣

 

 

 

 

とか言いつつ、私たぶん、現役時代より今の方がバスケ上手い。

 

もちろん毎日練習してた18歳のときの体力とは比べものにならないし、筋力も落ちてるからスリーポイントシュートも力を込めないと届かない。

 

サークルは週1(毎週日曜)しかないし、借りてる体育館の都合とか人数が集まらないとかでできない週もあるから、体力や筋力はなかなかつかなくて、筋肉痛になることもしばしば。

 

だけど、学生時代よりも落ち着いてプレーができるようになってる。

 

学生時代は、試合になると「上手くやらなきゃ!上手くやらなきゃ!」で頭がいっぱいになって、余裕がなかった。

目の前しか見えていない感じ。

しょぼいプレーをして顧問の先生に怒られるのも怖かった。

失敗しちゃダメ、怒られたくない、と思えば思うほど、ますますプレーは固くなる。

 

でも、今は誰にも怒られない。

さっき書いた通り、私のプレーに懸かっているものも何もない。

試合中でもしんどくなってきたらちょっと歩いて休憩しちゃう(笑)

簡単なシュートを外したり、パスミスしたりしても「きゃ~!ごめんなさい~!笑」で許してもらえる。

 

みんなお互いにいい歳だから、高いレベルを求め合うことはない。

やる気さえあれば、他に何も咎められることはない。

 

ゆるいっちゃゆるいんだけど、お遊びよりは真剣で、きっと私にとってはちょうどいいんですよね。

 

「良いプレイができない」って苦しむのに疲れて大学からはバスケをやめてしまったけど、今は良いプレイができなくても別にOK。

もし良いプレイができたら万々歳!!

 

プレッシャーが全くない!

バスケをするのが恐くない!

 

そうしたらね。

相手の動きを見てフェイント入れたりとか。

これいけちゃう?いっちゃえ!っていうカットインができたりとか。

ディフェンスとの距離が空いたときに迷わずシュート打てたりとか。

 

冷静に頭を働かせながら試合ができる。

 

出来る人は小学生のミニバス時代から出来ていたと思います。

でも、私は高校生になっても出来なかったんです。

いつも「思い切りがない」「もっと勝負しろ」って言われていた。

 

だけど、大人になって改めてバスケを始めてみたら、高校時代にできなかったことが出来るようになった。

バスケの楽しさを再認識したというか、良いプレーってたまたま生まれるものじゃなくて自分でつくるものだったのね、なんて当たり前のことを今さら思ったりもしています。

 

バスケを再開して本当に良かった。

 

 

 

NO BASKETBALL でも生きていけるけど。

私の今後の人生で決して優先度は高くないけど。

日本に帰って働き始めたらたぶんもうやらないけど。

 

でもやっぱり好きだな。

学生時代は、苦しくて好きなのかどうかよく分からなくなってたけど、

 

「大好きです。今度は嘘じゃないっす」

 

 

(別にもともと嘘はついてないけど)

(無理矢理スラダン名台詞で終わらせようとしました)

 

 

お読みくださってありがとうございました。

思い出と戦っていた土曜日

 

こんにちは(^^)

 

今日は夫が早朝からゴルフだったので、3時起床、夫を送り出した4時から朝活を始めました。

 

朝活いいですねー。

私にとっては、毎日じゃないのが逆にいい。

夫が早朝ゴルフのときにしかできない特別感!

 

まぁ先週も早朝ゴルフだったし、来週もなんですけど(笑)

少しずつ暖かくなってきたので、これからの季節はゴルフ増えるだろうなー。

サラリーマンは大変ですね。

夫がスポーツとしてのゴルフそのものを好きなのがせめてもの救い(笑)

 

さて、すでに今日の作業がスタートしてから12時間以上経過しているのに、はてなブログが一向に更新されないのはなぜなんだと。

 

いや、誰にも聞かれてないですけど。

 

でも、Twitterで「朝活!ブログ書いてる!」と言うからには、1つくらい投稿するんじゃないのか?ってね、自分でも思うわけです。

 

 

えーとね、何をしてたかというと、思い出と戦っていました。

 

は?

 

だから思い出と・・・

 

は?

 

・・・(-_-)

 

WordPressでやってる塾講師ブログは特にそうなんですけど、過去のことを思い出すと、辛くなってしまうんですよね。どうしても。

 

それは必ずしも思い出の内容が辛いからではなく、過去と現在のときの隔たりが、といったらいいのかな・・・

 

表現力も語彙力も無いので上手く言えなくてすいません。

 

楽しい思い出であっても、いや、楽しい思い出であればあるほど、「あのとき一緒に過ごしたみんなは今どうしているだろうか」とか、「もう会うことはないだろう」とか、「どんなに望んでも、あのときには戻れない」とか、そういういろいろな思いが湧き上がってきて、居ても立ってもいられなくなってしまう。

 

誰かと思い出話するならいいんですが、一人だとダメ。

ちょっと大げさですが、胸が苦しくなって何かもう吐きそうになるんですよね(笑)

 

え、朝活ー!とか言いながら吐いてたの?

いやいや、もちろん実際には吐いてませんけど。

 

 

 

先週か先々週あたり、私が塾講師1年目だったときに担当した中3の子たちのことを記事に書いてたんです。

 

すごくいい子たちだったんですよ。すごーく。

私がいい先生だったんじゃなくて、むしろ私は1年目ってことを差し引いてもポンコツ中のポンコツ。

でも、その子たちと出会えたおかげで、私は塾講師のやりがいや楽しさを知ることができたと思っていて。

 

思い出してたら、もーーーー辛くて。

もはや断片的にしか覚えてないけど、楽しかったなぁ、あの子たちの成長を見続けたくて2年目も続ける決意をしたんだったなぁ、とか。

 

生徒と気持ちを通わせることができた、その実感をくれたのはあの子たちだったなぁ、とか。

 

そしてその記事を書いてて気付いたのが、あの子たちってもしかして、4月から新卒社会人じゃね?ということ。

 

何てこった!

新人塾講師として彼らの前に立った、あのときの私と同じ年齢になるの!?

 

私が担当していたときは中3だったけど、それから高校生になって、大学生になって、もう社会人かぁ。

 

私はというと、彼らが高校を卒業すると同時にその塾を辞めて、地元に戻ってまた塾で働いて、今は結婚して海外に住んでる。

 

そんな積もる話を、いつかお酒でも飲みながら語り合えたらなー。

 

とか考えちゃったらね。

もうあかん。

 

ええ、幸せな思い出ですよ。

あの子たちを担当できて本当に良かった。

 

他にも、その塾で働いていた頃のさまざまな苦悩、深夜のファミレスで徹夜で授業研究してたなーとか、1年目で辞めていった同期のこととか、あれこれ思い起こされて。

苦しんだことすら、今となっては愛おしい。

 

でもそういう楽しかった、辛かったとかじゃなくて、時が経つのが恐ろしい。

生きてるんだから、時が流れていくのは当たり前。

 

でもその流れを意識してしまうと、途端に一気に押し寄せてきて、逃れられなくなってしまうんですよね。

 

幸せだったことも、苦しかったことも、すべて過去。

 

何かまた暗くなってません?笑

あれです、もうそろそろ外が暗くなってくる時間だから、つられちゃったんです。

 

しかも、こんなグダグダな内容でもう1500字も書いているというのが・・・

 

この記事の論点はいったい何なんだ。

論点なんて無いっす。

思い出と戦っていた、という話。

 

何かさー私のブログ、最近おかしなことばっか書いてません?

大丈夫かいな(笑)

日頃Twitterでお世話になっている方々へ

Twitterが使えなくなってしまいました。

 

昨日の記事↓↓を読んでいただくと分かるのですが(説明が下手で分かりにくいかもしれませんが)、私のスマホが「抜け道」に一切繋がらなくなってしまったようです。

 

matsuyoisouk.hatenablog.com

  

「抜け道」に対する某国政府の締め付けは、年々厳しくなっております。

例えば生命保険といってもいろんな会社があるように、「抜け道」サービスにもいろいろあるんです。

その中の私が利用しているサービスがどうやら現在激しく攻撃されている模様。

 

詳しいことはよく分かりません。

同じ国に住んでいても、別のサービスを使っていて影響を受けていない人もいます。

 

また、同じサービスを使っているにも関わらず、最初に接続不能になったのは夫のPC、次に私のPC、そして今度は私のスマホ。

一斉にではなく、端末ごとに使えなくなるタイミングが異なるのはなぜ???

 

ググれカス!!

 

いや、だからググれないんですよ。

あれ~?「抜け道」に全然繋がらない…何で??

と思ったときには、もうググれません。

 

あれ~?「抜け道」に全然繋がらない…Twitterできないよ~!

と思ったときには、もう「Twitterできないよ~!」ってツイートできません。

 

あれ~?「抜け道」に全然繋がらない…LINE返せないよ~!

と思ったときには、もう「ごめん今返せないの(><)」って送れません。

電話番号を知ってる人だったらSMSで「ごめん某国事情で今LINEが…」って送れるんですけど、こういうときに限って滅多に連絡取らないLINEしか知らない友だちからメッセージが来るんですよね…

 

 

「抜け道」サービス側も、規制から逃れるべくアップデートを模索しているところだろうとは思うんですが(今までもずっと某国政府とサービス各社のいたちごっこ)、いつ復活するか分からないので待っていられません。

すでに息の根を止められたサービスもあるので、復活する保障もないですし。

さっさと新しいサービスに移行を…

 

ん?でも待てよ?

 

今ググれない。

新しいサービスのホームページに行けないじゃん。

 

もし利用中のサービスが本当にこのまま復活しなかったら…

詰み?

 

いやいや、夫のスマホはまだ辛うじてサービス使えてるから、夫にメールとかでリンクを送ってもらえば何とかなる。

 

でも万が一、週末にその話し合いをする前に夫のスマホもダメになったら…

いよいよ詰み??

 

まじかよやべーよ。

私が次に日本に帰るの数か月先なんですけど。

それまでTwitterもLINEもできないの?

 

もっというと、アナリティクスもサーチコンソールも…アドセンスの申請も…

(WordPressでやってるもう一つのブログの話です)

帰国したときにアドセンス申請して、それが通ったとしても、日本にいる間に合格通知もらわなきゃいけないしね。

 

アドセンス以外にも広告貼る方法あるよって?

でもさ、それをやろうにもググれないのよ。

 

これはヤバイ。ガチでヤヴァイ。

 

と思ったら、GoogleもYahoo検索も使えないけど、ドコモのdメニューの検索機能が規制されていないということを昨日発見しました。笑

今までdメニューで検索なんて一度も使ったことなかったけど、あって良かったdメニュー!!!!

まだ詰んでなかった!!!!

 

それから、昨日の夜、ドコモの海外パケットプラン?を試してみたんですよ。

これって規制回避できるのかなぁと。

ただし、あくまで旅行者向けなので、1時間200円、24時間980円みたいな感じ。

見事規制回避に成功し、1時間だけTwitterに浮上しました。

深夜でしたが、私のツイートを見つけて反応してくださった方が数名いらっしゃって嬉しかったです。

 

その後、なぜか一瞬だけ「抜け道」に繋がったのですが、5分くらいでやっぱり切れてしまって。

リプのやり取りが中途半端になってしまった方、ごめんなさい(;Д;)

 

 

ということで、現在こんな状況でございます。

 

Twitterのおかげではてな以外のブロガーさんとも繋がることができたのは良いのですが、こういうときは本当に困りますね。

はてな以外の方は、大抵Twitterの「ブログ更新しました」を見て読みに来てくださっていると思うので、この記事に気付いていただくことができないという。

はてなは記事を投稿するとSNSにシェアする画面になりますが、端末が「抜け道」に繋がっていないと、そこからツイートすることもできません。

 

私、生きてまーす!!!!!

生きてますよー!!!!!

Twitterに現れなくても、おれたちはここにいる!!

シャンドラの灯をともせェェ!!!

おれ「たち」って誰だよ。ONE PIECEですねー。

 

伝えて~♪届けて~♪私は元気でい~る~と~♪

っていう歌ありましたよね?笑

まさにそんな気持ちです。

曲名も歌手名も忘れましたが。

ググれカス!!

だからググれないの!!

dメニューで探せカス!!

面倒くさい!!!

 

週末に夫と二人で別の「抜け道」サービスへの移行を検討するので、早ければ土曜日にもTwitterに戻れると思うのですが。

それまでしばらくTwitterお休みします。

 

もともとスタート時はブログしかやってなかったとはいえ、最近はほぼ毎日Twitterもやってたので寂しいなー。

戻っても浦島太郎的な気分になりそう。

「私がいない間に何があったの?」って(笑)

 

とりあえず、日頃Twitterでお世話になっている皆さん、いつもありがとうございます。

不便さにイライラしてますが、私は変わらず元気です。

またお会いできる日を楽しみにしております。

 

大げさか(笑)

 

お読みくださってありがとうございました。

ブログを始めて5か月、最近の話

こんにちは(^^)

少し温かくなったかと思えばまた冷え込みが厳しくなり、皆さん体調を崩していませんか?

私はエブリデイマスクのおかげか、今年の冬は一度も風邪を引かずに乗り切れるかもしれません…!!

ちなみに、インフルエンザは生まれてこの方かかったことがない。

私の数少ない自慢の一つ(笑)

しかし、まだまだ油断大敵!

気を引き締めてまいりましょう。

 

 

さて、このブログも開設から5カ月を迎えました。

いつまで続けられるかしら…笑

でも、更新頻度はどんどん下がっていますが、今の私の生活の中で、確実に心の拠り所になっています。

言い換えると、このブログを読んで下さる皆様が拠り所ということ。

ありがとうございます!!

あなたを勝手に拠り所にさせていただいております!!笑

 

 

私の月ごとの報告はいつも特に内容が無い…というか節目と全く関係のない話になってしまうことが多いのですが、今回は私が現在住んでいる「某国」のネット規制のお話を。

 

 

某国は情報統制が厳しく、インターネットが自由に使えません。

在住外国人にとっては非常に不便なんです。

某国に限らず、インターネット規制されている国は結構あるらしいですけどね。

具体的に某国で使えないインターネットサービスを挙げると…

 

  • Twitter
  • LINE
  • Instagram
  • Facebook
  • You tube
  • Googleのサービス全般
  • Yahoo検索

 

などなど。

他にも、日本の新聞社などでも規制されているものがあったと思います。

 

「Googleのサービス全般」とまとめてしまいましたが、「ググる」、つまり検索機能はもちろん使えませんし、Gmail 、マップ、Blogger 、アナリティクス、サーチコンソール、アドセンスの申請もできないわけです。

 

Yahooの検索機能も使えないなんて、分からないことがあったときどうすんの?

それはね、我慢します。

 

これら全部、某国にいると使えないんですよ。

今後、さらに規制対象が増える可能性もあります。

 

控えめに言って、やばくね?

 

今月初めに数日間日本に帰りましたが、何より喜ばしかったのはいつでもどこでもLINEやTwitter、検索などが使えること。

そんなの当たり前のはずなのに、便利すぎて初めて洗濯機を使った高度経済成長期の主婦並みに感動しました。

 

とはいえ、某国にいても一切使えないわけではありません。

実は「抜け道」的な方法があるのです。

在住外国人たちはみんなその「抜け道」を利用して、これらのサービスにアクセスしています。

「抜け道」を使うことさえできれば、そこまでの不便は感じません。

 

しかし、「実は」と書きましたが、某国政府がその「抜け道」の存在を知らないなんてことはもちろんあり得ない。

最近はどうも「抜け道潰し」がかなり厳しいようなんですよね。

 

私はインターネットの技術的なことに詳しくないので説明はできませんが、最近はとにかく「抜け道」にすんなり繋がらない。

また、以前は地下鉄や職場などのWi-Fiでも「抜け道」にアクセスできたのですが、最近は一切ダメ。

つまり、LINEもTwitterも自宅のWi-Fi じゃないと使えない。

(自宅Wi-Fiでも特に夜はなかなか繋がらない。ルーターのせいもあるのかも)

 

「抜け道」に繋がらないときは、どうしようもありません。

再起動してみようとかそういう問題ではないので、個人レベルでできることは何もない。

 

一日中LINEやTwitterをやっていたいわけではないですし、仮に数日使えなくなったとしても死ぬわけではありません。

しかし、使いたいタイミングで使えないというのは本当に困るし、ストレスが溜まるんですよね…

はてなブログやWordPressが規制対象になっていなくて本当に良かった。

 

ああ、そうこうしているうちに…この記事を書き終わったらTwitterでいただいているリプを返そうと思っていたら、いつのまにか「抜け道」の接続が切れちゃってる(泣)

こういうことになるから先に返しておけば良かったのに…ごめんなさい(泣泣)

 

とにかく不便。

とにかく不便。

不便不便不便!!!

 

そんなわけで、相手が国家となると対抗できるはずもなく、ぶつけようのない苛立ちを抱えながら日々を過ごしております。

 

いやいやいや。苛立ちのあまり暗くまとめてしまいました(笑)

毎日楽しく生きています!

でも、やろうと思っていることがまだまだ全然できていないので、もっと時間や機会を大切に使っていきたいですね。

 

さて、もはや恒例の着地点がよく分からない月例報告となってしまいましたが、今回はこの辺で。

 

お読みくださって本当にありがとうございます。

これからもよろしくお願い致します。

久しぶりに日本に帰ったときの話

こんにちは(^^)

まだまだ寒い日が続きますが、風邪を引いたりしていませんか?

 

先日、5泊6日で久しぶりに日本に帰りました。

約4か月ぶりの祖国!!笑

今回は、その帰国レポート(?)です。

 

 

まずはじめに。

今回は、とにかくタイトスケジュールでした。

 

私の実家は関東、夫の実家は九州なのですが、今回は5泊6日の中で

 

某国(今住んでる国)→九州→関東→九州→某国

 

と移動することに。

(某国って。この時期に帰国するなんてどこの国かバレバレですが、まだ言わない。笑)

何でわざわざ九州と関東を行き来するのか?

理由は、国際線の航空券は往復で買わないとめちゃくちゃ高いから。

 

そのため、ざっくりいうとこんなスケジュールになりました。

 

5日(火)  某国→九州

6日(水)  九州→関東

7日(木)  イベント1

8日(金)  イベント2

9日(土)  関東→九州

10日(日)  九州→某国

 

移動ばっかり~!!!

タイムイズマネー・・・

マネーも大事だけど、これじゃ何をしに帰るのかよく分からんぞ・・・

という感じなのですが、「イベント1」「イベント2」とは何ぞや。

 

 

1日目 ― 2月5日(火)

某国自宅を出発し、まずは九州へ。

飛行機が定刻で飛んでくれたので、特に問題なし。

この日は夫の実家にお世話になりました。

到着後、すぐに荷物を置いて夫の学生時代からの行きつけというラーメン屋さんへ。

(機内食も食べたのに)

夫は無類のラーメン好き。

常にラーメンを食べるチャンスを狙っています。

 

 

2日目 ― 2月6日(水)

この日は帰国する際には外せないミッションがありました。

そう、それは買い出し。

某国の都市部は外国人が多く、日系スーパーなどもあります。

しかし、それでもやはり日本でないと手に入らないもの、現地の品質では不安なもの、現地で買うと高すぎるものなどは、帰国するたびに買い込んでいます。

某国に引っ越した当初に比べると、これは無くても困らないなーとか、これはもう現地調達でいいやとか、買うものはだいぶ絞られてきました。

 

今回、スーパーで買った食料品&日用品は1万円ちょっとくらい。

必ず買うのは、切り干し大根やひじきなどの乾物系、ハンドソープなど。

スーパー以外に、夫はゴルフ用品と服、私は化粧品などを買いました。

 

そうそう、私は今回スマホも新調。

まだ壊れているわけではなかったのですが、最近ちょっと動作が怪しくて不安だったので。

もう3年近く使ってましたし、某国でいきなり壊れたらTHE エンドですからね(笑)

 

夕方の飛行機で関東へ!

 

 

3日目 ― 2月7日(木)

さて、この日は「イベント1」当日。

私も夫も、非常~~~~に気が重かったです。

もう出来ることならやらずに済ませてしまいたい。

しかし、そういうわけにはいかない。

 

イベント1とは、私と夫の両親の顔合わせ

 

え?あなた方、すでに結婚してるでしょ?

はい、その通りです。結婚3年目でございます。

しかしながら、交際期間が短かったうえ、夫の海外転勤のタイミングで入籍することになったため、かなりドタバタ。

夫の赴任までにどうにかそれぞれの両親への挨拶は済ませたものの、関東と九州に住んでいる両親同士の顔合わせまではセッティングできなかったのです。

(両親同士、電話では何度か話しています)

 

夫のご両親から、電話やSkypeのたびに「大切に育てられたお嬢さんをお嫁にいただいたんだから、早くきちんとご挨拶をしたい」と言われていたのですが、夫の仕事が多忙で先の予定がなかなか決まらない+三者の住んでいる場所が関東・九州・海外。

何度も計画が流れてしまい、今回ようやく開催に漕ぎつけたのでした。

夫のご両親には、九州から遥々東京まで飛行機で来てもらうことに。

 

私の両親は、堅苦しいのが苦手、カジュアルで呑気。

一方で夫のご両親は、厳格というわけではないけれども、けじめはきちんとしなくちゃ、というタイプ。

特に結婚に関しては、やはり男性側の親の方が気にするものかもしれません。

 

夫のご両親はとても良い方々なのですが、顔合わせとなったらそりゃあもう緊張しますよね・・・

しかも、夫のご両親の希望を汲んで予約した日本料理屋。

こんなきちんとしたお店、私も私の両親も慣れてなさすぎてガチガチ。

当日の朝、母は不安過ぎて私の姉に「緊張するよ~(泣)」とLINEを送ったそうです(笑)

 

結論を先に申しますと、終始和やかに進行し、無事に終えることができました。

私の両親は気を遣うほど口数が増えるタイプ(?)なので、こういうときはとても助かりますね(笑)

 

私の母が「海外転勤の可能性がある人と結婚するかもしれない、と娘から聞いたとき、実は破局すればいいのにと思った」と話し出したときはヒヤヒヤしましたが(笑)。

親心としてはそうでしょうけど、はっきり言い過ぎ!

でも、「○○さん(夫)と会って、とてもイイ感じの人だったので安心した」ということでしたが、破局すればいいのにとまで思っていたことは私も知りませんでした。

(「イイ感じ」としか表現できない母の語彙力・・・笑)

意外と父の方が抵抗がなかったようです。

全くなかったわけではないでしょうけども、そもそも「半端な奴にうちの娘はやらんぞ!!」とか言うタイプではないですし。

 

あとは、夫の仕事の話や、海外生活の話、男性3名によるサラリーマン談義、といった感じで、約2時間半で終了。

 

6人全員、心の内は「やっと顔合わせできた・・・」という安堵でいっぱいだったと思います。

私もやっと肩の荷が下りました。

とりあえず、私も私の両親も粗相がなくて良かった・・・

 

 

4日目 ― 2月8日(金)

5泊6日の中で、唯一フリーダムともいえる4日目。

夫ともほぼ一日中別行動。

そしてイベント2です!!

1カ月ほど前に決定し、それ以来ずっと楽しみにしていたイベント2。

 

イベント2は夕方からなので、まずは美容院からスタート。

某国にも日本人向け美容院はあるのですが、何となく抵抗があるので、私は帰国したときに必ず美容院に行きます。

(つまり、年に2~3回しか美容院に行っていない笑)

 

午後はちょっと用事があって本籍地の市役所に行き、その後本屋さんへ。

せっかく時間に余裕のある生活をしているのだから、もっと読書をしよう!ということで、新しい本を2冊買いました。

たくさん買いたかったのですが、まだ読んでいない本が家にもあるのでとりあえず2冊。

それにしても、本屋さんって何時間いても飽きませんよねぇ。

本好きではない私でも、本屋さんは好きなのです。

 

さて、夕方からのイベント2とはいったい何なのか?

 

ででん!!!それは!!!

 

私が大ファンのブロガー、ミドリさんとお会いすること!!!

 

知り合ったのはTwitterですが、ブログを拝見してすっかり虜に。

Twitter上でもたくさんやり取りさせていただき、今回ついに直接会っていただけることになったのでした。

 

ブログを始めて4か月半、Twitterを始めて3か月半。

ネット上で知り合った人と直接会ったことがなかったですし、そのうえ相手が憧れのミドリさんともなると私は緊張しまくりでした。

前日は夜中に3回も目が覚めてしまいましたし、当日もドキドキしすぎて何も食べられず(笑)

何も喋れなかったらどうしよう!??

 

しかしながら、ミドリさんは気さくでとっても親しみやすい方でした!!!

器量良し、スタイルも良し、明るくて話しやすく、その上あんな素晴らしい文章が書けてしまうなんて・・・

Oh, no…私はいったいどんな顔で彼女に向かい合っていれば良いの??と思いましたが、ミドリさんはすごく聞き上手な方で、息苦しい思いなど微塵もすることなく、本当に楽しい時間を過ごさせていただきました❤

 

今回はお互い時間に余裕がなく、あまりゆっくりできなかったので、また次回があればいいなぁと・・・あればいいなぁと・・・思っております。

 

その後、幸せすぎた勢いでパンとお菓子を衝動買いしてホテルに帰りました。

 

 

5日目 ― 2月9日(土)

この日は飛行機で九州に移動する予定だったのですが、雪のためまさかの欠航に。

やむを得ず、新幹線で行くことになりました。

とはいっても、私は飛行機よりも新幹線の方が圧倒的に好きなのでむしろラッキー。

どうせこの日は移動する以外の大きな用事はなかったですし、多少時間が余分にかかっても全く問題なし。

飛行機は飛んでいる時間こそ短くても、乗る前後が非常に面倒ですよね。

エコノミーは席がすごく狭いし。

だったら、新幹線のようにゆっくり座っていられる時間が長い方がよっぽどいい!!

買った本も読めるし!

飛ぶの怖いし!!!笑

 

ということで、のんびり夫の実家に到着。

夕食はお寿司をいただきました。

某国ではあまり食べられないので、大変嬉しかったです。

 

 

6日目 ― 2月10日(日)

午前中は、2日目に爆買いした荷物をキャリーバッグに詰め込む作業。

キャリーバッグ2つとボストンバッグ1つ持って行ったのですが、飛行機の預け入れ荷物は1つ23kgまでなので、オーバーしないように適度に振り分けして調整。

 

午後の便で某国へ。

これも定刻通りに飛んでくれたので助かりました。

グッバイ日本!またね~~~~~・・・

 

 

終わりに

ということで、帰国6daysでした。

つらつらと書いてしまってすみません(笑)

しかも、長いわりに内容うっす・・・

 

日本に帰って思うのは、やはりネットが不自由なく使えるって素晴らしい!!!

某国ではTwitterやLINE、You tubeなどが使いたいときに使えるとは限らないので、本当に不便なんです。

 

そして、きれいなトイレやお風呂。

にこにこと感じの良い店員さん。

私はやっぱり日本が好きです・・・

 

今回の帰国で心残りなのは、ONE PIECEとカヤジャムを買えなかったこと。

次回は必ず!!!

 

 

これでもだいぶ端折ったのですが、ずいぶん文字数が多くなってしまいました・・・

お読みくださって、ありがとうございました。

ダークな気持ちで書いてしまったので、閲覧注意

私なんかが結婚して良かったのかなって最近よく考える。
夫が悪いとかじゃなくて、私自身が結婚というものに向いてなかったんじゃないかなって。

相手に合わせて生きていくことなんて結局私には出来ない。
いや、ここまではどうにかやってきてるんだけど、一人だったらもっと○○できるのになーとかばっかり考えてる。

夫のことは愛してるけど、その愛は無償なんかじゃない。
彼のために何でもしてあげたいなんて思わない。
むしろ、私はこれだけ夫のお世話してあげてるのに、夫が私のために何をしてくれているのか、っていつも見返りを求めてしまう。

私には夢がある。
I have a dream ですよ。
夢っていうほど大したことでもなければ、美しいものでもないけど。
まぁ仕事に関することです。
でも、前から懸念はしてたんだけど、やっぱり結婚しちゃったからそれは叶わないなって思う。
独り身ならできるんだけど。

夫の海外勤務はあと3年くらいの予定。
私だけ先に帰国することもできなくはないから、今帰国すれば3年だけでもやりたいことができる。
この国の言語をまだ使えるレベルまで身に付けられてないこと、だらしない夫の健康管理が心配ということ以外、海外に住み続けたい理由はない。

あれ?
だったら、私は何で夫と結婚したんだっけ。
一緒にいたいから海外についてきたんじゃなかったっけ。
夫がもし自己管理のきちんとできるタイプの人だったら、別居でも良かったってこと?
駐在妻友達が「子どもがほしいから、年齢のこと考えてついていくことにした」って言ってたけど、うちはそれもないし。

所詮私は二人離れずに暮らすことより、自分の夢や自由の方が大切なのかもしれない。
この2年で、やりたいことを我慢して、やりたくないことをやるっていう生活に疲れてしまったのかな。

夫が一生懸命働いてくれてるのはよく分かる。
でも夫は、結婚前は仕事+家事だったのが、今では仕事だけになったわけでしょ?

しかも、私と結婚しててもしてなくても、当たり前だけど仕事はするわけでしょ?
私のために働いてるわけなんかじゃないでしょ?
むしろ、夫の都合で私は仕事を辞めて、その結果、夫のお給料で暮らすことになってるわけで。

こんなこと書いたら、家族のためと思って必死に働いてる男性の怒りを買いそうですよね。
ごめんなさい。

 

分かってます。ついていくことを決めたのは私。


こんなごちゃごちゃした考えを全部取っ払って、仕事で疲れてる夫を無条件に労ってあげられない自分のことも本当に嫌いで。
それも結婚に向いてなかったのかなと思う理由の1つ。
結局私は自分のことだけが可愛いんだよね。


別に夫が仕事を辞めて、私が働くことになってもいいんですよ。
子ども生むつもりはないし、二人で生活できるくらいのお金は稼ぐよ。
夫は毎日仕事ヤダヤダ言ってるし。

それでも夫が辞めないのは、ヤダヤダ言いつつやっぱり頑張りたいと思ってるか、もしくは世間体でしょ。
「夫が仕事辞めて妻に養われるの~?」って思われるのが嫌だからでしょ。
未だに世間からそういうふうに見られるっていうのは、男性は気の毒だなと思いますけどね。
女性は働いてても無職でもそこまで言われないで済むからさ。

でも、ここまで書いておいて「離婚したいのか」と言われるとそれは違う。
自分のことが一番可愛いんだと言いつつ、一緒にいたい気持ちに嘘はないし、彼の生涯のパートナーになりたかったから結婚したんだと思う。

ただ、結婚と夢は両立できないのかなって。
どちらか捨てなきゃいけないの?

私が男だったら、両方手に入れられたかもしれないのに。

人生一度きり!やりたいことを全力でやろう☆
とかよく言うけどさ。
わりと難しいと思うよ。
大事なものを増やしすぎない方が、人生ラクなのかもね。