家族や友達には話しにくいけど、でも誰かに聞いてほしいこと

家族や友達には話しにくいけど、でも誰かに話したいこと

日々いろんなことを考え、悩むけれど、家族や友達には話しにくい。でも誰かに話したい。そんな話をつらつら綴ります。アラサー、子無し主婦、海外在住、駐在妻。

ブログを始めて3か月になりました

こんにちは。待宵スークです。

 

早いもので、このブログを開設してから3か月経ちました。

特に報告することなどはないのですが、せっかくなので最近思うことをつらつらと。

 

 

とりあえず、3か月続いて良かった!!笑

何十%だか忘れましたが、とりあえず大半は3か月以内で辞めてしまうと聞いていたので、わりと熱しやすく冷めやすい私は心配していました。

何やかんや続いた!

 

ただ、11月19日にもう一つのブログ「元塾講師は語りたい」を始めたので、こちらの「家族や友達には~」の更新頻度はかなり下がってしまいました。

書きたいことは相変わらずあるのですが…

 

この1カ月は、2ヵ月目の報告とこの3か月目の報告を除くと6記事しか書いていません(汗)

1ヵ月目は確か23記事だったのに。

 

ですが、更新は少なかったけど先日50記事に到達しました。

この記事が51記事目。

記念すべき50記事目は、痛々しい「思い出小説」でした…笑

 

思い出小説は、もともと3記事に分けるつもりはなかったのです。

でも、どうせ書くなら思い切り書いてしまえ!!と思って書いているうちに、1万字を超えてしまい、「これ、1つの記事にしたら絶対みんな最後まで読まずに離脱するよね?3つに分けておけば、ラストが気になる人は3つ目だけでも読んでくれるかもしれない…」ということで3つになりました。

そして、結果的に50番目を踏むことに。

これを書いたおかげで、私もいつでも当時のドキドキした気持ちに戻れるようになりました(笑)

吐き気がするほど痛々しいけど、何気に力作だからリンク貼っちゃう(笑)

 

matsuyoisouk.hatenablog.com

 

 

matsuyoisouk.hatenablog.com

 

 

matsuyoisouk.hatenablog.com

 

 

今までは一応タイトルのキーワードとか考えてはいたのですが、収益化は元塾講師ブログに任せることにしました。

(といっても、まだサッパリですけどね!!)

 

これからは、キーワードだの文字数だの気にせずに、良い意味で勢い重視、そのときの「書きたい!」という気持ち重視で書いていこうかなと思っています。

「思い出小説」のように、その記事いったい誰得?と言われそうだけど、でも書きたい!!誰かに話したい!!という話もまだまだあるのです(笑)

 

最近よく思うのは、一日PCに向かって記事を書いていられるくらい、私って発信したいことたくさんあったのね、ということです。

海外生活始まってすぐにブログを始めていれば良かったなーなんて今更なことを考えたりしています。

 

あと、いろんなブログを読んでいると本当に文才豊かな方がいらっしゃって…

羨ましい!!!!

私も文才が欲しい!!!!

と心の中で叫びながら、日々記事を書いております。

 

 

最後に、いつも(たまにでも、この記事が初めましてでも)読んでくださって本当にありがとうございます。

 

最近、ブログのことを深く考えれば考えるほど

 

私は何をしているんだろう?

こんなに時間を費やして

もっと他にやるべきことがあるのに

 

といった具合に落ち込んでしまうことがよくあります。

書くのは楽しいんですけどね。

「もっと他にやるべきことがある」が大きいんでしょうね。

ブログに時間をかけたいあまり、削ってしまっていることがいろいろありますからねー。

 

でも、読者登録してくださっている方の数やTwitterのフォロワーさんの数を見ていると

「本っ当にゼロから始まって、この数になったのか」

と、しみじみ思います。

もちろん大切なのは数ではなく、お一人お一人ですけどね。

 

「学生時代に少しブログをやっていたことがあって…」とかもなく、ブログもTwitterもずぶの素人。

未だにリアルの知り合いには一切カミングアウトしておらず、全てこの3か月間で新しく繋がることができた方々。

本当にありがとうございます。

 

 

とりとめのない話ばかりになってしまってすみません(汗)

要約すると、楽しいからこれからも続けます!今この画面の前にいるあなた、ありがとうございます!!ということです。

 

それでは、今回はこの辺で。

今後ともよろしくお願い致します。

【思い出小説】(3/3)11年越しの願いが叶う

 

matsuyoisouk.hatenablog.com

 

 

matsuyoisouk.hatenablog.com

 

それから先も、私は懲りずに片想いを続けた。

部活のときも、校内でも、いつも青井先輩の姿を追っていた。

 

今パッと浮かぶ一番の思い出は、部活の春合宿だ。

合宿は毎年夏と春の2回。

男バス・女バスともに学校の敷地内にある施設に寝泊まりし、3日間みっちり練習をする。

 

その合宿のとき、普段はコンタクトレンズの青井先輩がお風呂上がりに眼鏡でいるところを目撃してしまったのである。

それはもう、恥ずかしくて直視できないほどかっこよかった。

(実際にはガン見だったけど)

かっこよすぎでしょ、反則だよ、みんなが青井先輩のかっこよさに気付いちゃうって…

ああ、思い出すだけでにやにやしてしまう。

男バスには他にもかっこいい先輩はいたけど、学校のクラスにもかっこいい男子はいたけど、相変わらず私は青井先輩以外、目に入らなかった。

 

3年生の6月に青井先輩たちは部活を引退。

会う機会が大幅に減ってしまったけど、青井先輩が移動教室で連絡通路を通るときはもちろんチェックしていた。

 

冬になると、3年生は大学入試だ。

2月は学校にほとんど来ない。

青井先輩、勉強頑張ってるかなぁ。

会いたいなぁ…

 

私立大学の入試が一通り終わると、合格者名が学校の廊下に張り出される。

青井先輩の名前を探した。

 

慶応大学

東京理科大学

 

まじかよ。青井先輩、半端ないって。

 

 

そして3月、青井先輩たちの卒業式を迎えた。

卒業式にはもちろん私たち2年生も参加したが、その映像はほとんど覚えていない。

 

式が終わり、クラスが解散し、バスケ部の先輩たちはわらわらと体育館に来ていた。

私たちも体育館に集まり、女子の先輩と一緒に写真を撮ったりした。

 

また、2年生の女子の中には、男バスの先輩に第2ボタンをもらいに行く人もいた。

ガチなやつじゃなくて、卒業式のお決まり的なノリだけど。

(男子の制服は学ランだった)

 

青井先輩も体育館に来るかな。

もし来たら…青井先輩に第2ボタンくださいって言おうかな。

 

そう思っていたが、青井先輩は昇降口でクラスの輪の中にいて、結局体育館には来なかった。

そのとき、女バスの誰かがふと言った。

 

「青井先輩、彼女いるらしいよ」

 

その場にいた他の女子たちは「えっ!?」と声を上げたが、私は「へえ」と言っただけだった。

別に驚くことはない。

青井先輩に彼女がいたって何も不思議じゃないくらいかっこいいことは、私は1年半前から知ってる。

そして悲しむことでもない。

私は青井先輩の彼女になりたいなんて思ったことはないし、遠くから彼の幸せを願っているだけで十分だったのだから。

 

 

青井先輩が卒業してからは、一切会うことはなかった。

何度かバスケ部のメンバーで集まることはあったが、男バスと女バスだし、学年が違うのでさすがに機会がない。

 

私も高校を卒業し、大学生になり、社会人になった。

別の人に恋もした。

大学1年のときには初めての彼氏もできた。

 

 

時は流れて、11年後。

 

高校の女バスの同期のグループLINEに連絡が入った。

 

「男バスの田辺からのお知らせだよ!」

 

田辺というのは、私たちの代の男バスの主将。

彼が結婚式を挙げることになり、女バスも都合が良ければぜひ二次会に招待したい、とのことだった。

 

私は女バスのメンバー数名とともに参加することにした。

田辺と私は、バスケ部だけでなく3年生のときに同じクラスだったのだ。

 

その後、二次会参加者のグループLINEがつくられ、私もそこに入った。

参加者一覧を開いて、私は目を見張った。

いや、嘘だ。実は少し期待していた。

 

青井先輩の名前が載っていたのである。

私たち女バスにも声をかけているのだから、男バスの1つ上の先輩も招待しているかもしれない。

まさにその期待通りだった。

 

11年ぶりに会える。

青井先輩に会える。

 

そのとき私には彼氏がいたし、青井先輩だって彼女がいたり結婚したりしているかもしれない。

そんなことはどうでも良い。

もしフリーだとしても、さすがに今更どうこうしたいという気は全くなかった。

でも、10年以上前に恋い焦がれた人に会える。

お互い社会人なんだし、普通に挨拶するくらいはできるかもしれない。

 

実は、私のLINEのパスコードは青井先輩の誕生日になっていた。

大して深い意味はないけど、私にとって絶対に忘れない数字だからだ。

 

それに、何と言っても青井先輩は美形なのである。

大人の男になってますます…ますます…!?

田辺をお祝いする気持ちより(おい)大人になった青井先輩に会えるのが楽しみで仕方なくて、ドキドキしながら当日を迎えた。

 

それまで結婚式に参加する機会があまりなかった私は、勝手がよく分からず、女バスの友だちにくっついて歩いていた。

二次会の会場はホテルの中の広い宴会場だった。

バッグはどこに置いたらいいのかな、なんて話しながら会場内に目を走らせると…

 

いた。

男バスがまとまって喋っている。

あそこにきっと青井先輩もいるんだ。

 

女バスの中の1人が挨拶に行こうと言い出した。

ついに、青井先輩と11年ぶりの再会の瞬間。

好きで好きでたまらなかった青井先輩と会える。

私は思わず手で前髪を整える。

 

私、あの頃よりは少し綺麗になったかなぁ。

私のこと覚えててくれてるかなぁ…

 

青井先輩 ――――――――・・・

 

 

しかし、青井先輩はそこにはいなかった。

 

あれ?青井先輩は…??

 

正確に言うと、私の記憶の中の青井先輩はいなかった。

私は目を疑った。

信じたくない光景が眼前に広がっている。

 

色白で少し小柄(身長172㎝)。

派手さがない感じも、髪形も変わっていない。

 

でも11年前のあの頃より少しだけ…

 











太っていたのである。


 

あれ…?

青井先輩ってこんな顔だったかな…

 

あの頃、毎日1秒でも長く見ていたいと思ったほどかっこよかった。

男バスにこんなかっこいい人がいたなんて、と一瞬で私を虜にしてしまったほどに。

色白で少し小柄。美形で、美形で、しかも美形で、その上美形で…

 

 

ええぇぇぇえええええ!!!?

こんなんあり!!!!???

 

そうか…目が大きくてパッチリしてるとか、鼻筋が通ってるとか、濃い美形は各パーツが主張するから多少太っても、美形は美形なのかもしれない。

青井先輩は薄い美形だから、パーツの配置が命。

だから顔が太って少しバランスが変動すると美形でなくなるということか。

なるほど、納得。

 

とか原因分析しとる場合かぁぁぁぁあ!!!

さっきまでの私の胸の高鳴りを、いや、11年間の想いを返してぇぇぇええ!!!

 

男バスの先輩たち曰く「青ちゃんは幸せ太りだね!」

結婚して娘が1人いるそうだ。

 

そうか、青井先輩はもうパパなんだ。

私はずっとずっと青井先輩の幸せを願っていたのだから、これでいいんだ。

私の願いは叶った。

ちょっとくらい太って美形の面影が無くなったって…

青井先輩が幸せならいいんだ。

 

その後、私や青井先輩を含むバスケ部メンバーは三次会まで参加し、居酒屋に移動。

私は青春時代の思い出がすでにだいぶダメージを受けていたけど、それでもまだ青井先輩と少しでもいいから会話してみたいという思いがあった。

女バスの友だちの隣に座るような流れで、私は青井先輩とななめ向かい合わせの席をゲット。

 

しかし、告白以外に話しかけたことがない相手に、どう切り出していいのか全く分からない。

そうこうしているうちに、青井先輩と男バスの先輩が酔っ払って男同士濃厚キスするところを至近距離で見る羽目になってしまった。

 

高校時代はこんなおふざけするタイプじゃなかったのにな…青井先輩もお酒飲んだらこうなるんだね。

と思いつつ、酔っ払ってキスしちゃうとか見ていて気持ちの良いものではないけど、特に驚くほどのことでもない。

私もアラサー。

みんな大人になったのだ。

時の流れは残酷ね。

 

結局、青井先輩とは会話することなく会は終了。

取り皿を手渡すくらいはした…かもしれない。

 

帰り道、思い出は美しいまましまっておくべきだな…としみじみ感じた。

だけど、友だちですら会う機会がどんどん減って疎遠になってしまうのに、友だちですらない好きだった人と再会できたのは奇跡的なことかもしれない。

 

青井先輩、あんなにかっこよかったのになぁ…と落胆しつつ、「奥さん可愛いのかな」と一瞬思ったことは内緒である。

 

 

 

********************** 

 

終わりに



なっが!!!さっむ!!!きっも!!!なっっっが!!!!!

 

よくぞここまでお読みくださいました。

 

何でいきなりこんな痛々しい私の青春時代を長々書いたのかというと、Twitterである方のツイートを見たことがきっかけでした。

(勝手にお名前出していいのか分からなかったので一応伏せます…)

 

会いたい人のために車ぶっ飛ばしてる時間って、ロマンチックでいいですよね。

至福。

心のブレーキ、どっか行っちゃいましたね。

車は至って、安全運転です。

 

 

これを読んだとき、友だちの自転車の後ろに乗って好きな人を追いかけた、バレンタインの夜のことを思い出したのです。

その後、Twitter上で何度かリプのやり取りをさせていただいているうちに記事に書きたくなって、3日かけてこんなもんを仕上げてしまいました…

 

Twitterでは文字数の関係で大幅に端折りましたが、実際に自転車をこいだのは私ではなく友だちの亜実でした。すいません。笑

それと、Twitterで青井先輩に振られたかのように書いたくせに、実は「付き合って下さい」は言ってないっていう。

でも、私にとってはホワイトデーの出来事が振られたも同然だったのです。

 

高校時代の青井先輩は本当にかっこよくて、私の人生30年間で出会った一般人男性の中では一番かっこいいです。

顔だけなら夫よりも。笑


 

途中で少し触れましたが、私は身近で接点の多い人をいつも好きになっていました。

友だちになってから好きになることが多いというか。

遠くから見ている恋は、青井先輩が最初で最後でした。

実際、どんな性格の人なのか、どんな声で喋るのかさえほとんど知らない人をよくずっと好きでいたなぁと、今でも少し不思議です。

 

私の中の青井先輩の思い出をこうしてまとまった(?)文章にできて、何だか感慨深いです。

もうさすがに青井先輩に会う機会はないかなと思いますが、幸せな家庭を築いて元気に暮らしていることを祈っています。

あと、やっぱりちょっとダイエットもしてほしいと思います。

 

 

それでは、今回はこの辺で。

お読みくださって、ありがとうございました。

【思い出小説】(2/3)バレンタインデーとホワイトデー

 

matsuyoisouk.hatenablog.com

 

 2月14日、バレンタインデー当日。

その日はクラスの女子たちとも、女バスのみんなとも予定通りチョコを交換したはずだけど、全く覚えていない。

ただひたすら、今日の帰りにチョコを渡すんだということばかりがずっと気になって、落ち着かなかったのだろう。

 

いつも通りに部活が終わった。

青井先輩が帰るところを逃さないように、いつもより急いで着替えて、男バスの人たちの様子をうかがう。

応援してくれている友だち2人も緊張した面持ちだ。

青井先輩が女バスの部室の前を通ったら、少し離れて追いかけて、正門を出て青井先輩が一人になったところで渡す、という計画である。

 

ところが。

その日に限って、青井先輩は自転車通学の男バスの友だちと一緒だったのである。

青井先輩は正門を左に出る私鉄利用者だが、実は自転車通学者も大半が正門を左に出るのだ。

先輩が一人になってくれないと、チョコを渡すことができない。

 

想定外の事態にどうしようとオロオロしつつ、とりあえず計画通りに友だちと一緒に青井先輩の後ろを正門まで追って歩いた。

青井先輩の友だちは、自転車を押しながら一緒に歩いている。

正門を出たら、青井先輩とバイバイして自転車に乗って行くかもしれない。

 

そんな淡い希望を抱いたが、残念ながら正門を出ても青井先輩とその友だちはそのまま並んで歩いて帰っていった。

 

私も、私の友だち2人も、どうすることもできなかった。

諦めきれないけれど、青井先輩が男バスの友だちといるところに突撃する勇気はない。

想いを伝えたくて、バレンタインに告白するんだと決意して、せっかくチョコを用意したのに…

 

私と友だちが正門で立ち尽くしている横を、女バスのメンバー、男バスのメンバー、そして他の部活の人たちが通り過ぎていく。

 

そこに女バスの友だちが1人歩いてきた。

彼女の名前は亜実。

私たちのただならぬ雰囲気に気付き、「どうしたの?」と声をかけてきた。

亜実も、青井先輩のことこそ話していなかったが、入部当初から仲が良い友だちだった。

 

落胆を隠しきれなかった私は、亜実にその場で簡潔に状況を打ち明けた。

私は青井先輩が好きだということ。

バレンタインチョコを渡すつもりだったこと。

しかし、今日に限って青井先輩が友だちと一緒に帰っていったので、渡せなかったこと。

 

きっと私も友だち2人も、とても悲しい顔をしていたのだと思う。

 

そこに、もう一人女バスの友だちがやってきた。

彼女は自転車通学だ。

すると、亜実が彼女に言った。

「ちょっと自転車貸してくれない?」

突然のことに、自転車通学の彼女は驚いている。

そして亜実は今度は私に向かって言った。

「追いかけよう。まだ追いつくかも。スーク(私)、後ろに乗って」

 

「え?亜実の後ろに?」

私は戸惑いながらも、言われるままに自転車の後ろに乗った。

亜実は私を乗せて自転車をこぎ出した。

 

私鉄の駅に着いたら、青井先輩は友だちと別れて一人になる。

そこに追いつけばチョコを渡せる。

 

正門から私鉄の駅までは歩いて10分もかからない。

間に合うだろうか。

 

亜実が懸命に自転車を走らせてくれる。

2月の冷たい風を切って飛ばしていく。

 

間に合ってほしい。

さっきはもう無理かと思ったけど、亜実が青井先輩のところに私を送り届けようとしてくれている。

せっかく決意したのだからチョコを渡したい。

 

でも、間に合ってしまったら告白…ドキドキする。

追いついてほしいような、ほしくないような、そんな気持ちで亜実の肩につかまっていた。

 

私鉄の駅に着いた。

すでに青井先輩の姿はない。

私と亜実は、階段を駆け上って駅の中へ。

いない。

もうここまで来てしまったのだからと切符を買って、ホームまで走った。

(確か当時はまだICカードに対応していなかった)

 

ホームに青井先輩はいなかった。

もう電車に乗って行ってしまったのだ。

 

追いかけられるのはここまで。

諦めるしかない。

でも、亜実が全力で自転車をこいでくれたおかげで、悔いはなかった。

私は亜実に心からお礼を言い、一緒に学校まで戻った。

途中、「スークが青井先輩を好きだったとは知らなかったなぁ~」なんて改めて言われるととても恥ずかしい。

正門で友だちが待っていてくれた。

自転車を貸してくれた友達にもお礼を言って、彼女にも事情を打ち明けた。

 

 

亜実が私のために一生懸命頑張ってくれて、応援してくれる友達も増えた。

バレンタインはたった1日しかないので終わってしまったが、翌日、2月15日に渡そうと私は気を取り直した。

 

渡すタイミングの計画は基本的に同じだ。

ただし、昨日と同様、青井先輩が自転車通学の友だちと一緒だった場合は私鉄の駅まで追いかける。

 

部活が終わった。

急いで着替えて荷物をまとめ、また男バスが帰っていくところを緊張しながら見守る。

 

青井先輩の姿が見えた。

 

青井先輩はJR利用者の友だちと一緒に歩いてきた。

つまり、正門を出たら青井先輩は1人になる。

当初の計画で想定していた状況だった。

 

20mほど離れて、私と友だちは青井先輩の後ろを歩いて追いかけていく。

青井先輩が正門にさしかかる。

お互いに手を振って、青井先輩は左へ、先輩の友だちは右へ。

 

舞台は整った。

心臓の鼓動が一気に速くなる。

ついにきたね、と私と友だちは思わず顔を見合わせる。

正門で友だちが「スーク、頑張って」と手を握ってくれた。

 

私は1人、青井先輩を追いかけていった。

気付かれないように早歩きで少しずつ距離を詰めていく。

用意してある告白の言葉を頭の中で何度も繰り返す。

 

あと4~5mくらいの距離まで来たところだっただろうか。

青井先輩が気配に気付いたようで、後ろを振り返りそうになった。

 

無言で背後に迫っていたらコワイから、先輩が振り向く前に私から声をかけなきゃ!

 

「青井先輩」

 

青井先輩が振り返り、少し驚いたような顔で私を見た。

さあ、いよいよだ。言わなきゃ。

 

「あの、女バスの1年の待宵スークです」

私は女バスの中で目立たないし、青井先輩と会話もしたことがないから、私のことなんか知らないかもしれない。

だから、最初にちゃんと名前を言おう、と決めていた。

 

このあたりで、青井先輩は「あ、おれ告白される」と気付いたようだった。

照れて一瞬ななめ下を向き、にやけてしまうのをごまかそうと手を口元に添えた仕草が、今でも忘れられない。

この時間はもう外が暗いので見えなかったが、青井先輩もきっと顔が真っ赤だっただろう。

 

最初に名乗ったということは間違いないのだが、その後に何を言ったかほとんど覚えていないのが悔やまれる。

でも、大切なことはきちんと言えた。

 

「青井先輩のことが好きです」

 

そしてチョコを差し出した。

「これ、1日遅くなってしまったんですけど、バレンタインのチョコです…」

青井先輩は「ありがとう」と小さく言って受け取ってくれた。

 

私は「あの、このこと誰にも言わないでください」と付け加えた。

青井先輩の仲の良い男バスの友だちに話されたくなかったからだ。

「ああ…うん」

青井先輩はまた小さく答えた。

 

「ありがとうございました……えっと、…それじゃ」

私はぺこりと頭を下げた。

青井先輩は再び私鉄の駅の方に体を向けながら、

「うん、じゃあね」

と私に向かって左手を上げてくれた。

 

 

 

 

私も帰らないと。

くるりと向きを変えた。

 

言えた!

 

渡せた!!!!

 

好きですって言えたぁぁぁぁぁぁぁあああ!!!!

 

興奮冷めやらぬまま、私は来た道を戻ってJRの駅に向かって歩いた。

先に帰ってもらっていた友だちや亜実に「渡したよ!」とメールを送った。

みんな「頑張ったね」「すごいね」と私の健闘を称えてくれた。

告白はしたけれど、文字通り想いを「告げた」だけであって、恋が成就したわけではない。

それでも、私は幸せな気持ちで胸がいっぱいだった。

 

 

さて、その後。

告白したからといって青井先輩との関係が何か変わるわけでもなく、バレンタインの前と同じ日々がまた続いていた。

 

しかし、私は告白のときに1つ大事なことを言い忘れたと気付く。

それは「ホワイトデーは何もいらない」ということ。

 

もともと本当にただ想いを伝えたかっただけだし、お返しなんていらない。

いや、本音を言えばほしかった。

しかし、何をあげたらいいのかと青井先輩を悩ませるのは嫌だし、私にとって困るのは青井先輩に何か渡されるのを他の人に見られることだった。

 

ホワイトデーの日は1人で行動するようにしたらいいんじゃない?と思われるかもしれないが、青井先輩には見つけてもらって、他の人には見つからないように行動するなんてできるわけがない。

 

3月14日は学年末テストで部活はなく、15日がテスト最終日。

午前中で学校が終わって、午後から部活の練習だった。

 

クラスが解散してから、女バスのみんなと部室でお昼ごはんを食べた。

練習の始まる時間が近付いてくると、準備ができた人から体育館に入っていく。

 

青井先輩、ホワイトデー用意してしまっただろうか。

私は何もいりませんから。

みんなに知られたくない。

部活が終わって青井先輩が帰っていくのを見届けるまでは落ち着かない。

 

そんなことを考えながら私も体育館に行き軽く自主練習をしていた。

あと30分ほどで練習が始まる。

 

そのときだった。

 

体育館に入ってきた青井先輩が、私の方へ小走りでやってきたのだ。

そしてコンビニの袋を私に差し出した。

「これ、お返し」くらいは言われたかもしれないが、覚えていない。

私が袋を受け取ると、青井先輩は足早に去って行った。

 

一瞬の出来事だったので、幸い周りの人はあまり気に留めなかったようだった。

私自身もよく分からないまま、とりあえずもらったものを部室に置きに行った。

 

袋の中身はチョコプリンだった。

練習が始まる前に高校の最寄りのセブンイレブンで買ったものらしい。

 

私は嬉しいとは思わなかった。

何だか複雑な気持ちだった。

 

青井先輩はきっと悩んだだろう。

もらったからにはお返しをしなきゃ。

だけど、いつどこでどうやって、何を渡せばいいのか…

 

悩ませてしまったことに対する申し訳なさや、お返しはいらないと伝えることができていれば、という後悔もあった。

でもそのときの私は、「誰にも言わないで」とお願いしたにも関わらず、みんながいる体育館でひょいと渡されたことに何となく少し傷付いていた。

 

せっかく青井先輩がお返しを用意してくれたことに文句を言いたいわけではない。

コンビニのプリンではなくて、きちんとしたものがほしかったというわけでもない。

希望のシチュエーションがあったのに、なんてことはもちろんなかった。

今でもよく分からないが、やっとのことでバレンタインのチョコを渡したのに対して、あまりにもあっけなく終わってしまったことがショックだったのかもしれない。

 

付き合って下さいと言ったわけでもなく、振られたわけでもない。

でも好きだという想いが報われることはないと悟った。

これで、一区切りついた気がした。

 

 

 

続く

 

matsuyoisouk.hatenablog.com

 

【思い出小説】(1/3)16歳の本気の恋

 

!!!!警告!!!!

今回は私、待宵スークのリアル青春物語です。

甘酸っぱく、痛々しく、読んでいる方が恥ずかしくなるような描写が多数含まれております。

途中、寒気・吐き気などを感じる恐れがあります。

如何なる問題が発生しても当方では責任を負いかねますので、ご了承ください。

しかも、長すぎてもはや小説です。

覚悟を決めてからお読みくださいませ。

 

 

***************************

 

高校に入学してから約半年。

私は女子高生のキラキラしたイメージとはほど遠い、地味で冴えない毎日を過ごしていた。

 

今どきらしいオシャレなんかよく分からず、もちろん化粧もしていない。

制服を可愛く着こなすことも、センスの良いアクセサリーをさり気なく身に付けることもできず…そんなことで悩んでる暇があったら、壊滅的な数学と英語の成績を何とかしなければ。

 

4月は友だちづくりに失敗してしまい、毎朝不安でお腹が痛くなっていたけど、今ではどうにか一緒にお弁当を食べたり、教室移動のとき一緒に行ったりしてくれる友だちはできた。

 

部活は、このブログでは初めて言うけどバスケ部だった。

高校では入るか入らないか迷ったが、同期にも先輩・後輩にも恵まれ、やはり入って良かったと思っている。

 

そのバスケ部で、私は忘れられない人と出逢った。

大袈裟な(笑)。

自分で書いていて恥ずかしい。

 

高校1年の、確か10月の半ば頃だったと記憶している。

正直きっかけはあまり覚えていないのだけど、私は男子バスケ部にかっこいい先輩がいることに気付いた。

遠目だからかっこよく見えるのかな?

本人にばれないように気を付けつつ、よーく見てみる。

よーく…

いや、間違いなくかっこいい。

 

それが1年上、つまり当時2年生の「青井先輩」だった。

 

青井先輩は、色白で少し小柄(身長172㎝)。

美形だった。

それも、派手な主張の強い顔ではなくて薄いけど整っている美形。

色白で美形って、少女漫画のヒーローかよ。

 

そんなにかっこいいのに、なぜ半年も気付かなかったのか?

小さい頃から母親に「あんたは面食いだね」と言われていた私が。

バスケ部の男女は、いつもコートを半分ずつ使って、同じ空間で練習していたのに。

 

それは、彼が地味だったからである。

青井先輩が普段クラスでどんなキャラなのかは分からないけど、少なくともバスケ部の中では目立たない存在だった。

男子バスケ部の中でも、ふざけて笑いを取ったり、女子バスケ部によく絡んできたりする人は印象に残ってすぐ覚えられる。

でも、青井先輩はそういうことはまずしない。

 

そしてもう1つ。

ぶっちゃけ、青井先輩はそこまでバスケが上手い方ではなかった。

レギュラーではなかったので、試合に出る機会も少ない。

だから私も含め女子たちの注目を集められる場面が少なかったのだ。

 

要するに青井先輩は、バスケ部の中では地味で活躍の機会があまりない、隠れイケメンだったのである。

ずいぶんひどい言い様だなと思われるかもしれないが、隠れていようが何だろうがイケメンはイケメン。

見つけてしまった私は毎日彼を目で追うようになった。

 

中学時代、今どき女子たちはみんな好きな先輩がいた。

昼休みにその先輩がグラウンドでサッカーをしているのをベランダから眺めては、キャーキャー騒いでいた。

私にはそれが全く理解できず、「『(同級生ではなく)先輩が好き』っていうのをステータスか何かだと思っているんだろう」と、彼女たちを白い目で見ていた。

卒業式の日、「明日から先輩がいなくなっちゃう」と号泣している女子を見てドン引きしたのを覚えている。

 

しかし、今や私も中学時代に馬鹿にしていた女子たちと同じような状態になってしまった。

部活のときは、もちろん可能な限り青井先輩を見ていた(練習は真面目にやっていたけど)。

青井先輩がシュートを決めると嬉しかったし、青井先輩がミスをするとなぜか私まで居たたまれない気持ちになった。

 

それだけでは足りなくて、青井先輩のクラスの時間割をこっそりチェックして、移動教室で1年生の階の連絡通路を通るのを隠れて見ていた。

もはやちょっとしたストーカーである。

 

バスケの大会のときに提出する選手登録一覧表を部室から探し出して、誕生日も確認した。

先ほど身長172㎝と書いたが、それもこの表を見て得た情報である。

 

毎日毎日、青井先輩を見ていた。

校内を歩いているときも、いつも青井先輩を探していた。

 

青井先輩のことを地味だと書いたけど、冒頭で述べた通り、私も彼に勝るとも劣らない地味女子。

その上、青井先輩が美形なのに対して、私は別に顔も特別可愛いわけではない。

オシャレでもないし。

明るくもないし。

バスケも上手くないし。

足も太いし。

男子バスケ部の、しかも1つ上の先輩に話しかけることなんてとてもできなかった。

校内でばったり会ったとき挨拶するのが精一杯だ。

 

いつも青井先輩を目で追っていると、当然のことながらいろんなシーンを目撃した。

男バスの友だちが落としたタオルを拾ってあげたり。

バスケ部の女子マネージャーが重い荷物を運んでいるのを持ってあげたり。

友だちとふざけて大笑いしていたり。

一人でシュート練習をしていたり。

 

私は、話したこともなく、ただ遠くから見ていただけなのに、いつの間にか本気で青井先輩を好きになってしまった。

はじめは単にかっこいいなと思って眺めていたのが、だんだん胸がきゅっとするような切なさを覚えるようになった。

 

しかし、青井先輩と付き合いたいとか、そういう気持ちにはならなかった。

私はまだ男子とまともに付き合ったことなんてなかったし、それまでは身近で関わりの多い男子しか好きになったことがなかった。

だから、話したこともない先輩と付き合うなんて想像できなくても無理はない。

仮に付き合いたいと思ったとしても、私にはアピールできるところなんて何一つなかった。

 

ただ、青井先輩に今日いいことがありますように。悲しいことが起こりませんように。

心の中でそんなことを密かに願うだけで、幸せな気分になれるのだった。

青井先輩を好きでいられることが嬉しい。ずっと好きでいたい。

今思えば、私も「同級生ではなく先輩に恋している」ということに少なからず酔っていたのかもしれない。

でも、今までの恋とは違うと思った。

当時16歳の私にとっては本気の恋だった。

 

ああもう。本当恥ずかしいな(笑)

でも、いよいよここからだ。

  

 

季節はめぐり、2月。

 

相変わらず、青井先輩に話しかけることもなく、ただ青井先輩を探して遠くから見つめるだけの日々が続いていた。

しかし、青井先輩との距離は変わらなくても、想いは募る一方だった。

私は青井先輩にバレンタインチョコを渡すと決意する。

でも交際を申し込むのではない。

ただ、青井先輩に好きだと伝えたい。

そう思ったのだ。

 

同じ女バスで仲が良かった友だち2人には私の気持ちをすでに打ち明けていたので、バレンタインのことも応援してくれた。

どうやって渡そうか、という計画も一緒に立ててくれた。

 

青井先輩に気持ちを伝えたいけど、付き合ってくれと言うわけでもないし、誰にも知られたくない。

誰にも見られることなくチョコを渡したい。

そこで、バレンタインの日の部活の練習が終わって、先輩が帰っていくときに渡すことにした。

 

文で説明すると分かりにくくて申し訳ないのだが…

学校の正門を右に出ると、JRの駅。

正門を左に出ると、私鉄の駅。

(自転車通学者もいる)

 

私はJR(右)、青井先輩は私鉄(左)だった。

私鉄利用者はかなり少なかったので、学校の門を出たら、その先は青井先輩は一人である可能性が高い。

そこを狙って渡そうと決めた。

 

本命チョコを渡すなんて、恥ずかしいので親にももちろん内緒である。

しかし、バレンタインにはクラスの友だちや女バスみんなでチョコを交換することになっていたので、怪しまれることなく自宅で手作りすることができた。

 

問題はラッピングだ。

女子用はみんなで交換なので1人分は少ないし、ラッピングも凝ったものは使わない。

でも、青井先輩へのチョコはそういうわけにいかないので、青井先輩用にきれいな箱を買っておいた。

あとは、家族に見られずにどうやってその箱にチョコを入れるか。

 

手作りのお菓子なので、何日も前から用意してタイミングを見計らうわけにもいかない。

作るとしたら前日か、早くても前々日。

家族に隠れてラッピングするチャンスは極めて少ない。

 

2月13日。

私は母と姉と一緒にトリュフを作った。

母のパート仲間の方に教えてもらったレシピで、簡単なのにとても美味しい。

 

そして、その夜。

家族が寝静まるのを待って、私は女子用にラッピングしてあるトリュフを子ども部屋に持ってきた。

子ども部屋は姉と一緒なので、物音を立てて起こしてしまわないように細心の注意が必要だ。

 

女子用のラッピングをいくつかほどき、形が良いものを選んで青井先輩用の箱に詰め替える。

トリュフにまぶしたココアパウダーが飛び散らないように、そーっと。

 

普段何気なく食べているチョコレートだが、日頃食べ物を持ち込むことのない子ども部屋では、香りが非常に気になる。

真冬なので寒いけれど、部屋にチョコの香りが残らないように窓を少し開けた。

 

トリュフを傷付けないよう慎重に、でもできるだけ手早く。

誰も起きてきませんように…

 

どのくらい時間がかかったのかは分からない。

それでも何とか無事に青井先輩用のラッピングを完成させることができた。

いよいよ明日。

そう思うと胸が高鳴った。

 

 

続く

 

matsuyoisouk.hatenablog.com

 

 

自信にあふれている人が怖い

こんにちは(^^)

久しぶりの更新になってしまいました。

 

前に書いた「ブログやTwitterをやっていて抱く違和感」と同じような、凡人のぼやきです(笑)
matsuyoisouk.hatenablog.com

 

 私は口調の強い人や、自信にあふれている人が苦手です。

というか、怖いです。

 

たとえ同年代の女性だとしても、何か怖い。

「これってAかな?それともB?」って聞いたとき、

「それは、たぶんAかな?と私は思うんだけど…違ったらごめん」

ここまで控えめでなくてもいいのですが、

「え?そんなのAに決まってるじゃん。Bなわけないでしょ」

みたいに言われると、勢いに負けてしまって「はい、そうですその通りです、そんなことも分からなくてすみません」という気持ちになるのです。

私からしてみると「この人はどうしてこんな自信満々に他人に物が言えるんだろう」と不思議にさえ思えます。

 

大人になって、自分のお店を持っている人とか起業した人と話す機会が何度かあったのですが、そういう方々って自分の努力でここまでやってきたという自負が強いんですよね。

実際そうなのでしょうし、その自負があるのは当たり前だと思うのですが、私の話に対して

「そんなんじゃダメだよ全然」

とか言われると、何だか萎縮してしまう。

私は私なりに頑張って、私なりの考えがあって今この場所にいるのに、全否定されて何だか悲しい。

 

一方で、私は自分に自信はないのにプライドが高いところがあるので、

「自分がすごい経験をしてるからって、何で他人を簡単に否定するの?私がしてきた経験の全てをあなたは知ってるっていうの?」と反発したい気持ちも湧いてきてしまいます。

 

Twitterの世界にも、起業したりネットビジネスやったりしてじゃんじゃん収益を上げていて、尖った発言をする方々も少なくありません。

「できない理由ばっか探してる奴は、結局ぬるま湯に浸かっていたいだけの雑魚」

「やってみようかなレベルで成功できるわけないから、逃げ道用意してるようなバカは来るな」

みたいなね…

(誰かの実際の発言を引用しているわけではありません。雰囲気だけ再現しました)

 

いや、間違ってないと思いますよ。

努力して自分で道を切り開いてきた人から見たら、そんなふうに言いたくなるんでしょう。

 

でも(特定の相手に対してではないにしろ)知りもしない人のことをざっくり一括りにして「雑魚」「バカ」「暇人」「他人が敷いたレールで満足してる奴」とか何とか…よく言えるなぁ…

 

何ていうか「人の悪口言っちゃダメなんだよ!」とかじゃなくて、「自分の方が格上」感、「大半の社会人はレベルが低い」感というか…

 

仮に私みたいなのがこういう人と話したりしたら、きっと即格下認定。

すごい馬鹿にされそうだし見下されそうで怖い。

馬鹿にされたくない、見下されたくないと思うこと自体、プライドが高いせいだとは思いますが。

 

確かに、私だって他人に対して「うだうだ迷ってないでやればいいのに」と思うこともあります。

でもその人が迷っている理由の全てを私は知っているわけではないし。

 

臆病よりは勇敢な方が世間で称えられるかもしれないけど、臆病な人の心の内はきっと勇敢な人には分からない。

臆病な性格になったのが過去の経験のせいだとして、他人が「そんなの乗り越えろ!俺だって昔は●〒▲×☆Д…」とか言ってもね。

 

冒頭の「AかBか」の例えでも、「Aで大丈夫だと思うけど、前回は○○だったし、☆☆って言ってる人もいたし、△△かもしれないから、念のため確認してみよう」って考えた末の質問かもしれない。

でもわざわざ○○☆☆△△の部分を言わずに質問したら「Aに決まってるじゃん。(そんなのも分からないなんてバカなの?)」くらいの勢いで返答される。

「い…いや、私もAだと思ってたし、何も考えてないわけではなくてですねぇ…」って思うけど、気圧されて言えない(笑)

 

…なんて言いつつ、私も家のことになると夫に

「何でここに置かないの?だからすぐ失くすんじゃん!」

「こっちに決まってるじゃん、いつも言ってるのに何で分からないの?」

とかひどい口調で言ってるわ。笑

家のことに関しては、夫より圧倒的にできる自信があるからなー。

 

でも夫は仕事できるマンなので、もし同じ職場で働いていたら「こいつ馬鹿だ」と思われるかもしれない、とも思っています。

 

人は自信が無ければ従う。自信があれば戦う。そういうもんです。

ってこの前バーで話した社長さんが言ってました。

私もそうです。

むしろもっと極端で「自信が無ければ萎縮する。自信があれば傲慢になる」かな。

書きながら反省しました。

 

あれか。プライドが高いとかじゃなくて…

私自身が他人を格上・対等・格下か判断して、格下だと思ったら無意識に見下してるのかもしれない。

だから自分も他人に見下されると思ってるのかもしれない。

私って超絶嫌な奴だな…

 

他人の嫌なところは、自分を映す鏡って本当ですね。悔い改めます。

 

 

まとまりがなくてすいません。←いつもですけど…

まとまりがないどころか、書き始めと終わりで言うことが変わっとる(笑)

お読みくださり、ありがとうございました。汗

異国の地でエステ体験の仕事をすることになった話

こんにちは(^^)

今回は、エステの体験リポートの読者モデルをすることになったお話です。

エステの話に入るまでが長いので、飛ばして構いません(笑)

 

 

経緯

エステなんて、正社員で働いていた頃に数か月通っていたことがあるだけ。

お金と時間があればまた通いたいなーと思ってはいますが、私は現在パート主婦なのでちょっと厳しい…

 

そんなある日、バイト先の社員さんから、フェイシャルエステの体験リポートの読者モデルをやってもらえないかというお話がありました。

某有名ホテルのエステを無料で受けられるし、800字程度のリポートを書くのと小さい顔写真が載るだけ、偽名でOK(笑)。

 

ということで、バイトが休みの日に行ってくることになりました。

 

 

すぐ道に迷う私のリスクマネジメント

エステ体験は14時半から。

12時半まで語学学校の授業がありましたが、スマホの経路探索によると学校からホテルまでの所要時間は約50分だったので、十分余裕があります。

 

しかし。

今回のエステ体験は私一人で行かなくてはなりません。

私はわりと方向音痴で、地図を読むのも苦手。

初めての場所に行くのに迷ってしまった経験が数えきれないほどあります。

「駅から近いから、すぐ分かると思うよ」と言われるような場所でも、駅から右に出るべきところを左に出てしまい、一歩目から間違える始末。

 

そんな自分を今ではもうよく理解しているので、初めてのところに一人で行くときにはかなり慎重です。

 

場所は最寄駅から徒歩15分ほどの距離。しかも大通りから少し外れています。

駅のすぐ近くにスタバがありましたが、そこで時間を潰したりしてはいけません。

まずは目的に到着すること。

時間は着いてから潰せば良いのです。

 

うっかり間違った方向にずんずん進んでしまわないように、常に疑いながら、通りの名前や大きい建物を何度も確認しつつ歩いていきます。

 

幸い、大幅に脱線することなく無事に到着(少しは脱線したんかい笑)。

 

しかし、まだ安心してはいけません。

私は到着してからでも迷います。

 

大きい建物は、本館と別館があったりしますよね。

目的の店が見つからなくて探し回っていたら実は別館にありました、とかよくあるパターン。

ホテルのロビーに入ってすぐの館内案内を見ると…やはり予想通り。←何キャラ?

 

「WEST TOWER」

 

西館と東館があるということですね。

この西館の案内板にはエステが載っていません。

あれ?ないぞ?と慌てることなかれ。

 

EAST TOWERの案内板を探して見てみると…ほらね。あったよ!

東館の地下1階に「SPA」の文字。

 

まだ14時前。

施術の前に顔写真を撮るはずなので、お手洗いで化粧を直して、地下に降りる階段かエレベーターを探して…

 

無事に、14時15分にエステ前に到着!!

遅くなって焦るのに比べたら、早く着きすぎてしまうくらいで良いのです。

 

 

いよいよエステスタート!

受付で体験に来たことを伝えると、ソファーで待つように言われました。

ぶっちゃけこの国の接客は日本に比べるとかなり雑なのですが、さすがホテルのエステは違う!

私はあまり現地の言語を聞き取れないので、身振りを交えてゆっくり丁寧に話してくれました。

 

しばらくして、いよいよ施術室に通されることに。

個室ですが、かなり広くてシャワールームとトイレもありました。

間接照明と川のせせらぎのような音が落ち着いた空間を演出しています。

 

最初にエステティシャンの女性から、用意されているバスローブのようなものに着替えるように言われました。

エステティシャンさんは現地の人で日本語は話せません。

何やら説明されましたが、よく分らなかったので「OK、OK」と言って適当にスルー(笑)

たぶん顔だけではなくて首回りも施術するのだろうから、とりあえずニットを脱いで、ヒートテックの上からバスローブを着ました。

 

施術台の上に仰向けになって、ついに!エステスタート!!!

 

と思ったら。

 

下着を全部脱げと。

まじか。

まぁ個室だし別にいいけど…

 

と思ったら。

 

ブラも外せと。

ええ!?貧乳だから外したくないんだけど…

まぁ仕方ない。

 

と思ったら。

 

体にタオルをかけるからバスローブ脱げと。

ええええ!!?

フェイシャルエステなのに施術中パンツ一丁なの!!!?

だったらバスローブじゃなくて上だけ脱げば良くない!!!?

でもエステティシャンさんは日本語が分からないので言えない…

 

言われたとおりにするしかないので、タオルの下パンツ一丁で施術スタート(笑)

 

 

エステの内容&困った事態発生

まずはクレンジングでメイクを落とします。

指先で優しくクルクル~。

良い香りだし、人の手で触れられるのって気持ちいい。

アイメイクも丁寧に落として、その後温かいタオルでゆっくり拭き取ります。

 

たっぷりローションでひたひたと保湿。

 

さて、ここで困ったことが起こります。

というか予想はしていたのですが…

 

エステティシャンさんと私は言葉が通じないので、どんな施術をしているのか分からない。

 

私が言葉をあまり理解していないのはエステティシャンさんも分かっているので、

「オリーブオイルベースのクレンジングで、毛穴の汚れを落としていきますね~」とか

「このクリームとマッサージで血行を良くして潤いを与えるんですよ~」とか

そういう説明が一切聞けないのです。

私、体験リポート書かなきゃいけないのに大丈夫なのか?

目も閉じているし、今顔に塗られているのがクリームなのかジェルなのかも分からない。

 

でも、とりあえず分からないなりにどんな感じだったのかを書いていくと

 

 クレンジング

 ローションで保湿

 首や肩をマッサージ

 クリームを塗って、頬を下から持ち上げるように

  マッサージ。

  たぶんリフトアップ的な。

  首回りというか、肩のあたりまでクリームを

  塗っていきます。

  気持ち良くてたぶん10分くらい寝てました(笑)

 

と、このへんまで来たところでカメラマンが入ってくる。

顔のアップとかはないけど、施術中の様子を何枚か撮っていきました。

そういえば施術前に私の顔写真撮ってもらってない。

ということは、明日職場で撮るのか…普段化粧薄いから今日撮ってほしかったのに~笑

 

 別のクリームを塗ってパック。5分くらい放置される。

 パックをしている間に、手と腕全体にクリームを

  塗ってマッサージ。

  顔だけじゃなくて腕もあるのね!

 頭皮もマッサージ

 パックのクリームを優しく拭き取って、手の

  ひらで顔になじませる

 

 

エステ終了!

フィニッシュ!!

トータル約1時間半。

化粧品はどれも良い香りだったし、人の手の温度って癒されますね。

とても贅沢な時間でした。

 

顔を指で触ってみると、

肌がもっちりふっくら!!

毛穴も目立たなくなってる!!

アイラインが落ちてなかったのが気になったけど、まつ毛の隙間ばっちり埋めてたから、まぁ仕方ない(笑)

 

着替えて、ささっと化粧して帰ろうっと♪

 

と思ったら。

 

受付まで戻ったところで、先ほどのカメラマンさんが待っており「顔写真を撮ります」と。

今かよ!!!

最初に撮ってよ!!!

化粧薄いし、前髪若干濡れてるしー!!!

クレンジングで落とし切れてなかったアイラインが役に立ちました。笑

 

 

終わりに

こんな時間をかけて施術してもらうエステは初めてだったので、貴重な経験でしたし、良い気分転換になりました。

こうしてブログのネタにもなる(笑)

 

しかしながら、体験リポートを書くとなると、寝っ転がっているだけのエステとはいえ言葉が分からないのは非常に困りますね。

依頼を受けた時点では、日本人向けエステサロンなのかなと思ってたんです(汗)

 

今回の記事は、施術内容などを忘れないようにリポートのための備忘録として書きましたが…

顔に何を塗っているのか、どんな効果があるのかもよく分らないのに800字分も書けるのか心配です(笑)

 

そして、まさかの施術後に撮影した顔写真。

前髪ぺったんこのような気がするよー

 

まぁでも本格エステを無料で受けられたので、楽しかったし満足でした!

 

 

それでは、今回はこの辺で。

お読みくださって、ありがとうございました。

30歳からの歯列矯正(7)下のブラケットの装着&月1調整

こんにちは(^^)

久しぶりに歯列矯正体験記です。

今回は下の歯にブラケットを装着したお話。

1か月前に上の歯に装着したので、それの調整もしてもらいました。

 

  

下のブラケットの装着

ブラケットの装着は、前回と同じN先生。

上のブラケットを装着するときに特に痛いことなどはなかったので、リラックスして治療室へ。

ブラケットに慣れるまでは口の内側に当たるのが痛いかもしれないと言われていましたが、それも問題ありませんでした。

 

ただ、ブラケットを付けて歯に圧力がかかるとものすごくムズ痛くなります。

特に前歯。

奥歯を支えにして前歯を引っ張るような感じなので、最初の2週間くらいは本当に痛い。

前歯で何かを噛み切ることができなくなります(麺類を噛み切ったり、パンにかぶりついたり、おせんべいを食べたり)。

食べること自体が苦痛になるほど…

 

ようやく慣れてきたところなのに、また痛くなるのか…という憂鬱はありましたが、付けてしまえばあとは(平均)2年間耐えるだけ!!

 

ということで、下のブラケットの装着。

前歯がかなり混み合っている(重なって斜めになっている)ので、ワイヤーを通す部品を付けられない歯が1本ありました。

これは歯が少し移動してきたら付けるとのこと。

また、奥歯に虫歯の治療で詰め物をしたところがあるので、もしかしたら部品が取れやすいかもしれないと言われました。

 

付け方の流れは、こちらの記事をご覧くださいませ。             

matsuyoisouk.hatenablog.com

 

下のブラケットの装着は、特に新しい発見はなくスムーズに終了。

 

ただ、この国で働いているS先生(私の担当医)と違って、日本がメインのN先生は現地の言葉をほとんど話せません。

そのため、N先生と助手さんとの意思疎通が上手くいかず、私は口を開けた状態で数分待たされました(笑)

ブラケットを付けるときに邪魔にならないように、口を開けて唇を押し広げた状態で固定する器具をはめたまま…

これ、歯医者さんは見慣れてるから何とも思わないでしょうけど、絶対面白い顔だよ…

真顔で口開けて歯がむき出しになってるんだもん。

早くして~(泣)と思いつつ、日本と海外を行き来しながら矯正歯科専門医として働くN先生も、歯医者さん&語学力の武器を持つS先生も、両方すごいなぁと再認識。

 

 

上のブラケットの調整

下の歯のブラケットを付け終わったら、今度は1ヵ月前に付けた上のブラケットの調整です。

ブラケットを装着した後は1ヵ月ごとに必ず調整が必要になります。

要は、少しずつ歯が動いていくのでワイヤーを締め上げて(?)圧力をかけ直すということですね。

 

これがまさかのかなり痛い。

麻酔をするほどではないにしても、歯を引っこ抜こうとしてるのかと思うくらい痛い。

装着するときもワイヤーを締めるので痛いのですが、月1の締め直しもこんなに痛いとは…

これは…数時間後上下ともにかなりのムズ痛さが来ると予想される…

 

 

装着&調整後

…と思ったら、1ヵ月前に上のブラケットを付けたときほどではありませんでした。

もちろん痛くて食事には少なからず支障をきたしますが、上のブラケットを付けたときは何もしていなくても気になるほどでした。

いつのまにかずいぶん慣れていたようです。

 

とはいえ、上下の歯を強く噛み合わせると痛いので、薄くて歯応えのあるものなどは非常に食べるのが辛い…

また、上よりも下のブラケットの方が食べるときにワイヤーが邪魔になります。

細いものがめちゃくちゃ絡まりやすい。

 

食べにくいもの(薄い・細い・粒々・固い)

切り干し大根、もやし、麺類、わかめ、米飯、パン、固い野菜や果物など

 

食べやすいもの(あまり噛まなくてよい)

豆腐、ヨーグルト、クリームチーズ、柔らかい煮込んだ野菜など

 

食べやすいものを見ると、「何だか健康に良さそうじゃん」と思われるかもしれません。

しかし、家で食べるならまだいいのですが、外食は結構つらいです。

また、バイトに行く前にコンビニで昼食を買おうと思っても、パンもご飯も麺類も食べにくいので選べるものがない。

最近は、もともと好きなのと作業しながら食べられる手軽さもあって、昼食はチョコばかりです。

ちなみに朝は丸ごと豆腐一丁味噌汁。

夕食は夫もいますし、痛いのを我慢して食べます。

 

また、上のブラケットを付けたときは口の内側に当たって痛いということはなかったのですが…

下は1カ所、口の内側に部品が引っかかるような感じで痛くなりました。

でも、マメができて、破れて、治って、前より皮膚が固くなって…というのと同じように慣れていくものなのかなと思い、とりあえず今は我慢。

 

 

下のブラケット装着が外れた!!

下のブラケットを付けるとき、N先生が

 

「虫歯の治療で詰め物をしたところがあるので、もしかしたら部品が取れやすいかもしれない」

 

と言っていたのですが、だから何かあるのかとは特に考えていませんでした。

 

ところが、装着の翌日、夕食を食べていたら何やら口の中に違和感が。

ん?…んん???

これはまさか…

 

部品が1つ外れたーっ!!!

 

一番奥の、まさに詰め物がある歯の部品が取れてしまったのです。

こんなに簡単に外れてしまうものだとは…

 

奥歯を支えに前歯を引っ張っているから、奥歯のブラケットが外れてしまったら付けている意味がなくなってしまうのでは?

 

というか、それよりものすごく食事しにくくなったから早く治してもらいたい!!!

上手く説明できないのですが、中間ではなく一番奥の部品が取れたので、ワイヤーの先に付いている部品が口の中でコロコロ動いてしまうような状態。

ときどき食べ物と一緒にガリッと部品を噛んでしまうのです。

食べている途中で突然ガリッ!と歯に当たって、え!?何!?異物混入!?みたいな気持ち悪さ…

 

装着したのが金曜、外れたのが土曜。

そして月曜にまた歯医者さんに行くことになってしまいました。

 

 

外れたブラケットの処理&矯正以外の治療

外れた部品は、手前でワイヤーを切って一旦取ってしまうことに。

また次回付け直すことになりました。

しかし、詰め物を取るわけにもいかないし、付け直すといってもどうするのだろう。

普通に食事しただけで取れてしまったくらいだから、何度付け直してもまた取れてしまいそう…

 

でもとりあえず、口の中で不安定な状態になっていた部品を切り落とすことができてすっきり快適!

一番奥の歯だけで支えているわけではなかったみたいです。

 

その後、ついでに虫歯の治療と古くなっていた銀の詰め物を治してもらうことに。

矯正器具を付けた後でも、器具に当たらないところであれば治療可能です。

大人になると歯の定期検診などなかなか行かなくなってしまう人も多いと思いますので、通っているうちに悪いところは全部治してしまいましょう♪

 

ところが。

 

取れた部品を切り落とし、虫歯の治療も終わって一安心…と思ったら

 

切ったワイヤーの先端が頬の内側にめっちゃ刺さる。

 

歯医者さんでは先端が当たっている感じはほとんどなくて大丈夫だったのですが、食事をしてみて気付きました。

食事中ってこんなに口が動いてたんですね…痛くて食べられない。

食べ物が固かろうが柔らかかろうが、口を動かさずに食べることはできません。

柔らかい方があまり噛まなくて済む分マシですが…

泣けてくる(涙)

 

ワイヤーが刺さるって、こんなん慣れるものなのか?

口の内側って粘膜になっててやわやわじゃないですか。

次に歯医者に行くまで、ずっと痛いままなのはさすがに辛い。

 

と思っていたら、

 

何か慣れてきた気がする。笑

 

慣れてきたのかワイヤーが曲がったのか分かりませんが、そこまで痛くなくなってきました(笑)

痛くないわけではないけど、頻繁に歯医者さんに行くのは面倒だし、これくらいならまあ1ヵ月耐えられる。

 

でもなー…実はあの後、上の一番奥もブラケット外れちゃったんだよなー。笑

上だからそこまで食事に影響ないけど…どうしましょ。

 

歯列矯正体験記、まだまだ続きます~。

 

それでは今回はこの辺で。

お読みくださり、ありがとうございました。

【ブログ2ヵ月】新ブログのお知らせと、読まれた記事ランキング

こんにちは(*^^*) 待宵スークです。

 

昨日、11月19日で「家族や友達には話しにくいけど、でも誰かに話したいこと」が開設から丸2ヵ月になりました。

ここまで続けてくることができたのは、読んでくださった方々のおかげです。

ありがとうございます!!

 

  

新ブログ開設のお知らせ

先日このブログでお知らせしたとおり、「正社員塾講師体験記」を新しいブログに引っ越しました。

 

こちらです!どんっ!!!

「元塾講師は語りたい」

moto-jukukoushi-souk.com

 ↑このcocoon(私が使わせていただいているブログテーマ)が表示されてしまうのは、どうやったら直るんだろう…汗

 

しかし、初めははてなブログで塾講師用ブログを作る予定だったのですが…

結局WordPressで作ることに。

 

実は、2つ目のブログを立ち上げると同時に「はてなPro」にアップグレードしようと思っていました。

ところが、

 

できなかった。

 

おそらく海外(あるいは特定の国)からのアクセスが弾かれるシステムか何かのせいで、自分のPCのchromeもダメ、Internet Explorerもダメ、スマホもダメ。

Chromeのエラーメッセージで対処法を検索して試してみましたが、それでもダメ。

自宅ではいつもWi-fiを使っているので、スマホを別の場所のWi-fiに接続してみましたが、やっぱりダメ。

 

はてなブログの他の機能は問題なく使えるのに、なぜProの登録画面にアクセスしようとするとシャットアウトされてしまうのか…

せっかくここまではてなブログを続けてきて、書くことにも慣れてきたから収益化もちゃんと考えるぞー!と思ったのに、Proにできないなんて…アドセンス申請できないやん。

 

あまりにも残念で、ちょっと泣きそうになりました。笑

 

ということで、TwitterでいただいたアドバイスをもとにWordPressとGoogleのBloggerの2択で検討。

設定やトラブル対処法、カスタマイズの仕方などの情報の豊富さが決め手になり、思い切ってWordPressを始めることにしたのでした。

 

デザインやらSEO対策やら、何から何まで分からないことだらけで手探り状態ですが、立ち上げたからには頑張っていこうと思います。

今はまだはてなブログに投稿していた塾講師記事がほぼそのままの状態で載っているだけなのですが、今後どんどんリライトして、新しい記事も追加していく予定です。

 

ご興味をお持ちいただけた方は、ぜひ訪問してやってくださいませ。

 

moto-jukukoushi-souk.com

 

 

2ヵ月間の記事ランキング!

さて、2ヵ月で私が投稿した記事は正社員塾講師体験記を除いて43記事。

決して多いとはいえないのですが、自分で確認したいというのもあって、読まれた記事ランキングをつくってみました。

まだ安定したアクセスを獲得できていないので、どうしても最近の記事が多くなってしまいますね(^^;

 

はてなスターランキング

 

5 妊婦さんと同じ職場で働いて、迷惑かどうかより大切だと思ったこと

matsuyoisouk.hatenablog.com

 

5(同点)「才能はないけど、人一倍努力して成功しました」

matsuyoisouk.hatenablog.com

 

4 甘党は絶対ハマる!シンガポールの絶品グルメ、カヤトーストとは

matsuyoisouk.hatenablog.com

 

3 いつも嫁が何で怒っているのか分からない男性へ 

matsuyoisouk.hatenablog.com

 

2 最近ブログ書きながら思うこと 

matsuyoisouk.hatenablog.com

 

1 「私がもし急に死んだら、この人たちに知らせてください」 

matsuyoisouk.hatenablog.com

 

PVランキング

5 子どもを持たない選択(2)

matsuyoisouk.hatenablog.com

 

4 「私がもし急に死んだら、この人たちに知らせてください」

matsuyoisouk.hatenablog.com

 

3 子どもを持たない選択(1)

matsuyoisouk.hatenablog.com

 

2 専業主婦って何してるの?私の一日の過ごし方

matsuyoisouk.hatenablog.com

 

1 誰にも聞かれてないけど、隠す必要もなかったかもしれないけど、日本にいた頃の仕事を明かすことにしました 

matsuyoisouk.hatenablog.com

 

 PVランキングは、意外な記事が1位でした(笑)

比較的最初の頃に書いた記事でランクインしたのは「専業主婦って何してるの?」くらいですね。

ちなみに、初期に地味にアクセスが多かったのは「劣等感が服着て歩いてる」でした。

タイトルが変だからかなぁ(笑)

matsuyoisouk.hatenablog.com

 

それ以外では、はてなブックマーク数では「私がもし急に死んだら、この人たちに知らせてください」、コメント数では「いつも何で嫁が怒っているのか分からない男性へ」ですね。

「男性へ」というタイトルですが、女性の方々から共感していただけて嬉しかったです。

「私がもし急に死んだら~」は続編も書きましたので、よろしければぜひ!

matsuyoisouk.hatenablog.com

 

歯列矯正体験記は惜しくもランク外となりましたが、実はPVランキングの6位と7位が抜歯の記事でした。

また近々書きますよ~。

抜歯が終わったからもう痛いことはそんなにないだろうと思っていたら…これを書いている今現在、実は痛いんですよ…(泣) 

matsuyoisouk.hatenablog.com

 

matsuyoisouk.hatenablog.com

 

 終わりに

ブログを始めた頃は、ネタがすぐに尽きたらどうしよう?飽きてしまったらどうしよう?と思っていましたが、あっという間の2ヵ月でした。

「今日は『書きたい!』と思うネタがないなぁ」という日も実はあったのですが、現在は複数あって困っているくらいです。

新しいブログの立ち上げにかなり時間を割いてしまいましたからね…

 

2つのブログをうまいことやっていけるかは、正直分かりません。笑

でも両方とも私がやりたいと思って始めたものなので、ゆるゆるペースでも続けていきたいなと思います。

 

また、私はついついアクセス数を気にして毎日チェックしてしまうのですが(笑)、顔も名前も知らない誰かが「あ  待宵のブログ更新されてる。読もうっと」と開いてくださっているかもしれないと想像したら…

例えそれがたった1人だとしても、頑張って書き続けられそうな気がします。

私のブログを読んでくださって、本当にありがとうございます。

 

 

今恐れているのは、アドセンスを申請するときに私の国からのアクセスが拒否されること。

本当にあり得そうで怖い…(-_-)

 

 

それでは、今回はこの辺で。

このブログも、新ブログ「元塾講師は語りたい」も、よろしくお願い致します!

「私がもし急に死んだら」リストを作って夫に託してみた

こんにちは。

今回は、思いの外ご好評をいただいた「私がもし急に死んだら、この人たちに知らせてください」の続編です。

宣言通り、知らせてほしい人のリストを作りました! 

matsuyoisouk.hatenablog.com

 

 リストは何で作るか

もともとは紙に手書きで作るつもりでいました。

で、この引き出しに入れておくからね、と夫に言っておけばいいかなと考えていたのですが…

 

しかし、もし本当に自分が死んだらと考えると、見るたびに辛くなるようなモノはできるだけ残したくない。

紙に手書きにするとどうしても夫への手紙みたいになってしまいます。

内容が内容なだけに「スークは自分が死ぬこと分かってたのかな…」なんて変に悲しませることになりそうな気もします。

 

ということで、夫のフリーアドレスにメールで送ることにしました。

メールでも生前の妻からのメッセージには違いないけど、筆跡がない方が辛さが軽減されるかなと。

何より、スマホでメールを開けば、友人の連絡先を手打ちしなくて済みます。

ワードで作っておけば、リストを更新したいときも簡単ですね。

 

 

どんなリストを作ったのか

リストに書いたのは以下の項目です。

 

  • 名前
  • どんな知り合いか
  • 電話番号(携帯電話、あれば実家も)
  • メールアドレス

 

こんな感じになります。

 

小学校友人

山田花子(やまだはなこ)さん(旧姓:川田)

12345678900

abc.abc@abc.ne.jp

 

名前は読み方と、既婚の場合は一応旧姓も。

電話番号は打ち直さずに使えるようにハイフン無しにしました。

どんな知り合いかは、簡単に同級生とか同僚とか。

 

実際につくってみる

まず、LINEの履歴や電話帳を見ながら、誰をリストに載せるか決めます。

載せるか載せないか、やはり何人か迷いましたね(笑)

結婚式の招待客を決めるのもこんな感じなのかなぁなんて思いながら(結婚式挙げてないので)…結局25人になりました。

 

ちょっと多い気がしますよね…

そこで、リストの中で「この人とこの人は知り合いです」と分かるように同じ記号を付けることにしました。

 

小学校友人

★山田花子(やまだはなこ)さん(旧姓:川田)

12345678900

abc.abc@abc.ne.jp

 

小学校友人

★花田山子(はなだやまこ)さん

00987654321

def.def@abc.ne.jp

 

同じマークの人は、その中の誰かに連絡が取れればOK。

だったら初めから載せなければいいのにと思われそうですが、リストに載せた1人に連絡が取れないと困るので、一応載せておきます。

 

しかし、やはりLINE以外の確実な連絡先が分からない人が多いです。

学生時代の友人は電話番号もメアドも電話帳に記録されていますが、これ10年以上前に聞いた連絡先だよね?絶対変わってるって…のオンパレード。

 

社会人になってからの知り合いで、仕事関係でもない人は、LINEしか連絡先が分からないし…

それだと死ななくてもLINEのデータが吹っ飛んだときに非常に困るので、リストに載せようと思うくらい大切な友人には今度電話番号も聞いておこう、と思いました。

 

さて、リストがひと通り完成。

あとは「同じマークの人は知り合いです」とか簡単に説明を書いていきます。

そのとき気を付けたのは、心を込めすぎて手紙みたいにならないようにすること。

「今までありがとう」「○○してごめんね」などなど…あまり書きすぎると、手書きではなくメールにした意味が半減してしまいます。

 

もちろん、配偶者への手紙として残しておきたいという場合には思いを綴ってもOKだと思います。

でも、私は「私が急に死んでも夫や家族が困らないように」というのが目的なので、できるだけあっさりとした内容にとどめました。

 

 

夫に託す

結婚してすぐの頃、夫にはこういうリストも必要だよねという話をしたことがありました。

しかし、いざ夫にリストを作ったよと言うと、第一声は

 

「縁起が悪い」

 

ですよねー(笑)

30歳の妻から「私がもし急に死んだら、この人たちに知らせてください」なんて言葉は普通聞きたくないでしょうね。

しかし「そんなのまだ早いよ」と言われても、早く死んでしまったときのために作ったのですから、構わずメールで送りました。

 

ごめんね、夫よ。

別に重病を隠してるとか誰かに恨まれてて殺されるとか、そういうわけじゃないからね。

むしろ夫にも自分のリスト作ってほしいんだけど…無理そうです(笑)

 

 

いかがでしたか?

急に死んだら周囲の人には絶対に迷惑をかけてしまうことになりますが、これで1つは迷惑が減ったなと思うと少しだけ安心です。

まだ頑張って生きていきたいですけどね!!!

 

それでは、今回はこの辺で。

お読みくださって、ありがとうございました。

甘党は絶対ハマる!シンガポールの絶品グルメ、カヤトーストとは

こんにちは(^^)

 

今回は、最近私がTwitterでちょくちょくつぶやいていたシンガポールのカヤトーストの美味しさを皆様にも知っていただきたいと思います!

 

家族や友達にも話しにくくない、むしろみんなに聞いてほしい話です!笑

  

 

カヤトーストとは?

カヤトーストは、シンガポール名物の一つ。

B級グルメやファストフードといってもいいかもしれません。

現地の人々には朝ごはんの定番として親しまれています。

薄いサクサクのトーストに、カヤジャムとたっぷりのバターを挟んだもので、うんまいぃぃんですコレが!!

甘党でバター党の私にはたまりません!!

 

 

カヤジャムとは?

f:id:matsuyoisouk:20181115114738p:plain

ジャムといえばイチゴジャムやブルーベリージャムなどが浮かぶ人が多いかと思いますがが、「カヤ」という果物があるわけではありません。

 

カヤジャムの主な原材料はこちら。

 

  • ココナッツミルク
  • 砂糖
  • パンダンリーフ

 

 

パンダンリーフは「東洋のバニラ」と言われており、赤道付近の熱い地域に生育する植物の葉。

主に甘いデザートの香り付けに使用しますが、鶏肉を包んで揚げる料理や、お米と一緒に炊いて香りを出すといった使い方もあるそうです。

葉っぱそのものは食べられません。

(参考:まちおやつプロジェクト  http://machioyatsu.jp

私はシンガポール旅行に行くまで聞いたこともありませんでしたが、日本でも東南アジア料理がお好きな方は知っているようですね。

東南アジアでは、このパンダンリーフを使った緑色のお菓子をよく見かけます。

日本で緑色のお菓子といえば抹茶の色であることが多いですが、東南アジアではパンダンリーフの色なのです。

下の写真は、シンガポールでアフタヌーンティーのセットを注文したときに出てきたお菓子。

緑色のお菓子がいくつか見えるでしょうか。

カヤジャムもこのパンダンリーフによって黄緑色をしています。

f:id:matsuyoisouk:20181115115522p:plain

ちなみに、先ほどのジャムの瓶の写真はパンダンリーフではなくてキャラメルが使われているカヤジャムなので、茶色っぽいです。

パンダンリーフのカヤジャムは、写真を取ろうなんて思いつく前に食べてしまいました(笑)

すみません…

 

私はパクチーなどの香草が全然ダメで東南アジア料理が苦手なので、パンダンリーフもクセのある感じだったら食べられないかもと思っていました。

しかし、心配無用でした!

パクチーに限らず、シナモンなど香りが強いもの系があまり好きではない私ですが、食べにくさは全く感じません。

むしろうんまいぃぃ!!!

シンガポールでは他にも緑色のお菓子を食べましたが、どれも美味しかったです。

 

また、ココナッツと聞いて苦手かもと思った方もいるかもしれません。

独特の甘さと香りがあるので、甘いものは好きだけどココナッツはあんまり…という方もいますよね。

ですが、そこまでココナッツ感は強くないと思います。

私もココナッツはそこまで好きな方ではありませんが、問題なく…いや、めちゃくちゃうんまいぃぃ!!!

 

パンダンリーフ、ココナッツミルク、砂糖とこれだけ甘いものを入れて作ったら、そりゃあ甘いわけだ(笑)

でも、これがバターのしょっぱさと合うんです!

カロリーとかどうでも良くなる美味しさ。

一度食べたら病み付きになります。

 

 

シンガポールの有名チェーン、ヤ・クン・カヤトースト

f:id:matsuyoisouk:20181115121233p:plain

シンガポール国内に50店舗を展開している老舗、ヤ・クン・カヤトースト

私が旅行中に行ったのはこのお店です。

定番はカヤトースト、半熟卵、甘いコーヒーのセットで4ドル。

他にも、一緒にピーナッツバターやチーズを挟んだものもあります。

朝に行ったので、地元民や観光客など朝食に訪れた人でとても混んでいて、席が空くのを待っている人々も多数。

店舗によるのかもしれませんが、カヤジャムの販売もしていました。

以前は東京にも出店していたことがあるそうです。

(参考:シンガポール旅行観光.com  http://ryokoukankou.com

 

また、シンガポールのチャンギ国際空港内にもカヤトーストを食べられるお店がありました。

そのお店では「トースト オア スチーム?」と聞かれたので、焼かない食べ方もあるんですね~。

 

カヤトーストを日本でも食べたい!

カヤトーストがあまりにも美味しかったので、チャンギ国際空港で自分用にカヤジャムを2瓶買いました。

でもそんなのはすぐに無くなってしまうので(※)、やっぱり日本でも買いたい!

と思ったら、Amazonなどに普通に売っていました(笑)

今度日本に帰る前に注文して、実家に送っておこう♪

※1瓶220gを2~3回で食べてしまいました…

 

 

興味を持ってくださった方は、ぜひお試しあれ!

バターは胃がもたれるな~という場合、カヤジャムだけでも十分美味しいですよ。

というか、私もバターはもたれます(笑)

それでもバター党はやめられない!!

 

個人的には、コメダ珈琲とか喫茶店チェーンがカヤトーストを売り出してくれたらいいのになぁと思っています。

小倉トーストも美味しいけど、カヤトーストも絶対受けるはず!

 

余談ですが、シンガポール旅行からの帰り、空港で買ったカヤジャムを持っていたら…

乗り継ぎの香港の空港で、手荷物検査の係員に「それは何だ」と止められました(笑)

途中で開けられない空港の店の袋に入っているにも関わらず怪しまれて、「ジャムです」と言っても信じてもらえない。

結局テープで閉じてある袋を開封し、瓶が入っている箱も開けて、個別に検査されました。

確かに見た目はジャムっぽくないけど…笑

 

 

それでは、今回はこの辺で。

お読みくださって、ありがとうございました。

【お知らせ】「正社員塾講師体験記」をサブブログに移します

****お知らせ****

 

こんにちは。待宵スークです。

 

このたび、サブブログを立ち上げて「正社員塾講師体験記」の記事を引っ越すことにしました。

 

スターやコメントを下さった方々、本当にありがとうございました!!

引っ越しのために消えてしまって申し訳ありません。

 

このブログでは「正社員塾講師体験記」の記事はすでに非公開になっております。

元塾講師ですと明かした記事だけしか残しておりません。

そちらもいずれは引っ越すか削除する予定です。

 

新しいブログは近日公開予定です。

 

 

非常にカッコ悪いのですが、引っ越しを決めた理由をものすごく正直にお話ししますと・・・

 

塾講師の記事を3日くらい続けて公開したらPVがダダ下がりし、その後塾講師以外の記事を続けて公開したらPVが回復したからです。笑笑

(もともとそんなにPV多くないですけど!笑)

 

かといって塾講師の記事も全く読まれていないわけではなく・・・

スターやコメントもたくさんいただき、とても嬉しかったです。

 

でも、今までこのブログを読んでくださっていた方のニーズ?とはちょっと違うのかなと。

 

今までの読者様のニーズからは少しずれていて、且つ塾講師の記事を探しているような方には見つけていただきにくい。

 

2つのブログを運営することになると、それぞれのブログの更新頻度が落ちてしまったり、偏ったりすることもあると思うので迷ったのですが・・・

 

このままでは、せっかく思いを込めて書いても読んでもらえない!

だったら分けてしまおう!という結論に至りました。

 

 

新しいブログを公開するときには、またこちらでお知らせさせていただきたいと思っています。

 

今後とも当ブログ「家族や友達には話しにくいけど、でも誰かに話したいこと」を、そしてご興味を持って下さる方は新ブログの方も、よろしくお願い致します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私がもし急に死んだら、この人たちに知らせてください」

こんにちは。待宵スークです。

私のブログを開いてくださって、ありがとうございます。

 

 

人はいつ死ぬか分かりません。

50年後かもしれないし、事故や急病で明日死ぬかもしれない。

「終活」という言葉を最近よく耳にするようになりましたが、将来必ず訪れる死に対して満足な準備ができるとは限りません。

 

 

元彼との電話

26歳のとき、ちょっとしたことがきっかけで22~23歳のときに付き合っていた元彼と久しぶりに連絡を取ることになりました。

 

彼と付き合っていた期間は約8か月。

大学4年の冬に知り合いました。

知り合ってから付き合い始めるまでが短かった上、付き合ってから1ヵ月ほどで遠距離恋愛になってしまったため、お互いのことをあまり深く理解することができないまま終わってしまいました。

別れてからは一切連絡を取っておらず、どんなふうに過ごしているかも全く分からず。

 

そんな元彼と約3年ぶりに電話をしました。

 

何を話したか正直ほとんど覚えていません。

しかし、一つだけ強く印象に残った話がありました。

お互いの近況やら、そんなことを話していたときだったと思います。

 

元彼が車を運転していたとき、車ごと崖から転落して、死んでもおかしくなかったけど九死に一生を得た、という話を聞かされたのです。

奇跡的にほとんど怪我はなかったそうですが、よく生きてたなーと思うような状況だったとのことでした。

 

そのとき、私は

 

今はもう関係のない人とはいえ、私の恋人になってくれた、人生においては特別な存在の一人。

なのに、その人が死んでも私のもとに知らせが届くことはないんだ。

 

と思ったのです。

 

 

共通の知人がいない

学生時代、特に中学生までの友人は、お互いの親も知っていることが多いですよね。

また、同じクラスや同じ部活のメンバーは皆が「共通の友人」ということになります。

 

例えば同じ中学校の同級生が亡くなったりすると、親しい友人ではなかったとしても「中学校のときの○○さんって覚えてる?あの人、亡くなったらしいよ」といずれ情報が入ってくることが多いです。

 

しかし、大人になってからの友人は、親に会ったこともなければ、共通の知り合いが少ない・全くいないことも珍しくありません。

仕事関係で知り合ったり、バーでたまたま意気投合したり、趣味を通じて仲良くなったり、ということはよくあることです。

共通の知り合いがいたとしても、頻繁に連絡を取り合っていなかったり、連絡先をLINEしか知らなかったりすると、果たして自分にまで訃報が届くかどうか。

 

その元彼と私の場合は、連絡先の分かる共通の知り合いが一人もいませんでした。

彼がもしその事故で亡くなっていたとしても、ニュースで報じられたりしない限り、私が彼の死を知ることはなかったわけです。

 

ということは、もし私が何の準備もできずに死んだら…

私の家族や小中学生時代の友人の中に共通の親しい知り合いがいなければ、大人になってからの友人たちには私の訃報は届かないということです。

 

まさか私が死んだなんて思わずに

「LINE全然返ってないなー。忙しくてメッセージ見落とされちゃったかな?」

「スマホ壊れて連絡先消えちゃったとか?」

なんて気にさせることになるかもしれません。

数か月、数年経っても相手から一切連絡が来ないとなったら、ますます心配させしまいます。

それでいて、何があったか確認できる人もいない。

理由も分からないまま関係が途絶えてしまった、ということになってしまうのです。

 

 

自分が急に死んだときのために 

何より、私がお世話になった人たち、優しくしてくれた人たちにお礼すら伝えることができずに消えるのは悲しすぎる。

 

そこで考えたのが、『私がもし急に死んだら、この人たちに知らせてください』リスト」を作って夫に託しておくこと。

 

名前、連絡先、どこで知り合った人かを簡単に書いて、夫や家族から代わりに感謝を伝えてもらえたらいいなと思ったのです。

 

以前、旦那さんが急に亡くなった女性の体験談で、スマホを見ても誰に連絡したらいいのか分からなかったという話をネットで読みました。

この人に連絡すればいいというのが明確になっていた方が、残された人たちの負担も軽くなるのではと思います。

やましいことはないけど、スマホを見られるのは嫌ですし(笑)

 

結婚したときに、ほぼ必ずどちらかがパートナーの死を見届けなければならないんだなぁということを強く感じました。

もし自分が先に死ぬ場合、残される夫にはできるだけ世話をかけたくない。

こんなリストを書くなんて何だか縁起が悪い気もしますが、現実的に考えたら必要なことかなと思います。

 

あ  私「終活」について調べたことないですけど、もしかしてこういうリスト作るのって終活では当たり前なのかな(調べずに書くなww)

 

なぜこんな記事を書いたかって?

結婚して2年経つのに、まだリストを作っていないからです(笑)

来週中に書きまーす!!笑

 

 

 

それでは、今回はこの辺で。

お読みくださり、ありがとうございました。

妊婦さんと同じ職場で働いて、迷惑かどうかより大切だと思ったこと

こんにちは(*^^*)

 

職場に妊婦さんがいると、気を遣う・みんなと同じように働けなくて迷惑…という話をよく聞きます。

また、妊婦さん側も休みたいけど休めない・職場で嫌味や文句を言われて居づらい 、など辛い思いをすることも多いようです。

 

 私は現在海外に住んでいますが、今年の7月下旬からアルバイトをしています。

アルバイトは私を含めて全部で女性4人で、そのうちの一人が先日出産を控えて退職しました。

その妊婦さんと一緒に働いたのはたった3か月ほどですが、少しだけ思うことがあったので書きたいと思います。

 

 

 

妊婦さんがいると気を遣う?

f:id:matsuyoisouk:20181109124435j:plain

その妊婦さんは私より3つ年下の先輩で、仕事を1から丁寧に教えてくれました。

また、日本人ですが現地生活が長く、言葉もペラペラ。

仕事のミスも少なくて、社員さんから見ても頼りになる人材だったと思います。

 

私たちの仕事は体力を使うものではなく、労働時間も短いため、日頃そこまで気を遣わなければならないことはありませんでした。

他のメンバーが、妊婦さん故に代わりにやってあげなければならない業務も特に無し。

また、私がその職場に勤め始めた頃には彼女はもう悪阻は終わっていたようで、普段は元気に過ごしていました。

彼女にとっては待望の第一子。

一緒に働いていた3か月の間にお腹はどんどん大きくなり、まーるく膨らんだお腹を大切そうに撫でる姿がとても可愛らしく見えました。

 

アルバイトのメンバーは仲が良く、赤ちゃんの名前を一緒に考えたりもしました。

「旦那さんと考えた候補が3つあるんですけど、どれがいいと思います?」

「これかこれがいいなー」

「私は響き的にこれが好き」

「私もこれが一番いいと思うんですけど、旦那さんはこっちを全力で推してるんですよね(笑)」

なんて話しながら、みんなで赤ちゃんを待っているような幸せな気分でした。

 

 

妊婦さんの急な欠勤によるしわ寄せ

彼女は職場ではいつも元気に見えましたが、体調不良で欠勤することがしばしばありました。

妊婦さんは体が一番大事ですから、それ自体を悪く思ったりはしません。

しかし、私たち他のメンバーにしわ寄せが来ることも確か

 

特に、月曜は各自が担当のクライアントに連絡を入れることになっているのですが、その日に休まれたときは困ってしまいました。

他の3人で手分けして、自分の担当クライアントが終わり次第、彼女の担当クライアントに連絡することに。

しかし、過去のやり取りや顧客ごとの契約内容などを確認しなければいけないため、非常に時間がかかりました。

 

また、彼女と私の二人だけだった日に彼女が欠勤し、一人でてんてこ舞いになった日もありました。

その頃はまだ入ってから3週間ほどで、分からないことばかり。

自分の仕事を必死にこなしつつ、外回り中の社員さんからの連絡に全て対応し、目が回りそうでした。

 

以前別の記事で少し触れましたが、忙しくなることが確実な日に彼女が欠勤になり、私が代わりに2時間早く出勤したこともありました。

 

…などなど。

アルバイトとはいえ、やはり急に休まれると他のメンバーは大変です。

それでも、妊婦さんですし、普段とてもお世話になっていたし、別にそれ自体はそんなに悪く思っていません。

 

 

妊婦さんに配慮するのは苦ではない!けど…

以前働いていた職場の先輩が、妊娠しても仕事を抱えていて休むことができず、無理をして結局流産してしまったことがあります。

その後しばらくショックで仕事に来られなくなり、幸い再び妊娠することができたときにはすぐに退職しました。

最初に妊娠したときに休むことができていれば…と本人や上司は悔やんでも悔やみきれなかったでしょう。

 

妊婦さんだから体を何よりも大切にして、無理をしないで休んで構わない。

今のアルバイトの仕事は、一人欠けても現場が少しきつくなるだけで済み、クライアントにまで迷惑がかかるような事態にはならないし。

実際、私以外のアルバイトのメンバーも、欠勤が多くなってしまうこと自体を悪く思ってはいなかったと思います。

 

し か し。

 

感謝と謝罪の言葉くらいは欲しい。

 

先述の月曜に彼女が欠勤したとき。

月曜はクライアントに連絡を入れなければいけない日だということは当然彼女も分かっていますから、翌日「昨日は急に休んでごめんなさい、ご迷惑おかけしました」の一言くらいはあるかなと思っていました。

けれども、翌日顔を合わせても何もない。

彼女は私より早番で、頭がすでに仕事モードになっているから忘れているのかな?と思いましたが…

 

私が一人でてんてこ舞いだったときも、彼女の代わりに2時間早く出勤したときも、翌日何も言ってこない。

 

結局彼女が先日退職するまで、何度欠勤をカバーしても感謝や謝罪の言葉をもらったことは一度もありませんでした。

 

そればかりか、彼女が欠勤してものすごく忙しかった日の翌日、復帰してきた彼女の口から「今日は忙しくなりそうだなぁ」という言葉が。

思わず「昨日も忙しかったですよ」と言いそうになり、喉元でグッとこらえました。

 

 

最低限必要なこと

別に休んでもいいと思うのです。

子どもを産んでしばらくは働けないので、働けるうちは働きたいという人も多いでしょうし。

あまりにも頻繁に休まなければいけない状態だったら、上司や家族と相談して早めに退職することを検討した方が良いと思いますけどね。

  

「休んでもいい」とは言いましたが、やはり大切なのはカバーしてくれた人への感謝と謝罪をきちんとすることだと思います。

その言葉がないと、大した迷惑はかかっていなかったとしても正直嫌な気持ちになります。

 

妊婦さん側と職場側の双方が負担を感じずに済むようにするのは簡単なことではないと思いますが(正社員ならなおさら)、仕組みづくりのまえに、お互いの気遣いと思いやりは最低限必要なものだなと思いました。

 

 

終わりに

アルバイトの先輩を悪く書いてしまいましたが、それ以外はとても優しくて親切な人だったので、無事に元気な赤ちゃんが生まれることを心から祈っております。

生まれたら写真を送ってもらうことになっていますし、赤ちゃんの名前が結局どれになるのかも気になるところです(笑)。

  

 

それでは、今回はこの辺で。

お読みくださり、ありがとうございました。

 

 

matsuyoisouk.hatenablog.com

 

 

matsuyoisouk.hatenablog.com

 

 

matsuyoisouk.hatenablog.com

 

 

matsuyoisouk.hatenablog.com

 

「才能はないけど、人一倍努力して成功しました」

こんにちは。待宵スークです。

私のブログを開いてくださって、ありがとうございます。

 

 

「私には才能はなかったけど、昔から誰よりもたくさん練習してきました。結果を出すことができて本当に嬉しいです。また、支えてくれた家族や、応援してくださった皆さんに感謝します」

 

日本人の金メダリストのコメントって、こんな感じの場合が多い気がします。

それが悪いという話ではありません。

 

 

なぜ「才能がある」とは言わないのか

日本人は(世界の国の人は分かりませんが)、素晴らしい成功を収めても「私には才能があります」とはあまり言わないですよね。

 

もし金メダリストが「才能のおかげです」なんて言ったら、天狗になってるとか調子に乗ってるとか言われて叩かれそうです。

「才能はなかったけど努力しました」と言った方が謙虚な印象を与えますね。

実際、大変な努力をしているのは間違いないでしょうし。

 

あなたが成功している仕事やスポーツなどに対して、もし他人から「あなたは才能があっていいよね」と言われたら、嬉しいですか?

嬉しくないという人が多いのではないでしょうか。

その言葉は「あまり努力しなくても成功できていいよね」という嫌味が込められているのを感じるからだと思います。

「あんたが見てないところでも努力してるからだよ」と思わず言い返してしまうかもしれません。

努力を否定されるのは、誰にとっても腹立たしいことです。

 

一方、「才能があっていいよね」と言っている側は何を思ってそんなことを言うのでしょう。

おそらく「私は努力しても成功できなかったのに」という悔しさがあるのではないでしょうか。

成功できなかった=努力していないからだと思われたくないのです(実際にどれだけ努力しているかは別として)。

 

「成功した人は努力を理由に挙げ、失敗した人は才能のなさを理由に挙げる」みたいな言葉がありますが(間違ってたらごめんなさい)、結局どちらの人も自分の努力を認めてもらいたい、努力してきた自負があるのは同じなのではないかと思います。

(そもそも何にも挑戦せずに「才能があっていいよね」とぼやいている人は除きます)

 

 

才能があるのは嬉しいことじゃないか?

しかし、私は人から「才能があっていいよね」と言われたらたぶん喜ぶと思います。

だってそれは、大した努力をしていないと思われているとしても、周りから見て自分はスゴイ人ってことじゃないですか。

人からスゴイねと言われることに慣れていない私にとっては、周りに才能を感じさせているなんてとても嬉しいです。

 

学生時代に約10年やっていたスポーツも塾講師の仕事も、まさに「才能がない人が努力するとこうなります」という感じでした。

努力しているので自分自身は確実に成長しているのですが、周りと比べるといつも下の方っていう。

 

しかし、塾講師としては鳴かず飛ばずだった私ですが、実はその後ある仕事でちょっとした成功を収めました(詳細はいつか書けたら書きます)。

 

それまでは「私には何の才能もない。不器用で、何をしたって人より秀でることなんかできないんだ」と思ってずっと生きてきました。

どう見ても周りより私の方が努力しているのに成果が出なくて、努力が足りないと言われる日々を送ってきました。

 

だから、アラサーにして初めての成功を掴んだとき「今まで気付かなかっただけで、私にも才能があったんだ!」と思ったのです。

そんなに規模の大きい成功ではないし、自慢できるようなことでもありませんが。

その仕事で、もちろん努力もたくさんしました。

環境や運のおかげだと思う部分もたくさんあります。

でも、「他の人より私の方が何か分からんけど上手いなぁ、伸びるなぁ(才能?)」と思う部分も確実にあると感じたのです。

全く努力してしてないと思われるのはさすがに嫌ですが、「才能があっていいよね」って言っていいよ!!という心境でした(笑)。

 

 

努力こそ全てなのか

才能があっても努力しなければ成功できないので、努力を称えることは良いと思います。

才能は自分では決められませんが、努力は自分次第ですから。

しかし、「成功するのに才能は関係ない。努力こそ全て!!」と言わなきゃいけない風潮というか…そっちの方が私にとっては違和感があります。

そういう人は、力の限り努力して報われなかった経験がないのかなぁとか思ってしまうんですよね。

だって「才能は関係ない。努力こそ全て」という人は、努力次第で金メダリストにも学者にもなれるってこと?

アスリートの中には「いやぁ、僕は勉強の方は全然ダメで…」って言う人もいると思うんですよね。

 

 

終わりに

成功者の努力を軽んじるつもりは微塵もありません。

また、自分が失敗してきたことを才能のせいにして擁護したいという意図もありません。

しかし、自分自身というより世の中を見ていて、全ての失敗者が努力不足なのか?と疑問に思うことがときどきあります。

成功者は努力を語りますが、失敗者には何かを語る場さえ与えられないので。

それから、自分のことも他人に対しても「才能がある」と言うと好印象に捉えられないことも、何だかちょっと変じゃないかなと…

 

そんなことを思って、書いてみました。

うまく伝えられたのかしら(汗)

 

でも、自分の全ての失敗を努力不足のせいだと思える人が成功者になるのかな。なんてことも書きながら思いました。笑

 

 

 

それでは、今回はこの辺で。

お読みくださり、ありがとうございました。

ブログやTwitterをやっていて抱く違和感

こんにちは。待宵スークです。

私のブログを開いてくださって、ありがとうございます。

 

 

今下書き状態の記事があるのですが、書きたいことを思い出したのでこっちを先に書きます。笑

 

何か…頑張っているブロガーさんやフリーランスの方々に嫌われるようなことを書くかもしれません。

もしくは凡人の負け惜しみと思われそう(笑)

 

 

ブログやTwitterをやるようになって、

 「会社員になりたくない」

「会社員をやめたい」

「雇われたくない、人に使われたくない」

→だからブログやネットビジネスで稼ごうと思って頑張っている 

という人がすごく多いということに驚きました。

それについて思うことを書きます。

あくまで私個人の感覚です。

 

 

「誰だって働きたくないものだ」

もちろん私もブログをいつか収益化できたらいいなと思ってはいます。

 でも、それは収入を増やしたいからであって、ブログの収益だけで生活できるようになりたい・働かずに生活できるようになりたいからではありません。

生活できるくらいの金額を稼げたら最高ですけどね(笑)

 

というのも、私は仕事で感じる以上の達成感や生きがいを知らないから。

 

以前、会社の先輩がア○ウェイをやっていて、ア○ウェイでたくさん稼いでいるという人に会わされたことがあります。

 

確かに、すごく広くてきれいなマンションに住んでいて羨ましいなと思いました。

でも、「ア○ウェイのおかげで自由に使える時間とお金が増えたから、世界中好きなところに行ける。こんな美しくて感動的な景色にも出会える」と言って海外旅行の映像を見せられても、

 

「ふーん。海外旅行に行けるのはいいなと思うけど、この人にとっての『人生における感動』ってこれなのか」

 

としか思いませんでした。

当時私は塾で働いていて、生徒たちと喜びを分かち合える瞬間とは比べ物にならないように思えたからです。

 

その頃はものすごく忙しかったですし、お金にもそこまで余裕はありませんでした。

時間的にも経済的にも精神的にも、ゆったり海外旅行なんてとても出来なかったです。

 

でも、仕事のやりがいか海外旅行(自由に使える時間とお金)か、どちらか1つだけ選べと言われたら私は前者を取ります。

もちろん、両方取れるなら取りたいし、仕事の収入が生活できないほど低かったら困りますけど!笑

 

世界中好きなところに旅行したい。

広くてきれいな家に住みたい。

毎日値段を気にせず美味しいものを食べたい。

ほしいものを我慢せずに買いたい。

 

などなど、これらができたらそりゃあ素晴らしいと思いますけども、その生活って塾の中3の生徒が「先生に出会えて良かった」って言ってくれたときより嬉しいことあるの?って思ってしまいます。

子どもがいたら違うのかなぁ。

 

ブログやネットビジネスなどを悪く言っているわけではありません。

また、それらを簡単にできる仕事だと思っているわけでもありません。

むしろそれ一本で生活できるくらいに自分のブログやネットビジネスを成長させるまでには、多くの苦労があるのだろうと思います。

 

そうではなくて、「誰でもみんなラクしたいものだ」「誰でもみんな働きたくないものだ」みたいなのを目にすると、私は非常に強く違和感を覚えるのです。

 

今は歯列矯正費用を稼ぐためにバイトしていますが、もしブログを収益化できたとしてもバイトは辞めないと思います。

まだ収益化に必要なこと何もしてないくせに何言ってんだかって感じですけど(笑)

 

 

「会社員はオワコン」

会社という組織に所属して働くことになると

 

  • 上から指図され、命令には逆らえない
  • 成果が給料に直結しない
  • 労働時間が長い
  • 型にはまらなければならない
  • 本当に意味があるのか分からない会社独自の風潮
  • 嫌いな人とでも我慢して一緒に働かなければいけない

 

などなど、嫌なことがたくさんありますよね。

私も決して長いとはいえませんが会社員を経験したので、上記のような会社員のマイナス面にはうんざりしたこともあります。

 

でも、会社員ってそんなに悪いものかな!!?汗

 

8時間働くこと自体無理

誰からの指示も受けたくない

上の人から叱られたくない(叱られたいっていうのはちょっとあれですけどw)

嫌な人と同じ職場になる可能性があるだけで嫌

 

っていう人は、向いていないかもしれませんけど…

 

こんなことを書くと「こいつは優しい会社でしか働いたことがないんだろう」と思われるでしょう。

たぶんですけど、そんなこともないです。

でも、しんどい職場と良い職場の両方を経験したので、人間関係が悪いとか、みんなモチベーションが低いとか、理不尽なことで叱られるとか、それらは会社員という働き方そのものが抱える問題ではなく、単にその職場や個人の問題だと思うのです。

 

会社員なんか嫌だ!っていう人は声を上げるけど、会社員素晴らしいよ!っていう話はあまり聞く機会がないから、学生さんはそりゃあ就職したくなくなるでしょう。

 

でも、人間関係が良くて、みんな意欲的で、上司が愛情を持って叱ってくれる会社も世の中にはちゃんとあります。

 

人に自慢できるような有名企業で、いつも定時に終わって、有休が取りやすくて、給料が高くて、面倒な上下関係がなくて、服装や髪形が自由で、自分の好きなように仕事ができて、面倒な研修とかなくて、飲み会もなくて、クライアントも優しい人ばかりで、ミスしても叱られなくて…っていう会社はあるかどうか分かりませんけど。

 

会社なんていつ潰れるか分からないとも言われますけど、それなら自分で立ち上げた事業が失敗する確率の方が高いんじゃないのかなぁ。

いざというときのために収入源を複数持つというのは大事なことだと思いますけどね。

 

大なり小なり組織というのは、ルールや自分以外の人に合わせていかなくてはいけません。

それがマイナスになることも多々あります。

しかし、一人ではできないことができるというのが組織で活動する最大の魅力。

 

フリーランスで働く人がどんどん増えていくといわれているので、この先どんな変化があるのか私には分かりません。

でも、会社員=悪い働き方なんかじゃないと強く思う。

 

これから就職することになる学生さんや、苦しい職場でしか働いたことがない人にそう伝えたいです。

 

 

着地の仕方が相変わらず下手だなぁ(笑)

「誰だって働きたくないものだ」「会社員はオワコン」

これらをブログやTwitterで見かけるたびに、私は違和感を抱いていました。

そう考える人がいること自体は不思議には思いませんが、違う感覚の人もいるよと言いたくなったので。

 

それでは、今回はこの辺で。

お読みくださり、ありがとうございました。